学位論文要旨



No 212909
著者(漢字) 山下,勝司
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,マサシ
標題(和) ロバスト制御理論に基づく自動車用アクティブサスペンションの制御系設計
標題(洋)
報告番号 212909
報告番号 乙12909
学位授与日 1996.06.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12909号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 有本,卓
 東京大学 教授 藤村,貞夫
 東京大学 助教授 新,誠一
 東京大学 助教授 堀,洋一
内容要旨

 本論文では自動車用アクティブサスペンションに対して,ロバスト制御理論を適用した際の有効性が,次の2フェーズにおいて主に述べられている.最初のフェーズ(第1部)では,自動車の1コーナだけのダイナミクスを考慮した単輪モデルを制御対象として取り扱う.こうすることでモデルの見通しも良くなり設計パラメータも減少するので,サスペンション制御系の本質的特徴を把握することが容易になる.この結果を踏まえて次のフェーズ(第2部)では,自動車の全ダイナミクスを考慮した4輪モデルを制御対象として取り扱う.それぞれのフェーズで設計した状態フィードバック系と出力フィードバック系は,シミュレーションと実装の両面において非常に良好なロバスト性能を示した.

 第1部では油圧式アクティブサスペンションを装着した自動車の単輪を模擬した実験ベンチに対して,運動学,水力学,熱力学の観点から詳細な数理モデルを作成した.また未知パラメータを実験データを用いた最尤推定法により同定することで,実機と整合性のとれた数理モデルを得ることができた.

図1:単輪ベンチの概要図2:モデルと実験結果の整合性

 このモデルに対して,まず最初にH制御理論に基づき状態フィードバック系を設計した.人間は乗り心地を体感周波数帯で敏感に感じることが知られているので,効果的な制振を得るためには,この領域での乗り心地を重点的に改善する必要がある.性能に関する周波数重みは体感周波数帯での感度低減に効果があり,その結果少ない消費エネルギで乗り心地を画期的に向上させることができた.しかし実際の車両で全状態量を観測することは困難であり,観測量を限定した出力フィードバック系を構成する必要がある.この時上述したようなサスペンション性能の向上だけを狙うのではなく,その性能を不確かさに対してロバストに維持することを最終目的と考えた.操作入力端に導入したロバスト性に関する周波数重みは高周波数域でのロールオフ確保に有効であり,その結果良好なロバスト性を達成することができた.

図3:出力フィードバックコントローラ設計時に用いた拡大系右上図は性能に関する周波数重み,右下図はロバスト性に関する周波数重みをそれぞれ示す.図4:路面変位に対する車体加速度伝達関数周波数重みWperfの逆システムの形状に応じて伝達関数が凹型に小さく低減されており,制御ありは体感周波数域で良好な乗り心地を達成.図5:ロバスト安定性の検証相補感度関数Tのゲインは周波数重みWrobの逆システムよりも小さく制限されており,ロバスト安定条件を満足することが確認.図6:10自由度非線形4輪モデル車両:前後,横,ヨー,車体:上下,ロール,ピッチ,車輪:上下×4輪図7:右前輪サス変位に関する同定の効果同定後のモデルは実験結果と整合性あり.

 第2部ではアクティブサスペンションを装着した実験車両に対してKaneのダイナミクスに基づき高自由度数理モデルを作成した.Kaneのダイナミクスは従来アプローチ(Newtonian or Lagrangian)の短所を補い,多入力多出力系の複雑なダイナミクスを系統的に導出することが可能である.なお作成した数理モデルは第1部と同様に,実車を用いたシステム同定により精度向上を計った.この車両モデルに対して,基本的には単輪制御と同じくロバスト性能の達成を目的として制御系を設計する.しかしロバスト性能問題に対してH制御理論を直接適用することは,しばしば保守的であることが指摘されている.よって第2部ではその保守性を改善するために,定数スケーリング付きH制御および-シンセシスを用いてコントローラの設計を行なった.

図8:H制御の定式化ロバスト性能仕様:‖M‖<1図9:-シンセシスの定式化(メインループ)ロバスト性能仕様:(M(j))<1

 その結果,前者による状態フィードバック系では,良好な性能(乗り心地,車体姿勢)が公称閉ループ系だけでなく摂動閉ループ系においても得られることが,加振実験から確認できた.また後者による出力フィードバック系では,通常のH制御より保守性の改善が行なわれ,サスペンション性能(乗り心地,車体姿勢)をさらに向上できることが走行実験の結果から確認できた.また-シンセシスによる高次のコントローラを28次まで低次元化しても,良好なロバスト性能が維持できることがわかった.

図10:公称性能制御器のロバスト性能ノミナル時の良好な性能は摂動により劇的に悪化図11:ロバスト性能制御器のロバスト性能ノミナル時の良好な性能は摂動にも保持

 従来アクティブサスペンションに関する研究では,理想的モデルに対して最新の制御理論を適用し,その効果はシミュレーションでのみ評価するというような理論面重視の大学側研究と,コントローラ設計段階でモデリングや数理的制御理論適用を考えず,その力点が試行錯誤的ゲイン調整におかれた企業側開発に2極分化していた.これに対して本研究は,実車の動特性を表した精度良いモデルに対して最新のロバスト制御理論を適用することで,性能とロバスト性というトレードオフの制御仕様の両立を机上だけでなく実機レベルで達成している.これは2極分化していた制御理論と実システム応用との橋渡しという意味での貢献に留まらず,それに加えて両者接点における課題解明と理論面へのフィードバック(例えばロバスト性能問題における保守性と定数スケーリングの関係)という意味でも制御工学の発展に大きく寄与している.

審査要旨

 自動車のサスペンションに要求される性能は、路面や空気などの環境から受ける不規則な外乱、および運転者のハンドル、アクセル、ブレーキ操作により生じる外乱が車両に加わった際に、(i)乗り心地を向上させること、(ii)操縦のしやすさのためにフラットな車体姿勢を保持すること、(iii)安全性のためにタイヤの良好な接地性を確保することである。しかしこれらは互いにトレードオフの関係にあるため、従来のサスペンションにおいては車両の性格に応じて乗り心地を向上させるためには柔らかいサスペンションが、ハンドリングや接地性を向上させるためには堅いサスペンションが用いられてきた。アクティブサスペンションはこれらトレードオフの関係にある幾つかの機能を高いレベルで両立させるためにまずレーシングカーに導入され、次いで一般の乗用車に徐々に広がりつつある。

 本論文は自動車用アクティブサスペンションに対し最新のロバスト制御理論を適用し、実車走行のレベルで画期的な性能向上を達成した成果を述べたものである。従来アクティブサスペンションに関する研究では、理想モデルに対して最新の制御理論を適用し、その効果はシミュレーションでのみ評価する理論面重視の大学側研究と、コントローラの設計段階で対象のモデリングや制御理論の適用を考えず、その力点が試行錯誤的ゲイン調整におかれた企業側開発に2極分化していた。これに対して本研究は、実車の動特性を表わした精度のよいモデルに対して最新のロバスト制御理論を適用することにより、性能とロバスト性というトレードオフの関係にある制御仕様の両立を机上だけでなく、実機レベルで達成することにより2極分化していた理論と実制御の橋渡しを行うと共に、両者の接点における課題の解明とその理論面へのフィードバック(例えばロバスト性能問題における保守性と定数スケーリングの関係)にも大きく貢献している。

 本論文は自動車の1コーナーだけのダイナミックスを考慮した単輪モデルに対する制御を扱った第一部と、自動車の全ダイナミックスを考慮した4輪モデルを制御対象とした第二部に分かれている。

 第一部では、油圧式アクティブサスペンションを装着した自動車の単輪を模擬した実験ベンチに対して詳細な数理モデルを構築した。このモデルに対しH∞制御理論にもとづき状態フィードバック系と出力フィードバック系を構成した。体感周波数帯におけるトレードオフを表現する周波数重みを設定することにより、少ない消費パワーで乗り心地を画期的に向上させることが出来た。また操作入力端に導入した周波数重みは高周波帯域でのロールオフ確保に有効であり、その結果良好なロバスト性を達成することが出来た。

 第二部ではアクティブサスペンションを装着した実験車両に対してKaneのダイナミックスにもとづき全体モデルを作成した。作成したモデルは実車データを用いてシステム同定により精度向上を計った。この車両モデルに対して定数スケーリング付きH∞制御および構造化特異値を用いた制御系設計を行った。前者におけるスケーリング定数の選択は自動車ダイナミックスに基礎づけられた物理的な方法にもとづいており、本論文で独自に開発されたものである。前者による状態フィードバック系では良好な性能(乗り心地、車体姿勢)が公称閉ループ系だけでなく摂動閉ループ系においても得られることが加振実験により確認できた。また後者による出力フィードバック系では、通常のH∞制御よりも保守性の改善が著しく、性能をさらに向上できることが走行実験により確認できた。

 以上のように本論文では自動車のアクティブサスペンションという制御工学の技術的、商業的なフロンティアに最新のロバスト制御理論を適用し、きわめて複雑かつ大規模なシステムへの理論のオーソドックスな適用とその実装評価を通じて制御工学における理論/応用の接点における課題を定式化しかつ解明したもので、制御工学に貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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