学位論文要旨



No 212935
著者(漢字) 新藤,一敏
著者(英字)
著者(カナ) シンドウ,カズトシ
標題(和) 微生物代謝産物由来新規抗腫瘍物質に関する研究
標題(洋)
報告番号 212935
報告番号 乙12935
学位授与日 1996.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12935号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 早川,洋一
内容要旨

 1980年以降日本人の死亡原因の第1位は癌によるものであり、癌に対する治療法の確立は極めて緊急かつ重大なものである。著者らは癌の化学療法における新たな抗腫瘍剤を見い出す目的で、以下に示す二通りの方法を用いて微生物培養抽出物からのスクリーニングを実施した。

 (1)生体内チオールと反応することにより生理活性を生ずる抗腫瘍物質の探索

 (2)Colony Forming Assay(CFA)を用いたヒト固形癌に有効な抗腫瘍物質の探索以下に各々のスクリーニング系の概略及び結果を記す。

(1)生体内チオールと反応することにより生理活性を生ずる抗腫瘍物質の探索

 生体は異物の解毒、代謝機構の一つとしてグルタチオンやメタロチオネイン等のチオール化合物を生産する。しかし近年、逆にこれらチオール化合物により活性化をうけ抗腫瘍作用を示す物質が知られるようになった。Neocarzinostatin、esperamicins等のbicyclodiynene系抗腫瘍抗生物質がその例である。注目すべきこととして、これらの物質は優れたin vivo抗腫瘍作用を有することが報告されている。

 またタンパク質中のシステインチオール基と反応することにより、生理活性を示す抗腫瘍抗生物質についても報告されている。Herbimycin Aは、そのキノン環部分とタンパク質中のシステインチオール基が反応することにより、Src、Abl等のチロシンキナーゼを阻害する。このような物質はSrc等の過剰発現により癌化が起きている場合の治療剤として期待でき、更に、癌細胞の増殖に対するシグナル伝達機構の解明に有用である。

 上述したように、生体内チオールと反応することにより活性を示す抗腫瘍抗生物質には興味深い作用が期待されるため、これらの物質を選択的に拾い上げるスクリーニング系の構築を行った。スクリーニングに際しては、bicyclodiynene系抗腫瘍抗生物質がグラム陽性菌に対して抗菌性を示す事を利用し、簡便なBacillus subtilisに対する抗菌作用を指標とすることにした。ポジティブコントロールとしてneocarzinostatinを用い、これを特異的に検出するように系を工夫した。

 前述したように、neocarzinostatinはチオール化合物により活性化を受けることが報告されている。そこでBacillus subtilisを植菌した抗菌作用検定用合成寒天培地に2-メルカプトエタノールを添加した培地と非添加培地を調製し、これらの培地間でneocarzinostatinの抗菌作用に差が生じるか否かをペーパーディスク法で検討した。その結果、neocarzinostatinの抗菌阻止円は2-メルカプトエタノールの添加により減少することを見いだした。これはneocarzinostatinが2-メルカプトエタノールと反応して瞬間的に活性化を受けるが、培地成分により不活性化され失活するためと考えられた。またadriamycin、actinomycin Dなどの抗腫瘍抗生物質の抗菌阻止円の大きさは、2-メルカプトエタノール含有及び非含有培地で影響を受けないことから、微生物の培養液から頻繁に得られる抗菌作用を有する既知抗腫瘍抗生物質を効率的に排除できると考えられた。

 以上の検討結果より、著者は、2-メルカプトエタノール含有及び非含有培地で抗菌阻止円の直径に差の生じる物質を探索する事とした。本アッセイ系を用いて約8500株の微生物培養抽出物について探索を実施した結果、新規物質cochleamycins A、A2、B、B2を見い出した。

 Cochleamycinsの単離は、生産菌Streptomyces sp.DT136株培養物の培養上清より、酢酸エチル抽出、シリカゲルクロマトグラフィー、分取HPLCを用いて実施した。構造解析は各種機器分析により行い、その相対立体構造を図1に示すように決定した。

図1 Cochleamycinsの構造

 Cochleamycinsは特異なcarbocyclic構造を有しており、その生合成について興味が持たれた。そこで2H-、13C-ラベル前駆体取り込み実験により生合成的由来を解析した結果、cochleamycinsのアグリコン部分は8モルの酢酸及び1モルのプロピオン酸由来であることが判明した。またC-10に結合した側鎖についてはcochleamycins A、Bは酢酸、A2、B2はバリン由来であることが明らかとなった。

 Cochleamycinsは種々の癌細胞に対し、in vitroで増殖抑制作用を示した[IC50 10-6〜10-5g/ml(MTT法)]。またcochleamycins A、A2はグラム陽性菌に対して抗菌作用を示した。

 Cochleamycins A、A2が本スクリーニング系で陽性となる理由を検討したところ、これらの物質が2-メルカプトエタノールやL-システインのチオール基と付加反応し、失活することを見い出した。そこで、これらの物質がherbimycin Aのようにチロシンキナーゼ阻害作用を有することが期待された。Srcチロシンキナーゼに関してはcochleamycin A、A2共に10g/mlの濃度で阻害活性は認められなかったが、今後他のチロシンキナーゼに対する作用について検討していく予定である。

(2)Colony Forming Assay(CFA)を用いたヒト固形癌に有効な抗腫瘍物質の探索

 現在癌の化学療法に用いられる抗腫瘍剤は、白血病、悪性リンパ種等の血液癌に対しては比較的良く奏効するものの、大腸癌、肺癌等の固形癌に対しては十分な効果は得られていない。そこでColony Forming Assay(CFA;軟寒天中での癌細胞のコロニー形成を観察するアッセイ法)を用いて、ヒト大腸癌に特異的に有効な物質を探索する系を実施した。

 軟寒天中でのコロニー形成は癌細胞特有の足場非依存型(anchorage independent)の増殖形態を反映しており、単層あるいは浮遊状態での増殖に比してより生体内での増殖形態に近いものである。従って薬剤に対する反応も生体内に近く、in vitro-in vivo抗腫瘍試験での相関性が高いことが示されている。探索の対象とする固形癌は、近年日本でも増加傾向の著しい大腸癌とし、CFAに使用する細胞株としてはヒト大腸癌COLO205を選択した。一方でマウス白血病細胞L1210に対する作用についても観察し、COLO205により選択的に強く作用する物質を探索した。

 実際のスクリーニング法としては、各々の細胞のCFAシャーレ上に微生物培養抽出物を浸透させたペーパーディスクを置き、その周囲に生じるコロニー増殖阻止円の半径を測定した。COLO205の増殖阻止円半径>L1210の増殖阻止円半径となる活性をヒト大腸癌に選択的な作用と判断し、探索することとした。この比較により、既存の抗腫瘍抗生物質の多くを排除することができた。本スクリーニング法を用いて約5500株の微生物培養抽出物を探索した結果、新規物質vicenistatinを見い出した。

 Vicenistatinの単離は、生産菌Streptomyces sp.HC34株培養物の菌体画分より、酢酸エチル抽出、シリカゲルクロマトグラフィー、ゲル濾過を用いて行った。構造解析は各種機器分析により行い、図2に示す20員環マクロラクタム及びアミノ糖より構成される構造と決定した。アミノ糖については、tetraamine copper(II)sulfate法によりD糖であることを明らかにした。本糖は新規なアミノ糖であったので、vicenisamineと命名した。

図2 Vicenistatinの構造

 VicenistatinはCFAにおいて、0.1g/ディスクの濃度で、COLO205 18mm、L1210 15mmの増殖阻止円半径を与えた。またMTT法での増殖抑制作用(IC50)は、COLO205 0.19g/ml、L1210 0.32g/mlであった。

 さらにin vivo抗腫瘍試験において、vicenistainはP388、L1210(マウス白血病)に対しては無効であった一方で、COLO205、Co-3(ヒト大腸癌)に対してはそれぞれTGIR 53%、65%(TGIR:Tumor Growth Inhibition Ratio)と有意な増殖抑制作用を示した。従ってvicenistatinは、in vivoにおいてもヒト大腸癌に選択的に作用することが明らかとなった。

