本研究は今までわが国においては非常に希であるとされてきた多重人格(Multiple Personality)の原因について、サイコドラマの基礎理論である役割理論を用いて、その成立についての理解のために検討を加えたものであって、その結果として以下のような点が明らかになった。 1.臨床材料は初診時20歳になる女子理系学部学生で、主訴は記憶の欠如であった。同伴した恋人及び彼女自身の訴えから彼女の第一人格である"Tさん"と第二人格としてのペンギンの"Q"が存在することが確認された。その後の展開の中で彼女は更に第三人格"白"と第四人格"名無し"とを発展させて示してきたが、これらの間には相互の交流もなく、記憶が人格交代の度に欠落する結果となっていて多重人格と診断された。 2.従来の多重人格の理解はそれが統一された人格の解体によって多様な「人格」(正確には人格様の構造体)が成立してくるというものであったが、そのモデルによっては何故かくも多様な「人格」が成立するのかが発生的に理解できず、治療過程における人格の解体が進んでしまうという結果が引き起こされた。またこの症例の第二人格であるペンギンの"Q"は解体のモデルからは到底説明ができなかった。 3.これに対してサイコドラマの基礎理論である役割理論からこの現象が十分に説明可能である事が示された。具体的には個人の個々の状況における対人行動である役割と、これに対して相手が応じて示す行動である対向役割とが、その結びつきの強固さのゆえにくり返し現れ歴史的に固定化される場合をカルチュラルアトムユニットと名づけ、このカルチュラルアトムユニットこそが多重人格における「人格」に他ならない事が明らかになった。この理解によれば父親との抑圧された関係の中で成立したカルチュラルアトムユニットが第一人格"Tさん"であり、次に恋人との間で恋人の承認の中で彼女の願望であるもっとも身近な動物としてのペンギンが選ばれて、第二人格ペンギンの"Q"が成立した事が明らかとなった。またこの動物を第二人格とする事は日本の文化風土に根差すであろう事が示唆された。第三人格、第四人格、統合的な第五人格についても同様にカルチュラルアトムユニットによって説明ができる事が示された。 4.この理解を直接患者に伝える事によって患者は自己の第二人格等の存在に気づきそのことによってこれらの分離された「人格」同士の間の交流が行われるようになった。またこのカルチュラルアトムユニットは他者との交流の中から生じてくる事、従って多様な「人格]を生じさせないためには接触する相手をむしろ限定して安定した関係のみを目指すべきであると考えられ、そうした努力の結果として出現した「人格」は最後の統合された人格である第五人格"T.Q"を含めて5個にとどまった。更に実践的には人格の統合過程としても通常の治療のように多大な努力を要する事が無く、この「人格」同士の間にコミュニケーションが成立するべきであるし、それをできるのは患者のみであるという治療者の示唆によって容易に「人格」相互の交流が行われて第五人格"T.Q"という形で最終的には再統合された。これらの事実によってカルチュラルアトムユニットが多重人格における「人格」であるという仮説は立証されたと考えられる。 以上、本論文は多重人格の理解にサイコドラマの役割理論に基づいた、役割と対向役割との結合体であるカルチュラルアトムユニットという新しい概念を導入し、それによって多重人格の症例を理解し説明する事ができる事を明らかにした。しかもその概念が治療的にも有用である事が示された。本研究は従来未解明であった多重人格における「人格」の成立について、全く新しい角度から検討を加えてその理解と治療の進展に大きな貢献を成すと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |