学位論文要旨



No 212877
著者(漢字) 五十嵐,誠
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,マコト
標題(和) ヒト2-グリコプロティンIのcDNAクローン化とバキュロウィルス発現系を用いた機能解析
標題(洋)
報告番号 212877
報告番号 乙12877
学位授与日 1996.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12877号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨 第一章序論

 抗リン脂質抗体症候群(APS)は自己免疫疾患の1つであり、その患者には抗カルジオリピン抗体(抗CL抗体)や抗ss/dsDNA抗体などの抗リン脂質抗体と総称される自己抗体が検出される。その臨床症状は、動静脈血栓症、習慣性流産、血小板減少症等が見られるが、これら症状と抗リン脂質抗体との関連は不明な点が多く残されている。最近の研究で抗リン脂質抗体の一つ抗CL抗体が、その抗原であるカルジオリピン(CL)を認識するためには2-グリコプロテインI(2-GPI)が必要である、との報告が為された。2-GPIはこのため抗CL抗体コファクターと呼ばれる。抗CL抗体はCLまたは2-GPI単独には結合せず、両者が存在する時のみに結合が観察された。このためエピトープはCLと2-GPIの両分子に跨って存在するか、もしくはCLと2-GPIとの相互作用の結果2-GPI表面上に現れる、との仮説が考えられた。

 2-GPIは血液中に存在する分子量約50kDの糖蛋白質で、リン脂質などの陰性荷電物質との結合能を有しており、また血液凝固系に関与している等の報告もあるが、その機能についてはまだ良く分かっていない。2-GPIはアミノ酸326個から成り、5つのN-結合型糖鎖付加部位が存在する。また、この蛋白はスシドメインと呼ばれる特異的な構造を持つドメイン5個の繰り返しにより構成されている。スシドメインは約60アミノ酸から成り、分子内ジスルフィド結合2つによってそのフレーム構造が形成されている。第5ドメイン(ドメインV)は修飾型で約80アミノ酸から成り、分子内ジスルフィド結合が3つ存在する。また、このドメイン内に陽性荷電を有するアミノ酸に富んだ配列が存在し、それが陰性荷電物質結合部位と推定された。

 この様な蛋白質が抗CL抗体の抗原である事は、自己免疫疾患と自己抗体との関連を明らかにしていく上で大きな突破口になる可能性が示唆された。また、2-GPIと陰性荷電物質が結合することにより、2-GPI自体に構造変化が生じ、この結果エピトープが2-GPI上に形成されるという仮説は非常に興味深いものである。よって、この現象を解明するため、分子生物学的手法を用いて2-GPIに存在すると考えられる抗CL抗体のエピトープを特定を試みた。

第二章

 2-GPIcDNAのクローニングを行った。ヒト肝臓由来培養細胞HepG2より、グアニジン/塩化セシウム超遠心法により全RNAを抽出し、それよりcDNAを合成した後にZapIIに組み込んでcDNA phage libraryを調製した。プローブは既に報告されているアミノ酸配列を基にしてDNA配列を予想し、N末側とC末側のそれぞれの領域に対応するオリゴヌクレオチド・プローブを2種類合成した。この2つのプローブを用いてcDNA libraryに対してplaque hybridizationを繰り返し、完全長の2-GPIcDNAを単離し、全塩基配列を決定した。 この結果、2-GPIcDNAはcoding regionが1035塩基から成り、345個のアミノ酸をコードしていた。塩基配列から推定されるアミノ酸配列をペプチド・シークエンスの結果と比較してみると20番目のグリシンより一致していた。したがってN末端の19アミノ酸は分泌のためのシグナル配列と推定された。また、coding regionは終止コドンTAAで終結しており、そこから73塩基下流にはポリAシグナルと予想されるAATAAAが存在していた。この他にcoding regionにペプチド・シークエンスの結果と2つのアミノ酸に違いが検出された。1つは102番目のセリン、もう1つは169番目のシスティンでそれぞれシスティン、アスパラギンと報告されていた。

