学位論文要旨



No 212923
著者(漢字) 梶川,明義
著者(英字)
著者(カナ) カジカワ,アキヨシ
標題(和) 血管柄付き下顎骨異所性移植モデルを用いたラット下顎頭の形態学的研究
標題(洋)
報告番号 212923
報告番号 乙12923
学位授与日 1996.06.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12923号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 中村,耕三
内容要旨 ≪はじめに≫

 下顎頭軟骨は四肢の関節軟骨あるいは骨端軟骨と異なり、顎関節における関節軟骨としての役割と下顎骨の成長軟骨としての役割を合わせ持つ特殊な軟骨である。そのため下顎頭軟骨で先天性あるいは後天性に障害が発生すれば、顔面の形態にとって直接的、間接的影響が発生する。直接的には成長軟骨としての障害から下顎骨の片側の発育異常が起こり、間接的には顎関節の異常に起因する左右差のある咀嚼運動による二次変形が起こって来る。このため下顎頭軟骨は頭蓋顎顔面形成外科領域において極めて重要な部位のひとつと言うことができる。

 この興味深い『特殊な』下顎頭軟骨は、顎関節において咀嚼運動という非常に強力な力学的ストレスの影響下に置かれているが、この上顎骨や咀嚼筋など下顎頭外から加えられる力(=外的因子)が下顎頭の軟骨形成および内軟骨性化骨にどのように影響を及ぼしているかについては多くの議論があった。これを明らかにするため、これまでも外的因子を除去して下顎頭を観察する研究が種々行われて来たが、in vitroの下顎頭軟骨を培養するものはその培養環境の生体との違いが問題であり、一方in vivoで皮下や脳内などに単に埋入移植する実験では阻血期間が問題であり、いずれも下顎頭の組織環境を変えずに力学的ストレスなどの外的因子を除去するのが困難で、明確な結論に至ることができなかった。

 そこで著者はこれらの問題を解決するため、ラットを用いて新たに開発した『血管柄付き下顎骨異所性移植モデル』を用いて実験を行った。本モデルは2匹の同週齢近交系ラット間で同一血管を用いて移植を行うことにより、内的遺伝的因子、血行動態、ホルモン等の変化を最小限に抑え、下顎頭の組織環境を正常時に極めて近い状態に保ったまま、咀嚼運動などの力学的ストレスをはじめとする外的因子を除去して下顎頭の成長を観察することが可能である。本実験により外的因子が下顎頭の軟骨形成および内軟骨性化骨に及ぼす影響を検討した。また、下顎骨と顎関節の再建を骨軟骨の血管柄付き移植により行える可能性を検討した。

≪モデルの作製方法≫

 モデルは6週齢、雄、体重150±5gのLewis近交系ラットをdonor、recipient2匹一組として使用し作製した。Donorラットから右下顎骨を周囲軟部組織を含めて総頚動脈および外頚静脈を血管柄として採取し、これをrecipientラットの同一動静脈に顕微鏡下に血管吻合し、皮下ポケットに埋入移植した。この際、関節離断は関節円板の下顎窩側の関節上腔で行い、下顎頭側の関節下腔を温存し、下顎頭軟骨が露出しないように注意した。

 移植モデルの血行状態は、99mTc-MAAを用いたRadioactive microsphere法による血流測定、ニードル型レーザードップラー血流計を用いた局所血流測定、バリウムを用いたgraftの血管造影を行って調べ、良好であることを確認した。

≪一般組織染色による観察≫

 組織観察は移植1、2、4、7、14日後に6匹ずつ屠殺してgraftおよびcontrol(recipientラットの移植床の反対側下顎骨)を採取し、固定、脱灰後、下顎頭の長軸方向矢状断最大前後径となる面で厚さ約3mの連続切片を作製し、Hematoxylin-Eosin染色、Toluidine Blue染色、Azan-Mallory染色を行って光学顕微鏡で検鏡した。その結果、graftの下顎頭において短期間に極めて激しい変化を観察した。下顎頭軟骨細胞は移植後の時間経過とともにその大きさ、形、配列が不規則になって行き、軟骨層の厚さも厚い部分と薄い部分が現われ、移植14日後には下顎頭の軟骨層はほぼ消失し、その部分には代わって骨形成が認められた。この新しい骨形成は通常の内軟骨性化骨で見られる縦方向に走る骨梁とは異なり、横方向に走りながらproliferative zoneから下層へと広がっており、線維性化骨が起こったのではないかと考えられた。尚、移植7日後まで関節下腔は残されていた。

≪BrdU免疫組織化学染色による観察≫

 一般組織染色による観察で見られた特徴ある変化を経時的に捉えるため、BrdU(5-bromo-2’-deoxyuridine)を投与し、軟骨細胞の分化増殖を追跡した。第1群は移植直後にBrdU3mg/体重100gをrecipientラットの腹腔内に投与し、1、2、4、7、14日日後に6匹ずつ屠殺してgraft、controlを採取。第2群は移植直後、3日後、7日後にrecipientラット6匹ずつに同様に投与し、2日後にgraftおよびcontrolを採取した。固定、脱灰後、下顎頭の長軸方向矢状断最大前後径となる面で厚さ約3mの連続切片を作製。抗体処理、染色後、顕微鏡写真を撮影し、proliferative zoneをA層、transitional〜hypertrophic zoneを1/2の厚さに分け、浅い方をB層、深い方をC層とし、各層の細胞の標識率の推移を測定した。第1群では、移植1、2日後の標本でgraft群、control群共にA層にBrdUの良好な取り込みが観察され、標識された細胞のB、C層への移行では、移植7日後までgraft群がcontrol群よりやや早い傾向が見られた。この結果から移植下顎頭においても軟骨細胞に分化後の細胞の成熟速度に低下は起こらず、むしろ一過性に加速する可能性が示唆された。一方、第2群では、A層の細胞の標識率がcontrol群では投与時期が遅くなるほど低下する傾向が見られたのに対し、graft群では逆に上昇する傾向を示した。この結果はcontrolでは6週齢から7週齢に移行するラットの加齢による細胞増殖能の差が標識率の低下に現われたと推測され、一方、graftでは移植早期にはproliferative zoneの細胞増殖能が一時的に高まる可能性が考えられた。また移植7日後にBrdUを投与したモデルで、B〜C層の軟骨細胞が少なくなり、骨組織で置換されて来ているにもかかわらず、A層にBrdUの良好な取り込みが認められたことは、移植によって軟骨細胞に分化しなくなった後は未分化間葉系細胞が骨芽細胞に分化していることを示唆する所見であると考えた。

≪軟X線撮影による観察≫

 軟骨細胞が消失し線維性化骨の進行する過程で、下顎骨の形態に及ぶ変化を検討するため、標本の軟X線写真を撮影してコンピュータ画像に取り込み、形態計測を行った。計測距離は(1)下顎体部の長さ(下顎角最突出部-オトガイ隆起最下点突出部)(2)下顎体部の高さ(下顎体部下縁接線-筋突起最上点)(3)下顎頭部の長さ(下顎頚部前後切痕接線-下顎頭部先端)(4)下顎頭部の高さ(下顎体部下縁接線-下顎頭部最上点)の4カ所とした。graftの下顎体部の高さはcontrolと有意の差を持たずに増大したが、下顎体部の長さは4日目まで一時的に増加速度が早まった後、7日目以降は逆に抑制されていた。これは咬合や咀嚼等の機能的因子を失ったことにより下顎体部の膜性化骨の速度に何らかの変化が生じたためと考えられた。一方、下顎頭部については形態をラグビーボール状から棍棒状に変化させながらもその長さ、高さとも増大を続け、controlと有意の差を認めなかった。

≪考察≫

 移植により外的力学的因子を除去された下顎頭でも、既に軟骨細胞に分化した細胞の成熟速度は保たれていたことから、軟骨細胞自体の成熟には外的因子の影響はそれほど大きくなく、遺伝的因子によってある程度規定され、自律的に進むのではないかと考えられた。ただし軟骨細胞の大きさや形、配列には『秩序の喪失』が見られ、軟骨細胞の秩序ある成熟の維持には外的因子の影響が無視できないと言うことができる。一方、この様に軟骨細胞の成熟能に低下が見られず、加えてproliferative zoneにおける細胞増殖能が保たれているにもかかわらず、軟骨細胞の消退と線維性化骨による置換、articular zoneの線維の増殖、肥厚が認められたことから、未分化間葉系細胞から軟骨芽細胞への分化の過程で変化が生じ、骨芽細胞あるいは線維芽細胞への分化に置き換わってしまったと考えられた。またこの過程で、軟X線写真を用いた形態計測で下顎頭部の成長が認められたことは、内軟骨性化骨から膜性化骨への転換を示唆するものである。以上のように未分化間葉系細胞から軟骨芽細胞への分化の過程には、外的因子の影響が大きいと考えられた。またこの様な分化の転換が起こったとすれば、下顎頭の軟骨膜も元々は下顎体部の骨膜と同じもので膜性化骨を行う能力を有しており、強い圧を受ける顎関節という外的因子の影響を受けて軟骨膜となり、内軟骨性化骨を行っているのではないかと考えられた。

 顔面の形態に大きな影響を与える下顎頭部の欠損へのマイクロサージャリーを応用した再建法に対する期待は少なくないが、本研究結果から良好な血行を維持した骨膜に一定の力学的ストレスを加えることにより軟骨膜への変換と軟骨形成、さらに内軟骨性化骨が起こる可能性が示唆された。その実現には圧のみならず種々の条件を整える必要があると考えられるが、今後、本実験法を応用した実験を重ね、その方法の開発を目指して行きたいと考ている。

審査要旨

 本研究は頭蓋顎顔面の成長にとって重要な部位である下顎頭の軟骨形成および内軟骨性化骨に対する咀嚼運動などの外的力学的因子の影響を明らかにするため、近交系ラットを用いて新たに開発した『血管柄付き下顎骨異所性移植モデル』を使用して実験を行い、検討を加えて下記の結果を得ている。

 (1)一般組織染色による観察で、移植下顎頭の軟骨細胞は不規則な分化増殖像を示し、移植14日後までにほぼ消失し、線維性化骨によって置換されるのを認めた。

 (2)BrdUを用いた観察で、移植下顎頭で既に軟骨細胞に分化した細胞の成熟速度に低下は見られなかった。

 (3)BrdUを用いた観察で、移植後軟骨細胞の消退と線維性化骨による置換の見られた時期でも、増殖層の細胞増殖能に低下は見られなかった。

 (4)軟X線写真による形態計測で、移植下顎頭は形態を変化させながらも成長を続ける可能性が示唆された。

 以上の実験結果より以下の結論を得た。

 (I)下顎頭において軟骨細胞に分化後の細胞の成熟過程はほぼ自律的に行われるが、未分化間葉系細胞から軟骨芽細胞への分化の過程には咀嚼運動などの外的力学的因子が大きな影響を与えていると考えられた。

 (II)下顎頭部の軟骨膜も元々は下顎体部の骨膜と同じものであり、膜性化骨を行う能力を有しているが、強い圧を受ける顎関節という外的因子の影響を受けて軟骨膜となり、内軟骨性化骨を行っている可能性が強く示唆された。

 (III)下顎頭部の再建において、力学的因子を付加することにより血管柄付き骨・軟骨移植法の開発の可能性が考えられた。

 以上、本論文は下顎頭の軟骨形成および内軟骨性化骨において、軟骨細胞の成熟は遺伝的、自律的に行われるが、未分化細胞から軟骨芽細胞への分化の過程には外的力学的因子が大きな影響力を持つことを明らかにし、顎顔面成長における咀嚼運動などの重要性を示唆した。本研究は、下顎頭の軟骨形成および内軟骨性化骨のしくみの解明ならびに新たな顎関節再建法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53970