学位論文要旨



No 212937
著者(漢字) 根本,勇
著者(英字)
著者(カナ) ネモト,イサム
標題(和) スピードスケート選手の競技力に関する総合的研究
標題(洋)
報告番号 212937
報告番号 乙12937
学位授与日 1996.07.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第12937号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 助教授 鈴木,眞理
 東京大学 助教授 佐々木,正人
内容要旨

 本論文は、1周400mのリンクで行なわれるスピードスケート競技の選手を対象として、競技成績を向上させる方策を次の4つの視点から総合的に研究したものである。1)体力とスピードスケート競技成績との関連から競技力を構成する各体力要素の到達すべき目標値を設定する。2)各体力要素の向上を目標に実施されるスピードスケート選手のレジスタンストレーニングの現状を分析する。3)競技力向上を目標に実施する氷上トレーニングプログラムとコンディショニング管理に関して検討する。4)成長期にあるスピードスケート選手の形態と体力の発育・発達段階とトレーニング効果を評価する。

 研究対象者は、スピードスケート競技選手で延べ人数は、男子470名,女子277名であり、そのほとんどがわが国のトップレベルにあった。

1.スピードスケート選手の体力と競技力との関係

 本章では、日本人スピードスケート選手の形態,身体組成および体力の現状と競技力との相関関係を検討した。なお、本章を構成する各測定は年代が若干異なり、それぞれの測定対象者の数に限界があったため、統計的検討は主に2つの測定間の単純相関の有意性を確かめるに止まった。また、スピードスケートの滑走速度が選手の発揮した出力パワーと空気抵抗およびブレードと氷面との摩擦抵抗とのバランスで決まるという「Power balance model(Ingen Schenau,1981)」にもとづき、男女をまとめて処理した。その結果、体脂肪率(%Fat)と競技成績(r=-0.67,P<0.001;n=67)および除脂肪体重(LBM)と競技成績(r=0.80,P<0.001;n=80)との間に有意な相関関係が認められた。さらには、ハイパワー発揮能力,ミドルパワー発揮能力およびローパワー発揮能力とスピードスケート競技成績との間においても、それぞれ有意な相関関係が認められた。

 以上の体力測定値と競技成績との相関関係、および諸外国の一流スピードスケート選手の身体組成および体力測定値をもとに、日本人選手が世界のトップレベルに到達するために必要とされる目標体力水準を作成した(表1)。

表1.スピードスケート選手のための目標体力水準(試案)

 スピードスケート短距離種目の競技成績とタイムトライアル3分後の血中乳酸濃度(HLa)との間に有意な相関関係(r=0.39〜0.51;P<0.05)が認められたことから、短距離種目の競技力向上にはミドルパワー発揮能力を高めることの重要性が明らかにされた。

 スピードスケート中長距離種目の競技成績は、最大下運動時の持久性能力の指標であるAerobic threshold(AerT)およびAnaerobic threshold(AnT)と密接に関連することが明らかにされたが、AerT,AnT測定における動作特異性および測定時期の問題が相関関係に影響することが指摘された。そこで、新たに考案したスピードスケート速度漸増法によって、Lactate threshold(LT)とOnset of blood lactate accumulation(OBLA)とを測定し競技成績との相関関係を検討したが、LTやOBLAとスピードスケート競技成績との間に有意な相関関係を認めることはできなかった。HLa濃度プロフィール同定の指標としたHLa濃度が6mMとなる時点の滑走速度(V@6mM HLa)および酸素摂取量(VO2@6mM HLa)とスピードスケート中長距離種目の競技成績との間には、ともに有意な相関関係(r=0.61〜0.80;P<0.05)が認められた。一方、全力滑走時に測定されたpeak VO2と競技成績との間には、いずれの種目でも有意な相関関係が認められなかった。

 以上の結果より、スピードスケートの競技力向上に求められる体力要素に短距離か中長距離種目かという特異性が存在することが明らかにされた。

2.スピードスケート選手のレジスタンストレーニングの運動強度

 本章では、スピードスケート競技およびトレーニング直後のHLa濃度を測定することによって、スピードスケート競技と競技成績向上のためのトレーニングの運動強度との関連を明らかにすることを目的とした。

