本研究は、高齢者の精神保健の維持や抑うつなどの治療に有効であるとされている回想法を、痴呆性疾患を有する患者に施行し、その有効性を検討しようとするものであり、下記の結果を得ている。 1 回想法が痴呆性疾患を有する患者の知的機能に与える影響を検討するために、40例の対象のうち24例に対し、回想法グループ前後にHDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)を施行した結果、全体としてはグループ前後に有意な変化を認めなかった。対象を痴呆の診断別に分けて検討すると、SDAT群(アルツハイマー型老年痴呆群)では有意な変化を認めなかったが、VD群(血管性痴呆群)では改善の傾向を認めた。VD群には、何らかの理由で発現を妨げられている潜在的な知的機能があり、回想法の心理的な作用が、その妨害要因をとりのぞくために、知的能力のスケールが改善するものと考えられた。 2 回想法が痴呆性疾患を有する患者の、グループ外の行動や情動に与える影響を検討するために、高齢者用に開発された多次元評価尺度であるMOSESスケールを用いて病棟内での日常生活の様子を評価したところ、40例全体の総得点の結果は、グループ開始前と終了後に有意な変化を認めなかった。下位項目別に結果を検討すると、「セルフケア」、「見当識」、「いらいら感・怒り」、「引きこもり」については有意な変化を認めず、「抑うつ感」について有意な改善を認めた。痴呆の重症度別に対象を2群(重症群と軽症群)に分け、各々についてグループ前後の変化を検討すると、軽症群で有意な改善を認めた。回想法は、痴呆老人の、情動の安定に効果を有することが示された。 3 回想法グループ内の痴呆性疾患患者の様子を評価する観察評価スケールの得点を40例全体について評価したところ、初回と比較して、最終回には有意な改善を認めた。痴呆の診断別にはSDAT群で有意な変化を認めず、VD群において有意な改善を認めた。痴呆の重症度別には、重症群でより顕著な改善が示された。重症群は、認知障害や行為能力障害が大きいために、病棟内での日常的治療的はたらきかけの方法が限定されており、充分なケアがなされず、そのことが重症群の残存能力の発現の妨害要因になっている。回想法グループによる心理療法的効果がこうした妨害要因を取り除く作用をもっていることが示された。 4 今回の研究結果の分析をもとにして、痴呆性疾患を有する高齢者に対する回想法の効果のメカニズムとして、「感覚刺激による導入」から、「手続き記憶」、「意味記憶」、「エピソード記憶」の想起、「情動の再体験」、「グループにおける共感、受容」、「今日の感情体験の醸成」に至る過程を仮説として示した。 以上、本論文は、痴呆性疾患を有する患者に対する心理療法としての回想法が、痴呆老人の「抑うつ感」の改善に有効な方法であること、それによっていくつかの副次的効果をあげ、痴呆性疾患を有する高齢者の治療法として有効なものであることを明らかにした。本研究は、従来ほとんど検討がなされなかった痴呆老人に対する心理療法の有効性、作用のメカニズムを解明する上で、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |