学位論文要旨



No 212975
著者(漢字) 須藤,正幸
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,マサユキ
標題(和) Candida albicansのキチン合成酵素遺伝子の単離とキチン合成酵素の活性部位の解析
標題(洋)
報告番号 212975
報告番号 乙12975
学位授与日 1996.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12975号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 真菌の細胞壁はその構成成分の80〜90%が多糖である。多糖の主な成分はマンナン、グルカンおよびキチンである。キチンは菌種により量的な差はあるものの、ほとんどの菌類がこれを細胞壁成分の一つとしている。キチンはキチン合成酵素(EC2.4.1.16)によってUDP-N-acetylglucosamine(UDP-GlcNAc)を基質として合成される。キチン合成酵素は、はじめ不活性型の前駆体として合成され、プロテアーゼによる切断によって活性化すると考えられているが、その前駆体はキトソームと呼ばれる小胞によって細胞膜まで運ばれていると考えられている。酵母のキチン合成酵素の機能については遺伝子レベルでの研究が精力的に行われている。S.cerevisiaeからはキチン合成酵素をコードする遺伝子が3種類(CHS1,CHS2,およびCAL1)単離されている。遺伝子破壊の解析からアイソザイムである3種類のキチン合成酵素にはそれぞれ異なる機能があることが明らかにされている。これらの酵素の機能は、キチン合成酵素1はS.cerevisiae内でもっとも豊富に存在するキチン合成酵素であるが、S.cerevisiaeの生育には必須ではなく細胞壁が損傷した場合それを修復する役割を担っている。また、キチン合成酵素2は細胞の1次隔壁の合成に関与しており、この酵素をコードする遺伝子(CHS2)の破壊株は致死的ではないものの細胞の形態や核分裂などに異常を引き起こすため、S.cerevisiaeの生育に非常に重要な役割を果たしている。CAL1にコードされるキチン合成酵素3は、キチン合成酵素1、2とは相同性が低く、基質共存下のみでプロテアーゼによる活性化が起こることから別の型のキチン合成酵素である。キチン合成酵素3に欠損のある変異株では細胞壁のキチン含量が約90%低下することから、キチン合成酵素3は細胞壁全体のキチンの合成に関わっていると考えられている。また、CAL1を破壊しても致死とはならないが細胞の形態異常が観察される。さらに、CHS2,CAL1の両遺伝子を破壊した二重変異株のS.cerevisiaeは致死となり、S.cerevisiaeの生育にはキチン合成酵素1以外の酵素によるキチン合成が必要であることが示されている。

 一方、Candida albicansは健康人の口腔や腸管に常在する菌であるが、しばしば義歯性口内炎や膣炎などの表在性真菌症を起こす。また癌末期の患者やHIV感染症患者に日和見感染して致死的な深在性全身性カンジダ症を起こすことも知られており、これは近年特に増加の傾向にある。C.albicansは二形性真菌として知られているが、酵母形から菌糸形への形態変化で細胞壁成分に変化がみられ、菌糸形の細胞壁では酵母形にくらべてキチン含量が3〜5倍増加していることやキチン合成酵素の活性が菌糸形の方が酵母形より2倍高いことが古くから知られている。従って、C.albicansの形態変化と細胞壁成分の変化あるいはそれを合成する酵素の遺伝子発現の解明は形態形成のメカニズムを知るうえで重要であるばかりでなく、病原菌の宿主への感染の成立を理解するためにも重要であると思われる。そこで本研究においては、C.albicansのキチン合成酵素に着目し、本酵素の遺伝子の単離を行い、形態変化と遺伝子の発現の関係を追及した。また、本研究で単離したキチン合成酵素と既にクローン化されているキチン合成酵素の配列をもとにキチン合成酵素の活性部位の解析を行った。

1.C.albicansのキチン合成酵素3遺伝子の単離と解析

 S.cerevisiaeの細胞壁成分のキチン合成を司るキチン合成酵素3をコードする遺伝子CAL1をプローブにしてC.albicans IFO1060株のゲノムライブラリーから遺伝子ホモログ(canCHS3)を単離した。canCHS3は3525bpからなる1175残基のポリペプチドをコードする分子量131,850のタンパク質と推定された。両者の相同性は遺伝子レベルで59.3%タンパク質レベルで88.2%の類似性(59.3%の同一性)であった。C.albicans IFO1060株を菌糸形が誘導される条件で培養し、この菌体からRNAを抽出し、canCHS3をプローブとしてノザン解析を行ったところ、canCHS3の転写産物が検出された。以上の結果より、canCHS3はC.albicansが菌糸形誘導を起すときに特異的に発現する遺伝子であると結論した。

2.C.albicansのキチン合成酵素1A遺伝子の単離と解析

 C.albicansからS.cerevisiaeのキチン合成酵素のなかで最も重要と考えられているキチン合成酵素2(sacChs2)の遺伝子ホモログの単離をおこなった。C.albicans IFO1060株のサブライブラリーよりキチン合成酵素2遺伝子(sacCHS2)をプローブとして得た遺伝子(canCHS1A)は2325bpからなる775残基のタンパク質をコードしていた。canCHS1Aは既に報告されているC.albicansの遺伝子canCHS1よりも1アミノ酸だけ短いため変異型遺伝子と考えられた。sacCHS2とcanCHS1Aの相同性は遺伝子レベルで52.6%、タンパク質レベルで87%の類似性(54.5%の同一性)であった。canCHS1AがS.cerevisiaeのCHS2の役割を担うかどうかを調べるために、canCHS1AをGAL1プロモーター下に連結し、sacCHS2のnull変異株であるYMS020株に導入した。形質転換体はグルコース存在下では異常な形態を示したが、C源をガラクトースに代えたところ正常な形態が維持され、一次隔壁も形成されたことからcanCHS1Aはchs2欠損株を相補すると結論した。さらに、canChs1Aは弱酸性側に至適pHを有し、活性化金属はMg2+であり、S.cerevisiaeのChs2の性質とは若干異なった。しかし、キチン合成酵素阻害剤であるnikkomycin Zおよびpolyoxin Dに対する感受性はほぼ同等であった。以上の結果より、canCHS1Aは母細胞と娘細胞との境界の一次隔壁のキチン質を合成する役割を演じていると結論した。

3.キチン合成酵素の大量発現と活性部位の解析

 キチン合成酵素の活性部位について解析を行った。キチン合成酵素遺伝子は酵母やカビなど多種類の真菌から単離されている。加えて、本研究の2章および3章において、C.albicansから2種類のキチン合成酵素遺伝子を単離した。これらの酵素のアミノ酸配列のマルチアライメント解析の結果、ポリペプチド鎖の中央付近(CHS3のグループの酵素ではC末側付近)によく保存された領域が見い出された。この領域はキチン合成酵素において何らかの重要な機能を有するドメインではないかと推測し、酵母のキチン合成酵素のなかで最も重要と考えられているキチン合成酵素2における保存領域(con1)、Gln490からAsn607に着目し解折を行った。con1に相当する遺伝子を大腸菌内でマルトース結合タンパク質との融合タンパク質としてMBP-con1を発現させ、アミロースレジンを用いたアフィニティクロマトグラフィーで精製した。得られた融合タンパク質にはキチン合成酵素活性は検出されなかったものの、nikkomycin Zとの相互作用が検出された。nikkomycin Zの分子内アミノ基を介してバイオセンサーチップの表面に固定し、センサーチップ上のnikkomycin Zに対して種々の濃度のMBP-con1を反応させたところ、濃度に依存してnikkomycin Zとの相互作用のシグナルが観測された。そして、観測値から得られた平衡定数KDは5.3Mと算出された。この値はキチン合成酵素2に対するnikkomycin ZのKi値6Mとほぼ同じ値であった。以上の結果より、キチン合成酵素2における保存領域(con1)118残基は酵素の活性部位の一部としての機能を有し、基質との相互作用に関与するドメイン構造を構成していると推定される。

 以上、医真菌C.albicansのキチン合成酵素遺伝子の単離およびその機能を明らかにした。また、キチン合成酵素のアライメント解析および阻害剤との相互作用の結果、本酵素の活性部位の領域を初めて同定した。今後、本酵素のドメイン構造に焦点を当て、遺伝子工学的手法によりタンパク質を大量発現した後、X線結晶解折やNMR解析などにより3次元構造が解明されることが期待される。また、これらの解析は糖鎖合成酵素の反応機構を理解するうえで大いに役立つものと思われる

