学位論文要旨



No 212892
著者(漢字) 原田,彰宏
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,アキヒロ
標題(和) 微小管関連蛋白タウの標的組換え法を用いた分子細胞生物学的研究
標題(洋) Molecular Cell Biological Analyses of Tau Protein by Gene Targeting
報告番号 212892
報告番号 乙12892
学位授与日 1996.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12892号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 貫名,信行
内容要旨 イントロダクション

 神経細胞は分化後すぐに極性を生じ、軸索と樹状突起を有するようになる。この神経細胞の極性は、神経発生の指標となるだけではなく、神経の刺激伝達という特異な機能に不可欠である。微小管は全ての真核細胞において主要な細胞骨格要素であるが、神経細胞の極性の形成の際にも必須である。脳の微小管には複数の蛋白が結合している。これらの蛋白は微小管と生化学的に一緒に精製され、微小管関連蛋白(MAPs)と呼ばれている。MAPsは微小管の重合と安定化を促進し、神経細胞の極性形成、神経突起の安定化とその維持に働き、それによって神経の可塑性に重要な役割を果たすことが知られている。

 タウ蛋白は、神経細胞内に特異的に存在する微小管関連蛋白のうちの一つで、主に軸索に存在する。タウ蛋白には微小管結合能および、微小管重合促進能があり、軸索内で微小管間の架橋を形成することが知られている。タウ蛋白の遺伝子(cDNA)を非神経細胞に導入したところ、軸索内にみられるような微小管の束が形成された。また、逆にタウ遺伝子のアンチセンスDNAを培養神経細胞に投与すると、軸索伸長だけを選択的に抑制することが判った。これらの結果からタウ蛋白は、軸索伸長および軸索の構造維持に必須と考えられた。この推論を検討するため、我々は標的組換え法を用いてタウ遺伝子欠失マウスを作成した。その結果、タウ欠失マウスは外見上異常が認められず、発育に問題なく、その神経系にも異常が認められなかった。さらに、タウ欠失マウスの培養神経細胞の軸索伸長にも異常が認められなかった。しかし、小脳の平行線維のような径の小さい軸索において微小管数、密度が低下しており、また、軸索中の微小管間の架橋数の著しい減少が認められた。さらに我々は、ほかのMAPsの一つであるMAP1Aがタウ欠失マウスで増加していることを発見した。このMAP1Aの増加により、タウの機能が一部代償されている可能性がある。以上、我々の結果から、タウは軸索伸長に必須ではないが、軸索中の微小管の安定性および構築に重要な役割を果たすことが考えられた。

実験成績

 タウ遺伝子破壊のため、置換型ターゲッティングベクターを作製した。置換型ターゲッティングベクターはタウ遺伝子を含むゲノム断片に、ネオマイシン耐性遺伝子を翻訳開始コドンを含むエクソン内に、タウ遺伝子と同方向に挿入することで作製した。このターゲッティングベクターを電気穿孔法によって胚幹細胞(ES細胞)に導入し、G418単独ないしG418+FIAUによって、ターゲッティングベクター導入細胞を選別した後、ゲノムDNAのサザンブロット法によって相同組換え体のES細胞を検出した。相同組換えの頻度は非常に高く、G418単独の場合で約20%、G418+FIAUの場合で約50%であった。この様にして得た相同組換え体のES細胞を胚盤胞に注入し、生殖系列キメラを得ることができた。その仔であるF1同士を掛け合わせ、F2について尾のゲノムDNAのサザンブロットを行った。すると、マウス成体においても、ホモ接合体が存在した。また、野生型:ヘテロ接合体:ホモ接合体の比は1:2:1のメンデル比になったことから、ホモ接合体は特に成長に影響ないと考えられた。外見上も、ホモ接合体は野生型と区別がつかず、生殖能力にも異常は認められなかった。また、ヘマトキシリンーエオジン染色で各臓器を調べた結果、特に異常は認められなかった。

 ホモ接合体でタウ蛋白が欠失していることを確認するため、ウエスタンブロットを行ったところ確かにホモ接合体ではタウ蛋白が欠失しており、さらにヘテロ接合体ではタウ蛋白が野生型の半分に減少していることが判った。ほかの細胞骨格蛋白について、その増減を調べたところ、MAPsの一つであるMAP1Aの量が、野生型に比べ、生後7日で2倍、生後14日、成体で1.3倍に増加していることが明らかになった。さらに、これらの細胞骨格蛋白の分布に異常がみられるか確認するため、小脳の免疫組織化学を行ったがタウ以外は特に異常は認められなかった。

 タウ欠失マウスにおいて軸索内の微小管の構造などに変化がみられるかを電子顕微鏡を用いて観察したところ、小脳の顆粒細胞の軸索である平行線維において、微小管数の減少が認められた。この微小管数の減少は軸索特異的で、小脳プルキンエ細胞の樹状突起では、減少は認められなかった。また、より径の太い軸索である視神経や坐骨神経においても、微小管数の減少は認められなかった。次に軸索内での細胞骨格の構造変化をみるため、我々は小脳の平行線維を急速凍結ディープエッチ法を用いて観察した。野生型では微小管間に短い架橋が多数認められるのに対し、ホモ接合体ではその微小管間の架橋数は明らかに減少していることが分かった。しかし微小管と膜の間の架橋や、微小管とニューロフィラメント間の架橋には変化がないことから、タウは主に微小管間の架橋であると考えられた。

 前述のようにタウは軸索伸長に必須と考えられていたことから、我々は海馬培養神経細胞の軸索伸長を観察した。すると、コントロールとホモ接合体との間で軸索伸長には差がないようにみえた。そこで、軸索を伸長している細胞の割合を時間を追って計測したところ、コントロールとホモ接合体の間で、全く差が認められなかった。又、この現象は微小管脱重合剤であるノコダゾール存在下でも同様にみられた。このことから、タウは軸索伸長に必須ではないことが明らかとなった。

