学位論文要旨



No 212896
著者(漢字) 神原,浩久
著者(英字)
著者(カナ) カンバラ,ヒロヒサ
標題(和) 有機材料の三次非線形光学特性に関する研究
標題(洋) Study of the Third-Order Nonlinear Optical Properties of Organic Materials
報告番号 212896
報告番号 乙12896
学位授与日 1996.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12896号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 田隅,三生
 東京大学 教授 近藤,保
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 小林,孝嘉
内容要旨 1.はじめに

 非線形光学は,光と物質との非線形な相互作用を取り扱う光物性学に属し,高出力なコヒーレント光源の提供が可能なレーザの出現とともに,研究がその歩を急激に速めた分野である。波長変換や非線形屈折率効果などが代表的な例として知られており,実用上も有益性の極めて高いものと期待されているのは周知の通りである。本研究では,最近活発に研究開発の進展している有機材料を非線形光学の舞台に選定することとし,その非線形光学効果,特に三次効果を明らかにするとともに,高非線形性と高速応答性とを実現するための設計指針を提示し,さらに,この指針に従った光学媒質の作製を実際に行った。有機材料には加工性が特に優れる低分子系を主に用い,また,三次非線形光学特性の評価には簡便かつ正確な第三高調波発生(THG)測定法と光カーシャッタ測定法とを利用した。

2.測定系の原理と構成

 THG測定は,非線形媒質に角周波数のポンプ光を入射すると高次の非線形分極が誘起されて角周波数3の高調波が発生することを利用して三次非線形特性を評価する方法である。Maker fringe法を採用し,非線形定数は石英ガラスを標準とする相対測定により算出した。一方,光カーシャッタ測定は,ゲート光の照射によって非線形媒質(カー媒質)内に複屈折を生じさせ,そのカー媒質を通過した直線偏波のプローブ光が楕円偏波になる様子を観察することにより三次の非線形過程を測定する方法である。ナノ秒系とピコ秒系との二つの測定系を構成し,非線形定数は二硫化炭素を標準に用い相対的に見積もった。光カーシャッタ系ではプローブ光に半導体レーザを用いて装置のコンパクト化を進め,さらに,後述するような導波路を適用した光スイッチの構成が可能となるように,ゲート光とプローブ光とが共軸に入射できる光学系を工夫した。

3.高非線形化への設計指針の提示

 非線形光学材料における最も重要な課題が非線形性の向上である。有機材料における高非線形化を検討し,そのための設計指針を提示した。(1)三次超分子分極率の増大…溶液状態での三次非線形感受率(3)[THG]の共役長依存性をTHG測定により調べた結果を図1に示す。溶液媒質の主要な非線形光学効果は電子分極効果と分子配向効果の二つであるが,THG測定から得られる非線形感受率には電子分極効果のみが寄与する。従来より知られている-カロチン系列と同様に,実線で表わした芳香環系列においても電子分極効果による非線形感受率が共役長のほぼ5乗に比例して増大し,共役長の伸長が高非線形化に有益であることが判明した。(2)非線形分子の溶解度の向上…THG測定の結果から電子分極効果による非線形感受率が溶液濃度に比例して増大し,非線形分子の溶解度の向上が溶液の高非線形化に有効であることが確認された。また,ナノ秒の光カーシャッタ測定によって,電子分極効果に加えて分子配向効果による非線形感受率も溶液濃度とともに増強されることが明らかになった(光カーシャッタ測定では電子分極効果と分子配向効果の両方に由来する非線形感受率が検出される)。(3)高誘電率な環境の採用…電子分極効果による非線形感受率が溶媒の誘電率とともに増大することが見い出され,溶液の非線形性を向上させるためには高誘電率を有する溶媒の適用が有益であることが分かった。また,ここでも,電子分極効果のみならず分子配向効果に基づく非線形感受率も溶媒の誘電率とともに増大することが判明した。

図1.三次非線形感受率の共役長依存性
4.光カーシャッタ系への適用

 光カーシャッタ動作の高効率化を進める過程において,光学媒質としての最適な形態を明らかにした。(1)高非線形溶液媒質の選定…4-(N,N-ジエチルアミノ)--ニトロスチレン[DEANST]が,高い三次超分子分極率に加え,溶解性にも優れることから高効率な溶液媒質特性を示した。DEANSTを高誘電率のニトロベンゼンに溶解させた場合で,従来のカー媒質の典型例である二硫化炭素に比べてゲート光パワを1/2.3に低減できた。(2)相互作用長の増大…中空キャピラリにDEANST溶液を封入して導波路を作製し,これにゲート光とプローブ光とを共軸に入射することによってビームの相互作用長を増大させた。位相変化量/9を得るのに必要なゲート光パワの媒質長依存性を図2に示す。セルと対照的に,キャピラリではビームの小スポットが長距離にわたり保持され,値は媒質長に反比例して減少した。100mm長のキャピラリ(コア径125m)では1mm長のセルよりも値が1/75に低減した。(3)ビームの光密度の向上…キャピラリのコア径を小さくしてビームの光密度を向上させたところ,ゲート光パワはコア径の2乗に比例して減少し10m径では1/2波長パワが10Wとなった。上記(2)よりも2桁の高効率化が達成されたことになる。キャピラリよりも長尺・小コア径のファイバ導波路を適用した結果,図3に示すようにゲート光パワがさらに1桁低減され,1W以下の極めて低パワでの動作が実現された。

図2.ゲート光パワの媒質長依存性図3.ファイバ導波路のスイッチング特性
5.電子分極効果による高速応答の実現

 図4は溶液媒質においてTHG測定とナノ秒の光カーシャッタ測定とから求めた非線形屈折率の比を分子長に対してプロットした結果である。両者の比が分子長とともに単調に減少することが確認され,それにより,分子長が短い領域ではやや低速の分子配向効果が支配的であるものの,分子が長くなると分子配向効果が抑制されて,高速な電子分極効果が次第に主となることが判明した。図中の点線は分子配向効果の寄与が完全に消滅する境界を表わしているが,これはナノ秒系での場合であり,ピコ秒パルスを用いれば,この境界線より上に位置していても電子分極効果が支配的な高速応答を達成し得る。図5はそのことを実証した結果であり,ピコ秒レーザを用いてのDEANST溶液の光カーシャッタ波形を示している。出力パルスは半値幅が4.0psと高速であり,分子配向効果の寄与が十分に排除されることが分かった。なお,溶液媒質を適用する他に,固体媒質を用いることによっても電子分極効果による高速応答を観測することは可能であり,本研究では,2,5-ジクロロ-テレフタル-ピス-(4-N,N-ジエチルアミノアニリン)系材料をポリメチルメタクリレートに分散させた固体媒質などを用いてもスイッチング動作を確認することができた。固体媒質に特有の電子分極効果による高速応答が実現可能との見通しが得られた。

図4.非線形屈折率比の分子長依存性図5.DEANST溶液の光カーシャッタ波形
6.高速応答を目指した薄膜媒質の作製

 固体系の高速応答媒質として薄膜は有望な候補の一つである。本研究では,NTT境界領域研究所において有機分子線蒸着法を用いて作製された薄膜媒質の非線形光学特性をTHG測定により調べた。図6に,フタロシアニン薄膜における三次非線形感受率の基板温度依存性を示した。フタロシアニン薄膜では非線形感受率が蒸着時の基板温度によって大きく変化し,高い非線形性を得るための最適な基板温度領域があることが分かった。また,ピラミッド構造のチタニルフタロシアニン(TiOPc)分子やバナジルフタロシアニン分子が,平面構造を有する銅フタロシアニン分子や亜鉛フタロシアニン分子に比べて高非線形化に有利であることも判明した。本研究では,このほか,亜鉛ジベンゾフタロシアニン(ZnDBPc)分子の適用によってフタロシアニン分子の配列が制御可能になることも確認できた。すなわち,ZnDBPc薄膜上にTiOPc薄膜を蒸着したところ,TiOPc単層膜では無配向であったのに対し,非線形感受率の面内異方性が10以上となるようにTiOPc分子が配向制御された。

図6.三次非線形感受率の基板温度依存性
7.結論

 非線形光学における有機材料への関心の高まりを背景に,本研究では,その三次効果についての現象を検証し材料系の最適化を行った。高い非線形性を獲得し,さらに,溶液媒質と固体媒質とにおいて高速応答を高効率に達成するための新しい設計指針を提示することができた。また,有機材料の持つ加工性等の特長を十分に引き出し,光スイッチデバイスへの適用が十分可能と考えられる溶液導波路や薄膜状の光学媒質も作製することができた。本研究で検討した有機非線形光学材料は,高速高効率な光スイッチング動作を極めて広い波長範囲において実現できることから,将来の情報・通信システムを支えるキーデバイス用材料として極めて重要な位置を占め得ると期待される。

