内容要旨 | | 樹木では広葉樹,針葉樹を問わず,形成層ないし材に達する傷害あるいは菌の侵入を受けると辺材に変色部が形成される。この材変色部には一般に菌類が侵入・定着するが,多くの場合材変色部はある一定の大きさまで拡大した後は,拡大を停止する。そこには材変色の拡大,菌の進展を阻止する何らかの機構が働いていると考えられる。菌の侵入に対する樹木の辺材の防御機構には静的な機構と動的な機構とがあり,動的な防御機構が重要であると考えられている。動的な防御反応にはスベリン化のような細胞壁の変化に代表される組織学的な反応とファイトアレキシン等の抗菌性物質の集積に代表される化学的な反応とがあり,両者が相まって作用することによって短時間から長期間にわたる防御を有効に成り立たせていると考えられている。しかしながら,こうした樹木,特にその辺材の防御機構に関する研究は,わが国ではほとんど行われていない。そこで本研究では,わが国の主要造林樹種であるスギを対象として,辺材の菌の侵入に対する動的防御機構について抗菌性物質の集積を中心に検討を行った。 スギの材変色はさまざまな原因により生じるが,主要な被害としてスギカミキリの加害や暗色枝枯病が挙げられる。スギカミキリの加害では食害部から菌が侵入し材変色が生じる。材変色部にはさまざまな菌が定着するが,その中の主要な菌の一つとして暗色枝枯病菌Guignardia cryptomeriaeがある。そこで,スギカミキリの加害に伴う材変色および,暗色枝枯病菌を接種した場合の防御反応について明らかにした。 まず,スギ生立木の材変色は傷害等のさまざまな要因によって材内に侵入した特異的あるいは非特異的な菌によって生じ,材変色の形態は形成層の壊死範囲や菌の種類によって左右されることが種々の観察例から明らかにされた。 スギカミキリの加害に起因するスギの材変色部における特性は以下の通りである。変色辺材では健全辺材に比べて電気抵抗値が低下した。変色辺材や反応帯ではK,Ca,Mg等のカチオンの集積が認められたことから,カチオンの集積が電気抵抗値の低下を招いたものと考えられた。pHは変色辺材や反応帯で高かったが,これは上記のカチオンの炭酸塩の集積によるものであることが推定された。変色辺材では健全辺材に比べカチオン交換容量(CEC)が大きく,炭酸塩の集積の他にCECの増大がカチオン集積の一要因と考えられた。反応帯および変色辺材からはGuignardia cryptomeriae,Fusarium oxysporum,F.solani,Cryptosporiopsis sp.といった菌類や細菌が分離されたが,加害後の経過時間の違いによって微生物相に差異は認められなかった。優占菌と各カチオン濃度との関連について検討したところ,変色部におけるカチオン濃度の増大は微生物相の違いによらず,材変色後の経過時間と関連していることが示された。 次に,スギカミキリの加害に起因するスギの材変色部における宿主反応を明らかにした。材変色部では通水阻害が生じ含水率が低下するとともに,変色辺材を取り囲む移行帯および反応帯で抽出物含量が増加した。抽出物含量は移行帯内層で最も高く,hinokiresinol,agatharesinol,sequirin-C等のノルリグナン類やテルペン類が移行帯内層を中心として移行帯外層や反応帯においても集積していた。これらの物質の内,ノルリグナンであるhinokiresinol,1,4-bis-(p-hydroxyphenyl)-butadieneおよび他のいくつかの未同定物質がCladosporium herbarumやスギの材変色部から分離されたFusarium oxysporum,F.solani,G.cryptomeriaeに対する抗菌性を示し,ファイトアレキシンと考えられた。変色辺材に定着した菌糸は反応帯まで侵入し,反応帯から移行帯内層で阻止されていた。菌の侵入部位のやや先まで,すなわち反応帯や変色辺材の柔細胞は壊死していた。反応帯に隣接する移行帯ではほとんどの放射柔細胞が生きているだけでなく,移行帯内層柔組織では健全辺材に比べ防御反応との関連が指摘されているNAD diaphorase活性の著しい増高が認められた。また移行帯内層を中心に反応帯にかけて,柔細胞から分泌された多数の油滴状物質が仮道管や壁孔を閉塞しているのが観察され,この油滴状物質を分析したところ抗菌性物質を含むノルリグナン類やテルペン類を含んでいることが明らかにされた。これらの結果は,材変色部の境界,すなわち移行帯および反応帯,で柔細胞から分泌され抗菌性物質を含む油滴状物質が空間的に連続した障壁を形成し,菌がさらに進展するのを阻止していることを示唆している。 生立木材内における菌や材変色の進展を阻止する上での動的防御機構の有効性を評価することを目的として,スギの丸太にG.cryptomeriaeを接種し,防御反応が抑制された場合の菌や材変色の進展と宿主の反応を検討した。その結果,動的防御反応が停止している高圧滅菌丸太や冷凍処理丸太では菌の進展は速く,軸方向の進展はPDA培地上と比べてほとんど差異がなかった。このことは静的防御機構として健全な辺材に元来存在する成分は菌の進展を阻害しないことを示している。弱い防御反応を示した新鮮丸太で菌の進展阻害がみられ,生立木では菌の進展が最も遅かったことから,動的な防御反応が菌の進展阻止に重要な役割を果たしているものと考えられた。また,高圧滅菌丸太や冷凍処理丸太では強病原力菌株と弱病原力菌株との間で進展速度に差異が認められなかったが,新鮮丸太では弱病原力菌株接種の場合の方が強病原力菌株接種の場合より菌の進展阻害の程度が大きかった。このことは菌の病原力の差異は宿主の動的防御反応との相互関係で決まることを示している。接線断面でみた材変色の縦横の大きさの比率すなわち形状比は新鮮丸太や生立木の方が高圧滅菌丸太や冷凍処理丸太より大きく,材変色の形状の決定には材要素の形状に加え動的防御機構が関与していることが示唆された。 スギ生立木にG.cryptomeriaeを接種した場合,変色および菌の進展範囲は対応しており,いずれも接種後約1〜2週間までは急速に進展した。この進展は接種後2週間〜1カ月程度で阻止され,この時期に防御機構が充分に有効となったことが示された。接種菌の病原力の違いによって材変色の大きさや菌の進展範囲に差異がみられたものの,進展停止の時期には差異はなかった。傷害や菌接種の1週間後には既に材変色部の含水率は低下しており,NAD diaphorase活性の増高および油滴状物質の分泌が同一の部位で始まった。抽出物含量の増加がみられたのは接種後2週間〜1カ月程度であったが,抗菌性物質であるhinokiresinolや1,4-bis-(p-hydroxyphenyl)-butadieneの集積は速く接種1週間後には認められた。これらの濃度は接種1週間後にピーク時の20%程度に,接種2週間後に半分程度に達していた。これらに比べると,agatharesinolやsequirin-C,テルペン類の集積は遅かった。こうしたことから,感染初期すなわち接種後2週間以内の菌の進展の遅延およびその後の停止に抗菌性物質の集積が関与していることが示唆された。抗菌性物質の濃度は傷対照より菌接種による材変色部の方が高くなったが,防御反応の強度には接種菌株の病原力の違いによる差異はみられなかった。 以上の結果から,スギ生立木辺材では,菌の侵入に対してファイトアレキシンである抗菌性物質を含む油滴状物質が柔細胞から仮道管に分泌され,仮道管や壁孔を閉塞して菌に対する障壁を形成する。こうした動的防御反応が菌や材変色の拡大を阻止する上で決定的に重要であり,かつ材変色の形状を決定する要因であることが明らかにされた。 |