学位論文要旨



No 212983
著者(漢字) 相良,洋子
著者(英字)
著者(カナ) サガラ,ヨウコ
標題(和) 本邦婦人における月経随伴症状に関する研究
標題(洋)
報告番号 212983
報告番号 乙12983
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12983号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 助教授 福岡,秀興
内容要旨 【研究の目的】

 月経前症候群は「月経前におこる心身の不快な症状で、月経開始後すみやかに消失するもの」として知られている。本症候群の最初の報告は1931年のFrankに遡るが、その臨床的重要性が認識されるようになったのは1980年代の女性の社会進出の時期に一致する。本症候群の発症機序は未だ不明であるが、最近ではオビオイド、セロトニン、GABAなどの神経伝達物質と性ステロイドとの関連が注目されている。臨床的には性成熟期の女性の20〜40%が中等度以上の症状を有するが、治療を要する者は10%以下と推測されている。本症候群には客観的な診断指標がなく、また患者の訴えが必ずしも実際の症状の出現時期と一致しないため、診断には2周期以上の前向的な症状調査が必要であるとされており、治療は向精神薬とGnRH agonistを主体としたホルモン療法が中心になりつつある。

 一方本邦においては、一般婦人を対象にした疫学調査がほとんどないためその実態は不明である。本邦ではこの症候群のために治療を求める女性は必ずしも多くないが、近年の女性の社会進出傾向を考えると今後問題になる可能性があり、その実態を知ることは重要である。そこで本研究では、まず本邦の一般婦人における月経随伴症状を前向的に調査し、その出現様式を解析した。次に月経前症状の自覚と実際の症状の出現様式および背景因子との関連を検討した。

【対象と方法】(1)アンケート調査

 無作為に抽出した首都圏30km圏内に居住する15歳〜47歳までの月経周期を有する健康婦人300例を対象に、個別訪問留置法により以下の調査を依頼し、郵送により回収した。慢性疾患のために各種ホルモン剤、抗炎症剤、鎮痛剤などを常用している者、経口避妊薬を服用している者、精神疾患の既往や合併がある者は除外した。

 (1)症状調査:月経周期の2周期にわたり、自覚した症状とその重症度を連日記入するもの。症状は身体症状、精神症状を含む89項目の選択肢から選び、3段階の重症度で記入することとした。

 (2)認識調査:月経前症状の自覚の有無、日常生活に及ぼす障害の程度、治療の希望などを調査した。

 (3)背景調査:年齢、職業、学歴、月経歴、結婚・妊娠・出産歴、嗜好品(喫煙、飲酒)などについて調査し、性格検査としてMoudslcy Personality Inventry(MPI)を施行した。

(2)調査の解析

 (1)月経随伴症状のパターン分析:1周期を月経期、卵胞期、排卵期、黄体期の4期に区分し、黄体期はさらに前期、中期、後期の3期に等分した。また各時期の重症度の総和を各時期の日数で除した値をこの時期の重症度とした。まず出現頻度の多い症状を因子分析し、類似の様式で出現する症状を抽出して症状群としてまとめた。次に各症状群に属する症状のうち因子負荷量0.25以上の症状の重症度を加算することにより各症例の症状を症状群にまとめ、症状群ごとの出現パターンをクラスター分析によって解析した。1回目の分析でZスコア±2以上の重症度を持つ周期、および2回目の分析で出現頻度が5%以下のパターンに属する周期ははずれ値とした。

 (2)月経前症状の自覚と症状調査および背景因子との関連:認識調査の結果にもとづき、対象を有症状有障害(A)群、有症状無障害(B)群、無症状(C)群に分け、症状調査の結果と背景因子を比較した。症状調査については各症状群の出現パターン以外に、出現した症状数および周期数、月経前症状群のパターンで出現する症状、はずれ値の周期数なども比較した。

 症状のパターン分析にはコンピューターシステムSASを、また群間の有意差検定にはt検定、x2検定、順位和検定および分散分析を用いた。有意水準はP<0.05を有意とした。

【結果】(1)対象の背景

 症状調査の回収率は285例(95.0%)、認識調査および背景調査の回収率はいずれも300例(100%)であった。このうち「症状調査における周期の日数が2周期とも25〜35日以内」で記入が完成していると思われる185例(61.7%)を本研究の対象とした。185例の平均年齢は31.2±8.6歳、68%が既婚者でそのうち66%余りが専業主婦であった。初経年齢の平均は12.5±1.5歳、95%以上は月経順調、約23%は経時障害が強いと答えていた。MPIの各スコアの平均は、Eスコア(外向性尺度)30.5±10.3点、Nスコア(神経症的傾向尺度)21.0±9.3点でいずれも本邦の一般的範囲内にあったが、Eスコアは高め(外向的)、Nスコアは低め(神経症傾向が少ない)であった。Lスコア(虚偽発見尺度)は14.5±6.0点であり、回答は信頼できると考えられた。

