学位論文要旨



No 212930
著者(漢字) 溝川,貴司
著者(英字) Mizokawa,Takashi
著者(カナ) ミゾカワ,タカシ
標題(和) 強いd電子間クーロン相互作用と軌道混成の競合する3d遷移金属化合物の電子状態
標題(洋) Electronic structure of 3d transition-metal compounds with competing d-d Coulomb interaction and d-ligand hydridization
報告番号 212930
報告番号 乙12930
学位授与日 1996.06.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12930号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 吉沢,英樹
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 高木,英典
内容要旨

 本論文では、遷移金属の3d電子間に働くクーロン相互作用と、遷移金属3d軌道とそれに配位してる陰イオンのp軌道間の混成がともに強く、その両者の競合が多様な物性の源となっていると予想される、ペロブスカイト型3d遷移金属酸化物とII-VI半導体中の3d遷移金属不純物の電子状態を研究対象とした。光電子分光法、X線吸収分光法を用いた実験と、その実験結果を単一の遷移金属イオンのみ含むクラスターモデルおよびアンダーソン不純物モデルを用いて解析することにより、これらの物質の電子状態を明らかにする。遷移金属の3d電子間に働くクーロン相互作用Uと、陰イオンのp軌道から遷移金属3d軌道への電荷移動に要するエネルギーが重要なパラメーターとなっており、で決定される電荷移動型の絶縁体、>Uではバンドギャップの大きさがUで決定されるMott-Hubbard型の絶縁体となる。さらに、遷移金属化合物の磁気的電気的な物性と電子状態との関連を調べるために、遷移金属化合物の結晶の並進対称性を正確に扱ったアンダーソン格子モデルによる計算を行った。

 第3章では、Niの形式価数が3価(d7)であるペロブスカイト型3d遷移金属酸化物PrNiO3の電子状態を光電子分光法、X線吸収分光法を用いて調べた。PrNiO3は、温度の増加とともに、反強磁性絶縁体から常磁性金属へと転移する。また、Prをイオン半径のより小さなイオンに置換してGdFeO3型の歪みを大きくすると、金属から絶縁体への転移温度が高くなる、つまり、バンドギャップが大きくなることが報告されている。また、2重縮重のeg軌道のうちの一方が3d電子によって占められるという軌道の自由度を持つため、その複雑な磁気構造から軌道の整列の可能性が指摘されている。まず、価電子帯およびNi2p内殻の光電子スペクトルに見られるサテライト構造をNiO6クラスターモデルにおける配置間相互作用(CI)計算により解析した。CI法ではdn電子配置から出発して、dn+1,dn+22(は酸素2p軌道のホールを表わす)といった電子配置との混成を正確に扱う。この解析より、PrNiO3の電荷移動エネルギー、3d電子間のクーロン相互作用U、遷移金属3d軌道と酸素2p軌道との移動積分(pd)がそれぞれ、1.0、7.0、-1.5eV程度と見積もられた。電荷移動エネルギーが小さいために、基底状態ではd7とd8の電子配置が強く混成している、つまり、遷移金属3d軌道と酸素2p軌道が強く混成しており、また、バンドギャップの性質は典型的な電荷移動型ではなく、バンドギャップ直上の伝導帯、直下の価電子帯ともに遷移金属3d軌道と酸素2p軌道が強く混成した状態からなることが明らかになった。クラスターモデルの描像から出発してこのようなバンドギャップを考えた場合、NiO6クラスター間の相互作用の強さがバンドギャップの大きさに影響を与えることが期待される。遷移金属3d軌道と酸素2p軌道を含む格子モデルにおいてHartree-Fock(HF)近似計算を行うと、GdFeO3型の歪みが大きくなりNi-O-Niの結合角が180度から小さくなっていくにつれて、バンドギャップが大きくなることが明らかになった。これは、NiO6クラスター間の相互作用の強さがGdFeO3型の歪みによりとともに小さくなり、その結果、バンドギャップが大きくなることを示している。

