学位論文要旨



No 212939
著者(漢字) 服部,光治
著者(英字)
著者(カナ) ハットリ,ミツハル
標題(和) 哺乳動物細胞内に存在するPAFアセチルハイドロラーゼの構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 212939
報告番号 乙12939
学位授与日 1996.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12939号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 1序文

 血小板活性化因子(Platelet-activating factor、以下PAFと略す)は、その名のとおり血小板を強力に活性化する物質として発見されたリン脂質性のメディエイターであり、グリセロール骨格の1位にO-アルキル基、2位にアセチル基をもつ点が特徴である。PAFは主に炎症、免疫などの分野において研究されてきたが、特に最近になって、脳神経系においても様々な作用をもつことが発見され注目を集めている。しかし、脳神経細胞はPAF受容体をあまり発現していないと考えられることから、脳におけるPAFの作用点は不明である。PAFはnM以下の極微量な濃度で生物活性を発揮する一方で、高濃度になると強い細胞毒性をもつことから、生体内におけるPAFの濃度は厳密に制御されていると考えられる。しかし現在に至るまで、PAFの合成分解に関る酵素群について活性制御のレベルまで解明されたものはなく、PAFの生理作用を分子的に理解する上での障害となっている。これら酵素群の中でも、PAFのアセチル基を特異的に加水分解することでこれを不活化する酵素、PAFアセチルハイドロラーゼはPAF不活化の主役であり、PAF代謝に重要な役割を演じている。しかしこの酵素は発見から10年以上もの間、正確な分子量さえ不明であり、精製に成功したグループはなかった。私は、脳におけるPAFの生理的機能を知るためには、細胞内PAFアセチルハイドロラーゼの実体を明らかにすることが重要であると考えた。また、もしPAFアセチルハイドロラーゼの活性や存在量を分子生物学的手法によって変化させることができれば、PAFがリン脂質であるがための研究の困難さ(リアルタイムで濃度や局在性を知ることができない、外部から与える以外に人為的に濃度を調節することができない、など)を克服できる可能性があるとも考えた。そして、本学修士課程において、脳細胞質にはいくつかのPAFアセチルハイドロラーゼアイソフォームが存在することを見い出すとともに、そのうち最も主要な活性を担うアイソフォームIbの精製に世界ではじめて成功した。本酵素は、SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動上での分子量が45kDa、30kDa、29kDaの三つのサブユニット(それぞれサブユニット名付けた)からなるヘテロ三量体構造をしており(図1)、このうちサブユニットは触媒活性には無関係であることも見い出した。本研究ではまず、これらのサブユニットのcDNAクローニングを行い、一次構造を明らかにした。次にこれらサブユニットの機能を明らかにするために、触媒サブユニットである及びサブユニットにおける活性セリン残基の同定、各サブユニット特異的抗体の樹立、サブユニット間相互作用の検討などを行った。また、サブユニットが、ヒトの先天性の脳形態形成不全の一種であるMiller-Dieker症候群の原因遺伝子産物であることを見い出したが、このことはPAFアセチルハイドロラーゼが脳の形態形成に関与していることを強く示唆している。以下、これらの結果について詳しく述べる。

図1精製PAFアセチルハイドロラーゼIbのSDS電気泳動による解析
2方法

 cDNAクローニングは、精製蛋白質から得た部分アミノ酸配列をもとにウシ脳cDNAライブラリーから行った。大腸菌における各サブユニットの発現にはpUC-pL-cI及びpET-21aベクターを用いた。COS7細胞における発現にはpRC/CMVベクターを用いた。活性セリン残基の同定には、トリチウム標識DFP(diisopropyl fluorophoaphate、活性セリン残基の特異的修飾剤)によって標識された残基を限定分解によって求める方法及び、site directed mutagenesisによるセリン残基からシステイン残基への変換によって行った。各サブユニット特異的抗体作製は、リコンビナント蛋白質を精製して免疫源とした。モノクローナル抗体産生細胞樹立は、免疫したマウスの脾臓細胞を、マウスミエローマ細胞PAIと細胞融合させることで行った。各サブユニットの生化学的解析やサブユニット間相互作用の検討は、クロスリンキング、カラムクロマトグラフィ、イムノブロッティング、DFPとの反応性の定量などを用いて行った。サブユニットのX線構造解析は、リコンビナント蛋白を大量に調整し、Virginia大学のDerewenda教授との共同研究として行った。

