学位論文要旨



No 212925
著者(漢字) 小田邊,修一
著者(英字)
著者(カナ) オタベ,シュウイチ
標題(和) 日本人の糖尿病患者におけるミトコンドリアDNA異常の関与について
標題(洋)
報告番号 212925
報告番号 乙12925
学位授与日 1996.06.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12925号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,幸治
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 助教授 中堀,豊
内容要旨

 糖尿病は生体内でのインスリンの分泌低下もしくはその作用不全により、その効果が低下し、糖代謝をはじめとしたさまざまな代謝異常がおこる疾患である。本邦においても食事が西欧化し、運動不足またストレスの多い社会環境のため現在もなおその数の増加はとどまるところを知らない。インスリン依存型糖尿病は免疫学的機序により膵B細胞が破壊されてインスリン分泌の低下がおきると考えられている病態であり、インスリン非依存型糖尿病はインスリン分泌の相対的低下とインスリン作用の低下の両者が加わって主に成人になってから発症する病態であり、日本人の糖尿病の大部分を占めている。糖尿病の発症には双生児法の研究の結果から、特にインスリン非依存型糖尿病における遺伝因子の関与の程度が大きいことが明らかにされている。インスリン分泌の観点から述べると、ATPを好気的な条件のもと酸化的リン酸化により効率よく産生する場であるミトコンドリアが糖尿病発症において重要な働きをしていることが最近明らかになってきており、ミトコンドリアDNAが糖尿病の原因の候補遺伝子として注目される由縁である。実例として、近年、MELASの原因遺伝子として知られていたミトコンドリアDNAの3243位の点変異(A→G)が母系遺伝に難聴が伴った糖尿病家系において報告され、その後同様のサブタイプを持つ糖尿病の家系が報告され、その遺伝子異常は今まで知られている原因遺伝子より頻度が高いことが示唆されが、その正確な数値は明らかにされていなかった。そこで、本論文においては日本人の糖尿病におけるミトコンドリア遺伝子異常の解析を行い、その頻度、膵組織所見、他のミトコンドリアDNAの変異による糖尿病発症の可能性などを明らかにした。

 ミトコンドリアDNAは、同一細胞内に正常と異常のミトコンドリアDNAがさまざまな割合で共存しうるヘテロプラスミーという独特の特徴がある。ミトコンドリアDNAの変異は分裂能の低い組織ほど蓄積しやすく、そのために神経や筋肉におけるヘテロプラスミーの程度は高くなる。よってそれら組織の生検より得られたミトコンドリアDNAほどその点変異の検出感度は高くなるが、日常診療において神経や筋の生検を行うことは困難であり、その程度が低いとされている末梢血を使用することが余儀なくされた。また末梢血のヘテロプラスミーが1%以下の例においても母系遺伝の形式や臨床像から、十分臨床的に意義があると考えられる症例も存在している。そうした理由で、ヘテロプラスミーの程度が低い点変異も検出できるようにアイソトープでラベルされたプライマーを使用したpolymerase chain reaction(PCR)法を用いて検出感度を上昇させる必要があった。偏りがないよう糖尿病外来患者550名を無作為に抽出した。糖尿病の家族内発症が高いと予想されたため、発端者以外に2人以上の家族歴を有し、かつ、診断時年齢が40才未満の糖尿病患者209名を抽出した。また対照として健常人250名を用いた。末梢血からDNAの単離し、3243点変異(A→G)が存在すると制限酵素Apa Iの切断部位(5’-GGGCCC-3’)が新たに生ずるので、この部位を挟むようなプライマーを設定した。われわれの設定では294bpのPCR産物を生じ、Apa I消化後、変異がなければ294bpの1本の、点変異(A→G)が存在すれば192bpと112bpと2本のバンドを生じた。その結果3243点変異の頻度は、無作為に抽出された糖尿病患者合計550名の中で5名である約0.9%に、糖尿病発症が40歳未満で家系内に2名以上の糖尿病患者が存在している209名の糖尿病患者の中で5名の約4.2%に点変異が認められた。この点変異を有する糖尿病患者の臨床的特徴的な所見として感音性難聴を伴っている場合が認められ、経時的にインスリン分泌能が低下し、やがてはインスリン依存性になる例が多く認められた。心肥大の存在を疑わせるものもあり、神経学的所見が乏しいにもかかわらず脳室の拡大、脳萎縮や異常石灰化像が存在する症例も認められた。

 この変異を有する患者における耐糖能障害の発症機序としては未だ明確にされていない。そこでその変異が糖尿病を発症させる機序を明らかにするために、その変異を有する膵組織、特に膵島の器質的変化や膵島細胞のホルモン含有量を測定するといった免疫組織学的検討とまた膵組織のヘテロプラスミーの定量を行うといった分子生物学的な検討を行うことによって、その変異DNAが膵島細胞とくに膵B細胞に対し、どのような変化をもたらし、その変化がインスリン分泌低下をもたらすかといった過程を明らかにすることにあった。しかしながらその症例の組織を得ることは非常に困難であり、そこでこの3243点変異の存在により同様に発症すると考えられているMELASの剖検膵を使用することとし、生前の糖尿病の有無やその治療歴またインスリン分泌能等と比較検討することとした。対象として、臨床的にMELASと診断された症例のうち8症例の剖検膵とコントロールとしてインスリン依存型糖尿病の症例と糖尿病以外で死亡した3症例の剖検膵を使用した。病理組織学的検討として膵組織片をH-E染色と各膵ホルモン抗体と抗白血球共通抗原抗体による免疫染色を行った。剖検膵におけるヘテロプラスミーの程度と糖尿病との関係を明らかにし、糖尿病発症における3243点変異の関与を検討するため、MELASの剖検膵からDNAを抽出しヘテロプラスミーの割合を測定した。病理組織学的検討では、正常群に比して膵島のサイズが小さく、また膵B細胞のみならず、インスリン依存型糖尿病症例で保たれていた膵A細胞の減少も認められた。それらより、膵A細胞は比較的保たれているインスリン依存型糖尿病例とは異なった膵島障害をおこすメカニズムによりインスリン分泌低下をもたらす可能性が示唆された。MELASの剖検膵よりのヘテロプラスミーの割合は25%から72%までであり、その割合と膵島の大きさやその数、またホルモン含量とは必ずしも一致しなかった。

 3243点変異の臨床像が確立されてゆくにつれ、病像がきわめて似ているにもかかわらず点変異が検出されない症例や母系遺伝の強い糖尿病家系で3243点変異が検出されない症例、また3243点変異を有しながらそのうえ特異的な臓器症状や臨床像を呈する症例などが散見されるようになり、こうして症例には何らかのミトコンドリア異常(点変異や欠失)が、病因であったり病像を修飾したりしている可能性が考えられた。一方3243位の周辺部は変異の特にtRNALeu(UUR)の周辺部はミトコンドリアDNA異常のHot spotであることが知られているが、そのミトコンドリアDNA異常が必ずしも制限酵素の切断部位に変化をきたすとは限らない。そこでわれわれは上述のような、他のミトコンドリアDNA変異を疑わせる症例を中心にPCR-SSCP(single strand conformation polymorphisms)法を用いて3243位周辺に新たな異常の検出を試みた。対象として家族歴濃厚な糖尿病家系や難聴や心筋症など糖尿病以外の合併症を有しミトコンドリアDNA異常が疑われた98名を抽出し、対照として健常人70名を用いた。今回、その98名の糖尿病家系において、tRNALeu領域もしくは16S rRNA領域にホモプラスミーと思われる塩基置換を有する8家系を新たに見いだした。この塩基置換がはたして病的な意味をもつ点変異であるかは、今後の家系内調査においてこの塩基置換を有するものと有さないものとの間に、糖尿病発症もしくはインスリン分泌能の差が存在するかどうかという結果を待つことになる。しかしながら、この8家系内に3206位の塩基置換が5家系に、3221位の塩基置換が2家系といった同一の塩基置換が存在するうえに、この8家系中、7家系に3243位の点変異のへテロプラスミーの合併を伴っており、これらの塩基置換が3243点変異の発症機序になんらかの影響を与えていることも考えられる。検出方法が簡便なゆえに現在まで3243点変異を伴った症例のみが数多く報告されているが、将来的に他のミトコンドリアDNA異常のみならずミトコンドリアの機能障害をきたす核遺伝子異常が簡単に検出することが可能になれば、それらは糖尿病の原因遺伝子の中でかなり重要な位置を占めるかも知れない。またそれらを発見することにより、新たな糖尿病の治療に貢献できる可能性がある。

審査要旨

 本研究は、ミトコンドリアDNA異常特にミトコンドリアDNAの3243位のアデニンからグアニンへの点変異が糖尿病患者においてどの位の頻度で見られ、どのような臨床像を呈するかまたその発症機序を解析したものであり下記の結果を得ている。

 1、無作為に抽出された糖尿病患者では0.9%に、糖尿病発症が40歳未満で家系内に2名以上の糖尿病患者が存在している糖尿病患者では4.2%に末梢血でMELASの原因遺伝子であるミトコンドリアDNAの3243点変異が認められた。

 2、この3243点変異の臨床像の特徴として、1)やせ型で肥満歴のない症例が多く認められた。2)インスリン分泌能はすべての症例で初期分泌やその反応性は低下していた。3)経時的にはインスリン非依存型糖尿病として発症して、やがてはインスリン依存型糖尿病になる例が多く認められた。4)感音性難聴や心肥大や年齢不相応な脳室の拡大、脳萎縮や異常石灰化像を伴っている症例も認められた。

 3、ミトコンドリアDNAの3243点変異を有する症例の剖検膵における免疫組織学的検討では、インスリン依存型糖尿病症例のような膵B細胞を特異的に破壊する免疫学的機序とは異なった膵島障害をおこすメカニズムにより、耐糖能障害が発症する可能性も考慮に入れる必要があることが示された。

 4、今回、ミトコンドリアDNAのtRNALeu領域もしくは16S rRNA領域にホモプラスミーと思われる塩基置換を有する8家系を新たに見いだした。この8家系内に3206位の塩基置換が5家系に、3221位の塩基置換が2家系といった同一の塩基置換が多く認められる上に、3243位のへテロプラスミーの合併を伴う例が多く認められ、これらホモプラスミーの塩基置換が3243点変異の発症機序になんらかの影響を与えていることも考えられた。以上、本論文は多数の糖尿病症例を用いてミトコンドリアDNA異常症、特に3243変異の頻度を求めたことと、その発症機序を解明したこと、また3243変異以外のミトコンドリアDNAの変異が糖尿病をもたらす可能性を示した価値は高くこの分野に重要な貢献をなすと思われる。よって、本論文は学位授与に値するものと考えられる。

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