学位論文要旨



No 212988
著者(漢字) 小林,誠一郎
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,セイイチロウ
標題(和) 逆行性血管柄付静脈移植術の実験的研究
標題(洋)
報告番号 212988
報告番号 乙12988
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12988号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 坂本,穆彦
 東京大学 助教授 佐々木,富男
内容要旨 はじめに

 自家静脈移植術の移植早期に起こる血栓形成および長期経過中に発生する内膜の肥厚による移植血管の閉塞は、自家静脈移植術の大きな問題点である。動脈へ移植した静脈の壁は内皮傷害や壁の肥厚などの変化を起こす。その原因の一つとして移植静脈壁の虚血性変化が挙げられている。しかし、血管壁への血行を温存した移植法としてはin situ graft法があるのみである。著者はある程度の大きさの静脈には非常に細いけれども動静脈が伴走していることに着目し、この伴走血行を血管柄として移植静脈壁と連続性を保ったまま島状に挙上して移植すれば、静脈は静脈壁血行を保ったまま移植できるのではないかと考え、逆行性血管柄付静脈移植術を考案した。

目的

 逆行性血管柄付静脈移稙術の可能性を実験的に検討するため、ラット浅下腹壁静脈を用い、静脈弁切開を行わず静脈周囲血行を保ったまま、逆行性に移植を行う逆行性血管柄付静脈移植(Reversed vascularized vein graft:以後、RVVG)の実験モデルを作製した。この実験モデルを用い、通常、最もよく行われている逆行性遊離静脈移植(Reversed free vein graft:以後、RFVG)との比較を行い逆行性血管柄付静脈移植術の有用性につき組織学的検討と組織標本の定量的検討を行った。

実験方法実験モデルの作製

 浅下腹壁静脈は大腿静脈からの分岐部より5mm遠位部で外膜下剥離し、静脈壁への血行を温存するために併走する栄養枝と浅下腹壁動脈を温存し、切離した。同部より長さ10mm遠位部で、浅下腹壁静脈を外膜下剥離した後切離し、併走する栄養枝と浅下腹壁動脈および周囲の疎な結合織や微細血管を含め血管柄付浅下腹壁静脈を挙上し、RVVG移植片モデルを作製した。

 実験モデルの静脈壁への血行を検討するためウイスター系ラット5匹の両側浅下腹壁静脈にRVVGを作成し、大腿動脈よりインクを注入し、浅下腹壁静脈壁への色素の移行を手術用顕微鏡下で観察した。注入後検体をホルマリン固定し、HE染色を行い、色素の移行を光学顕微鏡にて観察した。

 全例で大腿動脈からのインク注入に伴い浅下腹壁動脈、浅下腹壁静脈に伴走する細い血管と静脈周囲の粗な結合織中を走行する血管、静脈壁周囲の血管網が染色され、さらにインクは浅下腹壁静脈の血管腔内に漏出した。HE染色では、色素で満たされた静脈壁周囲の血管が観察された。

移植静脈の組織学的分析

 ラットの両大腿動脈の鼠径靭帯から外陰部動脈分岐部までの中央を切離し、左右にそれぞれRFVGおよびRVVGを移植した。血流再開後1時間後に遠位吻合部の大腿動脈側で開存テストを行い吻合部の開存を確認した。

 静脈移植を行った120匹のラット(左側:RFVG、右側:RVVG)を8グループに分け、移植後2日、4日、1週間、2週間、1カ月、2カ月、4カ月、8カ月目に各々検体を採取した。別の検体10匹はコントロールとし組織標本の比較に用いた。移植静脈の開存を確認した後、開存している検体は潅流固定を行い、採取した検体から移植静脈2mmを含む近位吻合部縦切切片と移植静脈の中央部横断切片を切り出した。固定した中央部横断切片をエポン包埋し、1mの薄切切片をトルイジンブルー染色し、光学顕微鏡にて観察を行った。その一部は超薄切片を作成し透過型電子顕微鏡にて観察した。近位吻合部縦切切片は固定の後、走査型電子顕微鏡にて観察を行った。