第三章

 2-GPIの発現を検討した。2-GPIは分子内ジスルフィド結合を11個持ち、糖鎖が付加された分泌蛋白である点を考慮し、バキュロウィルス/昆虫細胞発現系を用いた。定法により2-GPIcDNAを持つ組み換えバキュロウィルスを調製し、それを昆虫細胞Sf9に感染させ静置培養した。得られた培養上清をSDS-PAGE及び抗2-GPIウサギ血清を用いたウェスタン・ブロットで解析した。この結果、感染後48時間で2-GPIは生成し始め、72時間でその蓄積量は最大に達し、その培養液中の濃度は約20g/mlであった。また、この2-GPI蛋白は還元条件下のSDS-PAGEで43kDと計測された。この値はヒト血清より精製したものの50kD及び塩基配列より計算される36kDの何れとも大きく異なるものだった。この違いは糖鎖の状態の違いに起因するものと考えられたため、ヒト血清由来及び組み換え2-GPI蛋白をN-Glycanase処理して糖鎖を切断し、SDS-PAGEで解析した。この結果、両蛋白とも移動度が約36kDと計測された。精製2-GPI蛋白のN末端アミノ酸7個を決定したところ、組み換え蛋白はヒト血清由来のものと同様に20番目のグリシンから保持しており、シグナル配列と予想された19アミノ酸は除かれていた。CLを固相化したプラスティック・プレートに組み換え及びヒト血清由来の2-GPIを結合させ、これに抗CL抗体が結合するかを検討した。この結果、抗CL抗体はCL存在下で組み換え2-GPIに結合し、その結合の強さはヒト血清由来のものと全く変わらないことが示された。以上の結果から、バキュロウィルスにより昆虫細胞Sf9で産生した2-GPIはヒト血清中のものと同様な翻訳後の修飾を受けて分泌されていることが示唆された。

第四章

 PCRによりドメイン単位で欠失領域を持つ変異遺伝子を5種類作製し、それらをバキュロウィルス/昆虫細胞系で発現させた。作製した欠失遺伝子はN末側のドメインを1〜3個欠失したDII-V、DIII-V及びDIV-V蛋白とC末側のドメインを1または2個欠失したDI-IV及びDI-III蛋白から成る。N末側のドメインを欠失している3種の遺伝子には細胞外に分泌されるようにシグナル配列を付けた。発現した各欠失蛋白のSDS-PAGEから計測される分子量は塩基配列から推定されたものとほとんど一致していた。人工的にシグナル配列をつなげた3種の蛋白のN末端アミノ酸配列を決定したところ、同配列は正確に除去されていた。各欠失蛋白がリン脂質に結合するかどうかを競争阻害アッセイにより検討した。ドメインVを持つ欠失蛋白はintact 2-GPIがCLに結合するのを阻害したが、同ドメインを欠失した蛋白は全く阻害が観察されなかった。したがって、リン脂質結合部位はドメインVに限定された。これら欠失蛋白を用いて抗CL抗体のエピトープが存在するドメインの特定を試みた。抗CL抗体はAPSのモデル動物であるNZW X BXSB F1雄マウス由来のモノクローナル抗体WB-CAL-1を用いた。酸素原子を導入したCプレートにintact 2-GPIまたは欠失蛋白を各々吸着させ、これにWB-CAL-1が結合するかどうか測定した。WB-CAL-1はDII-V、DIII-V及びDIV-V蛋白には全く結合しなかったが、DI-IV蛋白にintact 2-GPIの70%程度の結合を示し、DI-III蛋白にも弱いながら結合した。さらに興味深いことに無処理のプラスティック・プレートに吸着した2-GPIには抗CL抗体は結合しないが、DI-IV蛋白にはCプレートの時の約60%程度の結合を示した。このことはDI-IV蛋白がドメインVを欠失したことで構造変化を起こし、この結果エピトープの一部が表面上に現れたと考えられた。この仮説を確認するためにCLプレートにintact2-GPIを結合させ、これにWB-CAL-1が結合するのをDI-IV蛋白が阻害するかどうか検討したところ、強く結合を阻害した。また、DI-III蛋白には弱い結合しか示さないことから、エピトープの少なくとも一部はドメインIVに有ることが示唆された。しかし、他のドメインIVを持つ欠失蛋白には全く結合活性が検出されないことから、ドメインIも重要な役割を果たしていることが示唆された。これまでにドメインVにエピトープがあるとの説が提出されていたが、ドメインVは単にリン脂質に結合するのに必要なだけでエピトープは存在しないと考えられた。これらの結果から下記のモデルが考えられた。リン脂質のような陰性荷電物質がドメインVに結合すると構造変化を起こし、ドメインIVを中心としてエピトープが形成される。この構造の維持にドメインIは必須である。DI-IV蛋白はドメインVを欠失した結果、同様な構造変化を起こしエピトープの少なくとも一部が露出した。この結論がWB-CAL-1特異的でないことを確認するために、6人の抗CL抗体陽性の患者由来の抗CLモノクローナル抗体を用いて、同様に欠失蛋白との結合性を調べた。この内4つの抗体がWB-CAL-1と同じパターンを示した。この結果は、抗CL抗体はWB-CAL-1と同じタイプのものが主流を占めているが1種類ではないことを示している。

 最後にこれらの結果は抗CL抗体のエピトープの決定に大きく貢献すると考えている。また、変異蛋白を用いてAPSの患者の抗体のタイプを分類することにより、症例と抗リン脂質抗体との関連を解き明かす手がかりが得られることが期待される。