 さらに我々はタウ存在下と非存在下での微小管の安定性を、後根神経節培養神経細胞を用いて調べた。まず培養神経細胞にケージド蛍光チュブリンを微量注入し、突起内の微小管に取り込まれたところで突起の一部を紫外線で照射し、チュブリンに結合させた蛍光を活性化した。その蛍光の消退を時間を追って観察することによって、ポリマーである微小管がモノマーであるチュブリンに脱重合する速度を測ることができるのであるが、タウ存在下(野生型)と非存在下(ホモ接合体)において蛍光の消退する速さに変わりはなかった。つまりタウは後根神経節神経細胞において、微小管の脱重合の速さ、言い換えると微小管の安定性に影響を与えていないことが解明された。

結論

 我々の実験結果により、タウは単独では軸索伸長に必須ではないが、小脳の平行線維中の微小管の安定性と微小管間の架橋の形成に重要な役割を果たすことが明らかとなった。微小管の安定性に関しては我々は二つの一見異なる結果を得た。一方でタウは微小管の安定性には影響ないというもので、これはホモ接合体において(1)視神経や坐骨神経において微小管数に変化がみられないこと(2)後根神経節において、微小管のターンオーバーに変化が認められないこと(3)微小管脱重合剤であるノコダゾール存在下で海馬培養神経細胞の軸索形成、維持に異常が認められないこと、によって支持される。その一方で、全チュブリン量が変わらないが、小脳の微小管数が減少するという現象がみられた。このことはチュブリン(モノマー)と微小管(ポリマー)間の平衡がタウ不在下でチュブリンの方に傾いた、言い換えると、微小管の安定性が低下したことを意味する。これらの矛盾はおそらく、細い軸索中ではタウが全MAPsのなかで大きな割合を占めるのに対し、太い軸索中ではタウ以外のMAPs(MAP1A、MAP1Bなど)の割合が大きくなるためタウの欠失だけでは微小管に大きな影響が及ばないからと考えることができる。さらにタウ欠失マウスにおいてMAP1Aの量の増加がみられることから、このMAP1Aの増加がタウ欠失を代償していることも考えられる。また、今回の実験からタウが軸索伸長に必須であるというアンチセンスDNAによる推論が否定されたわけであるが、その原因としてはアンチセンスDNAがタウ合成を阻害するだけでなく、他の軸索伸長に重要な経路を阻害している可能性が考えられる。

 今回、タウは単独では軸索伸長に必須ではないという結果が得られたが、他のMAPsと共同で軸索伸長時に必要とされる可能性もある。そのため今後、我々は他のMAPsを欠失したマウスを作成し、それらとタウ欠失マウスをかけ合わせることで、複数のMAPsを欠失した神経細胞を作成し、その軸索伸長を観察することでこの可能性を検討したいと考えている。

審査要旨

 神経細胞は,樹状突起,細胞体,軸索という構造を分化させた極性のある細胞であり,この極性がどのような分子機構によって起こるかを知ることは,細胞生物学の中心的な課題である。近年,神経特異的に微小管に結合してその重合を調節する蛋白である微小管関連蛋白(MAPs)のいくつかが発見され,試験管内(in vitro)での作用からこれらの蛋白が神経細胞の極性の形成や神経突起の伸長に重要である可能性が示されている。これらの微小管関連蛋白(MAPs)のうち,タウ蛋白は軸索に多く含まれており,微小管間の架橋の主な成分と考えられている。タウcDNAを培養細胞に導入することで軸索様の突起伸長がみられること,またアンチセンスDNAを用いてタウ産生を抑えると培養神経細胞の軸索伸長が抑えられることから,タウ蛋白は軸索の伸長に必須であると考えられた。しかし,非神経細胞に,主要なMAP cDNAの形質導入をした結果,タウのみならず,MAP2,MAP2c等が各々微小管束を形成し,突起を伸長させた。この結果,軸索の伸長がタウのみによっておこるのか,又は複数のMAPsがグループとしてこれらの役割を果たしているのかが重要な問題と考えられる。本研究はこの問題を検討するため、標的組み換え(ジーンターゲッティング)法を用いてタウ欠失マウスを作製し、その解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 (1)タウ欠失マウスは正常に発育し,神経学的異常は特に認められなかった。神経組織や他の組織についても,光学顕微鏡レベルでの異常は特に認められなかった。

 (2)細い軸索中の微小管の減少と微小管間の架橋の減少が認められた。

 (3)他の微小管関連蛋白であるMAP1Aの量の増加が認められた。

 (4)海馬及び後根神経節培養細胞において軸索の伸長に異常は認められなかった。

 (5)平衡感覚、学習には異常が認められなかったが、筋力の低下や動きの空間的パターンにおいて軽度の異常が認められた。

 以上からタウは

 (1)細い軸索において、微小管の安定性及び構築に重要な役割を果たしていると考えられる。

 (2)他の微小管関連蛋白とともに、グループとして太い軸索の微小管の安定性及び構築に重要な役割を果たしていると考えられる

 (3)他の微小管関連蛋白とともに、グループとして軸索伸長に関与している可能性がある。

 (4)筋力や行動パターンの成立にも関与している可能性があるが、その機序については現在不明である。

 以上、本論文は微小管関連蛋白(MAPs)の一つであるタウ蛋白の生体内での機能を解明するため、標的組換え法によってタウ蛋白欠失マウスの作成および解析を行い、その機能の解明に成功した。本研究はこれまで未知であった、生体内での微小管関連蛋白(MAPs)の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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