学位論文要旨



No 212926
著者(漢字) 宮下,俊之
著者(英字)
著者(カナ) ミヤシタ,トシユキ
標題(和) 化学療法剤とp53によるアポトーシスにおけるBcl-2、Baxの関与
標題(洋)
報告番号 212926
報告番号 乙12926
学位授与日 1996.06.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12926号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 助教授 横森,欣司
 東京大学 助教授 金井,芳之
内容要旨 a.研究目的、研究の背景

 アポトーシス(apoptosis)はプログラムされた細胞死(programmed cell death)とも呼ばれ、組織のホメオスタシス、免疫及び神経系の発達、胎児の発育等に重要な役割を果たしていると考えられている。アポトーシスは本来形態的特徴からつけられた名称で、細胞及び核は縮小、さらには断片化するが、細胞小器官は比較的あとまで形態が保たれる。その際DNAはエンドヌクレアーゼによりヌクレオソームの間で切断され(DNAフラグメンテーション)、電気泳動で約200bpの倍数よりなるラダーが認められる。アポトーシスをおこした細胞はネクローシスでみられるように、その内容を放出し炎症をおこすことなく、速やかにまわりの細胞により貪食される。

 アポトーシスに影響を与える遺伝子は最近数多く知られるようになったが、アポトーシスを抑制する遺伝子として最初に報告されたのはbcl-2である。bcl-2は濾胞性リンパ腫の大部分でみられる14,18染色体転座[t(14;18)]のクローニングにより発見された。しかし当時bcl-2に相同性のみられる遺伝子が知られていなかったため、その意義は不明であったが、1988年VauxらはIL-3依存性の細胞にbcl-2を遺伝子導入するとIL-3除去後の細胞の生存が著明に延長すると報告した。IL-3等のサイトカインはアポトーシスを抑えることにより細胞を維持していることがわかっていたので、bcl-2にはアポトーシスを抑制する機能があることが示されたことになる。従ってbcl-2は細胞増殖に影響を与えず、細胞死を抑制することによって細胞の蓄積をおこす新しいタイプの癌遺伝子であるということができる。

 私は最初に、Bcl-2が腫瘍細胞の薬剤抵抗性の指標になり得るかをみるために、腫瘍細胞に形態的にもDNAのフラグメンテーションからもアポトーシスと考えられる細胞死をおこすことがわかっている様々な化学療法剤による細胞死もBcl-2は阻止するか否かを検討した。

 発見当時ユニークであったbcl-2であるが、最近このホモログが次々とクローニングされ、bcl-2遺伝子ファミリーあるいはBcl-2蛋白ファミリーと言われるに至っている。この蛋白ファミリーの特徴は様々な組み合わせでホモ、あるいはへテロダイマーをつくりアポトーシスを抑制しているということである。このなかでBcl-2と、あるいは自身とへテロ、あるいはホモダイマーをつくることがわかっているBaxは、IL-3依存性の細胞にその遺伝子を導入すると、Bcl-2とは逆に、IL-3除去後のアポトーシスを促進することが知られている。

 一方Bcl-2蛋白ファミリー以外にもアポトーシスを制御する蛋白は知られており、そのなかに転写因子の一つである癌抑制遺伝子p53がある。p53の欠失及び異常は多くのヒトの癌において検出され、発癌において重要な抑制的役割を果たしていると考えられている。その機序と関連してp53の2つの機能が知られている。ひとつは細胞周期の停止であり、もうひとつはアポトーシスの誘導である。私は次にp53によるアポトーシスの誘導の機序を明かにするため、Bcl-2により阻止されるアポトーシスと、p53により誘導されるアポトーシスが同じ経路にあるか否かを検討した。更に転写因子であるp53により、bcl-2とbaxがどのように制御を受けているかを検討した。その結果わかったp53によるbaxの転写活性化の分子機構の解明を試みた。

b.研究方法及び結果

 Bcl-2組み換えレトロウイルスを様々な薬剤に感受性を示すヒトリンパ性白血病細胞株697に感染させBcl-2を強制発現させることにより、Bcl-2は様々な化学療法剤によるアポトーシスを抑制することがわかった。薬剤存在下でのトリチウムチミジンの取り込み、及び薬剤除去後のコロニー形成能をみたところ、Bcl-2は多剤耐性遺伝子のように薬剤存在下での増殖能まで付与するものではないが、いくつかの薬剤の除去後、再び増殖を始めることも示された。

 p53欠損マウス骨髄性白血病細胞株M1に温度感受性p53を遺伝子導入すると、温度依存性に、すなわち培養条件を37℃から32.5℃に下げてp53の構造を変異型から野生型に変えるとアポトーシスをおこす。そこに更にBcl-2を強制発現させたところ、アポトーシスは著明に阻止されることがわかった。