 公式競技会の競技後のピークHLa濃度は、男子で10.4mM〜14.7mMおよび女子で11.9mM〜15.0mMの範囲であった。また、陸上トレーニングプログラムのうち、ローラースケート滑走(9.7±1.47mM;平均±SD,以下同じ)直後のHLa濃度は、同一運動時間による自転車エルゴメータこぎ(13.2±2.03mM;P<0.05)およびスピードスケート競技(11.8±1.90mM;P<0.001)直後の値よりも低い値を示した。短距離種目のトレーニングであるインターミッテント・トレーニング直後のHLa濃度は、5〜17mMの範囲であった。一方、中長距離種目のトレーニングであるインターバル・トレーニングでは、HLa濃度は5〜10mMの範囲であった。また、ウエイト・トレーニング直後のHLa濃度も5〜10mMの範囲を示した。

 以上の測定結果から、陸上トレーニングの運動強度とスピードスケート競技種目との関係が明らかにされ、トレーニングプログラム精選化のための基礎資料が得られた。

3.スピードスケート選手のコンディショニング管理

 本章では、スピードスケートの競技力向上に資する氷上トレーニングプログラムおよびコンディショニング管理に関して、カナダ・カルガリ市で実施した夏季氷上トレーニングを対象に様々な観点から検討した。その結果、以下のことが明らかにされた。

 1)スピードスケート選手の1日の総エネルギー消費量は、ハードトレーニング期で男子が4201±640kcalおよび女子が3414±183kcalと推定された。

 2)栄養指導のなかった「対照年(1993)」の食事による1日のエネルギー摂取量は、男子で3698±258kcalおよび女子で2749±560kcalであった。

 3)タイムトライアル直前の高糖質食の提供を含む栄養管理を施した「栄養指導年(1994)」には、男女ともに中長距離種目の競技成績が顕著に向上した(3.33〜5.10%)。

 4)夏季氷上トレーニング後に男子では中長距離種目の競技成績に有意な改善を認めたが(P<0.05〜0.001)、女子選手ではいずれの種目にも有意な改善を認めることはできなかった。

 5)夏季氷上トレーニング前の競技レベルと競技成績の改善率との間には、男女ともに有意な相関関係(r=-0.54〜-0.87;P<0.05〜0.001)が認められた。

 6)夏季氷上トレーニング中のProfile of mood states(POMS)テストの定期的実施によって、スポーツ障害,栄養摂取および貧血などのオーバートレーニングが疑われる症例を見い出すことができた。

 以上の調査結果より、スピードスケートの競技力向上には、食事による栄養摂取量とトレーニングによるエネルギー消費量とのバランスをとること,さらには心理状態および健康状態のモニタリングからコンディショニングを管理することの重要性が明らかとなった。

4.成長期にみられるスピードスケート選手のトレーニングの効果

 本章では、ジュニア・スピードスケート選手の形態,身体組成および脚伸展の等速性筋出力とその持久力を横断的に測定し、一般児童・生徒との比較から成長期におけるスピードスケート・トレーニングの影響を検討した。また、各年齢段階ごとに脚伸展の等速性筋出力と競技成績との相関関係を求め、ジュニア・スピードスケート選手の年齢に応じたトレーニングの主眼について検討した。その結果、以下のことが明らかにされた。

 1)%Fatでは、男子が一般男子と同様の年齢推移を示したのに対し、女子は16歳以降スピードスケート選手が小さな値であった。

 2)LBMでは、男女ともに16歳以降においてスピードスケート選手が一般男子より有意に大きな値であった。

 3)等速性筋出力は、男女ともいずれの脚伸展速度においても14歳以降スピードスケート選手が一般の男女よりも大きな値を示し、16歳以降で両群間に有意差が認められた(P<0.05〜0.001)。

 4)連続50回の脚伸展によって評価した等速性筋出力の持続能力は、男子で14歳以降および女子の15歳以降の年齢においてスピードスケート選手が一般の男女より作業後半のピークトルク値で有意に大きな値であった。

 5)脚伸展の等速性筋出力と500m滑走タイムとの間に、男子の10〜12歳では有意な相関関係を認めることはできなかったが、13〜18歳では両者の間に有意な相関関係が認められた。五輪候補選手では、両者の関係は有意ではあるものの相関係数は低下した。女子でもほぼ同様の傾向であった。

 以上の結果より、思春期前後におけるスピードスケート選手のトレーニングの効果としては、まず%Fatの減少や筋持久力の改善としてローパワー・トレーニングの効果が現われ、次いでLBMの増加や単発的動作での筋出力の向上といったハイパワー・トレーニングおよび筋力トレーニングの効果がこれに引き続いて現われるものであることが明らかとなった。

 本論文で提示した体力測定法および研究成果をスピードスケートのトレーニングに応用することによって、スピードスケート選手は、これまでのような無用の試行錯誤を繰り返すことなく競技力を向上させることが可能になると結論した。

審査要旨

 本論文は、数多くあるスポーツ競技種目の中からスピードスケートを選び、年齢、競技成績の異なる選手を対象として、競技成績が向上していく過程を生理学的視点から総合的に分析し、年齢に応じたトレーニングの主眼を提示しようとしたものである。

 その前提として、スピードスケートの競技成績(滑走スピード)は、選手の発揮する生理学的パワー、空気抵抗、そして、スケートシューズのブレードと氷面との摩擦抵抗という3者のバランスで決まるという先行研究が提案したPower Balance Modelを採用している。そして、本論文では、主としてスケート選手の生理学的パワーの発揮能力に注目して研究をすすめている。

 第1章では、生理学的パワーの発揮能力を、エネルギー供給機構の特性から、ハイパワー、ミドルパワー、ローパワー発揮能力の3つに分類している。そして、いろいろな競技水準の選手を対象として、3種類のパワー発揮能力を測定した結果にもとづいて、世界のトップレベルの競技成績をおさめることのできるパワーの目標値を種目別・性別に推定している。

 第2章では、生理学的パワー発揮能力の向上をもたらす運動強度を、夏期の陸上トレーニングと冬期の氷上トレーニングとに分けて、酸素摂取水準、心拍数、運動後の血中乳酸濃度から評価している。その評価にもとづいて、トレーニングプログラム作成上の参考資料として、競技種目(短距離か長距離か)に対応する至適運動強度を提示している。

 第3章では、トップレベルの選手が競技会にむけて実施するトレーニングの量と質、およびその期間の食事の量と質とを2カ年にわたって同じ条件で調査・比較し、エネルギー収支のバランスの重要性と競技会前数日間の高糖質食摂取が効果のあることを明らかにしている。

 第4章では、競技成績を決定する生理学的パワー発揮能力を体力、そして、ブレードと氷面との摩擦抵抗を合目的的に保持する能力を技術と2分して、競技会に参加しはじめる10歳からの横断的観察にもとづいて、年齢に応じたトレーニングの主眼を次のようにまとめている。10歳代前半では、技術の向上が競技成績の向上に大きく影響しているので技術の改善を、10歳代後半では、体力の増強が競技成績の向上に強く影響するので体力の増強を、20歳代では、再び技術の改善を、それぞれトレーニングの主眼とすべきである。

 本論文で提示された体力測定法と研究成果を応用することによって、スピードスケート選手は、これまでのように不要な取り組みや試行錯誤を繰り返すことなく、効率よく競技力を向上させることができるだろうと、論文提出者は、結論している。また、このことは、この間の国際競技会における日本選手の活躍によって実証されているといえる。

 以上の内容をもって構成された本論文は、採用されている測定法も得られた結果も十分信頼できること、数少ないトップレベルの選手という一般には得がたい測定対象の資料をデータベースとしていること、生理学的視点から成長段階に適したトレーニングの主眼を提示しスピードスケートにおける競技力向上についての総合的な分析をしたことから、博士(教育学)論文として十分優れたものであると判断された。

UTokyo Repositoryリンク