本論文は、壊滅的被害を惹き起こす恐れのある破堤災害の回避を主題にして、治水技術のうち計画・設計手法における信頼性、システム安全性の向上に関する研究を行ったものである。 1.治水技術の客観性の確保の必要性 我が国の治水技術者は、近代の国土の発展に伴って顕在化してきた上下流、左右岸等の問題を解決するために、近代治水技術を導入して、各河川に水系一貫の治水計画を策定した。治水事業は、国家財政と密接な関係があり、その規模は財政上の制約の中で定められていた。その計画対象洪水は、当初は既往洪水以下であったが、改修の進捗とともに既往最大洪水となり、さらに既往洪水を上回る規模の洪水が対象とされるに至った。 治水事業の制度面では、明治初期の高水工事は地元負担の時代、河川法改正による国直轄治水事業への転換、昭和初期の補助事業への拡大、近年の各河川流域の実状、災害の状況に適合したきめの細かい治水事業の展開等が行われた。この展開を通じて、治水対策は、公平性に重点が置かれて実施されてきた。 近年、水害訴訟の頻発等によって、治水対策の信頼性の向上が大きな課題になりつつある。公平性に重点を置いたこれまでの治水対策は、治水恩恵論として、整理することができる。これに対して治水対策の信頼性の向上を図ることは、ある程度公平性を犠牲にしても、一旦治水施設を設置することになった箇所については、その治水施設の信頼度を確実に確保しなければならないことになる。いわば治水責務論への転換である。 同時に、治水事業担当者、河川技術者の経験的知見に基づく主観的判断によっていた部分について、確率論的解析手法、システム工学的解析手法を取り入れて、より客観化を図ることが必要となっている。 2.洪水発生確率の算定手法の検討 「洪水防御計画」の分野において、治水技術のうち最も最初に確率論的手法が導入されて、確率洪水流量の算定が行われた。 流出解析の分野に属する確率洪水流量の算定の作業は、確率変数が、極めて多くなり計算技術上困難な制約が存在する。この打開策として、幾つかの手法が提案されている。 (1)総合確率方式は、雨量の時間分布・地域分布に、既往洪水の実績を代入する算定方法である。算定方法としては比較的簡易であるが、総雨量以外は確率解析が行われない。 (2)複合確率方式は、雨量の時間分布、地域分布がそれぞれ独立事象であるとして、それぞれに理論分布を当てはめた。この場合計算作業の都合から4次元以上の変数を3次元までに制限する作業、無限区間で定義された理論分布を有限区間に置き直して定積分するなどによっている。従って計算作業が膨大になり、一般性、実用性が少ない。 (3)カバー率方式は、計画値を流量から雨量に転換することによって作業としては単純化した。しかし確率論的には取り扱っていないカバー率という主観的指標を導入したことによって、その信頼性としての評価が不明瞭になっており、確率論としての研究が停滞する一因となっている。 (4)シミュレーション方式は、分割流域毎の流域平均雨量を表す雨量パラメーター、各流域の流域平均雨量からピーク流量への変換式の係数を表すピーク流量パラメーター、各支川低減・合流パラメーター等が相互に相関関係のある確率変数であるとして、多次元確率分布を当て嵌めて算定することとして、筆者が考案した方式である。 シミュレーション方式は、確率変数が増大しても対応が可能であることから、従前の方式が計算技術上の理由から確率変数の増大を回避してきた制約はなく、今後さらに研究するべき方向である。なお降雨、流出、合流の各現象を如何に的確に表す確率変数を採用するか、その確率変数にどの様な理論確率分布を当て嵌めるか、が重要な課題となる。 3.水位発生確率の検討 治水施設の代表例として「河道計画」において計画高水位の信頼水準について検討した。現在一般に広く行われている計画高水位の設定手法は、平均流速公式としてManning公式を使用し、直近洪水の観測から逆算したManning粗度係数を代表値いわゆる’計画粗度係数’として、水位追跡計算を行って設定する方法である。