フィリピンには、周囲を塀やフェンスで取り囲み、出入り口に遮断機と守衛を配置して一般市民の通行を制限した世界にもユニークな居住システムが存在する。特にフィリピンの政治・行政・経済・文化の中心であり、総人口の13%を擁するManila首都圏においてはその数が多く、高級なものばかりではなく一般化している。 このシステムは、通過交通を遮断し、通行人を域内居住者に限定することで、交通環境セキュリティー、プライバシーなどの面で住民にとって好ましい条件をもたらすとともに、現在のフィリピンの状況では行政に期待することが困難な、道路・公園などの公共施設の高度な管理やゴミの定期収集、スポーツ施設の運営などの付加的住民サービスを可能にしている。またその一方で、その排他性ゆえに、地域交通ネットワークの制約要因となるとともに、都市計画制限が十分機能していない現在のフィリピンにおいては、内向きに過度に最適化が図られた設計が行われるために、無秩序な郊外開発の元凶ともなっている。 本研究は、このフィリピンの「囲郭居住システム(EHS:Exclusive Habitation System)」について、その現況と成立要因を実証結果から分析するとともに、簡単なネットワークモデルを用いた数理分析を試みたものである。本居住システムを対象とした既往の研究は、著者が調べたところ、わが国はもちろん、フィリピンにおいても、旧宗主国である米国においても存在しなかった。 著者の研究の動機の第一は、なぜこのような世界にもユニークな都市のサブシステムが、フィリピンに成立し得たのかを知ることにある。また第二には、EHSが都市にもたらしている交通渋滞などの問題に対して、具体的な解答を得ることにある。また第三には、EHSのような一つの極端な事例の成立要因を知ることによって、都市という複雑なシステムに対する普遍的な理解を深めることが可能になり、それが他の都市問題を解決する際のヒントを与えてくれるのではないかと期待するものである。 本論文は、右下図に示すように、第1部の序論と第8部の結論部分を除いて、第2部から第5部までの実証分析と、第6・7部EHSの成立要因に関する仮説の検証部分との二つの部分からなっている。 実証分析は、まずManila首都圏を対象とした実地調査による現況確認から始まる。この調査は、著者が現地に勤務していた1993年末から94年始めにかけて実施されたもので、2次にわたる大がかりな調査結果の集大成である。フィリピンにおける郊外開発の基本的な手法であるSubdivision開発に関する登録データを、政府の開発許可担当機関であるHLURB(Housing and Land Use Regulatory Board)で調べた後、Manila首都圏17自治体の都市計画担当部門の協力を得て、入構規制の状況や内外のサービス等について実地調査を行った。 図表 これらの現況調査の結果、Manila首都圏で開発されるSubdivisionの約半数が、EHSの条件である一般交通に対する入構規制を行っていること。また、その比率が年代の推移とともに増大していること。その一方で、その開発水準は確実に低下していることなどが明らかになった。特に、EHS開発の走りにあたる1950〜60年代には、民間開発者が長期の展望に立った計画的な都市開発を比較的多く実施していたものの、近年の郊外開発は虫食い的な乱開発に堕している状況が顕著であった。 これと並行して、EHSの存在が、都市集積の著しいManila首都圏のみに限られた特異なケースであるのか否かを確認するために、首都圏以外のフィリピン国内の主要都市におけるEHSの分布に関する調査を実施した。その結果、特に経済発展の遅れた辺境地域以外、全国の地方中心都市にEHSが展開していることがわかった。また、この分布傾向は現在も拡大しつつあることもわかった。 第3部では、このようなフィリピンにおけるEHSの存在を支える社会的・文化的かつ制度的条件を整理することを試みている。マレー民族気質をベースとして、中国との交流、300年間のスペイン支配、今世紀前半の米国植民地経験、独立以来の政治的混乱という重層的な歴史によってフィリピンの独自性が培われてきた。そして、根強い家族主義やカトリック信仰などの文化的な特質、スペイン伝来の閉鎖的都市設計手法、二重階層の社会構造、行政の弱体と治安の悪さなどの経済・社会要因などが、直接・間接にEHSの成立に影響を及ぼしている様子が明らかになった。 第4部はEHSの成立過程の史的分析を行っている。まず、EHSの類似システムである囲郭都市(城壁都市)の成立から発展、衰微の系譜を世界の歴史に求め、EHSとの関連を見いだすことを試みている。特に、地中海沿岸に栄えたヨーロッパ系囲郭都市文明とイスラム系囲郭都市文明ととがスペインで融合し、その後の植民都市建設の基本計画に採り入れられた点、その都市計画の特性として、貧富の差を強調した閉鎖的な景観を特徴としている点に現在のフィリピンへの影響を見ることができる。 続いて、フィリピンの歴史を掘り下げることによって、戦後Makati開発においてEHSが誕生し、定着する歴史的背景とプロセスを明らかにした。スペインの植民地政策によって、民族や部族間の分離政策を行ってきたことと、米国から郊外一戸建て住宅居住文化とモータリゼーションが導入されて、郊外開発が進んだことを背景として、中国人に対する虐待の歴史を背景として、彼らの強い警戒感がEHSの市場を形成させている様子が明らかになった。 第5部では、EHSの同等のシステム事例の存在を海外に求めている。その結果、フィリピンの特徴であるカトリシズム、治安の悪さおよび経済的貧しさなどの条件を共有する国においてEHSが多く存在しており、これらの要素がEHSの成立要因になっていることが確認された。 以上の実証分析結果を整理して、第6部では次のような仮説を立てている。 「スペインによる植民地支配がフィリピンにもたらした大土地所有制とカトリック精神構造を背景に、その結果として生まれた貧富の格差、治安の悪さ、行政の怠慢などがEHSの存在を必然化させ、同時に合理化させている。そのような都市の排他的空間利用は、伝統的にフィリピンでは住民の違和感を伴うものではなく、交通渋滞等のマイナスの影響(外部不経済)も、人々を抜本的な改善が必要と認識させるまでは悪化させていない。」 第7部では、このうち、特に後段の交通渋滞等へのマイナスの影響については、プラス面である治安の向上や環境の改善効果と比べて、いかなる評価を得ているのかを、簡単な数理モデルを用いて分析を行った。その結果、交通条件がそれほど厳しくない段階では問題にならなかったEHSが、周辺交通の増大とともに社会的に看過できない影響を及ぼし始める過程や、セキュリティー保持に対する住民の評価が高いほど、EHSの存在が合理化される過程、EHS居住者がその他の居住者に比べて優遇されてた場合に成立が合理化される様子などを再現することができた。 第8部では、以上のような考察をふまえて、フィリピンにおけるEHSによる都市システムの矛盾の増大に対して、EHS自体が非民主的な社会構造を背景にしている点などから、いずれはなくなるべき存在であるとした上で、行政システムの強化、都市計画制度の確立と、我が国の区画整理事業のような公的都市整備手法の導入等が必要であると結論づけている。現在フィリピンはRamos大統領の任期の半ばを迎えて、行政機構の規律を正し、経済発展の階段を他のASEAN諸国に遅れてようやく登り始めたところである。このような、基礎的な行政内容の強化策が、フィリピンの短期・中期の行政目標の中に織り込まれる余地は十分存在するものと考える。 また、このEHSに対する研究によって、都市に対する普遍的な理解として、次の3点が明らかになった。第1に、都市は文化的土壌や歴史、経済・社会状況によってEHSのような一見特異な形態を一般化するほどに変化し得るものであるという点。第2に、都市は、わが国のように均一な居住者が生活する場合には明確にならないが、居住者グループ間のパワーゲームの場としての側面を有しているという点。そして、第3に、都市には前提となる行政の力量や、それを支えるインフラ・ストックに応じた適正規模と形態が存在するという点である。 以上の理解は、フィリピンの首都ManilaにおいてEHSによってもたらされる問題に取り組む上で基礎的な認識を与えるものばかりでなく、今後わが国においても到来の可能性のある、多民族が混在する都市社会に対する備えを考える際の知見を与えるものであると考える。 (以上) |