学位論文要旨



No 212889
著者(漢字) 上井,喜彦
著者(英字)
著者(カナ) カミイ,ヨシヒコ
標題(和) 労働組合の職場規制 : 日本自動車産業の事例研究
標題(洋)
報告番号 212889
報告番号 乙12889
学位授与日 1996.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12889号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 仁田,道夫
 東京大学 教授 橋本,壽朗
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 助教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 田端,博邦
内容要旨

 本論文は、「序論」冒頭に記してあるように、日本自動車産業の巨大メーカーにおける労働組合の職場規制(=職場における労働のあり方についての規制)の実態を明らかにすることを直接の課題としている。そこには二つの意図が込められている。第一は、「トヨタ生産方式」に代表される日本自動車産業のフレキシブルな生産システムを新たな段階を画する普遍的なモデルとして提唱する、近年、国際的に広がってきた議論に対して、異議を唱えたいということである。いわゆるフレキシビリティーを可能としている労使関係の構造とそこでの労働の実態の吟味を欠いたままで、日本企業のフレキシブルな生産システムを推奨することが許されるか、というのが一つの問題意識である。

 第二は、日本の労働組合の職場規制を敗戦直後から1950年代にかけての一時期の現象として捉え、1960年の三池闘争の敗北以降は日本の民間大企業では労働組合の職場規制は消滅したとイメージする、一部にある見解に対する批判である。たしかに日本の労働組合の職場規制の脆弱さは否定できないが、右派的なリーダーシップが確立した日本の民間大企業労組にあっても、一定の職場規制が広がりうること、そしてそれが日本企業のフレキシブルな生産システムとの軋轢を起こしうることを無視してはならない。むしろ、その点に着目することによって、今日の日本の企業別組合の労働組合としての可能性と問題点を探ることができるのではないか、というのがいま一つの問題意識である。

 では、どのような方法と分析視角で労働組合の職場規制の実態に迫るか。本論文は、事例研究の方法を採用し、歴史的に自動車産業の労働組合運動の中心でありつづけたA社の労働組合を対象に選んだ。また、従来の研究における分析視角の一面性を批判し、職場規制の手続き的側面と実体的側面の両面の吟味が必要であるという見地に立っている。

 以上のような方法と分析視角をもって、本論文はまず第I部「全自A分会の対抗的職場規制」で1950年代前半までさかのぼり、労使対抗の立場に立つ全自A分会の、以下のような職場規制の内実とその崩壊の実態を解明した。

 全自A分会の職場規制の主たる担い手は、中堅平労働者を中心に構成される職場委員会であった。この組織は、職場闘争路線にバックアップされつつ、残業を中心とする日常の生産と労働について、実に強大な発言権を有していた。とはいえ、職場規制の実体的側面を見ると、通常イメージされているように、経営権の深奥に迫るほどではなかった。当時の組合の「生産の主導権をにぎる」という思想は、「産業復興」「経営の民主化」の線上にあったもので、強度の高い労働を受容する側面をも伴っていたのである。そして、そのような職場規制を可能にしていた特殊な条件として、課長までも組合員として統制下においていた組合の構造、1949年の労働組合法改正後も就業時間内の組合活動の権利が温存されていた事態、さらに、その背景として、納期に追われる朝鮮特需生産が職制層に組合への妥協を強要する事情が存在したのであった。(第I部・第1章)

 会社は、しかし、朝鮮特需が終わるという条件のもとで、現場職制機構を浸潤した全自A分会の職場規制を除去するために争議を仕掛けていく。1953年争議である。組合はこの争議では終始守勢に立たされのであるが、争議が激烈な労使攻防の様相を呈した理由は、会社側が従業員統合のシンボルを一切提示できないままに、闇雲に職場規制の解体、A分会の解体を策し、一般組合員の反発を買ったからである。組合の敗北を決定的にしたのは、A労組に結実する組合分裂であった。この組合分裂は、A分会の職場規制を放置してきたA社の重役陣に批判的な大卒若年幹部職員の有志遠をコアにして、「経験別最低賃金」要求への事務・職員層の不満、現場職制層のA分会の硬直的な指導への反発を梃子にして、成功したのであった。かくて、会社は争議をとおして形式的には職場秩序を経営権のもとに奪還したものの、非組合員化された課長の職場における権威は容易に確立することはできなかった。それ故、会社は職場秩序の確立をA労組の伸長に託し、その組織化をバックアップすべく、争議解決後もA分会員の大量処分を断行していく。こうした争議の決着の仕方は、後の労使関係に微妙に影響せずにはおかないのである。(第I部・第2章)

 次に本論文は、「A労組の協調的職場規制」と題する第II部で労使協調の立場に立つA労組の職場規制を取り上げ、以下のような実態を解明した。

 A労組は1953年の争議後、経営権の尊重を前提にして、「意見交換」の場たる経営協議会(以下、経協と略す)の制度化を実現するが、トップリーダーがXになると、経営権の解釈を変更し、経協で「合意」を追求するスタイルを定着させていく。職場レベルでも、組合は部懇・課懇と呼ばれる職場経協を定着させ、一方でQCまがいの課題を追求しつつ、他方で職場の生産と労働を幅広く規制していった。また、通常は経営権に属すると目されているブルーカラーの役職昇進人事にまで、この組合は発言権を獲得していった。こうした職場規制の実態は、1953年争議にあたって会社が意図した経営権の回復と矛盾するものであったが、会社は、なお脆弱な従業員掌握力を組合の従業員統合機能によって補う間接管理のコストとして、組合の発言権を認めていったわけである。(第II部・第1章)

 こうしたA労組の職場規制の到達点はフレキシビリティーへの対応に見られる。すなわち、1970年代末以降、会社が新社長のもとでトヨタ的な経営管理スタイルを追い求め、従業員管理についても間接管理から直接管理への転換を図っていくことに対して、組合はこれと対抗すべく、トップレベルで海外進出計画にまで介入し抵抗すると同時に、職場レベルで「人間的労働条件」を目指した規制を強めていく。組合は要員、労働強度、残業、応援や配転などの移動、新技術導入などについて注目すべき職場規制を行ったのであり、二重三重に「合意」を求めるというその手続き的側面においても、また実体的側面においても、その規制は会社による労働力利用のフレキシビリティーを著しく制約するものであった。かようなA社の事態は、「トヨタ生産方式」を採用する代表的企業であるB社の職場規制の欠如ともいえる事態と対蹠的であった。(第II部・第2章)。

 事ここに至って、会社はA労組の職場規制の切り崩しを決意し、本格的攻勢を開始する。A労組も一定の抵抗は示したが、現場職制層のなかから内部批判が出てくるや、それまでの運動路線のシンボルであるXを追放して、会社の要求を受け入れていく。このような職場規制の崩壊の仕方を規定した重要な要因は、強さが同時に弱さとなったA労組の職場規制の矛盾的構造にある。すなわち、A労組の職場規制は、客体的条件としての会社の経営管理スタイル、職場規制の理念、職場規制の主体、規制スタイル(=「合意」原則)のどれをとっても、それぞれに矛盾に満ちたものであった。そして、決定的といえる要因は、この組合の職場規制は現場職制層が担うものであり、一般組合員が職場規制の主体から完全に排除されていたこと、ために一般組合員は職場規制の切り崩しに対する抵抗力とは一切なりえなかったという点にあったのである。(第II部・第3章)

 本論文は、以上のように第I部、第II部でA社の労働組合の職場規制の歴史と現状を解明した上で、最後に「総括」している。まず第一に、日本企業の生産システムの評価について。トヨタ的な生産システムがいかに経済効率的であっても、第II部の分析が明らかにしたように、「人間的労働条件」およびそれを求める労働組合との共存が困難であるとするならば、近代社会が求めてきた社会規範を退行させる点において、それは決して先進性、普遍性を僭称することはできない。これが本論文の結論的命題である。

 第二に、日本の企業別組合の労働組合としての可能性と問題点について。本論文は、日本の企業別組合が組合組織と職制機構との未分離あるいは癒着という、「企業の論理」の浸透する制約のもとにあっても、場合によってはそれを逆手にとって、「労働組合の論理」に立脚する職場規制を広げえた歴史的事実に注意を促しながらも、「対抗的職場規制」の場合も、「協調的職場規制」の場合も、それが結局、職員層や現場職制層の離反ないし造反によって崩壊を余儀なくされた事実を直視し、労働組合にとって、この制約を克服する途はいかに拓かれるか、と問うものである。この点について、本論文は直ちに答えることはしていない。ただ、本論文は、最後に記してあるように、日本の企業別組合がその制約を克服し、職場規制を強めていく客観的条件が近年急速に広がっているという解釈に立ち、その上で、産業レベルでの単産機能の強化だけでなく、むしろより重要な問題として、新たな運動思想に導かれた職場規制を追求することが必要である、という見地を示した。新たな運動思想の具体的な内実は未だ定かではないが、「労働組合の論理」と「企業の論理」の矛盾を止揚する途は、「人間的労働」を基底にすえた、生産性と企業の新しいイメージを創造していく以外にありえない、というのが本論文の提言である。

審査要旨

 上井喜彦氏の提出論文「労働組合の職場規制-日本自動車産業の事例研究」は、日本における労働組合の「職場規制」(「労働時間、労働強度、作業環境、作業スピード、作業内容、作業方法、人員配置」など「労働のあり方」に関わる規制)の実態を自動車産業の事例に即して明らかにしようとした作品であり、1994年に単行本(本文248ページ)として刊行された。本論文は、日本の代表的自動車企業の一つであるA社の労使関係の展開を、精力的な実態調査とこれを補う歴史研究にもとづいて描き出し、日本の民間大企業労使関係ついて一般に考えられているような表面的な「協調的労使関係」観ではとらえきれない職場レベルでの労使の交渉・協議・非公式折衝の動態を把握するとともに、日本の企業別労働組合の「労働組合としての問題点と可能性」を探ろうとしたものである。

 以下、提出論文の内容を各章ごとに手短に要約し、ついで結論として本論文の評価を述べる。

 まず、序論「課題・方法・対象」では、本論文の問題関心と研究方法が述べられる。氏は、ヨーロッパの労働組合と対比した日本の労働組合の職場規制、とくに民間大企業労組のそれが、1960年代以降一般に「脆弱」なものとなっているとの認識から出発する。その中で、A社の労働組合は比較的強い職場規制をおこない、それが労使の紛争、ひいてはその後の労使関係転換につながったという特徴的な事例であるとする。そして、その実態と変動過程を分析することにより、「日本の民間大企業労組の可能性が問題点ともども明らかになる」と考える。また、そうした研究を通じて、いわゆる「リーン生産方式」が「大量生産方式」にとってかわる普遍的生産方式となるという議論の「技術主義」的一面性を批判し、労使関係のありかた如何によって、生産システムのありかたが制約されることを明らかにしようとする。

 このような課題を達成するために氏が依拠するのは、企業の労務担当者、工場管理者、職場監督者、労働組合の執行役員、職場役員などからの大量、綿密な聞き取り調査とその過程で収集した文書資料である。氏はまた、A社の労使関係の特質を理解するためには、戦後の労使関係の歴史にさかのぼる必要があると考え、とくに重要な1953年の争議とその前提となる労使関係実態についての考察を行う必要があるとする。

 第I部の二つの章は、歴史的考察の部分である。

 第I部第一章「朝鮮特需下の職場規制」は、1950年代初頭のA社の職場の労使関係実態を現存する資料と、当事者への面接に依拠して描き出している。当時のA社の労働組合では職場組織が残業や異動などに強い発言権をもち、生産計画の遂行にも影響をおよぼしていた。この組合は他の組合と異なり、1950年前後の労使関係法制と労使関係実態の全国的転換期以降も課長層を組合員に保ち、就業時間内の組合活動の幅広い権利を活用するなどにより、このような規制力を維持していた。氏はこれを「対抗的職場規制」と呼ぶ。

 第I部第二章の主題である「一九五三年争議」は、発端は賃上げ闘争であったが、労務方針の転換を決意した会社側が「課長層非組合員化」「時間内組合活動へのノーワーク・ノーペイ原則の適用」を中心とする「職場秩序の確立」を目指す強硬な対応をとったために長期化した。その過程で組合分裂がおこり、激しい争議戦術のぶつかりあいのなかで第一組合が敗北する。さらに、争議終結後、会社による活動家解雇などもあって、比較的短時日のうちに第一組合の勢力が後退し、労使関係の転換がおきる。だが、その中で、氏が注目するのは、会社側に自ら従業員を統合していく力(「職場把握力」)がなく、分裂を主導した第二組合が企業内労使関係において一定の地歩を確保していったことである。第II部はこの組合によって展開された協調的職場規制の実態と、80年代におけるその変容を考察の対象とする。

 第II部第一章「労使「相互信頼」下の職場規制」では労使協議の体制の叙述を中心に、会社が全般的には協調的政策方針をとる組合に高度の発言権を認め、その「職場掌握力」に強く依存する70年代までのA社の労使関係が略述される。

 ついで第II部第二章「フレキシビリティーと職場規制」では、1980年代前半におけるA社労働組合の「協調的職場規制」の実態が調査にもとづいて詳細に明らかにされる。この章は本提出論文の中核とも呼ぶべき位置にあるのでやや詳しく示しておく。

 まず第一、二節では、この時期の「職場規制」の背景にある労使関係の全般的状況が述べられる。この時期の特徴は、従来の経営者と労働組合の密接な「相互信頼」に基づく労使関係がゆらぎ、対立的様相が強まったことである。その背景には、社長の交代を契機に、大幅に変化した経営環境の下で、経営者が従来にもまして経営の効率化、意志決定の迅速化と生産・労働のフレキシビリティを追求することになり、従来の労使協議による「合意」手続きをこれに対する阻害要因と認識するようになったことがある。組合側はこれに対して職場での作業改善などに関する従業員参加運動への非協力を打ち出すなどして対抗した。このような労使摩擦の様相は1983、4年のE国工場建設問題をめぐる紛争により決定的な対立に至り、第三章で叙述される労使関係の転換につながっていく。

 ついで第三、四、五、六節では、この時期における要員、移動、労働時間、新技術導入にかかわる「職場規制」の実態が調査にもとづいて精細に吟味される。そして、1)要員算定の基礎となる標準時間(正味時間)の設定・変更については、組合員である現場職制の「了解」を条件づけ、また余裕率の変更については実質的な合意事項とする、2)生産計画の変動にともなう要員の調整は課、工場、本社レベルの労使協議を行い、実質的に組合の「合意」をえる、3)必ずしも固定的ではないが、応援における輪番制による負担の平等化、配置転換における職種転換の抑止と賃金低下の防止などのルールを適用する、4)年次有休休暇の取得に関係する計画出勤率(要員算定基礎となる)を引き下げる、5)計画外残業の組合「了解」を義務づけ、それが過大化するのを抑制する、6)新技術導入に関する労使協定を結び、人員配置、安全などの観点から新設備・技術導入の是非についても発言権を行使するなど、かなり高度の規制が加えられている事実が確認される。

 そして第七節では、このようなA労組の「職場規制」が競争企業であるB社におけるそれとの比較において、手続き的にも、実体的にも、より高いレベルにあることが確認される。ただし、B社との比較を離れ、残業時間数や課間応援人員数などの実態をみると絶対水準としては相当大きく、生産・労働のフレキシビリティを阻害するほどの実体的規制であったとまではいえないとされる。

 第II部第三章「職場規制の崩壊とその規定要因」では、まず、第二章で詳述されたような「職場規制」が1983-86年にいたる労使の対立をへて、1986年の組合リーダーシップの転換(会長辞任)と、「職場規制」を制度的に保障する団体交渉・労使協議制度の抜本的改訂(事業所・職場レベルの「交渉的協議」の「切り捨て」)により「崩壊」する過程が描き出される。そして、そのような急激な「崩壊」の背景となっていた組合側の運動の弱点が分析される。氏が重視するのは、1)A社労働組合の「職場規制」の理念における「企業の繁栄」を重視する考え方が「人間的労働条件」を追求しようとする志向を強く制約していること、2)「規制主体」が現場職制中心であるため、かれらの企業内での立場、思考様式から、「企業の繁栄」論による制約が一層強められること、3)幹部主導の組合民主主義となっており、一般組合員からの能動的な支持が形成されていなかったこと、などの要因である。

 最後に「総括」においては、以上の分析を踏まえ、経営・生産問題に発言する労働組合にとっての「労働組合の論理」と「企業の論理」の相克という矛盾として問題がとらえ直され、「「人間的労働」を基底にすえた、生産性と企業の新しいイメージを創造していくこと」が必要であるとする。そして、そこにおける一つの論点として、職場集団と企業別労働組合の中心的存在である現場職制の選任方法の改革(職場組合員の意思反映を可能とするような)が考えられるとする。

 本提出論文は、日本の自動車産業の労使関係について、詳細な実態調査と歴史的背景の分析により明らかにした第一級の実証研究である。日本の自動車産業は、その強い国際競争力から、効率的な工場システムや部品メーカーの組織化方法などが国際的に注目を集めてきたが、その生産システムの担い手である労働者と労働組合、そしてそれが経営とのあいだで織りなす労使関係については、必ずしも十分な研究蓄積があるとは言いがたい。先行研究としては、たとえば、山本潔『自動車産業の労資関係』などがあるが、本提出論文は、その前身である共同研究の成果戸塚・兵藤編著『労使関係の転換と選択』とともに、日本自動車産業の労使関係に関する工場・職場レベルにまで深く立ち入った最初の研究成果である。

 本論文の方法的特徴は、第一に、労働時間管理、要員管理、企業内労働移動など「労働のあり方」に一貫して着目し、それをめぐる労使関係の実態を執拗な事実の探究により明らかにしていることである。この領域は労使関係のなかでもいわゆる生産システムと密接に関連している分野であり、生産におけるフレキシビリティと労使関係の関わりを考える上でも極めて重要でありながら、生産現場に密着した問題であるだけに容易には実証研究の対象にしがたい性質を持っている。これらの諸問題について、調査対象企業・労働組合の協力をえて、個別事例に即した深い調査研究を実施し、事実を明らかにしたことは、本論文の第一のメリットである。

 本論文の第二の方法的特徴は、オーソドックスな企業内労使関係研究の方法をとり、一定の労働にかかわる管理領域についての労働者の集団的発言機構の枠組み、その運用と発言の内容、それが実際に管理に及ぼしている影響などを調べていることである。しかも、単に公式の労働組合の発言機構にとどまることなく、現場職制層の日常的行動にまで立ち入って職場末端におけるその実際を調べていることは、問題の性格から当然に要求されることとはいえ、高く評価できる。この結果、日本の民間大企業の職場労使関係について、ステレオタイプ的な見方を超えて、一つの像を描き出すことに成功していることは、本論文の第2のメリットといえよう。

 第三に、調査対象企業の個性的労使関係の歴史的背景を明らかにするために、戦後期にさかのぼった歴史研究を実施していることも、本論文の方法的特徴の一つといえよう。歴史研究は史料の利用可能性によって制約されるところが大きいこともあって、歴史研究プロパーとしてはなお、十分完成しているとは言いがたい点も認められるが、この研究から、わが国民間大企業の労使関係のあり方が、戦後期の労使関係の激動とそれへの労使の対応によって規定されてきたとの見通しをえることができる。これは本論文の第三のメリットといってよい。

 他方、本論文の分析について、いくつかの疑問も残る。例えば、本論文でB社との比較など、様々な工夫がこらされているが、この事例が日本の労使関係の一般的枠組みにおいてどのような位置におかれるのかは、なお十分明らかにされたとは言いがたい。また、この事例が個性的な労使関係を展開したとして、なぜそれが可能であったのか十分解きあかされているとは言えない。本論文では、主として1950年代の争議経験など、歴史的経緯によって説明されているように見えるが、そうした経緯が決定的に重要だとすれば、なぜ、80年代に規制が「崩壊」することになるのか説明がつけにくいのではないかという論点がだせよう。労使関係の変容の背景を理解する上では、経済環境の変化などの要因ももっと重視すべきではないかとも考えられる。また、「崩壊」後の労使関係の実態はどうなっているのか、60-70年代の労使関係の分析が手薄ではないかなど、調査研究上の限界も指摘できよう。

 だが、このような問題点は、氏自身を含むこの分野での今後の研究の深化によって解決されるべきものであり、本論文の価値を失わせるものではない。以上の評価を踏まえ、本提出論文は博士(経済学)の学位授与に値するものと認められる。

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