学位論文要旨



No 212996
著者(漢字) 西川,浩昭
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,ヒロアキ
標題(和) 個人別食物摂取量に基づく環境汚染物質取り込み量の推定
標題(洋)
報告番号 212996
報告番号 乙12996
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第12996号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 教授 丸井,英二
 東京大学 助教授 真鍋,重夫
内容要旨 はじめに

 各食品における重金属や残留農薬等のいわゆる環境汚染物質(以下汚染物質と略)の基準値を設定するにあたっては、1日当たりの取り込み量が、1日許容量(Acceptable Daily Intake,ADI)を越えないことが前提となる。この際に用いられる推定取り込み量は、可及的に実態の値に近似であることが望まれる。しかしながら、実際には国民栄養調査(厚生省)の平均摂取量に各食品の基準値を掛け合わせて総計する理論最大1日摂取量(Theoretical Maximum Daily Intake,TMDI)や、調理による減衰を考慮した推定最大1日摂取量(Estimated Maximum Daily Intake,EMDI)などが用いられてきた(表1)。

 これらの数値は集団を対象とした値であり、許容基準の策定等の政策的な用途としては有用であるが、個人を対象としたリスク評価には適していない。食物を経由して取り込まれる汚染物質の取り込み量には、食品の汚染状況が影響していることは明らかであるが、それと同様に個人の食物摂取状況の影響が大きいことは言うまでもなく、汚染物質取り込み量のリスクは個人レベルでの評価が必須である。

表1 各摂取量の算出方法の説明

 さらに、食品の汚染濃度と各個人の食品の摂取量にはバラツキがあり、かつ摂取状況には食品相互の内的関連がある。本研究では、これらの条件を考慮に入れ、個人別の取り込み量の推定値である生態学的推定1日摂取量(Estimated Ecological Daily Intake,EEDI)を提起する。さらに、この方法により推定した個人別取り込み量から集団の分布と代表値を算出し検討を加えた。

資料と方法

 本研究で用いる食物摂取データは、著者らが1989年に都市近郊農村に居住する女性159名(32〜74歳,平均年齢56.2歳)を対象として、実施した食物摂取調査の結果である。この対象は特に重篤な疾患を有さず、日常の大半の食事を自分で入手した材料を用いて調理する一般的な中高年の主婦であり、精度の高い食物摂取状況についての記録が得られている。

 分析した汚染物質は、農薬9種[DDT(DDD,DDEを含む総和,以下DDTと略),HCH(,,,の合計,以下HCHと略),-HCH,ヘプタクロル(ヘプタクロルエポキシドを含む,以下ヘプタクロルと略),ディルドリン(アルドリンを含む,以下ディルドリンと略),HCB,マラチオン,パラチオン,ダイアジノン]、重金属3種[カドミウム,鉛,水銀]、およびPCBの計13物質である。これらの汚染物質の汚染濃度のデータは、汚染物質研究班(国立衛生試験所食品部)によるFood Contamination Monitoring Reportに示される28種の食品別検出値である。

 食物摂取状況調査により、各個人(j)別に算出された食品の摂取量(xij)に、その食品(i)の汚染物質の検出量の平均値を乗じて総和を求めた(Ij)。

 

 (1)式の操作を汚染物質ごとに行い、個人別・汚染物質別の取り込み量を算出した。このようにして算出された取り込み量分布を求め、同時に最大値、最小値、最頻値等の代表値を算出した。さらに、農薬については1日許容量、重金属等については1日暫定許容値を越えた者の割合を求めた。

 上述の方法により算出した値が許容値を超えた者については、その結果が偶然によるものか、定常的な状況であるのかを明らかにし、対象となる個人のリスク評価を行った。具体的には、(1)式における食品側の汚染濃度として、一律に食品ごとの平均値を用いるのではなく、より現実の状況に近似させる目的で、右に裾を引くポアソン分布を仮定し、モンテカルロ法によるシミュレーションを用いて、許容値を超える割合を明らかにした。

結果と考察

 9種の農薬と3種の重金属およびPCBについて、1日当たりの個人別取り込み量から算出した平均値,標準偏差,最大値,最小値および最頻値を表2に示した。カドミウム以外の汚染物質については、最大値が許容値を超えることはなく、取り込み状況として安全であることが示された。なお、本研究で得られた取り込み量は、従来までに陰善法やトータル・ダイエット法により報告されてきた結果と同じレベルであり、結果が妥当なものであることが確認された。

 次に、各汚染物質について個人別・食品別汚染濃度として一律に平均値を用いるのではなく、ポアソン分布に従った乱数より算出した個人別・食品別汚染状況を用いて、取り込み量の推定を、各個人毎に1,000回ずつ行った。カドミウム以外の汚染物質については、許容値を超えたことはなかった。カドミウムについても、大半の者は全く越えないか、越えても試行回数の1%未満であったのに対し、本研究の対象のうち1名は、試行回数の43.2%に相当する432回も超過しており、摂取状況としてハイ・リスクであることが示された。本研究で用いた食物摂取データは都市近郊の農村に居住する主婦を対象としたものであり、159名のうちの1名とはいえ、43.2%の確率で許容値を超える食事が摂られていることは問題であり、今後さらに検討する必要が示された。また、摂取状況がハイ・リスクであることが示された個人の、摂取状況の改善目標を集団の平均値として漸次的に近づけた場合、許容値を超える確率も減少しており、改善を行う必要がある場合にその程度を明らかにすることが可能となった。

表2 残留農薬(9種),重金属(3種)およびPCBの1日当たりの推定取り込み量[g/day]
まとめ

 個人のリスク評価を目的とし、食物消費構造を前提として、個人別食物摂取状況調査結果を用い、汚染物質等の取り込み量を推定する生態学的推定1日摂取量(Estimated Ecological Daily Intake,EEDI)を提起し、実際の食物摂取データに適用して解析を行った。

 結果としては、

 (1)本研究の分析結果は従来までの陰膳法やトータル・ダイエット法による報告の結果とほぼ同様のレベルとなり、本研究で提起した方法の妥当性が認められた。

 (2)汚染濃度に乱数を用いて取り込み量の推定を行うシミュレーションにより、許容値を超えるリスクの推定が可能となり、汚染物質の取り込みに関する個体側の要因である食物摂取に起因するリスクを明らかにした。

 以上の結果より、本研究で提起した生態学的推定1日摂取量は、汚染物質の取り込み量の推定方法として十分に有効であり、予防を含む健康管理への適用が可能であることが確認された。

審査要旨

 本論文は、食物を経由して体内に取り込まれる残留農薬や重金属などの環境汚染物質の1日取り込み量の推定方法について、従来の集団レベルでのリスク評価を目的とした理論最大1日摂取量(TMDI:Theoretical Maximum Daily Intake)ではなく、個人別の食物摂取量に基づいて算出される生態学的推定1日摂取量(EEDI:Estimated Ecological Daily Intake)を提起し、食品由来の環境汚染物質の取り込み量について個人レベルでのリスク評価を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.生態学的推定1日摂取量の代表値は従来までの陰膳法やトータル・ダイエット法による報告結果とほぼ同レベルの値であり、取り込み量の推定値は妥当であることが確認された。本法の利点は、陰膳法等が有する処理能力限界の問題を克服し、多人数の取り込み量を推定することが可能であり、多種の汚染物質の同時取り込みについての情報を多標本について得ることも可能にした点である。

 2.さらに、生態学的推定1日摂取量を応用し、個人別・食品別に汚染濃度を変容させてモンテカルロ法によるシミュレーションを行ない、食物摂取状況としてハイ・リスクな状態にある個人のふるいわけを可能にした。

 3.また、この取り込み量推定法の応用として汚染状況を変容させてシミュレーションを行うことにより、ある食物摂取状況の場合の許容値を超える確率を推定し、許容値を超えるリスクが高い食物摂取状況を明らかにすることも可能にした。さらに、摂取状況改善に伴うリスクの減少状況についての情報を得ることも可能にした。

 以上、本論文で提起した生態学的推定1日摂取量は、個人レベルのリスク評価を行うための取り込み量の推定方法として十分に有効であることが確認され、これまで実験的な方法により、ごく少数例に対してしか行うことが出来なかった個人別の取り込み量の推定を多数例に対して行うことを可能にし、環境汚染物質の取り込みと健康問題との関連の究明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと判断された。

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