Manning公式は、近年圧倒的に使用されているが、これは計算結果の精度がよいと言う理由よりも、単項式で使用に便利であるという点が大きいことを解明した。またManning粗度係数は、河道の諸要因によって大きく変化することを解明した。 計画高水位の確率論的信頼水準を検討する手法として、既往洪水の粗度係数から算定される水位を確率解析を行って信頼限界を求めた。なお粗度係数の算定に必要な洪水時の水位観測データは、洪水の流量観測データよりなお一層少ない。従って水文学的分野の確率論的解析よりも、水理学的分野において確率論的解析を行うことは極めて困難であることが、明らかになった。 4.観測・測量誤差、算定・解析誤差の影響 「計画高水流量等」と計画高水位の設定誤差に最も影響するのは、「計画高水流量等」では河道断面の測量と流速観測、計画高水位では既往洪水時の水位測定であることが、解明された。ただし流出係数、粗度係数の設定、計画断面の設定によっては、大きな変動要因になる。従って、洪水観測時の係数等と、計画規模相当時における係数等とは、計画論として危険側に設定することのないように、留意する必要があることが明らかになった。 5.確率解析における誤差 「洪水防御計画」を策定する場合の雨量資料、流量資料は標本数が少なく、標本値から得られる母集団の母数の信頼区間が相当に大きくなることを検証した。 6.「洪水防御計画」・「河道計画」における確率論的信頼性の限界 「洪水防御計画」で定められる「計画高水流量等」、「河道計画」で定める計画高水位の不確定性は、資料数が少ないので相当に大きい。計画の信頼性を向上させるため確率論的視点からこれ以上の検証を行うことは、困難である。次の段階として堤防設計の段階で、治水技術の信頼性向上に関する研究を行った。 7.堤防設計における確率論的信頼性の限界 堤防安定条件の現行検討法は、経験工学的手法によっている。まず堤防設計における安定条件を信頼性工学的視点から検討した。堤防破壊モードとして越流、浸潤、漏水、洗堀が典型例であるが、その破壊要因は、破壊モードごとにそれぞれ異なっている。 堤防の土質力学による解明を困難にしているのには、土質の不均一性と混在する微少な土成分によって全体の土質特性が決定する組織敏感性、洪水時に不飽和土の土質力学から飽和土の土質力学へ非定常変化することによる強度低下と力学特性の本質的変化、堤防構造及び基盤の土質構成が未解明であることによる限界等である。そのため堤防の土質力学的特性は、確率論的信頼性による解析には不適当な場合が多いことが明らかになった。 8.堤防設計のシステム安全性からの視点 堤防を土構造物として規定するのではなく、土と護岸との複合構造物としてシステム工学的視点から設計する。確率論的視点では扱えない程分布の大きな土の特性、土の土質力学的弱点を、護岸等の補強構造物で置き換えることによって、その機能を補強すればその安定条件を確保することが出来る。筆者が考案した複合型堤防の小貝川について設計例を検討した。 9.システム安全性の概念の形成と治水計画の多様化 治水技術の対象は、多くの不確定性が内在している。しかも観測資料が少ないために、確率論的解析手法によってその信頼性を検討するのにはなお多くの困難がある。従ってシステム安全性工学による解析手法によって検討する必要性を論じた。システム安全性の概念は、回避するべき最悪の事象を設定して、その事象を惹き起こす恐れのある先行事象を抽出し、その先行事象を回避することが出来るように、システムを構築しようとするものである。 この概念を堤防設計の段階のみならず治水計画の段階に適用し、治水事業の目的を氾濫防止から被害極小主義に転換することによって、筆者が総合治水対策を提案した歴史的必然性を検討した。また治水事業の対象外力を限定された外力から、全外力に転換することによって筆者が超過洪水対策を提案した歴史的必然性を検討した。 |