学位論文要旨



No 212986
著者(漢字) 福原,俊一
著者(英字)
著者(カナ) フクハラ,シュンイチ
標題(和) 健康関連クォリティ・オブ・ライフ尺度の文化的、計量心理学的および臨床的妥当性の検討
標題(洋) Psychometric and Clinical Validation of A Health Related Quality of Life Instrument with Cross-cultural Adaptation
報告番号 212986
報告番号 乙12986
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12986号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 開原,成允
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
 東京大学 講師 山沖,和秀
 東京大学 講師 金子,義保
内容要旨 背景:

 近年、健康関連クオリティ・オブ・ライフ(以下HRQOLと略)は、新しい種類のエンドポイントとして注目され、盛んに引用されるようになっている。この背景には、健康や医療を取り巻く環境の急速な変化が挙げられよう。すなわち、特に先進国における人口の急速な高齢化とそれに伴う疾病構造の変化(慢性疾患の増加)に伴い、健康・医療政策の最終的な目標が、疾病の根絶や死亡率の減少から、個々人の生存期間中のQOLの向上に転換しつつあるという背景が根底にあるといってよい。

 本研究対象であるMOS Short Form-36(以下SF-36と略)は、世界的に広く用いられているHRQOLを測定する尺度の一つであるが、以下のような特徴を有している:

 (1)健康状態を全般的に評価する尺度(generic)で、疾患に特異的なもの(disease-specific)ではない。(2)36項目よりなる質問紙で、自己記入式で約7〜10分で記入できる。(3)多次元尺度であり、その要素は(4)の如くである。(4)8つのサブ・スケール-身体および精神機能(PF,MH)とそれぞれの機能障害による役割制限(RP,RE,SF)、痛み(BP)、全体的健康観(GT)、活力(VT)-より構成されており、スコア化もこのサブ・スケール毎に行われる。

 本研究に先行して、著者等は、1)SF-36の他段階にわたる翻訳作業、2)欧米文化のもとで開発されたこのHRQOL尺度の内容が、日本人に理解しうるものか、日本人の健康観に適応するものであるか、といった異文化間の適合性の検討、3)また計量心理学的な信頼性と妥当性の検討、4)さらに全国調査によるSF36の日本人の国民的標準値を測定し標準化、等の一連の作業を完了している。それらの結果は附記として本要旨に添付した。

 本研究は、上記のようにして開発されたSF-36を用いて慢性疾患のひとつである慢性腎不全患者(以下CRFと略)のHRQOLを測定し、この疾患におけるSF-36の臨床的妥当性を検討することを目的としている。本邦において、SF-36を臨床例に用いた例は報告がない。CRFの患者は、狭心症における胸痛のような臓器特異的な症状に乏しく、漠然とした健康状態の低下としてしか評価できないこと、包括的尺度はこのような漠然とした健康状態の低下を多次元に渡ってしかも定量的に測定する長所を有していること、などの理由からSF-36の臨床的妥当性の検討のために適した疾患のひとつではないかと考えられた。なお、CRF患者のHRQOLに関しては、透析中の患者に関する報告があるが、透析前の患者に関しては殆ど皆無である。

目的:

 背景にあるように、本研究の主な目的は、CRF患者のHRQOLをSF-36を用いて測定し、この疾患におけるSF-36の臨床的妥当性を検討することである:これは以下のような内容を含んでいる。即ち、

 1SF-36が、健康状態の低下や向上を弁別して捉えるに足るスコア分布のばらつきを有するか否か、

 2いくつか伝統的・客観的な指標によって捉えられた健康状態の変化を果たして患者は主観的に捉えているか、

 3それが尺度の一つであるであるSF-36に対する回答に定量的に反映されうるのか、

 4さらに、先行研究で得られたSF-36の国民的標準値との比較を行い、CRF患者のHRQOLがどのような次元で、どの程度低下しているのか(あるいはいないのか)、

 等を検討することである。

方法:

 研究の対象は、CRFと診断された643人で、透析治療を受けていない外来である。このうち、SF-36に回答したのは427人で、これらの患者からはほぼ同時期に他の検査データも測定した。SF-36を用いて8つのサブ・スケール毎にスコア化されたCRF患者のHRQOL値に関してそれぞれのスコア分布を検討した。また、CRF患者の客観的な臨床的基準の代表的なものであるヘマトクリット(%:以下HCTと略)と血清クレアチニン(mg/dl:以下Crと略)、年齢、性、を説明変数とし、HRQOLスコアを従属変数とした重回帰分析モデルを作成し解析を行なった。さらに、CRF患者のSF-36の結果と、先行研究で得られた国民標準値(norm)とを比較した。全てのデータを3つの年齢カテゴリーと性別によって層別化し、normのデータに対してCRFの分布に応じたウエイトづけを行い、解析した。

結果:

