学位論文要旨



No 212888
著者(漢字) 伊藤,成史
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ナルシ
標題(和) マイクロバイオセンサを用いる経皮的グルコース・乳酸濃度の計測
標題(洋)
報告番号 212888
報告番号 乙12888
学位授与日 1996.05.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12888号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 渡邉,正
 東京大学 教授 長棟,輝行
内容要旨

 本論文は皮膚を減圧吸引して採取する微量な浸出液を測定対象として、グルコースと乳酸の計測を目的としたマイクロバイオセンサの開発に関するものであり、8章より構成される。

 わが国は今後10年間で急速な高齢化社会を迎えると予測されており、高齢者に多い糖尿病などの慢性疾患はますます増加の一途をたどると考えられている。したがって、今後の高齢化社会の医療を考えた場合、医療費の高騰は深刻な社会問題になると考えられる。このような観点から、患者自身が健康状態を評価するセルフモニタリングや高齢者の在宅での健康状態の管理を可能にする技術が注目されている。現在、血糖値の測定には一部セルフモニタリングが実現しているが、測定時には採血が必要なためにその使用は重篤な糖尿病患者に限られている。血糖の測定装置は、小型化が実現され、血液にセンサ先端部を接触させるだけで簡便な計測が可能になった。しかしながら、血液の採取には注射針等の穿刺による方法が用いられており、この採血が苦痛や感染の危険を伴うために患者への精神的・肉体的負担を与えている。したがって、この採血行為が病院外での計測を制限している要因であると考えられる。このような観点から、現在では採血を必要としない生体情報の計測が盛んに研究されている。このような研究の一つに、皮膚から採取できる浸出液を利用した方法が報告されている。浸出液は、注射針を使用することなく経皮的に採取できる組織液であるが、採取液量がきわめて少ないために従来の装置では測定が困難であった。

 本研究の目的は、この微量な浸出液中のグルコース及び乳酸を計測するマイクロバイオセンサを開発することである。また、マイクロバイオセンサによる経皮的グルコース、乳酸の濃度計測が、医学的に有用であることを示すことである。なお、グルコースは糖尿病の、乳酸は循環器系疾患の病態の指標として重要な生体成分である。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。

 第2章では測定対象である吸引浸出液の採取装置の開発を行った。測定サンプルとして利用する浸出液は、角質層を除去した後に、皮膚を減圧吸引して採取する体液であり、これは皮膚近傍の毛細血管から漏出した組織液が皮膚表面に移動したものと考えられている。ここでは、浸出液を採取する装置を開発することを目的として、浸出液の基礎的な性質を明らかにした。具体的には、白色家兎の皮膚を吸引する圧力と浸出液の採取量との関係及びその際の皮膚への侵襲状態、採取した浸出液中の代表的な生化学成分について検討した。その結果、-360mmHgまでの吸引圧力と採取量の間には、比例関係が認められた。また、皮膚には、軽度の発赤が生じていたが、これは前処理の角質除去の際に生じたもので吸引圧力に依存する侵襲は認められなかった。皮膚組織切片の顕微鏡観察では、赤血球や白血球の毛細血管外への漏出は認められず、皮下出血や炎症は生じていないことが明らかとなった。以上の結果、浸出液採取装置の吸引面積7.1cm2で、吸引圧力を-360mmHgに設定した場合、2l/minの速度で侵襲性の少ない採取が達成できた。

 この装置を用いて浸出液を得、それのグルコース、クレアチニン、尿素窒素、総蛋白、総脂質の濃度を測定し、それを血清中の濃度と比較した結果、グルコース、クレアチニン、尿素窒素は両者でほぼ同じ濃度を示したが、浸出液中の総蛋白、総脂質は血清濃度の20%程度しか含まれていなかった。電気泳動(SDS-PAGE)による分析の結果では、分子量10万ダルトン以上の蛋白は浸出液中にほとんど含まれていないことが明らかとなった。

 第3章では浸出液中のグルコースを測定するイオン選択性電界効果型グルコースセンサの開発を行った。浸出液中のグルコース濃度を測定するには、5l程度の液量で測定できるようにするために検出部を小さくする必要がある。試作したイオン選択性電界効果型グルコースセンサは、幅1.6mm、長さ8mmであり、先端部の1mm×0.5mmのエリアに検出部が設置されている。グルコースセンサは、薄膜の金電極を疑似参照電極として、一方はグルコースオキシダーゼを固定化した酵素用電界効果型トランジスタ、もう一方は上述の様な膜を持たない参照用電界効果型トランジスタで構成されている。測定回路は、これら両者の電界効果型トランジスタの差動出力を計測してグルコース濃度を算出する設計になっている。しかし、この構造では2つのイオン選択性電界効果型トランジスタの感応部上で蛋白質の吸着状態が異なるために、差動出力の特性が不安定となり、血清中のグルコース濃度は測定できないことが明かとなった。そこで血清の測定では、酵素用電界効果型トランジスタ側はグルコースオキシダーゼ架橋膜の上にさらに牛血清アルブミン架橋膜を持つ2層構造とし、参照用電界効果型トランジスタ側にも牛血清アルブミン架橋膜を形成することにより解決できることがわかった。センサ測定装置は、50lの液滴状の試料にセンサの検出部を浸漬し、センサを振動させて液滴を撹拌する構成にした。その結果、ヒト血清検体を測定した場合の臨床検査値との相関係数は、r=0.991(N=42)であった。

 第4章では上記で開発した浸出液採取装置とグルコースセンサを組み合わせて、白色家兎を用いた経皮的グルコース濃度の計測を行った。具体的には、白色家兎の大腿静脈にグルコースを含む生理食塩水を投与し、血中グルコース濃度を人工的に変動させた場合の浸出液中グルコース濃度の時間的な変化を測定した。浸出液中のグルコース濃度を10分間隔で経時的に測定した結果、血中グルコース濃度の変動に対して若干の遅れはあるが、ほぼ同じ濃度で追従する傾向を示した。

 第5章では、上記で述べた浸出液採取装置をヒト用に改良し、浸出液中のグルコース濃度を測定する装置を開発した。具体的には、糖尿病患者を含む16人のボランティアに適用して評価した。評価項目は、特有の合併症を持つ糖尿病患者を含めてヒトから浸出液が採取できるか否かの確認と、血中のグルコース濃度の経時的変化に対する相関性、採取後の侵襲状態を検討した。

 その結果、浸出液は白色家兎から採取される量の半分程度に低下したが、5分間隔でも測定に必要な5lの液量が採取できた。また、75g経口糖負荷テストを実施した結果、血糖値を変化させた場合に、浸出液中のグルコース濃度は、5分程度の遅れで血糖値と良好な一致を示すことが明らかになった。皮膚への侵襲は、軽度の発赤と掻痒感が認められたが、医学的に問題となる傷は観察されなかった。また、浸出液の計測は、高齢者や合併症を伴った糖尿病患者でも実行できた。

 以上の結果、マイクロバイオセンサによる浸出液中のグルコース濃度の計測システムは、経皮的に血糖値を推定するシステムとしてきわめて実現性が高いと考えられた。

 第6章では、浸出液中の乳酸値を計測することを目的として、マイクロプレーナ型バイオセンサの開発を行なった。乳酸センサに使用する電極として、プレーナ型の微小白金電極を採用し、その基本的特性を検討した。その結果、過酸化水素の検出感度は、1mM当たり1.5A/mm2であった。この白金電極上に乳酸酸化酵素の薄膜をスピン塗布して製作した乳酸センサは、試料添加後10秒以内に出力が飽和し、50〜1000Mの濃度範囲が測定可能であった。センサの保存寿命は、2.5℃の大気中で保管した場合には150日程度であった。また、妨害物質として問題となるアスコルビン酸と尿酸は、生理的な濃度の範囲ではセンサ出力に影響を与えないことも明らかになった。

 第7章では、上記で検討した乳酸センサの評価結果を踏まえて、4lの浸出液を25倍に希釈して測定するバッチ式の乳酸測定装置を開発した。また、経皮的な乳酸値の計測は、白色家兎の腹腔内に乳酸を含む生理食塩水を投与して経時的に血中濃度を変化させ、浸出液中の乳酸濃度の変化と比較した。開発した装置では、0.5〜25mMの範囲が測定可能であり、生体中の乳酸の変動範囲を計測できることが明らかとなった。また、1mMの乳酸を測定した場合の精度は、±5%以内であった。白色家兎から連続的に採取した浸出液を10分間隔で測定した結果、血中の濃度変化とほぼ一致する変化を示した。本研究により、採血を必要としない経皮的な乳酸濃度の計測が、基本的には可能であることが明らかとなった。

 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。

審査要旨

 本論文は、皮膚を減圧吸引して経皮的に採取される微量な浸出液中のグルコースと乳酸を計測するためのマイクロバイオセンサの開発に関するものであり、8章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、浸出液を採取する装置を開発し、白色家兎の皮膚を吸引する圧力と浸出液の採取量との関係及びその際の皮膚への侵襲状態、採取した浸出液中の代表的な生化学成分について検討している。その結果、-360mmHgまでは吸引圧力と採取量との間には、比例関係が認められたと述べている。また、皮膚には、軽度の発赤が生じていたが、赤血球や白血球の毛細血管外への漏出は認められず、皮下出血や炎症は生じなかったと述べている。開発した採取装置の吸引面積は7.1cm2で、吸引圧力を-360mmHgに設定した場合、2l/minの速度で浸出液を採取できる。この装置を用いて浸出液を得、それのグルコース、クレアチニン、尿素窒素、総蛋白、総脂質の濃度を測定し、それらを血清中の濃度と比較した結果、グルコース、クレアチニン、尿素窒素については両者はほぼ同じ濃度であったが、総蛋白、総脂質は血清濃度の20%程度しか含まれていないことを明らかにしている。電気泳動(SDS-PAGE)による分析の結果、分子量10万ダルトン以上の蛋白は、浸出液中にはほとんど含まれていないと述べている。

 第3章では浸出液中のグルコースを測定するイオン選択性電界効果型グルコースセンサの開発を行っている。このイオン選択性電界効果型グルコースセンサは、5l程度の液量で測定が可能であり、幅1.6mm、長さ8mmのデバイスで、検出部は1mm×0.5mmである。このグルコースセンサは、薄膜の金電極を疑似参照電極とし、一方はグルコースオキシダーゼを固定化した電界効果トランジスタ、もう一方は参照用電解効果トランジスタで構成されてる。測定回路は、これら両者の電界効果トランジスタの差動出力からグルコース濃度を算出する設計になっている。しかし、この構造では2つのイオン選択性電界効果トランジスタの感応部上への蛋白質の吸着状態が異なるために、差動出力の特性が不安定となり、血清中のグルコース濃度は測定できなかったと述べている。そこでグルコースオキシダーゼ架橋膜の上にさらに牛血清アルブミン架橋膜を形成させた2層構造とし、参照用電界効果トランジスタにも牛血清アルブミン架橋膜を形成させてこの問題を解決している。50lの液滴状の試料にセンサの検出部を浸漬し、センサを振動させて液滴を撹拌しながら測定している。ヒト血清検体を測定した場合の臨床検査値と本センサで測定した結果を比較したところ、相関係数はR=0.991(N=42)であることを示している。

 第4章では上記の浸出液採取装置とグルコースセンサを組み合わせて、白色家兎を用いて経皮的グルコース濃度の計測を行っている。白色家兎の大腿静脈にグルコースを含む生理食塩水を注入し、血中グルコース濃度を人工的に変動させて浸出液中のグルコース濃度の時間的な変化を測定している。浸出液中のグルコース濃度を10分間隔で経時的に測定した結果、血中グルコース濃度の変動に対して若干の遅れはあるが、ほぼ同じ濃度で追従する傾向があることを見い出している。

 第5章では、上記の浸出液採取装置をヒト用に改良し、経皮的にグルコース濃度を計測する装置の実用性を評価している。実際には16人のボランティアの浸出液中のグルコース濃度を測定した。特有の合併症を持つ糖尿病患者を含めて、ヒトからの浸出液の採取の可能性、血中のグルコース濃度の経時的変化に対する相関性、採取後の侵襲状態などを検討している。その結果、浸出液は白色家兎から採取される量の半分程度に低下したが、5分間隔での測定に必要な5lの液量が採取できることを明らかにしている。また、経口糖負荷テストを実施し、血糖値を変化させた場合に、浸出液中のグルコース濃度は、5分程度の遅れはあるものの血糖値と良く一致すると述べている。皮膚への侵襲度について検討したところ、軽度の発赤と掻痒感が認められたが、医学的に問題となる傷は認められなかったと述べている。また、この計測は、高齢者や合併症を伴った糖尿病患者でも実行できることを示している。

 第6章では、浸出液中の乳酸値を計測する目的で、マイクロプレーナ型バイオセンサの開発を行っている。乳酸センサに使用するプレーナ型微小白金電極の特性を評価した結果、過酸化水素の検出感度は1mM当たり1.5A/mm2であった。この白金電極上に乳酸酸化酵素を薄膜状にスピン塗布して製作した乳酸センサは、試料添加後10秒以内に出力値が飽和し、50〜1000Mの濃度範囲で乳酸を測定できることを明らかにしている。また、センサの保存寿命は、2.5℃の大気中ので保管した場合には150日程度である。さらに、妨害物質として問題となるアスコルビン酸と尿酸は、生理的な濃度の範囲内では出力値に影響を与えないと述べている。

 第7章では、乳酸センサの評価結果を踏まえて、4lの浸出液を25倍に希釈して測定するバッチ式の乳酸測定装置を開発している。白色家兎の腹腔内に乳酸を含む生理食塩水を注入して経時的に血中濃度を変化させ、浸出液中の乳酸濃度の変化を測定している。開発した装置で、0.5〜25mMの範囲で乳酸の測定が可能であり、生体中の乳酸を計測できることを明らかにしている。また、1mMの乳酸を測定した場合の精度は、±5%以内であることを示している。この装置を用いて白色家兎から連続的に採取した浸出液中の乳酸濃度を10分間隔で測定した結果、血中と浸出液中の濃度変化が、ほぼ一致したと述べている。

 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。このように本論文では、皮膚を減圧吸引して経皮的に採取される微量な浸出液中のグルコースと乳酸を計測するためのマイクロバイオセンサを開発している。浸出液採取装置とマイクロバイオセンサを組み合わせることにより、あまり苦痛を伴わないでグルコースや乳酸濃度を連続的に測定できることを示したもので、医療計測分野に著しく寄与するものと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク