細胞は細胞外からの刺激を細胞膜上の受容体で受け取り、細胞内に伝達する。その伝達様式には、細胞膜上のイオンチャンネルの開口、蛋白のリン酸化、受容体に共役して存在するG蛋白による機能蛋白質の活性化が知られている。特にG蛋白共役型のシグナル伝達では、シグナルを伝達する新たな分子が産生される。これをセカンドメッセンジャーと呼び、サイクリックAMP,イノシトール1,4,5-3リン酸(IP3)、1,2-ジアシルグリセロール、Ca2+がそのような役割を担っている。 IP3は細胞外からの刺激に引き続いてG蛋白に活性化されるホスホリパーゼCの働きで、細胞膜リン脂質のホスファチジルイノシトール4,5-ビスホスフェートの加水分解により産生される。IP3は細胞内Ca2+ストア上のIP3レセプター(IP3R)と結合して細胞内にCa2+を放出し、Ca2+依存性の機能蛋白質を活性化して、最終的に受精、細胞の分泌、増殖などあらゆる生理現象に関わることが知られている。 IP3Rは一つの分子内にIP3結合サイトとCa2+チャンネル領域を持つ分子である。IP3Rは最初小脳プルキンエ細胞特異的に発現の豊富な蛋白質P400として同定され、cDNAがクローニングされた。既存の細胞膜上にある電位依存性イオンチャンネルとは構造を異にし、同じ細胞内Ca2+を制御する分子であるリアノジンレセプター(RYR)と相同性を示すことから、細胞内膜系に存在する新たなチャンネルファミリーの存在が明らかになった。しかしIP3の結合を指標とした生化学的な実験の結果は、1つのIP3Rだけでは説明しきれず、サブタイプの存在を示唆していた。 またCa2+シグナリングの姿は、上記のような分子生物学の発達によって関連分子の実体が明らかにされつつあることと共に、Ca2+蛍光指示薬,共焦点レーザー顕微鏡などのCa2+を可視化する技術の進歩によって飛躍的に理解されるようになった。なかでも注目を集めているのは、一定の刺激物質存在下で細胞内Ca2+濃度が変動すること、また細胞内Ca2+がある特定の領域から周囲へ向かって伝播するという現象である。このようなCa2+の振動が起こるメカニズムと生理的意義について、現在盛んに研究が行われている。 以上のような背景のもと、本研究では、ヒトにおけるCa2+シグナリングを理解するためにヒト細胞株を材料に、新規IP3RサブタイプのcDNAクローニングを行った。またサブタイプの発現分布や細胞内局在と、刺激におけるCa2+動員の関連性について検討を行った。 第1章ヒトIP3Rタイプ2、3cDNAのクローニング 我々はヒトIP3R cDNAを取得する目的で、マウスIP3R cDNAをプローブとしてヒト臍帯血管内皮細胞cDNAライブラリーより、3タイプの相同遺伝子の断片を取得した。マウスIP3Rとの相同性より、このうち1つはマウスIP3Rの相同遺伝子(タイプ1レセプター)であるが、他の2つは新規IP3Rサブタイプであることを予測し、ヒトB細胞株からタイプ2レセプターcDNA、ヒト臍帯血管内皮細胞からタイプ3レセプターcDNAを得て、全塩基配列を明らかにした。タイプ1レセプターはN末側から、リガンド結合ドメイン、活性調節ドメイン、チャンネルドメインに分かれることが既に明らかである。タイプ2、3レセプターはタイプ1レセプターと約65%の相同性を有し、特にチャンネルドメインの疎水性プロファイルはイオンチャンネルに特有の膜貫通型を示し、これらの遺伝子産物がイオンチャンネルである可能性が示された。タイプ3レセプターのcDNA全体をCOS-7細胞に導入したところ、ウエスタンブロットによりその発現が確認された。IP3結合能はコントロールの細胞と比較して約10倍上昇しており、Kd=28.8nMであった。他のイノシトールポリリン酸によるタイプ3レセプターとIP3の結合阻害実験で、結合の強さはIns(1、4、5)P3>Ins(2、4、5)P3>Ins(1、3、4、5)P4>Ins(1、2、3、4、5、6)P6の順で、IP3との結合特異性が明らかにされた。ヒト血球系の細胞株を用いてIP3Rサブタイプの発現パターンを検討したところ細胞種によって違いが認められ、その細胞の機能と密接に関与していることが示唆された。染色体マッピングの結果、タイプ2レセプターは12p11,タイプ3レセプターは6p21に位置することが明らかになった。 第2章IP3Rタイプ2、3のラットにおける組織発現分布 IP3Rサブタイプ間では、機能制御と発現部位の違いが考えられる。第一章でヒト細胞株を用いて細胞種特異的なサブタイプの発現が示唆された。