学位論文要旨



No 212997
著者(漢字) 生頼,一彦
著者(英字)
著者(カナ) オウライ,カズヒコ
標題(和) Pdを用いる触媒的不斉炭素-炭素結合生成反応の開発
標題(洋)
報告番号 212997
報告番号 乙12997
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12997号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 笹井,宏明
内容要旨

 炭素-炭素結合生成反応は有機合成上、鍵反応となる重要な工程であり、その触媒化は地球上の限りある資源の有効利用、省エネルギー化という点からも意義深い。

 さらにこれらの不斉合成への応用は反応の効率化の上からも極めて重要な課題のひとつである。特に医薬品開発について言えば、世界レベルで光学活性体での開発が常識となりつつある現在、より効率的な反応の開発が強く望まれている。そこで、私は新たな触媒的不斉炭素-炭素結合生成反応の開発、及び既存の反応のさらなる効率化を目指し研究を行なった。

1.触媒的不斉Heck反応における新規な反応条件の開発

 生理活性物質には多環性化合物が数多く存在するため、その基本骨格の触媒的不斉合成は重要なプロセスである。柴崎らはHeck反応を初めて不斉合成に応用し、例えばScheme1のように、プロキラルなアルケニルヨウ素またはトリフレート(1〜3)を基質として用いる触媒的不斉Heck反応において、デカリン誘導体(4,5)が良好な不斉収率で生成することをすでに報告している。

Scheme 1

 これらデカリン誘導体(4,5)は種々の官能基化が可能な3つの2重結合を有しているため、天然物等の合成中間体として有用であり、その効率的合成法を確立することは大変意義深い。これまでの検討の結果、不斉収率は90%eeを越えているが化学収率が60%程度であったことより、本反応のより効率的な反応条件の確立を目指し検討を行なうことを計画した。

 著者は反応溶媒として1,2-ジクロロエタンを用いた場合に、化学収率は極めて低いが不斉収率はトルエンと同等であるという結果(化学収率6%、不斉収率91%)に興味をもち、1,2-ジクロロエタン中で反応進行が遅い理由を調べることによって、より効率的な反応条件が見出せるのではないかと考えた。そこでまず31P{1H}-NMRを測定した結果、1,2-ジクロロエタン中での反応進行が遅い理由は、反応活性種である0価のPd(BINAP)2が反応不活性種である2価のPdCl2(BINAP)に容易に酸化されるためであるということが確認された。したがって、反応を円滑に進行させるためにはこの0価Pdの不活性化を防ぐ必要がある。

 種々検討した結果、3級のジオールであるピナコールを系内に加えることにより反応速度が加速され収率も6%から78%と大幅に向上し、トルエン中での結果を越える最も良い結果が得られることがわかった。さらに、酢酸カリウムを共存させ反応を行った場合も反応時間が非常に短縮され、不斉収率にごくわずかの低下が認められたものの、化合物4の化学収率が70%へと向上することも見出した(Scheme2)。

Scheme 2

 31P{1H}-NMRを用い反応機構について詳細な検討をした結果、ピナコールや酢酸カリウム由来のアセテートアニオンが0価Pd種を安定化する働きを示し、反応不活性種であるPdCl2(BINAP)への酸化を防いでいることが明らかとなった。さらに酢酸カリウムの場合は、生成した2価のPdCl2(BINAP)からの0価Pdへの再生も促進していることもわかった。

 このように、今回新たに見出した取り扱いの容易なPd(OAc)2を触媒として用い、1,2-ジクロロエタン中ピナコール又は酢酸カリウムをアディティブとして用いる反応条件は、基質によって使い分けることにより既存の反応条件を凌ぐ化学収率や不斉収率を達成することに成功しており、合成化学的にも非常に重要な知見であると考えている。

 次に本不斉Heck反応の有用性を示す目的で、先の反応で得た化合物4よりDanishefskyの合成中間体7へと導き、得られたラクトン体7からDanishefskyらの条件に従いvemolepinを合成し、その旋光度を天然物と比較することによって絶対配置を決定した(Scheme3)。

 将来、触媒的不斉Heck反応が様々な基質で用いられることを考えた時、極性の低い溶媒であるベンゼンやトルエンでは、基質の溶解性が問題になることも予想され、今後、本研究で見いだされた1,2-ジクロロエタン中でのピナコールや酢酸カリウムを用いる新しい反応系が触媒的不斉Heck反応のさらなる発展の一助となることを期待したい。

Scheme 3
2.遷移金属エノラートを経る新規な触媒的不斉アルドール反応の開発

 アルドール反応は、その炭素-炭素結合生成に際し新たな不斉中心を生じるため、天然物等の合成に於て最も重要な反応のひとつである。

 これまでに高い不斉収率が報告されている触媒的不斉アルドール反応のほとんど全ては、光学活性ルイス酸触媒による反応である。これら不斉ルイス酸触媒によるアルドール反応では、極めて高い不斉収率が報告されているものの、20モル%程度の触媒量が必要とされる例がほとんどであり、さらに無水条件が必要とされる。又、ルイス酸の性質上、様々な酸素官能基等に親和性をもつことが予想され、このような反応を複雑な化合物に適用する場合には困難も予想される。

 一方、これらのルイス酸触媒による反応とメカニズム的に全く異なる遷移金属エノラートを経る触媒的アルドール反応は、Rhを用いた例が報告され、不斉合成の試みも一例報告されているものの、未だに高い不斉収率を達成した例はなかった。

 そこで遷移金属エノラートを経る新しい触媒的不斉アルドール反応が開発できれば、有機合成上有用なツールになり得る可能性があると考えた。

 種々の遷移金属錯体を検討した結果、PdCl2(BINAP)と銀塩から調製した錯体を用いたときに化学収率こそ3%と低いものの、62%と高い不斉収率でアルドール成績体が得られた(Scheme 4)。

Schcme 4

 銀塩を加えない場合、反応が全く進行しないことから、本反応は銀塩とのアニオン交換によって生じる配位座の空いたカチオン性Pd錯体[PdCl(BINAP)]+によって進行しているものと考えられた。そこでさらに本反応の詳しい検討を行った結果、溶媒としはDMFが、銀塩としては銀ゼオライト、銀トリフレートが良いことがわかった。さらに錯体調製時に水の存在下、モレキュラーシーブスを加え濾過するという手法を用いれば、5モル%のPdと銀塩でも反応はスムーズに進行し、96%という好収率で目的とするアルドール成績体が得られることを見出した(Scheme5)。

Scheme 5

 また、本反応において水はカチオン性Pd触媒調製時に必要であるということも確認できた。

 次に反応のメカニズムを知る目的で1H-NMRを用い、反応の追跡を行った。その結果、Pd-O-エノラートと思われるピークが観測され、さらに得られたアルドール成績体の不斉収率が触媒反応時と同等の結果であったことより、本触媒反応がPdエノラート経由で進行していることが示唆された。そこで本反応の有用性を確認する目的で、種々の基質を用い反応をおこなった結果、Scheme6に示すようにいずれの場合も好収率でアルドール成績体を与えた。

 本反応は含水系において効率よく反応が進行するため、今後、不斉収率のさらなる向上と、触媒の効率化が実現できれば工業化への応用が期待される。

Scheme 6
3.まとめ

 触媒的不斉Heck反応において、1,2-ジクロロエタン中ピナコール及び酢酸カリウムによる反応の加速効果を見出し、そのメカニズムについて明らかにした。又、触媒的不斉Heck反応で得られた光学活性デカリン誘導体を用いvernolepinの全合成を行ない、その絶対配置を決定することで本反応の有用性を示した。

 一方、触媒的不斉アルドール反応においては、カチオン性Pd錯体を用いる全く新しい遷移金属エノレートを経る反応において、水の存在下5モル%の触媒量で初めて70%以上の不斉収率を達成した。

審査要旨

 炭素-炭素結合生成反応は有機合成上、鍵反応となる重要な工程であり、その触媒化は地球上の限りある資源の有効利用、省エネルギー化という点からも意義深い。

 さらにこれらの不斉合成への応用は反応の効率化の上からも極めて重要な課題のひとつである。特に医薬品開発について言えば、世界レベルで光学活性体での開発が常識となりつつある現在、より効率的な反応の開発が強く望まれている。そこで、生頼一彦は新たな触媒的不斉炭素-炭素結合生成反応の開発、及び既存の反応のさらなる効率化を目指し研究を行なった。

1.触媒的不斉Heck反応における新規な反応条件の開発

 生理活性物質には多環性化合物が数多く存在するため、その基本骨格の触媒的不斉合成は重要なプロセスである。柴崎らはHeck反応を初めて不斉合成に応用し、例えばScheme1のように、プロキラルなアルケニルヨウ素またはトリフレート(1〜3)を基質として用いる触媒的不斉Heck反応において、デカリン誘導体(4,5)が良好な不斉収率で生成することをすでに報告している。

Scheme 1

 これらデカリン誘導体(4,5)は種々の官能基化が可能な3つの二重結合を有しているため、天然物等の合成中間体として有用であり、その効率的合成法を確立することは大変意義深い。これまでの検討の結果、不斉収率は90%eeを越えているが化学収率が60%程度であったことより、本反応のより効率的な反応条件の確立を目指し検討を行なうことを計画した。

 生頼一彦は反応溶媒として1,2-ジクロロエタンを用いた場合に、化学収率は極めて低いが不斉収率はトルエンと同等であるという結果(化学収率6%、不斉収率91%)に興味をもち、1,2-ジクロロエタン中で反応進行が遅い理由を調べることによって、より効率的な反応条件が見出せるのではないかと考えた。そこでまず31P{1H}-NMRを測定した結果、1,2-ジクロロエタン中での反応進行が遅い理由は、反応活性種である0価のPd(BINAP)2が反応不活性種である2価のPdCl2(BINAP)に容易に酸化されるためであるということが確認された。したがって、反応を円滑に進行させるためにはこの0価Pdの不活性化を防ぐ必要がある。

 種々検討した結果、3級のジオールであるピナコールを系内に加えることにより反応速度が加速され収率も6%から78%と大幅に向上し、トルエン中での結果を越える最も良い結果が得られることがわかった。さらに、酢酸カリウムを共存させ反応を行った場合も反応時間が非常に短縮され、不斉収率にごくわずかの低下が認められたものの、化合物4の化学収率が70%へと向上することも見出した(Scheme 2)。

Scheme 2

 31P{1H}-NMRを用い反応機構について詳細な検討をした結果、ピナコールや酢酸カリウム由来のアセテートアニオンが0価Pd種を安定化する働きを示し、反応不活性種であるPdCl2(BINAP)への酸化を防いでいることが明らかとなった。さらに酢酸カリウムの場合は、生成した2価のPdCl2(BINAP)から0価Pdへの再生も促進していることもわかった。

 このように、今回新たに見出した取り扱いの容易なPd(OAc)2を触媒として用い、1,2-ジクロロエタン中ピナコール又は酢酸カリウムをアディティブとして用いる反応条件は、基質によって使い分けることにより既存の反応条件を凌ぐ化学収率や不斉収率を達成することに成功しており、合成化学的にも非常に重要な知見であると思われる。

 次に本不斉Heck反応の有用性を示す目的で、先の反応で得た化合物4よりDanishefskyの合成中間体7へと導き、得られたラクトン体7からDanishefskyらの条件に従いvemolepinを合成し、その旋光度を天然物と比較することによって絶対配置を決定した(Scheme3)。

 将来、触媒的不斉Heck反応が様々な基質で用いられることを考えた時、極性の低い溶媒であるベンゼンやトルエンでは、基質の溶解性が問題になることも予想され、今後、本研究で見いだされた1,2-ジクロロエタン中でのピナコールや酢酸カリウムを用いる新しい反応系が触媒的不斉Heck反応のさらなる発展の一助となることを期待したい。

Scheme 3
2.遷移金属エノラートを経る新規な触媒的不斉アルドール反応の開発

 アルドール反応は、その炭素-炭素結合生成に際し新たな不斉中心を生じるため、天然物等の合成に於て最も重要な反応のひとつである。

 これまでに高い不斉収率が報告されている触媒的不斉アルドール反応のほとんど全ては、エノールシリルエーテル誘導体の光学活性ルイス酸触媒による反応である。一方、これらのルイス酸触媒による反応とメカニズム的に全く異なる遷移金属エノラートを経る触媒的アルドール反応は、Rhを用いた例が報告され、不斉合成の試みも一例報告されているものの、未だに高い不斉収率を達成した例はなかった。そこで遷移金属エノラートを経る新しい触媒的不斉アルドール反応が開発できれば、有機合成上有用なツールになり得る可能性があると考えた。

 数多くの検討を重ねた結果、Scheme 4に示される触媒的不斉アルドール反応の開発に成功した。本反応はH2Oの存在下でも実施可能であり、又、パラジウムエノラート経由の反応であることも確認している。最後に触媒的不斉アルドール反応のscope & limitations を Scheme 5に記す。

Scheme 4Scheme 5

 以上、本論文は医薬合成上非常に有用な反応の開発に関するものであり、博士(薬学)に値するものと認めた。

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