 第4章では、Cuの形式価数が3価(d8)であるペロブスカイト型3d遷移金属酸化物LaCuO3の電子状態を光電子分光法、X線吸収分光法を用いて調べた。LaCuO3は、180度のCu-O-Cuの結合角を持ち、常磁性金属である。価電子帯およびCu2p内殻の光電子スペクトルに観測されるサテライト構造をCuO6クラスターモデルで解析することにより、電荷移動エネルギー、3d電子間のクーロン相互作用U、遷移金属3d軌道と酸素2p軌道間の移動積分(pd)がそれぞれ、-1.0、7.0、-1.7eV程度と見積もられた。電荷移動エネルギーが負の値をとるために、基底状態はd9の電子配置が支配的である。Cu-O-Cuの結合角が180度のLaCuO3では、CuO6クラスター間の相互作用が強いために金属となっているとみることができる。このクラスター間の強い相互作用はCu2pX線吸収スペクトルがCuO6クラスターモデルでは説明できないことからも示唆された。LaCuO3の価電子帯の光電子スペクトルをHF近似に基づくバンド計算を出発点として調べると、サテライト構造がバンド計算では再現できないこと、Fermi準位近傍の光電子スペクトル強度がバンド計算で予測されるものよりも弱くなっていること、の2点が明らかになった。HF近似によるバンド計算の結果に3d電子間クーロン相互作用についての2次の摂動を加えると、サテライト構造はある程度再現できたが、Fermi準位近傍の光電子スペクトル強度の減少は説明できなかった。

 第5章では、ペロブスカイト型の格子モデルにおいて、スピンおよび軌道の分極を許した非制限HF近似計算により、TiからCuまでのペロブスカイト型3d遷移金属酸化物の電子状態を調べた。縮重している軌道が部分的に占められている場合、一般には異なる軌道が交互に占められてスピンが強磁性的に揃った状態が、原子内の交換相互作用によって好まれる傾向がある。RTiO3(d1)とRVO3(d2)(Rは稀土類元素あるいはY)では、t2g軌道のうちの異なる軌道が交互に占有されて整列することにより、それぞれ、F型とC型にスピンが整列した解が安定となる。これらの状態は、さらに、Jahn-Teller(JT)歪みによって安定化される。d4高スピン(t2g↑3eg↑)LaMnO3では、eg軌道のうちの一方が占められてF型の配置をとる解が最低であるが、JT歪みによってA型にスピンが整列した解が安定化される。d6低スピン(t2g↑3t2g↓3)のLaCoO3では、準安定な状態として中間スピン(t2g↑3t2g↓2eg↑)をとるものがあり、d4高スピンと同様の理由でF型を好む。これらのHF計算の結果は基底状態での、スピンと軌道の整列はよく説明できる。しかし、特にMott-Hubbard型のギャップを持つ絶縁体では、バンドギャップの大きさが、実験結果に比べて1-2eV程度大きく見積もられてしまい、HF近似の限界を示している。

 第6章では、LaCuO3の価電子帯の光電子スペクトルを議論する際に用いた方法、つまり、HF解のまわりでの3d電子間クーロン相互作用についての2次の摂動計算を、他の様々な基底状態を持つ3d遷移金属酸化物に適用した。自己エネルギーの計算には、その運動量依存性を無視するlocal近似を用いた。電荷移動型のギャップを持つ反強磁性絶縁体のNiOでは、LaCuO3と同様にサテライト構造を得ることができるが、光電子スペクトルを完全に再現するには至らなかった。Mott-Hubbard型のギャップを持つ強磁性絶縁体YTiO3、非磁性の絶縁体LaCoO3では、バンドギャップの大きさが実験結果とよく一致し、Mott-Hubbard型絶縁体ではHF近似を超えた電子相関の効果がバンドギャンプの大きさを決めるのに重要であることが明らかになった。常磁性金属のSrVO3については、光電子スペクトルでみられているサテライト構造を説明することができた。

 第7章ではII-VI半導体中の3d遷移金属不純物の電子状態を、クラスターモデルおよびアンダーソン不純物モデルにおけるCI計算によって調べた。d-d遷移による光吸収スペクトルに見られる多重項の構造やCd1-xMnxTeの光電子、逆光電子スペクトルをパラメーター,U,(pd)を用いて、統一的に説明することができた。得られたパラメーターを用いて、遷移金属3d軌道とそれに配位しているイオンのp軌道間の混成に由来するd-p交換相互作用の大きさを計算し、実験結果を説明することに成功した。また、II-VI半導体の陽イオンのサイトを遷移金属で完全に置換した極限とみなすことのできる遷移金属カルコゲナイドの電子状態と磁気構造の関係を格子モデルにおける非制限HF計算によって調べた。

 以上の研究から、クーロン相互作用と軌道混成が競合する遷移金属化合物や遷移金属不純物の電子状態を記述するのに、CIを取り入れたクラスターモデル計算が有効であることが示された。結晶の並進対称性を有する遷移金属化合物については、光電子スペクトルのクラスターモデルによる解析から得られたパラメーターを用いて、格子モデルでHF近似計算を行うことによりその基底状態の性質をよく説明できるが、HF近似の限界のために価電子帯の光電子スペクトルの形状を再現できない。このHF解に摂動計算による自己エネルギー補正を加えると、光電子スペクトルまで含めてその電子状態を記述できることが明らかになった。

