学位論文要旨



No 212914
著者(漢字) 澤口,孝志
著者(英字)
著者(カナ) サワグチ,タカシ
標題(和) メルト系での高分子反応と高分子合成への応用
標題(洋) Polymer Reactions in Melt and Their Applications to Polymer Synthesis
報告番号 212914
報告番号 乙12914
学位授与日 1996.06.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12914号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 助教授 辰巳,敬
 東京大学 助教授 相田,卓三
 東京大学 講師 山下,俊
内容要旨

 本論文では、第1章で本研究の背景、および目的であるポリマーの熱分解反応の機構解明とその応用の意義が述べられている.第2章から4章において、メルト系での高分子反応に対する溶融ポリマーの動的性質の影響の研究に役立つモデル反応として、ポリイソブチレンの熱分解における反応場(マトリックスポリマー)の分子量の役割を生成物(揮発成分と残存ポリマー)の正確な構造解析と速度解析に基づいて考察した。その結果、分解反応の全プロセスをより合理的な反応モデルで記述し、各素反応における中間体であるラジカルの反応性をマトリックスポリマーの分子量依存性として把握することに成功した.第5章では応用として、メルト系での高分子の熱分解反応が高機能および高性能ポリマーの合成に有用な新しいポリマーやオリゴマーを与える合成プロセスになり得ることを示した.第6章では将来への展望として研究課題を述べ、本研究をまとめた.

 研究結果は次のように要約される.

1.メルト系でのモデル高分子反応:ポリイソブチレンの熱分解

 高分子の熱分解はメルト系高分子反応の典型であるが、主鎖切断型高分子の場合、マトリックスポリマーの体積と分子量の変化が特徴の一つとなる.これらの物理的因子が分解反応を著しく影響すると期待されるものの、いまだよく理解されていない.原因の一つは、連鎖反応の各素反応で生成する主生成物を明確に追跡できないことにある.

 第2章では、本研究の目的を達成するために考案した反応装置と実験方法が詳しく述べられている.反応は各種分析試料を得るために、比較的大量試料で行っている.この場合、とくに、反応場での均一な熱移動の確保と揮発性生成物の二次反応の回避のために、溶融ポリマー相内は減圧下で導入した窒素ガスで激しく攪拌され、揮発成分が速やかに気相に移動できるように改良された.これによって揮発成分は溶融ポリマーと明確に分離される.

 数平均分子量250,000のオリジナル試料の300および320℃での反応によって得られる揮発成分中の大部分のオリゴマー(2〜12量体)、および残存ポリマーから調製された非揮発性オリゴマーの化学構造を精細に決定し、従来2量体のデータを基に推測されていた生成機構を修正した.即ち、イソブチレンモノマーを除く揮発成分中の3量体から7量体までの4種の末端モノオレフィン間の組成比、および数平均分子量2,000〜35,000程度の非揮発性オリゴマー中の末端基や二重結合の濃度変化が測定された.ポリイソブチレンの熱分解が主に一級および三級末端マクロラジカル(Rp・およびRt・)によって支配されていることは良く知られている.上述の揮発性オリゴマーと非揮発性オリゴマーはRp・およびRt・の分子内水素引き抜き(back-biting)と分子間水素引き抜きと続く切断によってそれぞれ生成するが、引き抜く水素のタイプはH-Cの結合解離エネルギー差に依存していることが明瞭に示された.さらに非揮発性オリゴマーの場合、これらのラジカルに加えて、現在まで無視されていた反応条件下でそのまま蒸発可能な、揮発性小分子ラジカル(S・)の分子間水素引き抜き反応を加えなければならないことを主張した.

 第3章ではポリイソブチレンの熱分解に対するマトリックスポリマーの分子量の影響を揮発性オリゴマーと非揮発性オリゴマーの生成反応の速度解析に基づいて明らかにした.反応場の物理的因子(圧力、体積と分子量)が反応に与える影響を実験的に検討した結果、反応は圧力と体積に依存せず、分子量に依存することが明瞭に示された.揮発性オリゴマーにおいて、同一種ラジカル(Rp・またはRt・)の異種水素(CH2およびCH3)の引き抜き速度比に相当する成分間の組成比は反応中一定値を保った.この事実は速度解析における仮定の正当性を示すものである.即ち、back-bitingは単分子的反応であり、そしてその速度はマトリックスポリマーや反応分子自身の鎖長に独立して、ラジカル末端の局所運動(コンホメーション変化)にのみ依存している.この結果はback-bitingが溶融状態にあるポリマー分子の局所運動を解析し得るプローブとして有用であることを示唆している.一方、異種ラジカル(Rp・およびRt・)による同一種水素(CH2またはCH3)の引き抜き速度比に相当する成分間の組成比はマトリックスポリマーの分子量の減少とともに明瞭に減少した.同様な結果は非揮発性オリゴマー生成における水素引き抜き速度比においても確認された.これらの結果は反応進行に伴うマトリックスの分子量の減少がラジカル濃度比([Rp・]/[Rt・])の減少をもたらすことを意味する.反応に対する分子量の役割を解析するために、先ずこれらの生成物中の注目成分間の組成比とマトリックスの分子量(M)との関係からそれらの分子量依存性(Mn)が見積もられた(第3.4節).揮発性オリゴマーに対して決定された指数値nは非揮発性オリゴマーにおける値とほぼ一致した.このようにして、主生成物が溶融ポリマーマトリックス内でのRp・、Rt・およびS・の異なる素反応を経由して生成する全分解反応モデルが構築された.それらの各素反応に対する分子量依存性を速度論的に考察した結果、[Rp・]/[Rt・]値の減少は自己拡散律速停止を考慮した連鎖反応によって説明できることを主張した.即ち、反応の進行に伴うラジカル濃度比の顕著な減少はポリマーの分子量の減少による停止反応速度の増加によってもたらされる速度論的連鎖長の減少が、逆生長過程におけるRp・の再生反応を抑制することに起因する.

 第4章では、先ず第3章で提唱した分解反応の機構を自己拡散律速停止を含む連鎖反応モデルに基づいた全分解反応のシミュレーションによって検証した(第4.2節).末端開始と停止反応の分子量依存性をそれぞれM-1とM-2とした.a値に溶融ポリマーマトリックス中のラジカル分子の自己拡散モードの分子量依存性の指数値ほぼ2を与えることによって、各成分の組成比などの全ての実測値がシミュレーションによって良く再現できた.このシミュレーションから、反応進行に伴う各ラジカル濃度減少の分子量依存性が次の順:S・>Rp・≫Rt・であると見積もられた.これは反応進行とともに減少する分子量による停止速度の増加から生じている.とくにRp・は停止速度の増加による速度論的連鎖長の著しい低下に起因した逆生長過程でのRp・の再生速度の減少によることが明らかになった.また、Rt・は百生長過程で再生しないために、弱い分子量依存性を示す.第4.3節において、第4.2節で得た各素反応の速度定数の相対値から各ラジカルの反応性が評価され、とくにRt・の解重合(切断)の速度定数がRp・より50〜100倍大きいことが示された.このことは揮発成分中の揮発性オリゴマーに対するガス状成分(主としてモノマー)の組成が反応時間の増加とともに増加する結果に反映し、切断がポリマー鎖のC-C・結合の回転に依存することを示唆する.また、この切断が炭素ラジカルのp-軌道が注目の位C-C結合と適正に一致したときに起こりやすいとする仮説を分子軌道計算結果に基づいて提唱した.さらに、各ラジカルの定常濃度比に対する末端開始反応の寄与について、水素化によって調製した末端二重結合を全く持たないポリイソブチレン試料の熱分解と比較検討した結果、ラジカル濃度比は末端開始の弱い分子量依存性(M-1)よりむしろ、停止反応の強い分子量依存性(M-2)によって規制さていることが追証された.