3結果と考察

 ウシの細胞内PAFアセチルハイドロラーゼIbの及びサブユニットのcDNAから推定されるアミノ酸配列は、お互いに高い相同性(63.2%のidentity、82.9%のsimilarity)を有していた(図2)。これら二つのサブユニットは、大腸菌で発現させるとそれぞれ単独でもPAFアセチルハイドロラーゼ活性を示すことから、両者とも触媒サブユニットとして機能すると考えられる。しかし、両者で全く異なる領域(C末端約20残基など)も存在することから何らかの役割分担をしている可能性が高いと考えられるが、これについては現在まで不明である。PAFアセチルハイドロラーゼIbはDFPによって強く阻害されることからセリン残基を活性中心にもつことが明らかとなっていたが、これら二つのサブユニットには、セリンエステラーゼの共通モチーフ(Gly-Xaa-活性Ser-Xaa-Gly)が存在しないことから、一次構造から活性セリン残基を推定することは不可能であった。私は、(1)本酵素のようなヘテロ複合体構造をもつ酵素の場合ドミナントネガティブ変異体を用いた解析によって各サブユニットの機能などについての情報が得られるが、そのためには活性セリン残基をつぶすことが最良である(2)他のサブユニットとの相互作用を行う部位などを推定するために、触媒部位を知ることが重要である(3)セリンエステラーゼ共通モチーフをもたないことから、PAFアセチルハイドロラーゼIbは他のセリンエステラーゼと異なる進化的側面や立体構造をもつと考えられる、などの理由でこれらのサブユニットにおける活性セリン残基を決定することを試みた。その結果、サブユニットではSer47サブユニットではSer48が活性セリン残基であることが明した。さらにサブユニットについてX線構造解析を行った結果もあわせて、本酵素は既知のセリンエスラーゼとは全く異なる構造を持ち、むしろ三量体G蛋白質のサブユニット(GTPase活性をもつ)に近い構造をもつことが明らかとなった。

図2ウシPAFアセチルハイドロラーゼIbのサブユニット(下段)とサブユニット(上段)の一次構造比較

 サブユニットは、その一次構造中に、WD-40リピートと呼ばれる特徴的なくり返し構造を7回もっていることがわかった。WD-40リピート自体の機能はわかっていないが、PHドメインという別の構造と相互作用しているという説がある、そこで、いくつかPHドメインをもつ蛋白質との結合性を調べた結果、細胞骨格成分である-スペクトリンとin vitroにおいて強く結合することを見い出した。サブユニットはPAFアセチルハイドロラーゼIbの酵素活性自体には影響を与えないが、このような細胞骨格系の蛋白質と相互作用することで本酵素の局在性などを変化させているのかもしれない。また、WD-40リピートは三量体G蛋白質のサブユニットにも存在しており、この点でも三量体G蛋白質とPAFアセチルハイドロラーゼIbが類似していることは興味深い。

 サブユニットの機能について未だ不明であるが、非常に興味深いことに、ヒトの脳形態形成不全の一種であるMiller-Dieker症候群の原因遺伝子産物とサブユニットの一次構造は1残基を除いて完全に一致していることを見い出した。このことは、PAFアセチルハイドロラーゼIbのサブユニットが欠損することでMiller-Dieker症候群が発症することを意味している。Miler-Dieker症候群は、脳形態形成のなかでも神経細胞移動という現象に異常がある病態であり、その結果脳回(脳のしわ)がない表面の滑らかな脳をもってうまれる病態である。これらの事実から、PAFアセチルハイドロラーゼIb、そして恐らくはPAFが、神経細胞移動という現象に深く関与していることが強く示唆された。神経細胞移動は分子的にはほとんど解明されていない現象であるが、今後PAF及びPAFアセチルハイドロラーゼの関与のしかたを調べる必要があると考えられる。

 以上のように私は、世界で初めて細胞内PAFアセチルハイドロラーゼの精製及びcDNAクローニングに成功し、その構造解析を行った。本研究から考えられる本酵素の構造摸式図を図3に示した。今後はさらに本酵素の生理的機能を解明するために、各サブユニットの機能の同定、活性調節機構及びサブユニットアセンブリーの機構を調べることは不可欠である。さらに、細胞内においてPAFを結合することによって機能を調節される蛋白質(キナーゼや細胞骨格系蛋白質などが候補となると思う)や、PAFアセチルハイドロラーゼ各サブユニットと相互作用する蛋白質などを検索することで、未知のシグナル伝達経路が明らかになるかも知れない。特に、脳神経系の形成や高次機能にPAFがどのように関与しているかが今後の最大の課題であると考えられる。

図3ウシPAFアセチルハイドロラーゼIbの構造模式図。楕円はWD-40リピート一回を表わす。
審査要旨

 PAF(platelet-activating factor)は様々の細胞が刺激に応答して産生され、標的細胞膜上の受容体を介して作用するメディエーターである。今日に到るまでその代謝に関る酵素の分子レベルにおける解明はなされてこなかった。本論文はPAFの分解に関る酵素の同定、単離、アミノ酸配列決定、高次構造解明、サブユニット欠損症の発見と機能推定よりなりたっている。

1.ウシ脳PAF-アセチルハイドロラーゼイソフォームIbのアミノ酸配列と高次構造:

 ウシ脳の10万g上清画分には3種以上のPAFアセチルハイドロラーゼ(PAF-AH)活性が検出された。そのうち活性も最も高い酵素をアイソフォームIbと命名し精製に成功した。

 その結果PAF-AH Ibがサブユニットよりなる3量体酵素である事が発見された。それぞれのサブユニットのアミノ酸配列をcDNAクローニングの結果から推定したところ、-サブユニットともに触媒活性を有し、両者のホモロジーは約80%であった。本酵素はDFPによって活性を阻害される事からセリンを活性基に有すると推定され、変異体についての活性測定から、サブユニットではSer47サブユニットではSer48が活性セリン基である事が判明した。サブユニットについてのX線構造解析の結果もあわせて考えると、本酵素は既知のセリンエステラーゼとは異なる構造を有することが判った。サブユニットは3量体Gタンパク質のサブユニットと類似した高次構造を有すること、3量体Ib全体の構造も3量体Gタンパク質全体と類似していることが予想され、本酵素の位置づけを考える上で重要な情報が得られた。サブユニットは触媒活性を有さず、調節サブユニットと想定された。一次構造中にWD-40リピートとよばれる特徴的なくり返し構造を7回もっていたことからもこのサブユニットの役割が細胞内のほかのタンパク質との相互作用を通じた活性制御にある可能性が支持された。実際にサブユニットが細胞骨格成分であり、プレクストリン-ホモロジードメイン(PHドメイン)を有する、-スペクトリンなどと強く結合することもin vitroのモデル実験により示された。細胞骨格系や情報伝達系のタンパク質とクロストークすることでIbの活性が制御を受けている可能性が示された。

2.PAF-AHアイソフォームIbの機能:

 PAF-AHアイソフォームIbは大脳、小脳、海馬などに主として局在し、海馬ではCA2、CA3領域などに分布するところから、神経細胞移動過程に関る可能性が考えられた。さらに本研究においてPAF-AHアイソフォームIbのサブユニットがMiller-Dieker症候群の原因遺伝子産物である事も判明した。Miller-Dieker症候群はヒトの脳形態形成不全の一種で、脳皮質のしわ(脳回)形成不全を主症とする病態である。本症においては神経芽細胞が分裂後しかるべき部位へ移動出来ないため脳回形成が不全になると考えられており、この知見もアイソフォームIbが神経細胞にあってしかるべき時にしかるべき局在へ移動する上で重要な制御の役割を論じている可能性を示すものである。

 以上、本研究はPAF代謝に関る酵素を分子生物学手法によって構造的に明らかにしたもので、PAF分解酵素の機能、さらにはPAFそのものの機能の新しい側面を解明する糸口ともなるもので、生化学、神経科学の発展に寄与するところが大で、博士(薬学)の学位に価すると判明された。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51011