 1SF36は、総合点としてはスコア化されず、8つの次元(サブ・スケール)毎にそれぞれスコア化されるようになっているが、この全てのサブ・スケールにおいて、CRF患者のSF-36のスコア分布は、その測定誤差に比較して有意なばらつきを示した。

 2内的整合性信頼性は、全てのサブ・スケールにおいて、0.75以上であった。また、集束性・弁別性妥当性をmultitrait analysis法を用いて解析した結果、その成功率は、90%以上であった。

 3年齢、性、ヘマトクリット(HCT)と血清クレアチニン(Cr)、を説明変数とし、HRQOLスコアを従属変数とした重回帰分析モデルを作成し解析の結果、HCTの低下、およびCrの上昇とSF-36のいくつかのサブ・スケールとの間に有意な相関が確認された。また臨床的に観察されるHCTおよびCrの広い範囲において、この相関を認めた。

 4.CRF患者のSF-36の結果と、先行研究で得られた国民標準値(norm)と比較した。全てのデータを3つの年齢カテゴリーと性別によって層別化し、normのデータに対してCRF患者のデータの分布に応じたウエイトづけを行い、解析した。その結果、CRF患者群では、Bodily pain(体の痛み)のサブ・スケールを除いた全てのサブ・スケールにおいてHRQOLの有意な低下が確認された。

考察:

 本研究の結果より、SF-36の臨床的妥当性に関して、以下の事が考察された:

 1SF-36は健康人だけでなく、CRF患者群においても計量心理学的な信頼性と妥当性を有することが確認された。

 2CRF患者のSF-36のスコア分布がその測定誤差に比較して有意なばらつきが観察されたことにより、SF-36がCRF患者の異なる健康状態を弁別するために充分な感度と特異度を有していると判断された。

 3重回帰分析により、HCTの低下、およびCrの上昇とSF-36のいくつかのサブ・スケールとの間に有意な相関が確認されたことは、客観的な指標によって捉えられたCRF患者の臨床的な変化を、患者が主観的に確かに認識し、これが質問紙の回答にも反映されていることが判明した。

 以上の1-3の結果は、SF-36の臨床的妥当性を支持するものである。

 また、CRF患者のSF-36の結果と、先行研究で得られた国民標準値(norm)と比較の結果より、CRF患者のHRQOLが、健康状態の広範な領域にわたって低下していることが確認された。

 上記3の重回帰分析により、HCTの低下、およびCrの上昇とSF-36のいくつかのサブ・スケールとの間に有意な相関が確認されたものの、このモデルによって説明されるHRQOLの分散(R-squared)は、全体の分散値の約10%にしかすぎず、伝統的な重症度の指標であるHCTやCrの以外の他の要因が,CRF患者のHRQOLの重要な部分に影響を与えていることが示唆された。そのような要因として併存症のような他の臨床データの影響等が考えられた。これらのうち最も影響の大きい要素は何であるかを同定するような将来の研究の必要性を示唆したことは、本研究の結果が伝える重要なメッセージのひとつといえよう。

 今回の研究により、その計量心理学的特性や臨床的妥当性が検証されたSF-36を他の疾患にも用いて、異なる疾患におけるこの尺度の臨床的妥当性の検討や、それらの患者のHRQOLに影響を与える因子の同定などを行う研究などが必要となろう。

 HRQOL尺度の臨床応用の可能性に関しては、殆ど未知であるといっってよい。HRQOLデータを個々の患者の診療に応用することには、少なくともSF-36に関しては、困難であると考える。ただ、将来、群あるいはグループレベルの比較(治療効果等)の際に、参考データのひとつとして応用する可能性があることが指摘された。

附記)(1)SF-36Jの翻訳および日本の文化との適合性の検討

 翻訳は、数回にわたって反復され、二度にわたる改変が行われた。Version 1.0の完成後行った計量心理学的作業の結果、PF10項目のスコア分布が一様でしかもCeiling率が全ての項目で60%以上であったこと、因子分析の結果が矛盾するものであったことなどより、Version1.0の翻訳の再検討が促された。結局PFの回答肢の翻訳に問題があったことが判明し、最初の改変がなされた。(Version1.1)さらに、逆翻訳の第三者による検討作業によって、GHとVTの翻訳に問題点が指摘されたため、二度目の改変がなされた。最終的にSF-36JのVersion1.2が完成した。フォーカスグループによる定性的な検討作業もなされ、日本人が理解し受容できる尺度であると判断された。

(2)SF-36Jの計量心理学的妥当性の検討

 信頼性:テストーリテスト法の結果、信頼性係数は.78〜.86で、全てのサブ・スケールにおいて充分な安定性を示した。内的整合性信頼性:Cronbach値は

 .71〜.91で全てのサブ・スケールにおいて充分な値を示した。集束性・弁別性妥当性:8つのサブ・スケール仮説の成功率は、各サブ・スケールで集束性・弁別性ともに90〜100%で良好であった。構成概念的妥当性:主因子分析を施行したところ、諸外国と同様の2因子の結果が導き出された。ただし、選択された2つの因子の累積分散量が諸外国に比して相対的に低値であった。(.58)さらに、諸外国と異なる点として、RE(Role Emotional)の因子負荷量が身体的な因子と精神的な因子の両方にまたがって観察された。またVT(Vitality)の因子負荷量が大きく精神的な因子にかたむいていたことも特筆すべきことである。基準関連妥当性:MHとZung Scaleのスコアは高い相関係数を示した(r=-.63)のに対して,PFとより低い相関しか認めなかった。(r=-.32)これら結果は、基準関連妥当性の一つの証査であるとともに、前述した構成概念妥当性を支持する根拠の一つでもある。

(3)全国調査によるSF-36Jの日本人の国民的標準値の確立

 回収率は71%と良好であった。(n=3,395)回収されたサンプルの5つの全国区分と5つの都市別の人口構成は、平成2年の国勢調査規模のデータと近似していた。未回収群の地区別および都市別の人口構成は、回収群のそれと近似していた。また、SF-36Jに関する欠損データ率は、すべてのサブ・スケールにおいて1%以下の低値で安定しており、SF-36Jのデータの質に関しても問題なかった。SF-36Jの国民的標準値を年齢別、性別に算出した。PF,RP,BP,GHでは年齢と共に低下するが(P<.001)、MH,RE,SF,VTでは年齢の影響は相対的に弱かった。また全サンプルのスコア平均値を世界7ヵ国の同様のデータと比較したが、(各国とも、人口統計に合わせたウェイト後)非常に近似したスコア分布を示した。ただしGHは7ヵ国中最低であった。さらに、慢性疾患の存在のHRQOLに対する影響力を共分散分析を用いて解析した結果、疾患の有無と数が各サブ・スケールに非常に強い影響力を示した。(P<.001)

審査要旨

 本研究は、健康関連クオリティ・オブ・ライフ(以下HRQOL)を測定する包括的な尺度として、国際的に使用されているMOS Short Form 36(以下SF-36)の臨床的妥当性を検討することを目的としている。研究の対象は、慢性腎不全(以下CRF)と診断された643人で、透析治療を受けていない外来患者(以下CRF)とした。なお、このSF-36日本語版は申請者によって開発され、標準化作業も先行研究によって完了している。

 本研究から下記の結果を得ている。

 1.SF-36は、総合点としてはスコア化されず、8つの次元(サブ・スケール)毎にそれぞれスコア化されるようになっているが、この全てのサブ・スケールにおいて、CRFのSF-36のスコア分布は、その測定誤差に比較して有意なばらつきを示した。このばらつきは、CRFの異なる健康状態を弁別するために充分であると判断された。

 2.内的整合性信頼性は、全てのサブ・スケールにおいて、0.75以上であった。また、集束性・弁別性妥当性をmultitrait analysis法を用いて解析した結果、その成功率は、90%以上であった。これにより、SF-36は健康人だけでなく、CRF群においても計量心理学的な信頼性と妥当性を有することが確認された。

 3.CRFのSF-36の結果と、先行研究で得られた国民標準値(norm)と比較した。全てのデータを3つの年齢カテゴリーと性別によって層別化し、normのデータに対してCRFの分布に応じたウエイトづけを行い、解析した。その結果、CRF群では、Bodily pain(体の痛み)のサブ・スケールを除いた全てのサブ・スケールにおいてHRQOLの有意な低下が確認された。

 4.CRFの客観的な臨床的基準の代表的なものであるヘマトクリット(HCT)と血清クレアチニン(Cr)、年齢、性、を説明変数とし、HRQOLスコアを従属変数とした重回帰分析モデルを作成し解析を行ったところ、

 1)HCTの低下、およびCrの上昇とSF-36のいくつかのサブ・スケールとの間に有意な相関が確認された。また臨床的に観察されるHCTおよびCrの広い範囲において、この相関を認めた。

 2)これにより、客観的な指標によって捉えられたCRFの臨床的な変化を、患者が主観的に確かに認識し、これが質問紙の回答にも反映されていることが判明した。

 3)同時に、このモデルによって説明されるHRQOLの分散(R-squared)は、全体の分散値の約10%にしかすぎず、他の要因がCRFのHRQOLの重要な部分に影響を与えていることが示唆された。

 以上、本論文は、SF-36日本語版の臨床的な妥当性を本邦において初めて示したものである。またCRFのHRQOLに関する報告はこれまで皆無に等しく、本研究は、CRFを有する患者群が主観的に捉えた健康状態が、広範な次元において低下していることを定量的に示した。さらに、従来の客観的指標以外に、患者のHRQOLの重要な部分を説明している要素が存在することを確認したことは、今後必要な研究の方向性を示した。以上、本研究の結果は、CRFや他疾患のHRQOLの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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