 Vicenistatinは新規骨格を有する物質であり、またヒト大腸癌に対して選択的な抗腫瘍作用を有している。従って既存の抗腫瘍剤と異なる新しいタイプの抗腫瘍剤として期待される。

審査要旨

 1980年以降、日本人の死因の一位は癌によるものである。従って癌の治療法の確立は極めて重大かつ緊急の課題である。本論文はこのような背景に基づき、新たな癌化学療法剤を見出す為に、1)生体内チオールと反応することにより生理活性を生ずる抗腫瘍抗生物質の探索、2)Colony forming assay(CFA)を用いたヒト大腸癌に選択的に有効な抗腫瘍抗生物質の探索、を実施し、新規化合物であるcochleamycins A、A2、B、B2およびvicenistatinを見い出したものであり、4章よりなる。

 第1章は、生体内チオールと反応することにより生理活性を示す抗腫瘍抗生物質をスクリーニングする方法に関して説明している。Neocarzinostatinをポジティブコントロールとしてアッセイ系を検討し、2-メルカプトエタノールの添加によりBacillus subtillisに対する抗菌作用が減少する物質を探索する系を採用することとした。

 第2章では、第1章で確立したスクリーニング系を用いて発見したcochleamycins A、A2、B、B2の生産、精製、構造解析、生合成、作用機構、生物活性について説明している。Streptomyces sp.DT136株の培養上清から活性物質を溶媒抽出後、種々のクロマトグラフィーにより精製し、cochleamycins A、A2、B、B2と命名した。Cochleamycinsの構造解析は種々の二次元NMRスペクトルを駆使して行い、その構造を図1に示すように決定した。また13Cラベル前駆体添加実験により、その生合成的由来を明らかとした。さらに本物質が本スクリーニング系で陽性となる理由について検討した結果、cochleamycins A、A2が2-メルカプトエタノール及びL-システインと付加反応することを見い出した。生物活性については、各種癌細胞に対するin vitro増殖抑制作用、抗菌作用、Srcチロシンキナーゼに対する阻害作用について検討した。

図1

 第3章では、CFAを用いてヒト大腸癌に選択的に有効な抗腫瘍抗生物質をスクリーニングする方法の確立に関して説明している。CFAはヒト大腸癌COLO205及びマウス白血病L1210細胞を用いて実施した。各々の細胞のCFAプレート上に同一の微生物培養液を含有するペーパーディスクを置いて培養し、生じたコロニー増殖阻止円の半径を判定した。COLO205での増殖阻止円の半径がL1210での増殖阻止円の半径より大きくなる活性を示す化合物を、ヒト大腸癌に選択的に有効な物質の指標として探索を行なった。

 第4章では、第3章で確立したスクリーニング系を用いて発見したvicenistatinの生産、精製、構造解析、生物活性について述べている。Streptomyces sp.HC34株の菌体画分に存在する活性物質を溶媒抽出、種々のクロマトグラフィーにより単離、精製し、vicenistatinと命名した。本物質の構造解析は種々の二次元NMRスペクトル等により行い、その構造を図2に示すように決定した。

図2 vicenistatin

 Vicenistatinの生物活性については、in vitro及びin vivoにおける抗腫瘍作用を検討した。in vivo抗腫瘍作用の検討の結果、vicenistatinはP388、L1210(マウス白血病)に対しては抗腫瘍作用を示さず、Co-3、COLO205(ヒト大腸癌)に対して有意な増殖抑制作用を示した。従ってvicenistatinは従来の抗腫瘍抗生物質と異なる固形腫瘍(大腸癌)に選択的に有効な化合物であることが判明した。

 以上本論文は、新規抗腫瘍抗生物質であるcochleamycins、vicenistatinの単離、精製、構造解析を行い、その生物活性を明らかにしたものであって、学術上、応用上寄与することが少なくない。よって、審査委員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51010