学位論文要旨



No 212895
著者(漢字) スベトラーナ,コトリャロワ
著者(英字) Svetlana,Kotliarova
著者(カナ) スベトラーナ,コトリャロワ
標題(和) ヒトゲノム中のミニ・マイクロサテライトの研究 : 多型解析、新しいマーカーの開発、法医学的応用
標題(洋) Study of mini-and microsatellite loci in human genome : analysis of polymorphism;development of new genetic markers;forensic application
報告番号 212895
報告番号 乙12895
学位授与日 1996.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第12895号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高取,健彦
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 柴田,洋一
 東京大学 助教授 服部,正平
内容要旨 はじめに

 ゲノム中に存在する2塩基対から数キロ塩基対を単位とする直列反復配列は,その反復のコピー数が個体間で変異を示すことが知られている。短い直列反復配列(short tandem repeat:STR)の変異によって多型を示すものは,その反復単位によっていろいろな名前で呼ばれている。数塩基対(特に2塩基対)の反復単位のものはマイクロサテライトと呼ばれる。もっと長い反復単位のものはミニサテライトまたはVNTR(variable number of tandem repeat)と呼ばれる。マイクロサテライトもミニサテライトもゲノム中に普遍的に多数存在する。これらは個体間で変異を示す一方で個体中では安定であるため,様々な分野に応用しうる。その例として,高精度の遺伝地図および物理地図,DNAレベルでの個体識別,親子鑑定などがある。本論文は,ミニサテライト多型の解析と,新しいマイクロサテライトマーカーの開発を行ったものである。

 本論文は二つの部分からなる。第一の部分(1章-3章)はロシア民族における2つの常染色体上のVNTR座位の多型解析を行い,基礎データを集め,さらにそれを法医学的DNAタイピングへ応用したものである。この研究はロシア・ノボシビルスク・MEDIGEN研究所で行った。第二の部分(4章)は東京大学で行った研究で,5つの新しいマイクロサテライトを単離し,STS(sequence tagged sites)とした。そのうちの4つは6番染色体由来であり、1つが当初の目的であったX-Y相同領域由来のものであった。6番染色体由来の中の1つと、X-Y相同領域由来のマイクロサテライトは多型性を示したので,集団中の頻度について解析を行った。

Iロシア民族における2つの常染色体上のVNTR座位の多型解析と法医学的DNAタイピングへの応用

 DNAレベルでの個人識別の基本はVNTRを含む領域の多型性である。それぞれの集団中での多型の頻度分布によって,個人識別に対する有用性が異なるが,理論的にはいくつかのVNTR座位を組み合わすことによって,無数の組み合わせのDNA profileを得ることができ,他人同士を識別することができる。犯罪現場に残されるDNAは一般に質・量ともに不十分であるので,その解析にもっとも適当な方法は,PCR法を応用したDNA断片長多型(amplifiable fragament length polymorphism:Amp-FLP)である。ロシアでは比較的最近になって,このような技術が使われ始めた。本研究の目的は,このような方法をシベリア地区における個人識別に応用することにあった。

 我々はヒトゲノム上の2つのVNTR多型領域を選んだ。その一つはapolipoprotein B(apo B)遺伝子の3’領域に存在するものであり,もう一つのVNTR領域は17番染色体上のD17S30をもちいた。これらの領域の多型性は他民族で知られており,ロシア民族にも応用可能と考えられたが,ロシア民族での集団データはなかった。

 我々の研究により,apo BとD17S30座位のVNTR多型のシベリア在住ロシア白人における基礎データが得られた。両座位ともロシア人で多型性を示し,apo B座位では14の対立遺伝子がみられた。そのうちの一つ,31回反復のものはこの研究で初めて見つかったものである。また,34回,36回反復のものがもっとも多く,それぞれ0.281,0.340の頻度であった。D17S30座位では13の対立遺伝子がみられた。D17S30では1から4の対立遺伝子の頻度が高く,もっとも頻度が高かったのは対立遺伝子4の0.260であった。これらのデータを他の集団と比較したところ,対立遺伝子の頻度分布と最も頻度の高い対立遺伝子はロシア民族と他の白人集団とで同様であったが,別に発表されている日本人とカメルーンのEnwondo民族とは違っていた。対立遺伝子頻度と個々の遺伝子型はHardy-Weinbergの法則にしたがっており,特定の対立遺伝子の組み合わせが多いというようなことはなかった。D17S30座位では新しいプライマーを設定して用いたが,この領域を従来のプライマーより特異的に鋭敏に増幅することができた。また,どちらの座位についてもそれぞれの対立遺伝子をはっきりと識別する事ができた。PIC(polymorphism information content)はapoBでは0.791で,D17S30では0.812であった。また,両者をあわせた,識別可能性は0.890と計算された。したがって,この2つの多型はシベリアのロシア人集団において法医学的DNAタイピングに有用であると結論した。

 第2章では,(1)血痕などの法医学的材料からのDNA抽出法の比較検討,(2)効果的に増幅しうるDNAの最小量の見積りを行った。

 これには次のような実験材料を用いた。4℃と-20℃で様々な期間保存した血液,1日から1年間たった小血痕,一本の髪の毛,唾液,タバコの吸殻,精液と体細胞が混ざったスワップ。様々な方法と変法を比較し,どの方法がどの種類の検体に適切であるかを検討した。

 この研究において我々は,タバコの吸殻からの新しいDNA抽出法を開発した。また,精子と体細胞が混ざった状態からの精子核の精製方法の変法を開発した。

 一方,nested PCR法を用いて増幅および判定が可能な最小DNA量は,apoBでは3pg,D17S30では6pgと見積もられた。すなわち,1細胞あたりのDNA量に匹敵する量でこの多型解析が可能であるということである。

 法医学的材料を使用する際には夾雑物がしばしばPCR反応中のTaqポリメレースを阻害する。DNA抽出の際にNaClを飽和にしておくとこれらの夾雑物が沈殿し,増幅におよぼす影響が軽減される。また,100g/ml以上のBSA(ウシ血清アルブミン)を添加することにより血痕からの増幅が改善されることが分かった。

 第3章では,証拠物件から抽出されたDNAタイピングの実例,2例を示した。タバコの吸殻,精子と体細胞の混じったスワップである。これらの例では,血液型からは有効な情報が得られず,タバコの吸殻からはなにも情報が得られなかったが,DNAレベルで複数の容疑者を識別できた。第1章における集団のデータより遺伝子型の頻度が分かったので,Amp-FLPのデータと他の解析手段よりのデータを併用して個人識別が可能であった。新しい多型の座位を入れれば,ますます個人識別が進むことになる。これらのデータは,民族の頻度として登録されると共に,ロシア国内で実用化に附されている。

II新しい多型性マイクロサテライトマーカーとSTSの確立

 第4章では(1)新しいマイクロサテライトDNAマーカーの確立(2)その多型性の有無(3)新しいX-Y相同領域の多型と既知の多型を用いたY染色体ハプロタイプ作製の可能性について研究を行った。

 Y染色体は父親から息子に伝わるので,男のルーツ解析にY染色体のDNA多型が用いられるようになってきた。しかし,Y上のマイクロサテライトマーカーはほとんど報告されていない。

 本研究ではY染色体上のマイクロサテライトマーカーの確立を目指してX-Y相同領域に由来するYAC(yeast artifitial chromosome)クローンより,コスミドライブラリーを作成した。コスミドライブラリーをスクリーニングし,マイクロサテライトを持つコスミドを5つ得た。マイクロサテライト周辺の塩基配列を決定し,これらをSTS化した。染色体上の座位をマッピングパネルおよびFISH(fluorecence in situ hybridization)で調べたところ,この中の4つは6番染色体由来で,1つがX-Y相同領域由来であった。6番染色体の混入はライブラリー作製に用いたYACがキメラであるためと考えられた。

 6番染色体由来のマイクロサテライトの中,3つは日本人では多型を示さなかったが,最も長いCA反復(17回)を含むものは多型性を示した。40人の血縁関係のない日本人を解析したところ,8つの対立遺伝子があり,遺伝子型としては10の組み合わせがみられた。PICは0.63であり,多型マーカーとして有用であると考えられた。また,遺伝子型の分布はHardy-Weinbergの法則にしたがっていた。

 偽常染色体を除き,X-Y相同領域由来の(CA)nマイクロサテライトは現在まで報告されておらず,ここで報告するSTSが初めてのものである(YXCAIと名付けた)。今回のクローン化では,160Kbに1回程度のマイクロサテライトがあることになり,X-Y相同領域はマイクロサテライトが少ないと考えられた。FISHの結果よりYXCA1はYp11およびXq21.2-21.3に座位があり,X染色体,Y染色体ともに多型を示した。日本人男性55人女性20人,白人男性18人女性13人,黒人男性18人女性13人の解析を行った結果,YXCAIは12回から24回までの繰り返しを持つことが分かった。その中で14,15,16回の反復回数(1例だけ12回)はY染色体に特異的であると考えられた。一方,X染色体上では13回と18回から24回までの8つのアレルがあった。17回の繰り返しは,日本人ではX染色体のアレルとしてみられたが,白人と黒人ではY染色体に特異的であった(すなわち女性には見られなかった)。アレルの分布には民族差があったが,合計で27通りの遺伝子型が比較的一様に分布しているため,各方面に有用なマーカーであると考えた。

 YXCAIのY染色体上の多型と,従来知られている(1つは発表準備中)Y染色体上の3つのDNA多型を併せて日本人のY染色体のハプロタイプを作ったところ5つのハプロタイプがあり,日本人男性のルーツ研究に役立つものと考えられた。

審査要旨

 本研究は,ミニサテライト多型の解析と,新しいマイクロサテライトマーカーの開発を行ったものである。二つの部分からなっており,第一の部分はロシア・ノボシビルスク・MEDIGEN研究所で行われたものである。ロシア民族における2つの常染色体上のVNTR座位の多型解析を行い,基礎データを集め,さらにそれを法医学的DNAタイピングへ応用している。第二の部分は東京大学で行われた研究で,5つの新しいマイクロサテライトを単離とその多型性の解析を行っている。その結果,下記の結果を得ている。

Iロシア民族における2つの常染色体上のVNTR座位の多型解析

 1.apolipoprotein B(apo B)遺伝子の3’領域に存在するVNTRと17番染色体上のD17S30をもちいて,ロシア民族の多型解析を行い,ロシア民族での基礎データを構築した。また,31回反復のものを新しく検出した。

 2.ロシア民族は他の白人集団と同様の分布を示したが,別に発表されている日本人とカメルーンのEnwondo民族とは違っていた。この2つの多型はシベリアのロシア人集団において法医学的DNAタイピングに有用であると結論した。

 3.血痕,一本の髪の毛,唾液,タバコの吸殻,精液と体細胞が混ざったスワッブなどの法医学的材料からのDNA抽出法の比較検討,効果的に増幅しうるDNAの最小量の見積りを行っている。タバコの吸殻からの新しいDNA抽出法を開発した。また,精子と体細胞が混ざった状態からの精子核の精製方法の変法を開発した。

 4.証拠物件から抽出されたDNAタイピングの実例が示されている。集団のデータより遺伝子型の頻度が分かったので,他の解析手段よりのデータを併用して個人識別が可能であった。これらのデータは,民族の頻度として登録されると共に,ロシア国内で実用化に附されている。

IIX-Y相同領域上の新しい多型性マイクロサテライトマーカーの確立

 1.Y染色体上のマイクロサテライトマーカーの確立を目指してX-Y相同領域に由来するYAC(yeastartifitial chromosome)クローンより,コスミドライブラリーを作成し,スクリーニングによって5つのマーカーを単離した。ライブラリー作製に用いたYACがキメラであったためX-Y相同領域由来のマイクロサテライトマーカーのみでなく6番染色体由来のものも発見している。

 2.X-Y相同領域由来の(CA)nマイクロサテライトは現在まで報告されておらず,ここで報告されたSTSが初めてのものである。日本人男女白人,黒人の解析を行った結果,YXCAIはY染色体に特異的な反復回数とX染色体に特異的な反復回数があることが分かった。アレルの分布には民族差があったが,合計で27通りの遺伝子型が比較的一様に分布しているため,各方面に有用なマーカーであると考えた。

 3.YXCAIのY染色体上の多型と,従来知られているY染色体上の3つのDNA多型を併せて日本人のY染色体のハプロタイプを作り,5つのハプロタイプを得た。

 以上,本論文ではヒトのDNA多型の解析とその応用について,クローン化,DNA解析,多型の頻度解析,法医学的応用と幅広い範囲にわたっての検討がなされており,また多くの新しい発見が含まれている。したがって,DNA技術の医学的応用の一つの方面に大きな貢献を期待できるので,学位の授与に値するものと考えられる。

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