学位論文要旨



No 212942
著者(漢字) 伊東,洋行
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヒロユキ
標題(和) 過敏性腸症候群治療薬の創製を目指して : 5-HT3受容体拮抗薬の評価
標題(洋)
報告番号 212942
報告番号 乙12942
学位授与日 1996.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12942号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 助教授 松本,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 客員助教授 岩坪,威
内容要旨 序論

 セロトニン(5-HT)は生体内に広く分布するモノアミンであり、様々な生理的役割を担っている。特に消化管においてはその局在および運動への関与が古くより報告されている。

 5-HT受容体は現在7つのサブタイプに分類されている。その中で5-HT3受容体はイオンチャンネル型受容体であり、中枢および末梢の神経細胞上に広く存在している。近年種々の5-HT3受容体拮抗薬が開発され、これらを用いた研究からin vitroでの回腸および結腸の5-HTによる収縮は5-HT3受容体を介することが報告されてきた。また、ヒトにおいて5-HT3受容体拮抗薬が胃排出能や大腸運動および輸送能に影響を与えたとの報告もある。

 過敏性腸症候群はストレスにより誘発され、腹痛を伴う排便異常を主症状とする消化管の機能的疾患である。治療薬として抗不安薬、抗うつ薬あるいは抗コリン薬などが使用されているが、有効性や副作用の面で満足しうる薬物は存在しない。

 そこで私は、過敏性腸症候群の病態を探り、より有効な薬物の創製を目指すことを目的として研究をおこなった。私は5-HT3受容体が結腸機能に重要な役割を演じていると考え、過敏性腸症候群の治療薬として5-HT3受容体拮抗薬に着目した。そして、新規5-HT3受容体拮抗薬の創製を目指す中でYM060、YM114(KAE-393)などの強力かつ選択的な拮抗薬を見出した。本研究ではまず5-HT3受容体拮抗薬の拮抗薬としての特性を検討する目的で、電気生理学的手法および受容体結合実験系を用いて5-HT3受容体に対する親和性及び受容体選択性について検討した。そして、5-HT3受容体の病態への関与を探る目的で、過敏性腸症候群で見られるストレスによる排便異常のうち、特に下痢型のモデルを作製し、これに対する5-HT3受容体拮抗薬、YM060、YM114(KAE-393)、グラニセトロンおよびオンダンセトロンの作用を比較検討した。また、特に排便に関与が大きいと考えられる腸管部位である遠位結腸の筋層間神経叢における5-HT3受容体の存在を細胞内電位記録法を用いて薬理学的に証明することを試み、動物病態モデルでの結果と合わせ、5-HT3受容体の排便異常への関与について考察を加えた。更に、過敏性腸症候群の治療薬として使用されているトリメブチンと5-HT3受容体拮抗薬の薬効の比較から、5-HT3受容体拮抗薬の治療薬としての有用性について示した。

本論1.各種5-HT3受容体拮抗薬の中枢神経および末梢神経上の5-HT3受容体に対する親和性

 中枢神経上の5-HT3受容体に対する各種5-HT3受容体拮抗薬の親和性を調べる目的で、ラット大脳皮質およびN1E-115細胞の膜標本を用いて、[3H]GR-65630をリガンドとして受容体結合実験を行った。YM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは5-HT3受容体に対して高い親和性を示し、その効力順位は2つの標本間で良く一致していた。YM060およびYM114はグラニセトロンおよびオンダンセトロンと比較して、数倍から数十倍高い親和性を示した。

 また、末梢神経上の5-HT3受容体に対する各種5-HT3受容体拮抗薬の親和性を確かめる目的で、迷走神経上の5-HT3受容体の刺激に対する各種5-HT3受容体拮抗薬の作用を細胞外電位記録法を用いて検討した。ウサギ節状神経節およびラット頚部迷走神経の軸索のセロトニンによる脱分極反応をYM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは強力に抑制したが、ウサギとラットにおいて拮抗薬の効力比および効力順位は異なっていた。一方、ラット迷走神経における上記5-HT3受容体拮抗薬のpA2値はラット大脳皮質におけるpKi値と高い相関を示した。

 以上のことから、YM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは中枢神経および迷走神経上の5-HT3受容体に対して高い親和性を有することが示された。また、5-HT3受容体に動物種による異質性が存在することが示唆されたが、同一種における生体部位による異質性は認められなかった。

2.各種5-HT3受容体拮抗薬の受容体選択性

 各拮抗薬の5-HT3受容体に対する選択性を確認する目的で、種々の受容体に対する親和性を検討した。YM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは、受容体結合実験において5-HT1A、5-HT2、アドレナリン12、ドーパミンD2、ムスカリンM2オピオイド、ベンゾジアゼピンおよびヒスタミンH1受容体に対し、低い親和性しか示さなかった。また、YM060およびYM114は迷走神経において、ニコチン受容体およびGABAA受容体を介した脱分極反応に10-5Mまで影響を与えなかった。以上より、YM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは選択性の高い5-HT3受容体拮抗薬であることが示された。