本章では生体内でのIP3Rサブタイプの発現について、ラットでの免疫組織化学的な解析を行った。またインサイツハイブリダイゼーションによるmRNA側からの検出も試みた。 ウエスタンブロットによって各臓器でのIP3Rサブタイプの発現パターンを検討したところ、タイプ1レセプターは当初報告されていたように中枢神経系で豊富に発現していた。タイプ2レセプターは普遍的に発現が認められた。タイプ3レセプターの発現部位は限局されており、消化器系、血管に発現が認められ、予想どおりタイプによって発現部位が異なることが示唆された。 免疫組織染色の結果、タイプ2レセプターは、脳マイクログリア、唾液腺導管、胸腺、肺、気管支の上皮細胞、脾臓の巨核球系細胞、小腸杯細胞、肝細胞、腎臓尿細管上皮細胞、精巣の精母細胞、輸精管上皮細胞に発現を示すシグナルが観察された。インサイツハイブリダイゼーションではこのうち脳マイクログリア、唾液腺導管上皮、胸腺、精巣、輸精管にmRNAの発現を確認することができた。タイプ3レセプターは脳アストログリア、腎臓メサンギウム細胞、各組織の血管内皮細胞に抗体の反応を得ることができた。すなわちタイプ2レセプターは上皮細胞での発現が特徴的で、しかも分泌機能と関わることが考えられた。タイプ3レセプターはIP3によるシグナリングが多く報告されている血管系に発現しており、この部位でのIP3系を制御している可能性が示された。またIP3Rは細胞内のオルガネラだけでなく細胞膜上にもその存在が示唆されており、タイプ2、3レセプターは候補分子と目されていた。しかし免疫電顕の結果、少なくとも顎下腺導管ではタイプ2レセプターは細胞内膜系に存在することが示された。 このように細胞によって発現しているレセプタータイプの違いが明らかになったが、同じ細胞に複数のタイプが発現している場合もあり、Ca2+シグナリングは単一のタイプに支配されているのではなく、細胞固有のIP3Rサブタイプのコンテントによって規定されている可能性が示された。さらに同一細胞内でサブタイプの局在が異なる場合もあり、空間的な配置による細胞内Ca2+振動への寄与が推測された。 第3章ラット顎下腺導管におけるIP3Rタイプ2の細胞内局在と、ムスカリン作動性刺激によるCa2+動態の関連性 第2章に示したように、顎下腺導管においてタイプ2レセプターの強い発現が認められた。しかも抗体のシグナルは導管上皮細胞の管腔側に特に濃く現れ、極性を示した。本章では顎下腺導管でのタイプ2レセプターの発現部位をさらに詳しく解析すると共に、極性を持った発現と細胞内Ca2+動員の関連性について検討を行った。その結果、導管上皮細胞の中でも特にタイプ2レセプターを多く発現している細胞がパッチ上に存在することが明らかになった。 顎下腺導管部ではムスカリン性刺激によってIP3/Ca2+系が駆動し、唾液中のNa+,K+,HCO3-の再吸収、増殖因子や凝固線溶系の酵素を分泌していることが報告されている。そこで顎下腺導管部を導管の形態を保った形で分離し、ムスカリン作動性刺激による細胞内Ca2+動態をリアルタイム共焦点レーザー顕微鏡で観察した。刺激物質は基底膜側から作用するにも関わらず、タイプ2レセプターの存在する管腔側からCa2+が上昇する細胞が認められた。また細胞内Ca2+振動も確認された。顎下腺導管にはタイプ1、3レセプターは検出されず、タイプ2レセプターの管腔側での局在は、管腔側からのCa2+動員を説明するのに必要十分と考えられた。また管腔側には導管部の機能を担うCa2+依存性の分子が多数存在し、タイプ2レセプターを持つ細胞内Ca2+プールが管腔側に局在していることが、刺激によってこれらをすばやく局地的に活性化するのに合目的であることが示唆された。さらに全ての細胞で明らかに管腔側からのCa2+動員が認められたわけではなく、全体にCa2+が上昇する細胞も観察された。細胞間でのCa2+動員の差は、先に示したタイプ2レセプターの発現量の差に由来する可能性が考えられる。Ca2+放出実験を行った導管を用いて免疫染色を行った結果、管腔側でのCa2+の発火が認められた部位で、タイプ2レセプターの発現が確認された。このことはヘテロな細胞集団の中で特にIP3Rを高発現している細胞が存在し、その細胞自身のみならず周辺の細胞の情報伝達にも影響するという細胞間情報伝達が行われている可能性を示していると考えられる。 以上述べたように本研究は、IP3Rの新しいタイプの分子構造を示し、その情報伝達系における生理的意義の一端を明らかにしたものである。 |