審査要旨

 真菌の細胞壁はその構成成分の80〜90%が多糖である。多糖の主な成分はマンナン、グルカンおよびキチンである。キチンは菌種により量的な差はあるものの、ほとんどの菌類がこれを細胞壁成分の一つとしている。キチンはキチン合成酵素(EC2.4.1.16)によってUDP-N-acetylglucosamine(UDP-GlcNAc)を基質として合成される。本研究では、Candida albicansの形態変化と遺伝子発現の関係に着目し、キチン合成酵素遺伝子の単離を行った。また、C.albicansのキチン合成酵素と既知のキチン合成酵素の配列をもとに本酵素の活性部位の解析を行った。

1.C.albicansのキチン合成酵素3遺伝子の単離と解析

 Saccharomyces cerevisiaeの細胞壁成分のキチン合成を司るキチン合成酵素3をコードする遺伝子CAL1をプローブにしてC.albicans IFO1060株のゲノムライブラリーからホモログ遺伝子(canCHS3)を単離した。canCHS3は1175アミノ酸残基からなる分子量131,850のタンパク質をコードすると推定された。両者の相同性は遺伝子レベルで59.3%、タンパク質レベルで88.2%の類似性(59.3%の同一性)であった。C.albicans IFO1060株を菌糸形が誘導される条件で培養し、この菌体からRNAを抽出し、canCHS3をプローブとしてノザン解析を行ったところ、通常の増殖時と異なってcanCHS3の転写産物が検出された。以上の結果より、canCHS3はC.albicansが菌糸形誘導を起すときに特異的に発現する遺伝子であると結論した。

2.C.albicansのキチン合成酵素1A遺伝子の単離と解析

 C.albicans IFO1060株のゲムノライブラリーより、S.cerevisiaeのキチン合成酵素2遺伝子(CHS2)をプローブとして得た遺伝子(canCHS1A)は2325bpで775アミノ酸残基からなるタンパク質をコードしていた。CHS2とcanCHS1Aの相同性は遺伝子レベルで52.6%、タンパク質レベルで87%の類似性(54.5%の同一性)であった。canCHS1AがS.cerevisiaeのCHS2の役割を担うかどうかを調べるために、canCHS1AをGAL1プロモーター下に連結し、CHS2のnull変異株であるS..cerevisiae YMS020株に導入した。形質転換体はグルコース存在下では異常な形態を示したが、C源をガラクトースに代えたところ正常な形態が維持され、一次隔壁も形成されたことからcanCHS1Aはchs2欠損株を相補すると結論した。さらに、キチン合成酵素阻害剤であるnikkomycin Zおよびpolyoxin Dに対する感受性は、C.albicansの酵素canChs1AとS.cerevisiaeの酵素Chs2とで同等であった。以上の結果より、canCHS1Aは母細胞と娘細胞との境界の一次隔壁のキチン質を合成する役割を演じていると結論した。

3.キチン合成酵素の大量発現と活性部位の解析

 キチン合成酵素の活性部位について解析を行った。酵母や糸状菌など多種類の真菌から単離されているキチン合成酵素のアミノ酸配列のマルチアライメント解析の結果、ポリペプチド鎖の中央付近(canChs3のグループの酵素ではC末側付近)によく保存された領域が見い出された。キチン合成酵素2における保存領域con1(Gln490からAsn607)を大腸菌内でマルトース結合タンパク質との融合タンパク質として発現させ(MBP-con1)、アミロースレジンを用いたアフィニティクロマトグラフィーで精製した。nikkomycin Zの分子内アミノ基を介してバイオセンサーチップの表面に固定し、センサーチップ上のnikkomycin Zに対して種々の濃度のMBP-con1を反応させたところ、濃度に依存したnikkomycin Zとの相互作用のシグナルが観測された。観測値から平衡定数は5.3Mと算出された。この値はキチン合成酵素2に対するnikkomycin ZのKi値6Mとほぼ同じ値である。以上の結果より、キチン合成酵素2における118残基の保存領域con1は酵素の活性部位の一部としての機能を有し、基質との相互作用に関与するドメイン構造を構成していると推定される。

 今後、本酵素のドメイン構造に焦点を当て、遺伝子工学的手法により部分タンパク質を大量発現した後、X線結晶解析やNMR解析などにより、それらの3次元構造が解明されることが期待される。また、これらの解析は糖鎖合成酵素の反応機構を理解するうえで大いに役立つものと思われる。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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