3.ストレスによる排便異常における5-HT3受容体の関与

 ラットを摂食下および絶食下でストレスケージにより拘束することによって、それぞれ便排出量の増加および下痢が惹起された。また、セロトニンおよび選択的5-HT3受容体作動薬である2-メチルセロトニンの皮下投与、更に中枢性に迷走神経を興奮させるthyrotropin-releasing hormone(TRH)によっても便排出量の増加が認められた。

 5-HT3受容体拮抗薬であるYM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは上記便排出の亢進および下痢を用量依存的に抑制した。また、抗不安薬であるジアゼパム、5-HT1および5-HT2受容体を遮断するメチセルジドは拘束ストレスによる排便異常を抑制したが、セロトニンおよびTRHによる便排出量の増加は抑制しなかった。更に、過敏性腸症候群治療薬として用いられているトリメブチンは絶食下での拘束ストレスによる下痢を有意に抑制したが、摂食下での拘束ストレス、セロトニンおよびTRHによる便排出量の増加を部分的にしか抑制しなかった。

 以上のように、上記排便異常モデルにおいてセロトニンおよび5-HT3受容体が関与することを初めて明らかにした。また排便異常のメカニズムとして、ストレスにより消化管のエンテロクロマフィン細胞や壁内セロトニン神経からセロトニンが遊離され、神経細胞上の5-HT3受容体を刺激し、神経終末からアセチルコリンを遊離することにより結腸機能を変化させていると考えられた。更に、我々が創製したYM060およびYM114はグラニセトロンおよびオンダンセトロンと比較し、数倍から数百倍強力な排便異常の抑制作用を示したことから、治療薬としてより優れていることが示された。

4.遠位結腸筋層間神経叢における5-HT3受容体の薬理学的同定

 排便に関与が大きい腸管部位である遠位結腸の筋層間神経叢における5-HT3受容体の存在について電気生理学的手法を用いて検討した。

 モルモット遠位結腸の筋層間神経叢神経細胞の膜電位変化を細胞内電位記録法により測定した。微小圧注出法により投与した5-HTは、速い脱分極反応と緩徐な脱分極反応の2相性の反応を惹起した。YM060、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは濃度依存的に速い脱分極反応を抑制し、その効力順位は上記排便異常モデルにおける作用と一致していた。またこれらの化合物は、緩徐な脱分極反応には影響を与えなかった。メチセルジドおよび選択的5-HT4受容体拮抗薬であるGR-113808は速い脱分極反応に影響を及ぼさなかった。また電気生理学的に分類された神経細胞の種類により速い脱分極反応の性質が異なっていた。すなわち、S/Type1神経では他の神経と異なり、速い脱分極反応は容易に脱感作しなかった。一方、それぞれの拮抗薬の効力は細胞の種類によらず同一であった。

 以上のように私は、遠位結腸筋層間神経叢の神経細胞上に5-HT3受容体が存在することを初めて証明した。またこの部位において神経細胞の種類により異なる性質を持った5-HT3受容体が存在することを発見した。

結論

 1.我々が創製に成功した新規5-HT3受容体拮抗薬であるYM060およびYM114は中枢および末梢神経上の5-HT3受容体に対し高い親和性を示すと共に、他の受容体には低い親和性しか示さない選択的な薬物であることを明らかにした。

 2.私は、過敏性腸症候群でみられるストレスによる排便異常のうち、特に下痢型のモデルの作製に成功し、排便異常に5-HT3受容体が関与することを初めて明らかにした。

 3.私は、排便に関与の大きい腸管部位である遠位結腸の筋層間神経叢神経細胞上に5-HT3受容体が存在することを初めて証明した。

 4.5-HT3受容体拮抗薬の排便異常抑制作用の機序として、遠位結腸筋層間神経叢における5-HT3受容体を介した反応の抑制が関わっていることが考察された。

 5.私が作製した排便異常のモデルにおいて、5-HT3受容体拮抗薬は抗不安薬であるジアゼパム、抗コリン薬であるアトロピン、また過敏性腸症候群の治療薬として使用されているトリメブチンと比較して、より高い効力および有効性を示した。

 以上のように私は、選択的な5-HT3受容体拮抗薬がストレスによる下痢型の排便異常を既存の薬物と比較して、より強力に抑制することを動物モデルにおいて明らかにし、より有用性の高い過敏性腸症候群の治療薬になりうることを初めて示した。また、YM060およびYM114は既存の5-HT3受容体拮抗薬と比較し、その効力が非常に高いことより、5-HT3受容体拮抗薬として世界初の強力な過敏性腸症候群の治療薬になりうると考える。

審査要旨

 過敏性腸症候群はストレスにより誘発され、腹痛を伴う排便異常を主症状とする消化管の機能的疾患である。治療薬として抗不安薬、抗うつ薬あるいは抗コリン薬などが使用されているが、有効性や副作用の面で満足しうる薬物は存在しない。本研究は、過敏性腸症候群の病態を探り、より有効な薬物の創製を目指すことを目的としている。申請者は、生体内に広く分布するモノアミンであるセロトニンの受容体サブタイブの1つである5-HT3受容体が、消化管機能において重要な役割を演じていると考え、新規5-HT3受容体拮抗薬を創製し、過敏性腸症候群の病態モデルを考案することにより、その病態への5-HT3受容体の関与を明らかにし、5-HT3受容体拮抗薬が有用な過敏性腸症候群治療薬となりうる可能性を持つことを示した。

 本研究ではまず、新規5-HT3受容体拮抗薬の創製を目指す中で見出したYM060およびYM114(KAE-393)(図1)の5-HT3受容体拮抗薬としての特性を確認する目的で、電気生理学的手法および受容体結合実験系を用いて5-HT3受容体に対する親和性及び受容体選択性について検討した。その結果、これらの薬物は中枢神経および末梢神経上の5-HT3受容体に対し高い親和性を示し、また他の受容体には低い親和性しか示さない強力かつ選択的な5-HT3受容体拮抗薬であることが示された。

図1.YM060およびYM114の化学構造

 次に、過敏性腸症候群における5-HT3受容体の病態への関与を探る目的で、過敏性腸症候群で見られるストレスによる排便異常のうち、特に下痢型のモデルを作製し、これに対する5-HT3受容体拮抗薬、YM060、YM114(KAE-393)、グラニセトロンおよびオンダンセトロンの作用を比較検討した。ラットを摂食下および絶食下でストレスケージにより拘束することによって、それぞれ便排出量の増加および下痢が惹起された。また、セロトニンおよび選択的5-HT3受容体作動薬である2-メチルセロトニンの皮下投与、更に中枢性に迷走神経を興奮させるthyrotropin-releasing hormone(TRH)によっても便排出量の増加が認められた。5-HT3受容体拮抗薬であるYM060、YM114、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは上記便排出の亢進および下痢を用量依存的に抑制した。また、抗不安薬であるジアゼパム、5-HT1および5-HT2受容体を遮断するメチセルジドは拘束ストレスによる排便異常を抑制したが、セロトニンおよびTRHによる便排出量の増加は抑制しなかった。更に、過敏性腸症候群治療薬として用いられているトリメブチンは絶食下での拘束ストレスによる下痢を有意に抑制したが、摂食下での拘束ストレス、セロトニンおよびTRHによる便排出量の増加を部分的にしか抑制しなかった。以上のように申請者は、上記排便異常モデルにおいてセロトニンおよび5-HT3受容体が関与することを初めて明らかにすると共に、ストレスによる排便異常のメカニズムについて詳細に考察した。また、YM060およびYM114はグラニセトロンおよびオンダンセトロンと比較し、数倍から数百倍強力な排便異常の抑制作用を示し、治療薬としてより優れていることを示唆した。

 更に、排便に関与が大きい腸管部位である遠位結腸の筋層間神経叢における5-HT3受容体の存在を細胞内電位記録法を用いて薬理学的に証明することを試みた。モルモット遠位結腸の筋層間神経叢神経細胞の膜電位変化を細胞内電位記録法により測定した。微小圧注出法により投与した5-HTは、速い脱分極反応と緩徐な脱分極反応の2相性の反応を惹起した。YM060、グラニセトロンおよびオンダンセトロンは濃度依存的に速い脱分極反応を抑制し、その効力順位は上記排便異常モデルにおける作用と一致していた。またこれらの薬物は、緩徐な脱分極反応には影響を与えなかった。メチセルジドおよび選択的5-HT4受容体拮抗薬であるGR-113808は速い脱分極反応に影響を及ぼさなかった。このように申請者は遠位結腸筋層間神経叢の神経細胞上に5-HT3受容体が存在することを証明した。

 以上、本研究は、過敏性腸症候群の病態に5-HT3受容体が関与することを病態モデルを作製することにより明らかにし、選択的な5-HT3受容体拮抗薬がストレスによる排便異常を既存の薬物と比較して、強力に抑制することを示し、より有用性の高い過敏性腸症候群の治療薬になりうることを初めて示唆した。更に、既存の5-HT3受容体拮抗薬と比較し、その効力が非常に高いYM060およびYM114を発見したことにおいて、病態生埋学や薬理学の進歩に貢献していると評価し、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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