2.高分子合成への応用

 高分子の熱分解反応における種々のラジカルの分子間水素引き抜きと引き続く主鎖の切断は反応分子末端に二重結合を生成する.これが新しい高分子の合成において重要な意味を持つ:即ち、その反応性二重結合を分子鎖の片末端(マクロモノマー)や両末端(テレケリックス)に付与できるならば、高分子の熱分解は新しい高分子の合成プロセスとして注目される.第5章ではポリプロピレンとポリイソブチレンの熱分解によってテレケリックスが高収率で合成でき、それらが新規なポリマーの合成に役立つことを示した.イソタクチックおよびシンジオタクチックポリプロピレンを370℃で反応すると、分子量3,000〜5,000程度の,-ジイソプロペニルオリゴマーがオリゴマー中に80mol%程度生成する.これらのオリゴマーは分子量分布が狭く、それぞれオリジナル試料の立体規則性(ミクロタクティシティ)をほとんどそのまま保持しているが、オリジナル試料より幾分低融点である(第5.1と5.3節).第5.4節ではこれらのテレケリックオリゴマーのイソプロペニル基とポリジメチルシロキサンの,-ジヒドロシリル基との反応によってマルチブロック共重合体がほぼ定量的に合成できることを示した.これらのブロックコポリマーがポリプロピレンブロック鎖とポリシロキサンブロック鎖がほぼ等モルで構成されていることを確認した.また、イソタクチックポリプロピレンの場合、そのブロック鎖の結晶融解エンタルピーはコポリマー中の重量組成に依存して減少しているが、シンジオタクチックの場合、より減少した.このことは前者が後者よりも強い相分離を起こしていることを示唆している.このような新規ブロックコポリマーはポリマーブレンドの相容化剤、熱可塑性エラストマー、表面改質剤、および抗血栓材料などへの応用が期待される.第5節ではポリイソブチレンからもまたテレケリックオリゴマーが合成できることを示したが、さらに、このテレケリックスの組成が反応条件によって変化することから、ポリプロピレンの場合と同様な生成機構に基づいたテレケリックオリゴマーの定量的合成ための反応モデルを提唱した.第5.2節はイソタクチックポリプロピレンの熱分解において、疑似6員環遷移状態を経由するラジカルの逐次back-biting時に起こる立体異性化の機構を反応ラジカル鎖の運動性との関連で考察した.その結果鎖中央付近のラジカルのback-bitingは鎖末端近傍のラジカルのback-bitingより狭い範囲で起こることが推定された.また、このことはテレケリックオリゴマー(第5.1と5.3節)が末端の近傍でのみ立体異性化し、オリジナルポリマーの立体配置をそのまま保持していることを支持する.

審査要旨

 高分子の熱分解反応は、高分子が溶融(メルト)状態で行う典型的な反応のひとつであり、その機構の解明は、学問的にも実用上も重要な課題である。また、メルト中での高分子の行う各種素反応速度に対する分子量依存性の解明は、メルト系高分子反応を利用した高性能・高機能高分子材料の合成プロセス設計などの基礎として、高分子合成への応用も期待される。

 本論文は、典型的なメルト系高分子反応である高分子の熱分解において、反応場の分子量がラジカル連鎖反応の各種素反応に与える影響を、生成物の精密な構造解析と速度解析から明らかにしたものである。また、高分子の熱分解によって、有機合成や重合反応では容易に得ることのできない高付加価値物質を高収率で選択的に合成でき、それらが新規な高分子の合成に利用できることを示している。

 第1章では、本研究の背景、および目的であるポリマーの熱分解反応の機構解明とその応用の意義を述べている。

 第2章から4章で典型的な反応としてポリイソブチレンの熱分解をとりあげ、その機構を詳細に検討している。

 第2章では、考案した反応装置と実験方法を詳しく述べ、反応の分離生成物を質量分析計およびNMRで精密に構造解析している。溶融ポリマー相内を減圧下で導入した窒素ガスで激しく攪拌したことによって、生成した揮発成分(1〜12量体)を反応場から速やかに分離・収集し、生成物の複雑化を回避している。揮発性オリゴマーの系統的な構造解析から、従来2量体のデータを基に推測されていた生成機構を修正し、また、反応器中の残存ポリマーから得た非揮発性オリゴマーの化学構造を詳細に決定している。一級および三級末端マクロラジカル(Rp・およびRt・)の分子内水素引き抜き(back-biting)と分子間水素引き抜きの引き抜く水素のタイプはH-Cの結合解離エネルギー差に依存していることを明らかにし、従来の機構を修正している。さらに、現在まで無視されていた、反応条件下でそのまま蒸発可能な揮発性小分子ラジカル(S・)の分子間水素引き抜き反応を加えなければならないことを主張している。

 第3章はマトリックスポリマーの分子量の影響を各オリゴマーの生成反応の速度解析から検討し、反応が系内の圧力と反応場の体積に依存せず、分子量に依存することを実験的に明らかにしている。back-bitingが単分子的反応であり、その速度がマトリックスポリマーや反応分子自身の鎖長に独立して、ラジカル末端の局所運動(コンホメーション変化)にのみ依存していると考察している。また、反応進行に伴うマトリックスの分子量の減少がラジカル濃度比([Rp・]/[Rt・])の減少をもたらすことを導きだし、生成物中の注目成分間の組成比のマトリックスの分子量依存性(Mn)を見積もっている。各オリゴマーに対する指数値nの良い一致を得、溶融ポリマーマトリックス内でのRp・、Rt・およびS・の様々な素反応を経由して主生成物が生成する全分解反応モデルを構築している。さらに、これらの各素反応速度定数の分子量依存性を速度論的に考察し、[Rp・]/[Rt・]値の減少が自己拡散律速停止を考慮した連鎖反応によって説明できることを明らかにしている。

 第4章では、分解反応の機構を反応のシミュレーションによって検証している。末端開始と停止反応の分子量依存性をそれぞれM-1とM-aとし、a値に溶融ポリマーマトリックス中のラジカル分子の自己拡散モードの分子量依存性の指数値ほぼ2を与えることによって、全ての実測値が良くシミュレートされるとし、反応進行に伴う各ラジカル濃度減少の分子量依存性が次の順:S・>Rp・≫Rt・であると見積もっている。またRt・の解重合(切断)の速度定数がRp・より50〜100倍大きいことが反応時間の増加に対する揮発成分中のモノマーの組成を増加させ、そして、切断がポリマー鎖のC-C・結合の回転に依存して、炭素ラジカルのp-軌道が注目の位C-C結合と適正に一致したときに起こりやすいとする仮説を分子軌道計算結果に基づいて提唱している。さらに、反応時の各ラジカルの定常濃度比の変化は、末端開始の弱い分子量依存性(M-1)よりむしろ、停止反応の強い分子量依存性(M-2)によって規制されていることを示している。

 第5章では応用として、メルト系での高分子の熱分解反応が高機能および高性能ポリマーの合成に有用な新しいポリマーやオリゴマーを与える合成プロセスになり得ることを実証している。例えば、イソタクチックおよびシンジオタクチックポリプロピレンから,-ジイソプロペニルオリゴマーが高収率・高選択率で生成し、これらのオリゴマーは分子量分布が狭く、それぞれオリジナル試料の立体規則性をほとんどそのまま保持しているが、オリジナル試料より幾分低融点であるなどの特徴を明らかにしている。また、それらの末端基のミクロ構造を立体化学的に解析して、6員環遷移状態を経由するラジカルの逐次back-bitingは鎖中央付近のラジカルの方が鎖末端近傍のラジカルより狭い範囲で起こることを主張している。さらに、これらのテレケリックオリゴマーのイソプロペニル基とポリジメチルシロキサンの,-ジヒドロシリル基との反応によってマルチブロック共重合体がほぼ定量的に合成できることを明らかにしている。このイソタクチックポリプロピレンのコポリマーは、シンジオタクチックよりも強い相分離を起こしていることが示唆され、種々のマルチブロックコポリマーの新しい用途への発展が期待されている。

 第6章では将来への展望として今後の研究課題を述べ、本研究をまとめている。

 本論文で明らかにされた、高分子の熱分解における各素反応に対するマトリックスポリマーと反応分子の分子量の種々の効果は、メルト系高分子反応の機構の解明に貢献しているのみならず、高性能・高機能高分子材料の合成など実用的な溶融状態での高分子反応の制御にも寄与するものである。さらに、高分子の熱分解による有用な新規化合物の高収率・高選択率合成と新規な高分子への応用は、近年来問題になっている高分子のケミカルリサイクル技術に対しても重要であり、高分子化学、高分子工業の発展に寄与するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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