(2)月経前症状のパターン分析

 (1)症状群の抽出:89症状の選択肢のうち、身体症状12症状および精神症状21症状の計33症状は出現頻度が少なく解析から除外した。残りの56症状を因子分析した結果、身体症状4症状群、精神症状3症状群が抽出された。各症状群に属する因子負荷量0.25以上の症状を表に示す。各症状群は、身体症状1が自律神経症状と痛みの症状、身体症状2が水分貯留症状、身体症状3が食欲亢進症状、身体症状4が皮膚・粘膜の症状と考えられ、精神症状1は精神不安定の症状、精神症状2が認知機能の低下、精神症状3が不安・緊張症状と考えられた。

表:各症状群の症状、出現症例数、出現周期数、および各クラスターの割合

 (2)各症状群の出現パターンの解析:各症状群の出現症例数、出現周期数、および各クラスターに属する周期数は表に示すごとくである。クラスター1は出現頻度の最も多かったパターン、クラスター2は黄体期に最も重症度が高くなるパターンであり、その他のパターンは出現頻度の多い順にクラスター3、4とした。クラスター1は重症度の変動が小さい上に月経周期との関連も特徴的でなく、臨床的には問題にならない程度の変動および偶然出現した症状の混在と考えられた。クラスター2は精神症状2を除く6症状群に認められたが、これらはピークの位置や消退様式によりさらに3つの類型に分類された(図)。クラスター3は身体症状1、2、4および精神症状1の4症状群に認められ、身体症状1では月経期にピークがあるパターン、他の3症状群では排卵期にピークのあるパターンであった。また精神症状1に認められたクラスター4では卵胞期にピークがあり、この症状がエストロゲン優位の状況で出現する可能性を示していた。はずれ値に分類された周期では重症度のピークが全ての時期に存在し、一定の傾向を示さなかった。

図:クラスター2の類型
(3)月経前症状の自覚と症状調査および背景因子との関係

 (1)月経前症状の自覚:月経前症候群という言葉を知っていた者は全体の12.4%に過ぎなかったが、月経前に心身の変化を感じると答えた者は過半数の54.6%であった。しかしこの症状を日常生活の障害と感じていた者は22.7%であり、この症状に対する治療を希望していた者は全体の7.0%であった。

 (2)月経前症状の自覚と症状調査との関係:7症状群のうち身体症状4を除く6症状群において出現パターンの分布に有意差が認められた。障害の程度に従って差が見られたのは、身体症状1、2および精神症状1、2、3の5症状群であり、A群においてこれらの出現頻度が増加し、クラスター1以外の全てのパターンが増加していた。身体症状3はB群で最も出現頻度が多く、A群で最も少なくなっていた。

 黄体期にピークを持つクラスター2の周期数および各症例の全周期に占める割合は、いずれもA群で多い傾向が見られたが有意差は認められなかった。これに対して各症例の症状数、周期数およびはずれ値の周期数はいずれもA群で有意に多くなっていた。さらに身体症状と精神症状を分けて検討したところ、身体症状では症状数、周期数ともB群で最も多くA群、C群の順に少なくなっていたのに対し、精神症状では症状数、周期数、はずれ値の周期数のいずれもA群で有意に多くなっていた。

 (3)月経前症状の自覚と背景因子との関係:3群間の比較では、A群で初経年齢が低く、MPIのNスコアが高く、Lスコアが低くなっていた。A群とB群を有症状群としてまとめてC群と比較したところ、(A+B)群では専業主婦の割合が多く、出産回数が有意に多くなっていた。また初経年齢とMPIのLスコアでの有意差は消失したが、Nスコアでの有意差はより顕著に認められた。

【考察】

 本研究は、前向的な調査を用いて月経随伴症状全体を統計的に解析した世界で初めての報告であり、一般婦人を対象に月経前症候群の疫学調査を行った本邦で初めての報告である。

 今回の検討により、本邦婦人においても欧米で報告されているような月経随伴症状が存在していること、従来一括して捉えられていた月経前症状の出現様式がいくつかに細分化される可能性があること、およびエストロゲン優位の状況で月経前症候群類似の症状が発症する可能性があることなどが示唆された。今回得られた結果は発症機序という観点から多彩な症状をいくつかに分類できる可能性を示しており、今後の研究にひとつの示唆を与えるものと考えられる。

 また月経前症状の自覚が実際の症状の出現パターンよりも症状の数や出現頻度などとの関連が強く、特に精神症状においてこの関係が顕著であったこと、および背景因子の中で神経症傾向との関連が強かったことなどは欧米の報告とおおむね一致していた。近年欧米では月経前症候群を訴える患者に感情障害を始めとする精神障害の合併が多いことが報告されているが、今回の結果は本邦においても欧米におけると同様の背景を持つ潜在的な患者が存在している可能性を示している。従って臨床的に月経症状を訴える患者を扱う場合には、前向的な症状調査を行いつつ心身両面からアプローチしていく必要があると考えられる。

審査要旨

 本研究は本邦の一般婦人を対象としてprospectiveに行った症状調査をもとに、月経に随伴して出現する症状の抽出とそのパターン分析を行い、さらに月経前症状の自覚と症状調査および背景因子との関連を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 (1)出現した症状に対して因子分析を行った結果、自律神経症状と痛みの症状、水分貯留症状、食欲亢進症状、皮膚・粘膜の症状、情緒不安定を中心とする症状、認知機能の低下および不安・緊張症状の7つの症状群が抽出された。半数以上の症例に出現していたのは、自律神経症状と痛みの症状、水分貯留症状、情緒不安定を中心とする症状および認知機能の低下の4症状群であった。これらの症状は欧米で報告されているものとよく一致しており、本邦婦人においても欧米婦人におけると同様な月経随伴症状が存在していることが示された。

 (2)月経随伴症状の出現パターンは、月経期にピークを持つ月経困難症のパターン、黄体期にピークを持つ月経前症候群のパターン、排卵期にピークを持つパターンおよび卵胞期にピークを持つパターンの4種類に分けられた。月経困難症のパターンは自律神経症状と痛みの症状のみに見られたが、月経前症候群のパターンは認知機能の低下を除く6症状群に存在し、月経前症状の多様性が確認された。またこのパターンは細かく見ると3つの類型に分けられ、それぞれ発症機序が微妙に異なる可能性が示唆された。さらに情緒不安定を中心とする症状において卵胞期にピークを持つパターンが見られたが、文献的考察からこれが臨床的に意味のある一群である可能性が考えられた。

 (3)月経周期に関連した特徴的なパターンが2周期反復して出現する頻度は一般にかなり低いことが明らかになった。このことから月経前症候群の診断において、2周期のprospectiveな症状調査でその周期性を確認することは診断的に重要であると考えられた。

 (4)今回の対象において月経前症候群という言葉を知っていた者は12.4%に過ぎなかったが、過半数の者が月経前の心身の変化を自覚していた。しかしこの症状を日常生活の障害と感じていた者は22.7%であり、とても障害になると感じていた者は1.1%、この症状のために婦人科を受診したことのある者は3名のみであった。またこの症状に対する治療を希望していた者は7.0%で、欧米の報告とほぼ同程度であった。

 (5)月経前症状の自覚と症状調査との関係を検討したところ、症状の自覚は実際の出現パターンよりも症状の数や出現頻度、非特異的なパターンで出現する症状などとの関連が強く、特に精神症状でこの関係が顕著であった。身体症状は症状の数や出現頻度が増加してもそれだけでは日常生活の障害になることは少ないと考えられた。

 (6)月経前症状の自覚は、性成熟期の主婦で出産経験があること、初経年齢が比較的早いことおよび神経症傾向が強いことなどの因子と関連があったが、症状調査で実際に確認された月経前症候群のパターンは、学歴以外の背景因子とは有意な関連が見られなかった。

 (7)今回得られた結果から、月経周期に伴って出現する多彩な症状は発症機序という観点からいくつかに分類できる可能性があり、今後は症状ごとにその病態を詳細に検討していく必要があると考えられた。また月経前症状を自覚しこれを障害として訴える傾向は、症状の出現パターンとは基本的に関連が少なく、むしろ基盤にある精神心理的素因にいくつかの背景因子が加わった場合に強くなる可能性があること、また症状調査で確認しうる月経前症候群のパターンは自覚や背景因子とは無関係に一定の割合で出現していることが明らかになった。

 以上、本論文は本邦の一般婦人における月経随伴症状を統計的に解析し、その実態を明らかにするとともに、月経前症状の自覚と実際の症状の出現様式との間には解離があること、および月経前症状の自覚の背景には精神心理的要因を始めとするいくつかの背景因子が存在することを明らかにした。本研究は本邦婦人を対象にprospectiveな症状調査を行った初めての報告であり、特に月経前症候群の診療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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