審査要旨

 本論文は7章からなる。第1章は序論、第2章は測定系の原理と構成、第3章は高非線形化への設計指針の提示、第4章は光カーシャッター系への適用、第5章は電子分極効果による高速応答の実現、第6章は高速応答を目指した薄膜媒質の作製について述べられ、そして、第7章は結論である。

 第1章では、様々な有機材料における三次非線形光学効果の検証とその応用が本研究の目的であることを述べている。また、非線形光学材料としての有機材料の位置付けや重要性および研究開発のこれまでの概略を述べている。

 第2章では、三次非線形光学効果を検証するために本研究において開発された第三高調波発生(THG)測定装置と光カーシャッター測定装置の原理と構成とについて述べている。THG測定系では、Maker fringe法の採用により、非線形定数が石英ガラスを標準とする相対測定より簡便に算出できたことを示している。一方,光カーシャッター測定系では、ナノ秒系とピコ秒系の二つの測定系を構成し、ナノ秒系を主に非線形定数の算出に用い、ピコ秒系を高速応答の検証に用いたことを述べている。光カーシャッター測定系ではプローブ光に半導体レーザーを用いて装置のコンパクト化を進め、さらに、後述する導波路を適用した光スイッチの構成が可能となるように、ゲート光とプローブ光とが共軸に入射できる光学系を工夫したことも示している。

 第3章では、高非線形性を実現させるためには、三次超分子分極率の増大、非線形分子の溶解度の向上、そして高誘電率な環境の採用が有効であることを示している。三次超分子分極率の増大には共役長の伸長や中心金属の導入などが極めて有益であることを明示し、また、非線形分子の溶解度の向上に伴い、電子分極効果と分子配向効果の二つによる非線形感受率が溶液濃度とともに増大することを確認している。さらに、高誘電率な環境が溶質分子の非線形分極を著しく増強することも実証している。

 第4章では、前章で得られた設計指針に基づき、高効率な光カーシャッター動作の実現のためには、高非線形性を有する溶液媒質を選定することの他に、相互作用長の増大とビームの光密度の向上が有効であることを明らかにしている。高非線形性を有する溶液媒質としては、高い三次超分子分極率に加え、溶解性にも優れた4-(N,N-ジエチルアミノ)--ニトロスチレン[DEANST]を選定している。また、相互作用長の増大とビームの光密度化は、中空キャピラリにDEANST溶液を封入して導波路を作製し、これにゲート光とプローブ光とを共軸に入射することによって達成している。その結果、必要なゲート光パワーを従来に比べて大幅に減少させている,本研究では、上記の考えをさらに進めた光ファイバー導波路をも作製し、ゲート光パワーが1W以下の極めて低パワー(従来に比べて5桁向上)での動作を実現している。この駆動パワーが1W以下となったことは、小型レーザーでの駆動も可能なことを示しており注目に値する。

 第5章では、電子分極効果による高速応答を溶液媒質と固体媒質の系で実現した結果について述べている。特に、分子長の長いDEANST分子溶液系についての光カーシャッター実験から、溶液媒質においても分子配向効果の寄与が十分に排除され、高速応答が可能なことを実証している。また、非線形分子をポリマーに分散させた系も固体媒質特有の電子分極効果による高速応答が可能であることを示している。

 第6章では、高速応答媒質として有望なフタロシアニン誘導体薄膜を有機分子線蒸着法を用いて作製し、その薄膜媒質の非線形光学特性をTHG測定により調べた結果を述べている。

 第7章では、全体の結論として、高い非線形光学材料を見いだし、溶液媒質と固体媒質とにおいて高速応答を観測できたこと、および、光スイッチへの展開が十分可能な溶液導波路や薄膜状の光学媒質をも作製できたことを述べている。

 以上を要約すると本論文の提出者神原浩久氏は、THG測定法と光カーシャッタ測定法により、三次の非線形光学材料を系統的に調べ、高非線形性と高速応答性とを実現するための基本的な考え方を提案している。本研究で検討した有機非線形光学材料は、将来の情報・通信システムを支えるキーデバイス用材料として極めて重要な位置を占めるものと期待されることから、この研究成果は、非線形光学の基礎のみならず、これを応用した光デバイスの開発をも大きく加速させるものであり、今後の発展に寄与するところ大である。よって、神原浩久氏は博士(理学)の学位を授与される資格を有するものと認める。

 なお、本論文に述べられている研究成果は共著報文の形で公表済みである。共著者は研究の指導者、研究協力者であるが、論文提出者の寄与が最も大きいと判断される。また、共著論文の内容を学位論文にすることについては、全ての共著者の承諾を得ている。

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