審査要旨

 本論文は、3d遷移金属化合物の電子状態がd-電子間の強いクーロン相互作用と3d軌道に配位している陰イオンのp軌道の間の混成によってどのように規定されるかを、実験的及び理論的に追求したものであり、8章より成る。

 第1章では本研究の具体的動機が、又、第2章では3d遷移金属化合物の電子状態に対する従来の研究の成果がまとめられている。

 第3章では、ペロブスカイト型酸化物であるPrNiO3に対する光電子分光及びX線吸収分光の実験的研究、及びそれについての理論的解析の結果が述べられている。PrNiO3に於いてはNiの形式価数が3価(d7)であり、温度の増加とともに、反強磁性絶縁体から常磁性金属へと転移する。価電子帯及びNi2p内殻の光電子スペクトルに見られるサテライト構造をNiO6クラスターモデルにおける配置間相互作用(CI)計算により解析し、その結果PrNiO3の電荷移動エネルギー、3d電子間のクーロン相互作用U、遷移金属3d軌道と酸素2p軌道との移動積分(pd)がそれぞれ、1.0、7.0、-1.5eV程度と見積もられた。が小さいために、基底状態で遷移金属3d軌道と酸素2p軌道が強く混成しており、又バンドギャップの性質は典型的な電荷移動型ではないことが明らかになった。従って、NiO6クラスター間の相互作用の強さがバンドギャップの大きさに影響を与えることが期待される。遷移金属3d軌道と酸素2p軌道を含む格子モデルにおいてハートリー・フォック(HF)近似計算を行い、GdFeO3型の歪みが大きくなりNi-O-Niの結合角が180度から小さくなっていくにつれて、バンドギャップが大きくなることが明らかにされた。

 第4章では、やはりペロブスカイト型3d遷移金属酸化物であるLaCuO3についての光電子分光法、X線吸収分光法の実験結果とそれについての理論的解析の結果が述べられている。LaCuO3中のCuの形式価数は3価(d8)であり、Cu-O-Cuの結合角は180度となっており常磁性金属である。CuO6クラスターモデルに対する解析により、電荷移動エネルギー、3d電子間のクーロン相互作用U、遷移金属3d軌道と酸素2p軌道間の移動積分(pd)がそれぞれ、-1.0、7.0、-1.7eV程度と見積もられた。電荷移動エネルギーが負の値をとるために、基底状態はd9電子配置が支配的であること、更にCu-O-Cuの結合角が180度でありそのためCuO6クラスター間の相互作用が強くなることが金属状態が出現する原因と考えられる。一方、HF近似に基づくバンド計算を出発点としてLaCuO3の価電子帯の光電子スペクトルを調べると、サテライト構造がバンド計算では再現できないこと、及びFermi準位近傍の光電子スペクトル強度がバンド計算で予想されるものよりも弱くなっていることの2点が明らかになった。更に3d電子間クーロン相互作用についての2次の摂動を加えるとサテライト構造はある程度再現できるが、Fermi準位近傍の光電子スペクトル強度の減少は説明できないことも示された。

 第5章に於いては、TiからCuまでのペロブスカイト型酸化物に於けるスピン、及び軌道分極についての系統性を理解するために行った非制限HF計算に基づく理論的解析の結果が述べられている。定量性、特にバンドギャップの大きさや1粒子励起スペクトル、には不確定性があるもののHF近似は物質間の系統性の理解に対しては大変有効であることが指摘された。

 第6章では、3d電子間クーロン相互作用について2次の摂動計算を様々な基底状態に対して行った。その結果、サテライト構造及びMott-Hubbard型の化合物でのバンドギャップについて実験との不一致がかなり改善されることが示された。

 第7章ではII-VI半導体中の3d遷移金属不純物の電子状態がクラスターモデル及びアンダーソン不純物モデルに於けるCI計算によって調べられている。光吸収スペクトル、光電子分光等の実験結果が統一的に理解できることが指摘された。

 第8章では、結論が述べられている。

 以上本論文は、クーロン相互作用と軌道混成が競合する遷移金属化合物や遷移金属不純物の電子状態を記述するのに、CIを取り入れたクラスターモデル計算が有効であることを示し、ペロブスカイト型3d遷移金属酸化物の豊かな物性の理解の進歩に大きな寄与をした。

 尚、本論文3、5、6、7章は共同研究に基づいているがいづれの研究に於いても論文提出者が実験の遂行及び理論的解析に際して主体となって研究を推進したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50681