荘園史研究は、戦後の社会経済史研究の華やかなりし時にあっては、日本中世史の研究をリードしてきた研究分野であったが、現在は多くの困難な条件もあって、苦難な状況にある。しかしそうしたなかにあって地道に研究を進めてきた、その成果が本論文である。 分析方法は、徹底した現地調査を行い、荘園の姿を描くことにある。文献史料を机上から論ずることに終始してきたこれまでの研究への反省に基づいて、開発の波によって痕跡さえも消え去ろうとする中世の荘園の景観を生き生きと蘇えらすことにある。 全体は四部から構成されており、第一部では「みそさく・ようじゃく」と題して、各地に残る地名のうちの「みそさく」と「ようじゃく」に注目し、そこから中世荘園の景観の復原を試みている。第二部では「地名の史料学」と題して、各地に残る地名がいかに歴史の史料として有効なものかを具体的に論ずる。第三部は「荘園景観の遡及的復原法」と題して、荘園の復原の方法に関する方法を論じ、具体的な復原の事例を示す。そして第四部では「中世城館の研究視角」と題して中世城館の歴史的、地理的な位置づけを試みる。 現在、中世荘園の痕跡を伝えてきた各地の農村は大きく変貌しつつある。それは過疎化が進行するとともに、それに対応して開発が進められていることや、各地で行われている圃場整備事業などによっても、中世から維持されてきた耕地や用水の姿が消えようとしており、他方で土地の地名をよく知る古老も少なくなってきている。そうした状況にあって、本論文は現地調査を通じて、その消えゆかんとする荘園の痕跡を記録にとどめ、今後の研究に資すること、およびそこから荘園の景観を復原することを目的にしている。 さて第一部の「みそさく・ようじゃく」は七つの章からなるが、最初の章は周防国の仁保庄の荘園景観を考えてゆくに際して、地名に残る用作(ようじゃく)という地に注目し、その土地が在地領主にとって特別な地であったことを探っている。用作には二つの形態があって、一つは湧き水や谷水を利用した最も開発の容易な田であり、もう一つは井手の先端部にあって収穫量が最も高い田である。この二つを在地領主は設定することにより、飢饉にも、また生産力の伸びにも応じた支配を行っていたことを明らかにした。 ここから服部氏はさらに広く用作の地名が残る土地を探し出し、周防国与田保・周防長門地方・九州の筑後川下流などの現地調査によってその点を確認し、さらにまた関東ではそうした地が用作とはいわれずに、「御正作」(みしょうさく・みそさく)といわれた土地であることを、関東の各地や常陸国長岡郷、遠江国初倉庄などの現地調査で明らかにしている。御正作の地名が見られる土地の条件を探り、先に見た用作と同じことが窺えることを指摘している。 その作業は各地に残る小字や通称地名を発掘して、その土地の性格を古老たちから聞き取る、という足で探る歴史学の実践であり、これによって文献のない土地や荘園の歴史をも探ることが可能になった。 第二部の「地名の史料学」は地名の史料としての性格を吟味し、その史料としての有効性を探る試みであり、九章からなる。先ず中世の文献や絵図に見られる地名と、現代に見られる地名とがどの程度の関連があるのかを、播磨・近江・山城・大和・能登・肥前の各地において現地調査を実施し、分析している。その結果は、中世の文献などに見られる地名は現在の小字や通称地名の約60%にも及ぶことが判明することから、地名は有効な史料となることを指摘し、地名を使っての様々な分析を試みている。 地名の史料学として、初めての本格的な研究であり、その意義は高く評価されよう。またそこで発掘された地名は今後の重要な史料であって、本論文は大部の地名の史料集の性格も有する。 第三部の「荘園景観の遡及的復原法」は、具体的に個々の荘園を取り上げて、現地調査を通じて中世に溯って復原してゆくのにはどうしたらよいのかを考察したもので、6章からなる。取り上げられた荘園は播磨国福井庄・肥後国八代庄、備後国地毘庄、安芸国三入庄・伯耆国国延保・豊前国金田庄・肥前国長島庄などであり、これまでの文献のみから立てられた議論の多くを覆すとともに、新たな荘園の景観を描くのに成功している。 第四部の「中世城館の研究視角」は2章からなり、中世城館の特質と機能を概括的に指摘して、近世城館との違いを明らかにし、さらに城館の間を結ぶ「のろし」の歴史地理学的な分析を施している。ここでも交通や情報の在り方を探るのに、地名の分析がいかに有効であるかが明らかにされている。 以上にその概略を述べたように、本論文は現地調査による膨大な地名史料の収集と、それに基づく土地の性格の分析、文献や絵図などの史料の批判的検討を通じて達成されたものである。これによって現地調査に基づく荘園景観を探る方法が確立されたばかりか、地名学の在り方にも大きな成果を残すことになった。質・量ともに、本論文は今後の荘園史研究のみならず、広く古代史や中世史、また近世農村史に大きな影響力を与えることになろう。 ただ問題もなくはない。地名自体がいつ生まれたものかと明確にはできないものだけに、歴史的な変遷を跡づける作業においてやや不明な部分を残し、また地名の収集には聞き取り調査が重要な位置を占めるが、それだけにその信憑性の点で不安な部分が残されている。 しかしこうした問題は今後の課題としてさらに追求されて、精度が高められてゆくべき性格のものであり、荘園史研究や地名研究に大きな寄与をなしたことから、本論文は博士(文学)論文として認められるものであろう。 |