 別に作成した20匹(左側:RFVG、右側:RVVG)を5匹ずつの4グループに分け1週、1ヶ月、4ヶ月、8ヶ月目に採取固定し、FITC標識ファロイジンにて染色し共焦点レーザー顕微鏡で血管平滑筋のアクチン線維を観察した。別の検体6匹はコントロールとし組織標本の比較に用いた。

 また、良好な標本の得られた検体SEM標本177例とトルイジンブルー染色標本185例を用い定量的検討を行った。内皮傷害の評価には近位吻合部のSEM写真を用いた。内皮傷害が認められる部位をトレースし、1視野中の内皮傷害部の面積を%表示(内皮傷害部の面積/1視野の面積)し評価した。血管壁の厚さと血管内径の変化はトルイジンブルー染色した1mの移植静脈中央部の薄切切片を用い計測した。

結果

 移植血管のacute patency rate(吻合後血流再開より1時間目までの開存率)は有意の差がなかった。late patency rate(採取時開存率)は1週目以降では有意に差が認められ、RVVGが開存率に優れていた。

 SEMでは移植後2週目までは内皮傷害、白血球や血小板の癒着が認められたが、その程度は経時的に漸減し1ヶ月目以降ではほとんど認められなくなった。認められた内皮傷害の程度は、吻合部RFVG、吻合部よりはなれた部位のRFVG、吻合部RVVG、吻合部よりはなれた部位のRVVGの順に減少した。光顕では内皮細胞下や中膜への細胞浸潤や増殖性変化により、血管壁の肥厚がRFVG、RVVGともに認められ、1ヶ月目まで漸増したがRFVG>RVVGであった。2週目頃までは炎症細胞の浸潤を認めたが徐々に少なくなり、RFVG、RVVGともに1ヵ月目には殆ど認めなくなった。1ヵ月目以降の血管壁の厚さはRFVG>RVVGであるものの増加傾向はなかったが、血管内径は両者とも4カ月目頃まで漸増した。RVVGでは8カ月目でも血管内径の増加傾向は続いた。RVVGの開存した血管周囲血管網は移植初期より存在したのに対し、RFVGの4日目では明瞭な血管腔を認めたが一部に血栓形成を呈しているものがあった。共焦点レーザー顕微鏡ではRVVGで比較的規則正しく配列したアクチン線維が1週目より認められた。この所見は経過観察中認められた。しかし、1週目のRFVGでは染色されたアクチン線維は少なく、また、1カ月目以降のRFVGでは染色されたアクチン線維は不規則な配列を示していた。8ヵ月目になるとRFVGの血管壁は細胞成分少なく線維化が強いものが多くなり、内膜の肥厚も認められた。この傾向はRVVGにおいても同様であったが程度は少なかった。透過型電子顕微鏡ではRFVG、RVVGともに分泌型と収縮型の移行型と思われる平滑筋細胞が認められた。

結論

 本実験に用いたRVVGモデルは弁切開をすることなくRFVGと静脈採取部位、移植方向を同一として比較することができる。このため静脈壁への血行の有無に対する影響のみを比較することが可能である。本実験結果よりin situ graft法の利点であると報告されている内皮傷害の軽減、血管壁の肥厚の軽減がRVVGにおいても示された。すなわち、本実験で示されたRVVGにおけるRFVGに較べた場合の開存率の優位性は、血管壁のvasa vasorumを温存する静脈の移植方法自体が大きく関与しているものと考えられる。

 本実験のlate patency rateは移植後1週目を境にしてRFVGではRVVGより低下し、その後は両者ともほぼ定常状態となる。早期の移植血管の閉寒は手術手技自体の問題を除けば内皮傷害の程度に関係する。本実験で観察された内皮傷害部は1週以後徐々に減少し、ほとんど術後2週から1カ月目までに修復された。このことよりRFVGとRVVGにおけるlate patency rateの差は1週目までのRFVGとRVVGにおける内皮傷害の程度と関係していることが推測される。

 RVVGにおける移植後の静脈壁への血行動態は、vasa vasorumからの血行の一部が浅下腹壁静脈へ流入していた事実や、8カ月目においてもRFVGに較べRVVGではvasa vasorumの血管が拡張していることが観察されたことを考慮すると、AVシャントを形成している可能性がある。このためRVVGにおいても移植前と同様の状態で血管壁への栄養が保持されているわけではない。

 移植初期の平滑筋壊死や傷害された内皮細胞、浸潤した多核白血球、活性化された血小板などが分泌する成長因子は、平滑筋細胞や線維芽細胞の集合と増殖を促す。RFVGに較べRVVGでは内皮傷害、多核白血球などの浸潤、血小板の付着などが少なく、平滑筋アクチン線維の配列が比較的規則正しかった。従来より指摘されているものの明瞭でなかった移植静脈における再生または増殖平滑筋の配列は本実験で明瞭に示され、RFVGに較べRVVGでは平滑筋アクチン線維の列配が比較的保たれており、RFVGでは不規則な配列を有していたことから、移植静脈壁虚血による筋壊死部への平滑筋の再生が不規則な配列を有しているものと思われた。また、RFVGに較べRVVGでは平滑筋細胞の傷害も少なかったものと思われた。これらのことから、RVVGでは前述した平滑筋細胞や線維芽細胞の集合と増殖を促す因子が少なく、したがってRFVGに較べ壁の厚さが薄かったのではないかと思われた。内皮傷害は長期経過検体では殆ど認められていないことから、長期経過で起こる狭窄や内膜の肥厚は初期変化につづく影響の残存に加え、持続する血圧、血流量の変化などの物理的要因が強く影響していることが推測される。

 RVVGは以上のような利点を持ちRFVGに較べ有用な方法と思われる。弁切開の必要がないため、弁処置による内皮傷害や血管壁損傷の危険性を回避することができる。一方、移植血管の捻れの問題や血管径の適合性がISVGに較べ良くないため臨床の場では長い移植静脈を必要とする場合には用いることが難しい。このため、比較的短い静脈欠損の再建に臨床応用の可能性があるものと考えられる。

審査要旨

 本研究は自家静脈移植術に発生する移植血管の閉塞を軽減するために考案した、移植静脈壁血行を温存したまま移植する逆行性血管柄付静脈移植術の有用性につき、ラット浅下腹壁静脈を用いた実験モデルを作製し、逆行性遊離静脈移植術との組織学的比較検討と組織標本の定量的比較検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.移植血管のacute patency rate(吻合後血流再開より1時間目までの開存率)は有意の差がなかったもののlate patency rate(採取時開存率)は1週目以降では有意に差が認められ、逆行性遊離静脈移植術に比べ逆行性血管柄付静脈移植術が開存率に優れていた。

 2.走査型電子顕微鏡を用いて観察した移植静脈の移植早期に認められた内皮傷害の程度は、逆行性遊離静脈移植術に比べ逆行性血管柄付静脈移植術の方が傷害が少なかった。また、両者とも吻合部に比べ吻合部よりはなれた部位の方が傷害が少なかった。

 3.光学顕微鏡では1ヶ月目頃まで内皮細胞下や中膜への細胞浸潤や増殖性変化が認められ、血管壁は肥厚した。その程度は逆行性遊離静脈移植術に比べ逆行性血管柄付静脈移植術の方が少なく、1ヵ月目以降は両者とも平行線をたどった。血管内径は両者とも4カ月目頃まで漸増した。8ヵ月目になると逆行性遊離静脈移植術の血管壁は細胞成分少なく線維化が強いものが多くなり、内膜の肥厚も認められた。この傾向は逆行性血管柄付静脈移植術においても同様であったが程度は少なかった。透過型電子顕微鏡では両者ともに分泌型と収縮型の移行型と思われる平滑筋細胞が認められた。

 4.共焦点レーザー顕微鏡で観察した血管平滑筋アクチン線維は、逆行性血管柄付静脈移植術では1週目より比較的規則正しく配列していたのに対し、逆行性遊離静脈移植術では1週目検体で染色されたアクチン線維は少なく、また、1カ月目以降では不規則な配列を示していた。

 これらの結果より血管壁への血行を温存した移植法である逆行性血管柄付静脈移植術は逆行性遊離静脈移植術に比べ有用な方法であると思われた。

 以上、本論文はラット浅下腹壁静脈を用いた逆行性血管柄付静脈移植術の有用性を示し、従来明瞭ではなかった静脈移植術におけるvasa vasorumによる影響を明らかにした。本研究は今後静脈移植術における血管壁虚血の問題に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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