 次にアポトーシスを制御する重要な遺伝子と思われるbcl-2とbaxがp53により転写制御されている可能性を検討した。RT-PCR及びノーザンプロッティングの結果、bcl-2の転写はp53により抑制され、baxの転写は活性化されることがわかった。そこでヒトbax遺伝子のプロモーター領域をクローニングして解析した結果、p53が特異的に結合することが知られているレスポンスエレメントが存在することが明かになった。クロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ(CAT)アッセイで実際baxプロモーターがp53により活性化されることがわかり、更にゲル移動度シフト法により、実際p53がこの領域に結合することが証明された。

c.考察

 Bcl-2は様々な化学療法剤によるアポトーシスを抑制することから、Bcl-2の発現量は白血病やリンパ腫の予後や化学療法剤反応性の指標になり得ると考えられる。実際最近、Bcl-2のアンチセンスオリゴヌクレオチドはB細胞リンパ腫細胞をSCIDマウスに投与した場合、リンパ腫の発症を抑えたという報告があり、更に腫瘍細胞のBcl-2の発現量と薬剤感受性が逆相関するという報告や、再発の症例で初発の症例よりBcl-2の発現が高かったという報告がある。この実験で用いた化学療法剤は様々な薬効機序をもつ点から、Bcl-2は多くのアポトーシスの経路に作用していると考えられる。従ってBcl-2の作用機序の解明は現在まだ未解決のアポトーシスの分子機構の解明につながり、更に逆にアポトーシスの機構が解明されればBcl-2の作用機序の解明も近いと思われる。

 p53によるアポトーシスがBcl-2により阻止されることから、p53とBcl-2は共通のアポトーシスの経路に関与しており、さらにBcl-2はp53の下流に関わっていると考えられる。アポトーシスを抑制するbcl-2の転写はp53により抑制され、アポトーシスを誘導するbaxの転写は活性化されていることから、少なくともM1細胞においては野生型のp53によりBcl-2優位からBax優位の状態になることにより、細胞がアポトーシスに陥りやすい状態になると思われる。更にp53のプロモーター領域にはp53が特異的に結合することが知られているレスポンスエレメントが存在することがわかり、実際p53がこの領域に直接結合して転写を活性化していることを証明した。

d.まとめ

 Bcl-2は種々の白血病細胞において様々な化学療法剤によるアポトーシスを阻害することを明らかにした。このことからBcl-2は腫瘍細胞の薬剤耐性を決める重要な因子の一つであると考えられる。

 p53によっておこるアポトーシスのメカニズムは複雑でまだ解明されていないが、p53によるBcl-2の発現抑制とBaxの発現誘導が関与している可能性を示し、更にbaxはp53が直接そのプロモーターに結合する標的分子であることを示した。

審査要旨

 本研究は発癌及び化学療法において重要な役割を演じていると考えられるアポトーシスに関する論文であり、大きく二つに分けられる。

 前半は化学療法剤により腫瘍細胞におきるアポトーシスを、Bcl-2蛋白が阻止するか否かを、bcl-2遺伝子を白血病細胞株(697)へ導入して解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.Bcl-2はヒト白血病細胞株697において、様々な化学療法剤によるアポトーシスを阻止した。

 2.しかしBcl-2を遺伝子導入された697も薬剤の存在下では増殖できなかった。

 3.ある種の化学療法剤を培地から除去すると、Bcl-2を遺伝子導入された697は再び増殖を始めた。

 以上の結果はBcl-2が白血病、リンパ腫の抗癌剤反応性を決定する重要な因子の一つであり、更に再発にも関与している可能性を示し、今後の新しい化学療法剤の開発に貢献すると考えられる。

 後半は癌抑制遺伝子p53によるアポトーシスの分子的機序の解明を試みた研究であり、下記の結果を得ている。

 1.野生型のp53はbcl-2の発現を減少させ、bcl-2のホモログでbcl-2とは逆にアポトーシスを誘導することが知られているbaxの発現を増加させた。

 2.ヒトbax遺伝子のプロモーター領域には、p53結合部位に相同性のある4このモチーフが存在した。

 3.CATアッセイにおいて、p53は野生型特異的にbax遺伝子のプロモーターを活性化した。

 4.バキュロウイルスにより産生された野生型p53は、in vitroでヒトbax遺伝子のプロモーターに結合した。

 以上の結果は、baxがp53が直接結合する標的遺伝子であることを証明するものであり、現在不明であるp53のアポトーシス誘導機序の解明に寄与する重要な発見であると考えられる。

 このように本論文はアポトーシスという生物にとって基本的かつ重要な現象に関して、臨床的にも基礎的にも重要な発見が記載されており、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51009