審査要旨 第一章序論

 抗リン脂質抗体症候群(APS)は自己免疫疾患の1つであり、その患者には抗カルジオリピン抗体(抗CL抗体)や抗ss/dsDNA抗体などの抗リン脂質抗体と総称される自己抗体が検出されるが、病因と抗リン脂質抗体との関連は不明な点が多く残されている。最近の研究で抗リン脂質抗体の一つの抗CL抗体が、その抗原であるカルジオリピン(CL)を認識するためには2-グリコプロテインI(2-GPI)が必要である、との報告が為された。抗CL抗体はCLまたは2-GPI単独には結合せず、両者が存在する時のみに結合が観察された。このためエピトープは、遊離の状態では隠れており、CLと2-GPIとの相互作用の結果、2-GPI表面上に現れる、との仮説が考えられた。

 2-GPIは血液中に存在する分子量約50k.の糖蛋白質で、リン脂質などの陰性荷電物質との結合能を有しているが、その機能についてはまだ良く分かっていない。また、この蛋白は、分子内ジスルフィド結合2つによってそのフレーム構造が形成されているスシドメインと呼ばれる特異的な構造を持つドメイン5個の繰り返しにより構成されている。

 自己免疫疾患と自己抗体との関連を明らかにしていくため、分子生物学的手法を用いて2-GPIに存在すると考えられる抗CL抗体のエピトープの特定を試みた。

第二章

 2-GPIcDNAのクローニングを行った。ヒト肝臓由来培養細胞HepG2より、全RNAを抽出し、それよりcDNA phage libraryを調製した。プローブは、N末側とC末側のそれぞれの領域に対応するオリゴヌクレオチド・プローブを2種類合成した。この2つのプローブを用いてcDNA libraryに対してplaque hybridizationを繰り返し、完全長の2-GPI cDNAを単離し、全塩基配列を決定した。この結果、2-GPI cDNAはcoding regionが1035塩基から成り、345個のアミノ酸をコードしていた。また、19アミノ酸から成る分泌のためのシグナル配列が存在した。

第三章

 2-GPIの発現を、バキュロウィルス/昆虫細胞発現系を用いて行った。常法により2-GPI cDNAを持つ組換えバキュロウィルスを調製し、それを昆虫細胞Sf9に感染させ静置培養した。得られた培養上清をSDS-PAGE及び抗2-GPIウサギ血清を用いたウェスタン・プロットで解析した。この結果、感染後72時間で2-GPIはその蓄積量が最大に達し、その培養液中の濃度は約20g/mlであった。また、この2-GPI蛋白は還元条件下のSDS-PAGEで43kDと計測された。精製2-GPI蛋白のN末端アミノ酸7個を決定した結果、シグナル配列と予想された19アミノ酸は除かれていた。また、抗CL抗体はCL存在下で組換え2-GPIに結合し、その結合の強さはヒト血清由来のものと全く変わらないことが示された。以上の結果から、バキュロウィルスにより昆虫細胞Sf9で産生した2-GPIはヒト血清中のものと同様な翻訳後の修飾を受けて分泌されていることが示唆された。

第四章

 PCRによりドメイン単位で欠失領域を持つ変異遺伝子を5種類作製し、それらをバキュロウィルス/昆虫細胞発現系で発現させた。発現した各欠失蛋白のSDS-PAGEから計測される分子量は塩基配列から推定されたものとほとんど一致していた。人工的にシグナル配列をつなげた3種の蛋白のN末端アミノ酸配列を決定したところ、同配列は正確に除去されていた。各欠失蛋白がリン脂質に結合するかどうかを競争阻害アッセイにより検討した。ドメインVを持つ欠失蛋白は完全長の2-GPIがCLに結合するのを阻害したが、同ドメインを欠失した蛋白は全く阻害が観察されなかった。これら欠失蛋白を用いて抗CL抗体のエピトープが存在するドメインの特定を試みた。抗CL抗体としてAPSのモデル動物であるNZW X BXSB F1雄マウス由来のモノクローナル抗体WB-CAL-1を用いた。各欠失蛋白は酸素原子をその表面に導入した酸化プレート及び無処理のプレートに吸着させ、WB-CAL-1の結合を検討した。得られた結果から、抗CL抗体のエピトープについて下記の仮説を提出した。陰性荷電物質がドメインVに結合すると構造変化を起こし、エピトープが蛋白表面上にドメインIVを中心として露出する。この構造の形成・維持にドメインIは重要である。

 また、6人の抗CL抗体陽性の患者由来の抗CL抗体を同様に検討したところ、4つがWB-CAL-1と同タイプだった。これらの結果は、抗CL抗体エピトープの決定に大きく貢献する。

 以上、本論文は学術上、応用上価値が高いと考えられる。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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