学位論文要旨



No 212962
著者(漢字) 遠藤,弘一
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,コウイチ
標題(和) ビタミンDアナログによる癌の高カルシウム血症の制御とその機序
標題(洋)
報告番号 212962
報告番号 乙12962
学位授与日 1996.07.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12962号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,清
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 講師 山路,徹
内容要旨 [はじめに]

 癌に伴う高Ca血症はほとんどの場合、癌が産生する副甲状腺ホルモン様の因子parathyroid hormone-related peptide(PTHRP)によって起こり、Humoral Hypercalcemia of Malignancy(HHM)症候群と呼ばれる。腫瘍組織において過剰産生されたPTHRPは、全身血液中を循環し、骨や腎に存在するPTH/PTHRPに共通の受容体と結合した後、骨吸収の亢進と腎尿細管におけるCa再吸収の促進を介して癌患者に高Ca血症を起こす。このような病態に対する従来の治療は、bisphosphonateなどによる骨吸収の抑制および補液・利尿剤による尿中へのCa排泄促進が主であり、特にbisphosphonateはHHMのfirst choiceとして臨床応用されつつある。しかしながら現在のところ、癌細胞におけるPTHRPの過剰発現そのものを抑制するようなアプローチはなされていない。

 PTHRP遺伝子はPTH遺伝子と構造上および機能上いくつかの共通点を有し、1,25(OH)2D3によってその転写が抑制されることが報告されているが、l,25(OH)2D3それ自体には強力な高Ca血症作用があるため臨床応用には適さない。私はそれ自体に高Ca血症作用のない1,25(OH)2D3アナログである22-oxa-1,25(OH)2D3(OCT)の可能性に着目した。OCTは担癌動物モデルにおいて高Ca血症を起こすことなく乳癌などの増殖を著明に抑制することが示されている。またPTHRPを過剰産生する悪性腫瘍細胞株を用いたin vitroの実験により、OCTは1,25(OH)2D3よりも強力にPTHRP遺伝子の転写を抑制することが明らかにされ、OCTは癌の増殖のみならずPTHRP遺伝子の転写抑制を介して癌に伴う高Ca血症の治療薬としても有用である可能性が考えられる。

[目的]

 本研究の目的は、1.PTHRPを過剰産生しヌードマウスへの移植によってin vivoでHHMの病態を再現し、同時にvitamin D receptor(VDR)をも発現するようなヒト癌を同定し、2.これをモデルとしてOCTのHHMの治療薬としての有効性をin vivoで評価し、さらに3.担癌動物におけるOCTの薬物動態を検討することによって、その薬物としての特性を明らかにすることである。

[方法]

 1)22-Oxa-1,25(OH)2D3(OCT)および[2-3H]OCTは中外製薬で合成、l,25(OH)2D3は、Solvay Duphar B.V.から、その他のアイソトープはAmershamから購入した。2)in vivoモデルとして膵癌由来FA-6細胞をヌードマウスに移植したものを用いた。薬物は担癌マウスに経口的あるいは経静脈的に投与した。採血は後眼窩静脈より行い、血中イオン化カルシウム(Ca2+)は電解法により測定した。3)In vivoでのOCTおよび1,25(OH)2D3の薬物動態実験はそれぞれのラベル体をFA-6担癌ヌードマウスの尾静脈より投与し、採取した血液および組織は、自動サンプル燃焼システムにより放射活性を測定した。4)RNAの分析は、ノーザンブロット解析とRNase protection assayにて行った。5)VDRとの結合実験はreceptor binding studyにより行った。6)転写速度の解析には(nuclear run-off assayを用いた。

[結果]HHMの病態をin vivoで再現するモデル動物の作成

 HHMの病態モデルとして、ヒト膵癌細胞(FA-6)を移植したヌードマウスを用いた。担癌動物は腫瘍の進展に伴い著明な高Ca血症とcachexiaを呈した。腫瘍から抽出したRNAを用いてノーザンブロット解析を行うと、PTHRP mRNA過剰発現が確認された。さらに血中のimmunoreactive PTHRPをIRMA法で測定すると、担癌動物において著明な血中PTHRP濃度の上昇が認められた。

ヒト膵癌FA-6におけるVDRの発現

 FA-6腫瘍がVDRを発現しているか否かを確かめる目的で、腫瘍からpoly(A)+RNAを抽出し、ノーザンブロット解析を行った。FA-6腫瘍では、VDR陽性細胞であるHL-60細胞が発現するVDR mRNAと同位置の単一バンドが検出された。さらに、FA-6腫瘍から核抽出画分を調製し、200倍量の1,25(OH)2D3存在および非存在下で種々の濃度の[3H]1,25(OH)2D3と反応させたところ、核抽出物中に1,25(OH)2D3と特異的に結合する活性が存在し、VDR mRNAのみならず、1,25(OH)2D3と結合する機能的なVDR蛋白を発現することが確認された。

担癌ヌードマウスにおけるOCTと1,25(OH)2D3の薬物動態

 担癌動物におけるOCTと1,25(OH)2D3の薬物動態を明らかにする目的で、それぞれのラベル体を経静脈的に投与し、組織分布を10、60、180分後に測定した。[3H]OCTは[3H]1,25(OH)2D3よりも速やかに血中より消失し、肝臓でも速やかに代謝された。[3H]OCTと[3H]1,25(OH)2D3は小腸や腎臓のような古典的な標的臓器へ輸送されそれぞれの組織に取りまれたが、これらのCa輸送臓器における1,25(OH)2D3の取り込みは3時間まで増加し続けたのに対して、OCTの取り込みは1時間でピークとなり3時間後にはかなり減少した。腫瘍組織における薬物の取り込みも同様の時間経過で起こり、200倍過剰のOCTを同時に投与することで完全に抑制されたことから、取り込み過程が特異的に起こっているものと考えられた。

腫瘍におけるPTHRP mRNA発現に対するOCTのin vivoでの効果

 OCTを3週間経口投与あるいは静脈内投与した後、FA-6腫瘍におけるPTHRP mRNAの発現をノーザンブロットで解析した。OCTでは、PTHRP mRNAの発現を著明に低下させ、その効果は0.0625から6.25g/kg体重の間で用量依存的に認められた。

PTHRP遺伝子の転写に対するOCTの効果

 OCTが転写レベルでPTHRP mRNAの発現を抑制するか否かを明らかにする目的で、腫瘍から核を抽出し、in vitroでPTHRP遺伝子の転写速度を測定した。Nuclear run-off assayの結果、OCTはPTHRP遺伝子の転写速度を減少させることが明らかとなった。ヒトPTHRP遺伝子のexon 1cとexon 2を含むantisense RNAプローブを用いたRNase mapping実験では、exon 1cとexon 2を含むフラグメントの両方がOCT投与により減少するという結果が得られ、OCTがヒトPTHRP遺伝子の上流および下流のプロモーターからの転写を抑制している可能性が示唆された。

癌に伴う高Ca血症に対するOCTの効果

 OCTの予防的効果を検討するために、担癌動物の血中Ca2+がほとんど上昇していない移植後12日から投与を開始した。vehicle投与群では癌の進展に伴って血中Ca2+が著明に上昇したのに対して、OCTは、経口投与でもあるいは静脈内投与でも、高Ca血症の進展を著明に抑制し、その予防効果はほぼ用量依存的に認められた。

Cachexiaに対するOCTの効果

 FA-6腫瘍を移植した動物は、癌の進展に伴って高Ca血症とともにcachexiaも呈した。移植後24日目で血中Ca2+が著しく上昇した状態では、コントロールマウスの25gに対して、担癌動物はすでに20-21gの状態であった。Vehicle投与群では、実験期間の4週間でさらに16gまで体重が減少したのに対して、OCTを投与した群では体重減少が著明に抑制された。

担癌動物に対するOCTの延命効果

 FA-6腫瘍を移植後24日目で血中Ca2+が著しく上昇した状態からOCTを3週間経口投与したところ、Vehicle投与群が3ヶ月以内にでほとんどすべて死亡したのに対して、OCT投与群は癌の高Ca血症の進展を抑制する結果として、最高6カ月以上生存し、全体として約1.5倍の延命効果が認められた。

「考察」

 癌細胞は様々なホルモンやサイトカインを産生することによって癌患者の臨床経過に種々の合併症をもたらす。なかでも高Ca血症は、最も頻度の高い腫瘍随伴症候群のひとつであり、ほとんどの場合癌が産生するPTHRPの骨および腎への作用を介して起こる。癌に伴う高Ca血症は、患者のquality of lifeを損なうのみならず、その予後にも大きく影響する要因と考えられる。

 本研究では、PTHRPを過剰に産生しVDR陽性である膵癌(FA-6)を移植したヌードマウスモデルを用い、それ自体には高Ca血症作用の少ないOCTがPTHRPの転写抑制を介して癌に伴う高Ca血症に治療効果を発揮することが示された。

 担癌マウスを用いたin vivo薬物動態実験の結果より、OCTそれ自体に高Ca血症作用が少ない理由は、Ca代謝の標的臓器における取り込みが一過性で長く持続しないという薬物動態上の特性に基づく可能性が考えられる。一方、FA-6腫瘍における取り込み実験から、Ca代謝に対する作用とは対照的に、OCTの組織内の一過性の上昇が、腫瘍におけるPTHRP遺伝子の転写抑制には十分であるものと考えられる。しかしながら、OCTの癌細胞への一過性の取り込みがなぜこのように効果的にPTHRP遺伝子の転写を抑制するのか、またその作用がすべて古典的なVDRとの相互作用さらにはnegative vitamin D response element(nVDRE)との結合を介して起こっているのかは不明である。

 今回のRNase mapping実験の結果から、PTHRPの上流あるいは下流プロモーターの両者からの転写に対してnegativeに働くビタミンD反応性のDNAエレメントの存在が示唆される。ヒトPTH遺伝子ではnVDREとして"AGGTTCA"モチーフが報告されているが、類似のモチーフはPTHRP遺伝子の上流プロモーターにも下流プロモーターにもいくつか存在することから、これらのいずれかがnVDREとして機能している可能性が考えられる。

 本研究により、OCTが癌に伴うcachexiaに対しても著明な治療効果を有することが明らかとなった。OCTの抗cachexia作用のメカニズムは現在のところ不明であり、今後の検討が必要である。

[結論]

 1,25(OH)2D3のアナログでそれ自体に血中Ca上昇作用がほとんどないOCTが、VDR陽性のヒト膵癌(FA-6)移植ヌードマウスモデルにおいて、腫瘍におけるPTHRP遺伝子の転写をin vivoで抑制する結果、癌に伴う高Ca血症に対して治療効果を発揮することが明らかとなった。したがって、OCTは癌におけるPTHRPの産生そのものを抑制することによって癌の高Ca血症の治療に有用である可能性が示された。さらにOCTの治療効果はbisphosphonateなどの薬剤と組み合わせることによって増強される可能性もある。

審査要旨

 癌に伴う高Ca血症・cachexiaは患者のQOLを大きく左右し予後を決定する重要な合併症である。前者の主要な惹起因子としてparathyroid hormone-related peptide(PTHRP)が同定され、またcachexiaに関してはTumor Necrosis Factor(TNF-)、Interleukin-6(IL-6)、Leukemia Inhibitory Factor(LIF)などが候補因子として考えられている。

 本研究では、活性型ビタミンDである1,25(OH)2D3のアナログで副作用が少なく比較的大量を安全に投与できるように開発された22-oxa-1,25(OH)2D3(OCT)の(1)PTHRP遺伝子の転写に対する効果、(2)高Ca血症・cachexiaに対するin vivoでの治療効果および(3)薬物動態上の特性について検討し、下記の結果を得ている。

 1、PTHRP mRNAを過剰に発現するヒト膵癌株(FA-6)を移植したヌードマウスを用いて、OCTのPTHRP mRNA発現に対する効果を検討した。OCTは4週間週5回の経口投与においても、週2-3回の静脈内投与においても、腫瘍内のPTHRP mRNAレベルを著明に抑制することが示された。

 2、OCTは0.0625から6.25g/kgまで用量依存的にPTHRP mRNAの発現を抑制した。また、時間経過に関しては、投与後1日目には3匹中2匹に於いてPTHRP mRNAレベルの低下が観察され、4日目には3匹中すべての腫瘍でPTHRP mRNAが明らかに減少することが示された。

 3、VehicleあるいはOCTを投与した担癌動物のFA-6腫瘍より核を抽出し、in vitroでPTHRP遺伝子の転写速度を測定した。Nuclear run-off assayの結果、OCTはactin遺伝子の転写には影響を与えずPTHRP遺伝子の転写速度を減少させ、OCTが転写レベルでPTHRP mRNAの発現を抑制することが明らかとなった。

 4、ヒトPTHRP遺伝子の3つのプロモーターのうちどれがFA-6において働いているか、またそのいずれがOCTによる転写の抑制効果を受けるかを決定するために、antisense RNAプローブを作成しRNase mappingを行なった。その結果、この腫瘍では下流のプロモーターも上流のプロモーターもほぼ同程度に使われていること、さらにOCTの投与によりこれら両方のバンドが減少したことから、OCTが上流および下流プロモーターの両方からの転写を抑制することが示唆された。

 5、OCTがFA-6腫瘍におけるPTHRP遺伝子の転写を強力に抑制するという以上の成績に基づいて、OCTの全身投与が実際に、癌に伴う高Ca血症に対して予防効果あるいは治療効果を発揮するか否かを検討した。予防効果に関しては、担癌動物の血中Ca2+がわずかに上昇する移植後12日目からOCTの投与を開始したところ、vehicle投与群では癌の進展に伴って血中Ca2+が著明に上昇したのに対して、OCT投与群では、経口投与でもあるいは静脈内投与でも高Ca血症の進展を著明に抑制した。次に、すでに著明な高Ca血症を呈する担癌ヌードマウスに対するOCTの治療効果について検討した。移植後24日目で、血中Ca2+が著しく上昇した時点からOCTを週2-3回の割合で4週間静脈内投与したところ、vehicle投与群ではさらに血中Ca2+が上昇したのに対して、OCT投与群は血中Ca2+の有意な低下が認められた。

 6、実験で用いた担癌モデルは癌の進展に伴って著明なcachexiaを呈したので、このcachexiaに対するOCTの効果についても検討した。移植後24日目で著しく血中Ca2+が上昇した状態では、age-matchedの非担癌ヌードマウスの23-24gに対して、FA-6腫瘍を移植した動物はすでに20-21gと体重減少を示した。Vehicle投与群では、実験期間の4週間でさらに16gまで体重が減少したのに対して、OCTを週2-3回の割合で4週間静脈内投与した群では体重減少が著明に抑制することが明らかとなった。

 7、以上の結果として、OCTが担癌動物に対して延命効果を発揮するか否かを検討した。Vehicle投与群では3ヶ月以内にすべて死亡したのに対して、OCTを3週間だけ投与した群では最高6カ月以上生存し、平均すると約1.5倍の延命効果が認められた。

 8、1,25(OH)2D3は強力な高Ca血症作用を有するのに対して、OCTそれ自体はかなり高用量投与してもほとんど高Ca血症をきたさない。そこでこの作用の違いを明らかにするために、OCTの薬物動態を1,25(OH)2D3と比較検討した。FA-6腫瘍を移植したヌードマウスにOCTと1,25(OH)2D3のラベル体を経静脈的に投与し、それぞれの化合物の組織分布を10、60、180分後に測定した。その結果、[3H]OCTは[3H]1,25(OH)2D3よりも速やかに血中より消失するとともに、肝臓でも速やかに代謝されることが明らかとなった。また小腸や腎臓などビタミンDの古典的な標的臓器においても、腫瘍組織においても、1,25(OH)2D3の取り込みが3時間以上上昇し続けたのに対してOCTの取り込みは一過性で1時間でピークを示した。以上の成績から、薬物動態上の違いがOCTそれ自体に極めて高Ca血症が少ない事実を説明しうると結論した。

 以上のように、本論文は(1)ビタミンDアナログ(OCT)が癌組織に効率的に取り込まれ、(2)PTHRP遺伝子の転写を強力に抑制することにより癌に伴う高Ca血症に対して治療効果を発揮すること、(3)OCTの薬物動態上の特性が幅広い治療域を有する安全な治療薬として投与できる大きな根拠となっていることを証明した。

 本研究は、癌に伴う高Ca血症・cachexiaなどの治療薬としてのOCTのポテンシャルを見いだしかつその作用メカニズムの解明に対して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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