学位論文要旨



No 212998
著者(漢字) 栗原,厚
著者(英字)
著者(カナ) クリハラ,アツシ
標題(和) 脂溶性制癌剤palmitoyl rhizoxinの脂質エマルジョン製剤に関する研究
標題(洋)
報告番号 212998
報告番号 乙12998
学位授与日 1996.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12998号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 【序論-目的】

 制癌剤の標的である腫瘍では、新生血管の物質透過性が正常組織に比べて亢進しているため高分子であっても組織中に取り込まれやすい。また、高分子回収経路であるリンパ系も未発達であるため、一度取り込まれた高分子は腫瘍中に長時間滞留しやすい。さらに、腫瘍組織は活発な増殖を賄う栄養源として脂質を盛んに取り込むことも知られている。従って、制癌剤を脂質微粒子性キャリアーに乗せ、他の正常組織への移行を抑制することが出来れば腫瘍へのターゲティングが可能と考えられる。脂質エマルジョンは主薬保持効率、物理的安定性、工業的生産性が高いなどの他の薬物キャリアーにない多くの長所を有する。しかし、現在臨床応用されている脂質エマルジョン製剤は、大豆油をレシチンで乳化したものであり、リポ蛋白リパーゼにより脂質分解され速やかに肝臓に取り込まれてしまうため、血中滞留性が低くターゲティング効果は低い。また、内封した薬物は血漿中で速やかにリリースしてしまうとも言われている。Palmitoyl rhizoxin(RS-1541)は抗チュープリン作用を示す化合物rhizoxinの13位水酸基をパルミトイル化した新規の静注用制癌剤であり、各種腫瘍系に対して優れた制癌作用を発揮する。RS-1541は脂溶性が極めて高いため、静注用キャリアーとしては脂質エマルジョンが一つの候補と考えられる。そこで、RS-1541の制癌剤としての有用性を増大させることを目的として、RS-1541を安定に保持し、リポ蛋白リパーゼに安定で肝臓に取り込まれ難く、血中滞留性および腫瘍移行性の高い静注用脂質エマルジョン製剤の開発を試みた。また、最適なエマルジョン粒子径を選択し、制癌剤として真に有用性の高い臨床応用可能な製剤を目指した。

【結果】I.薬物の脂溶性と脂質エマルジョン化の効果および腫瘍ターゲティング能の高い脂質エマルジョン

 はじめに、rhizoxinとRS-1541のラットにおける体内動態におよぼす製剤(PEG/DMA溶液、colloidal solution、エマルジョン)の影響を検討した。rhizoxinはどの製剤を用いて静注しても極めて速い血中消失を示した。一方、脂溶性のより高いRS-1541の体内動態は製剤に強く影響され、PEG/DMA溶液では血中より速やかに消失したが、エマルジョンの場合には高い血中滞留性を示した。Rhizoxinはエマルジョン製剤中でのエマルジョン粒子封入率は高いものの、ラット血漿中では速やかに粒子よりリリースした。RS-1541は血漿中でもエマルジョン粒子内に安定に保持されていることが明らかとなった。HPLC法にて推定したlogP(オクタノール/水)および用いたエマルジョンの脂質であるODOと水間の分配比は、いずれもRS-1541の値がrhizoxinの値を大きく上回っていた。この両化合物の脂溶性の違いがエマルジョン化の体内動態に与える影響を大きく左右したものと示唆された。次にエマルジョンの脂質および乳化剤の種類により、体内拳動がどう変化するかを検討した。大豆油(SOY)をレシチン(LEC)で乳化した従来型のエマルジョン(SOY/LEC)は、リポ蛋白リパーゼにより脂質分解され速やかに脂肪酸が遊離し、トリグリセライドが減少した。中鎖脂肪酸トリグリセライドODOをLECで乳化したエマルジョンも同様に速やかな脂質分解が認められた。それに対して、ODOをPEG鎖すなわちポリオキシエチレン鎖を持つHCO-60で乳化したエマルジョン(ODO/HCO-60)は、リポ蛋白リパーゼに対し抵抗性を示した。また、LEC乳化エマルジョンがリポ蛋白リパーゼ存在下で粒子径が大きく減少したのに対して、HCO-60乳化エマルジョンはわずかな粒子径減少しか認めなかった。RS-1541を各種組成のエマルジョンでラットに静注して求めた肝臓、脾臓などの細網内皮系(RES)への取り込みクリアランスは、HCO-60乳化エマルジョンにおいてLEC乳化エマルジョンに比べて極めて小さく、それに応じて血中濃度は高い値を示した。さらに、皮下に固型癌M5076を移植したマウスに静注した時の腫瘍中RS-1541濃度は、SOY/LECエマルジョンに比べてODO/HCO-60エマルジョンの場合10倍以上の高い値を示した。以上のことから、エマルジョン製剤により薬物の体内挙動を制御するためには、薬物が充分な脂溶性を備えている必要があること、また脂溶性が不十分な場合にはパルミトイル化が有効であることが明らかとなった。さらに、従来型エマルジョン(SOY/LEC)と比べて、ODO/HCO-60エマルジョンはリポ蛋白リパーゼに対し安定で、かつ血中滞留性、腫瘍移行性が高く制癌剤RS-1541のキャリアーとして有用であることが明らかとなった。

II.ODO/HCO-60エマルジョン化の種々効果

 粒子径の異なる(約100nm(small),約200nm(medium),400-600nm(large))RS-1541のODO/HCO-60エマルジョンを作製し、その体内動態について対照製剤colloidal solutionと比較検討すると共に、エマルジョン脂質の挙動についても検討を加えた。始めにサイズ排除カラムを用いて、ラット静注後の血中でのRS-1541の分布を検討した。Colloidal solutionでは、RS-1541はcolloid(ミセル)からリポ蛋白、主としてHDLへと分布した。一方、エマルジョンでは、粒子径によらずRS-1541はエマルジョン内に安定に保持されていた。ODO/HCO-60エマルジョンはリポ蛋白リパーゼに対して比較的安定であるが、small sizeエマルジョンはin vitroにおいて粒子径のより大きいエマルジョンに比べて速く分解した。RS-1541の血漿中濃度はエマルジョン粒子径の影響を強く受け、粒子径の小さいものほど血中滞留性は高かった。このときエマルジョン脂質の血中濃度推移はRS-1541の推移とほぼ同等であった。しかし、small sizeエマルジョンでは、エマルジョン脂質の消失はRS-1541の消失よりもやや速く、in vivoでの脂質分解速度{CL(lipolysis)}はin vitro同様粒子径の小さいものほど速かった。次にcolloidal solutionおよび各粒子径のエマルジョンについて、担癌マウスにおける組織分布、腫瘍移行、副作用発現、抗腫瘍効果を検討した。腫瘍中RS-1541濃度は粒子径の小さいエマルジョンほど高く、small,medium sizeエマルジョンではcolloidal solutionよりも高い値であった。一方、RS-1541の副作用発現部位である小腸中濃度は、同様に粒子径が小さいほど高かったが、mediumsizeエマルジョンではcolloidal solutionよりも低かった。エマルジョンの血中消失に最も強く影響を与えるRES臓器(肝臓および脾臓)への取り込みクリアランス(CL uptake)は粒子径が大きいほど大きな値を示した。腫瘍取り込みクリアランス値には大きな変動を認めなかったものの、治療係数、すなわち最大耐量(MTD)投与時の抗腫瘍効果を推定する上での一つの指標となる腫瘍/小腸薬物移行比 {CLuptake(tumor/s.intes.)}は、いずれの粒子径のエマルジョンもcolloidal solutionより大きな値を示し、medium sizeエマルジョンが最大の値であった。エマルジョン製剤の体重減少、白血球数減少、骨髄細胞数減少などの副作用は粒子径の小さいものほど強く、粒子径が約200nm以上の場合にMTDはcolloidal solutionに比較して増大した。MTD量投与時のRS-1541の組織分布を検討した結果、腫瘍中RS-1541のCmax値およびAUC値はいずれの粒子径であってもcolloidal solutionよりも大きい値であった。そしてMTD量投与時のRS-1541の抗腫瘍効果は、エマルジョン製剤においてcolloidal solutionよりも顕著に優れていた。また、エマルジョンの中ではmedium sizeエマルジョンの抗腫瘍効果が最も高かった。次に、in vitroにおける腫瘍細胞への取り込みと増殖抑制効果を検討した。K562腫瘍細胞への取り込み速度はRS-1541とエマルジョン脂質ODOとでほぼ同程度であり、粒子径の小さいエマルジョンほど速かった。また、増殖抑制効果は、取り込み速度に対応したものであった。以上、ODO/HCO-60エマルジョンは粒子径に応じた脂質分解、体内動態を示し、RS-1541はエマルジョン粒子内に安定に保持されて体内を挙動することが示された。また、粒子径約200nmのエマルジョンは、RS-1541の副作用を軽減し、抗腫瘍効果を最も強く増大させた。RS-1541の治療係数の増大は(target site)/(toxicity site)薬物移行比を改善したためと考えられる。

III.ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態、オプソナイズの種差

 ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態をマウス、ラット、ウサギ、およびイヌで検討した結果、エマルジョン製剤の血中からの消失はイヌにおいて特異的に速いことが明らかとなった。全身クリアランスのアロメトリック相関をとると、colloidal solutionのイヌの値はマウス、ラットおよびウサギの相関上にほぼ位置するもののエマルジョンの値は相関式よりも10倍前後高いものであった。イヌでは他の動物に比べて肝臓へのエマルジョンの取り込みが速く、そのため血中濃度が低くなったものと思われた。そこで、この種差を生じさせた要因を明らかにするために、エマルジョン粒子径変動、脂質分解、血漿によるオプソナイズの効果について検討した。その結果、イヌの血漿中でエマルジョンの粒子径が大きく変動することはなく、また、イヌとラットのリポ蛋白リパーゼによる脂質分解の速さにも違いは認めなかった。しかし、エマルジョンをオプソナイズする強さには種差が認められた。すなわち、イヌ血漿でオプソナイズしたエマルジョンによりRS-1541をラットに静注した場合、血中濃度は対照としたラット血漿で処理したエマルジョンに比べて低くなり、肝臓への取り込みが増大した。ヒトを含めた他の動物の血漿ではこのような体内動態の変動はなかった。このオプソナイズ効果はイヌ血漿を56℃30分熱処理した時には消失し、補体の関与が示唆された。さらにイヌ血漿でオプソナイズしたエマルジョンによりRS-1541をウサギに静注した場合においても血中濃度は他動物の血漿を用いた場合と比較して低かった。以上、ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態はイヌにおいて特異的であり、血中消失が速かったが、その原因は補体の関与するオプソナイズが強いためであると考えられた。また、ヒトにおいて本エマルジョンは、イヌ以外の動物種と同様の血中滞留型の動態を示すものと推察された。

【結論】

 本研究では、脂溶性の極めて高い制癌剤RS-1541(palmitoyl rhizoxin)の有用性の高い臨床応用可能な脂質エマルジョン製剤の開発を試み、以下の三点を明らかにした。

 (I)エマルジョン化により、rhizoxinの体内動態は影響を受けないが、より脂溶性の高いRS-1541の体内挙動は変化する。従来型エマルジョンに比べて、ODO/HCO-60エマルジョンはリパーゼに安定で肝に取り込まれ難く、かつ血中滞留性、腫瘍移行性が高い。

 (II)ODO/HCO-60エマルジョンは粒子径により体内動態が変動し、RS-1541はエマルジョン粒子として体内を挙動する。粒子径が約200nmのODO/HCO-60エマルジョンは、RS-1541の副作用を軽減し、抗腫瘍効果を最も強く増大させる。

 (III)ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態はイヌにおいて特異的であり、血中消失が速いが、その原因はオプソナイズの強さによる。ヒトにおいて本エマルジョンは血中滞留型の動態を示すものと推察される。

 以上の結果は、脂質エマルジョンを制癌剤に応用し、全身投与による副作用を軽減し、かつ腫瘍への薬物移行を高め、抗腫瘍効果を増強させた例であり、制癌剤のDDS製剤開発に有益な知見を与え得る。この成果は、従来型の脂質エマルジョンにはない優れた体内動態特性をもつODO/HCO-60エマルジョンとエマルジョン粒子との親和性の高いRS-1541を組み合せ、さらに適切なエマルジョン粒子径を選択することで達成することができた。

審査要旨

 本論文は、脂溶性の高い静注用制癌剤palmitoyl-rhizoxin(RS-1541)の抗腫瘍効果増強、副作用軽減を目的として、脂質エマルジョンを利用したドラッグデリバリーシステム(DDS)の開発を試みたものである。そのために、薬物の脂溶性とDDS化の効果に関する検討を行なうと共に、従来型脂質エマルジョンとは異なる血中滞留性および腫瘍ターゲティング能の高い新規な静注用脂質エマルジョンの開発を行なった。また、最適なエマルジョン粒子径の検討を実施し、さらに臨床応用を考慮し、エマルジョン製剤の体内動態の種差に関する検討も行なった。

(1)薬物の脂溶性と脂質エマルジョン化の効果および腫瘍ターゲティング能の高い脂質エマルジョン

 エマルジョン脂質との親和性の不充分なrhizoxinは血漿中でエマルジョン粒子より速やかにリリースしてしまうために、ラットに静注時の体内動態を脂質エマルジョン化により変えることはできなかった。しかし、脂溶性をより高くし、エマルジョン脂質との親和性も高めたRS-1541はエマルジョン粒子内に安定に保持され、エマルジョンの特性をよく反映した体内挙動を示した。脂質エマルジョンの組成に関する検討により、中鎖脂肪酸トリグリセライドODO(dioctanoyl-decanoyl glycerol)をHCO-60(polyoxyethylene(60)hydrogenated castor oil)で乳化したODO/HCO-60エマルジョンは、大豆油をレシチンで乳化した従来型の脂質エマルジョンとは異なり、リポ蛋白リパーゼに安定で肝臓への取り込みが遅く、血中滞留性、腫瘍移行性が高いことが明らかとなった。

(2)ODO/HCO-60エマルジョン化の種々効果

 ODO/HCO-60エマルジョンに内封したRS-1541は、粒子径によらずエマルジョン粒子内に安定に保持され、エマルジョン粒子と共に体内を挙動した。また、ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態は粒子径{small size(100nm)、medium size(200nm),large size(400-600nm)}により大きく変動した。すなわち、粒子径が大きいエマルジョンは肝臓、脾臓への取り込みが速く、血中滞留性が低いが、粒子径を小さくした場合には両臓器への取り込みが遅くなり、血中滞留性も向上した。皮下に固形腫瘍を移植したマウスでのRS-1541の腫瘍中濃度は粒子径の小さいエマルジョンほど高く、small size、medium sizeエマルジョンでは対照製剤(colloidal solution)よりも高かった。一方、副作用発現部位でのRS-1541濃度は同様に粒子径が小さいほど高かったが、medium sizeエマルジョンではcolloidal solutionより低かった。これらエマルジョン化による体内動態の変動に対応して、RS-1541の副作用はエマルジョン粒子径が大きいほど弱くなり、最大耐量はmedium size、large sizeエマルジョンにおいて増大させることが可能となった。さらに、最大耐量投与時のRS-1541のin vivo抗腫瘍効果は、ODO/HCO-60エマルジョンとした場合、いずれの粒子径においてもcolloidal solutionより強くなり、最大の効果はmedium sizeエマルジョンで得られた。このようなRS-1541の治療係数の向上は、標的部位/副作用発現部位への薬物移行比を改善したためと示唆された。

(3)ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態、オプソナイズの種差

 ODO/HCO-60エマルジョンの体内動態をマウス、ラット、ウサギおよびイヌで検討した結果、エマルジョン製剤の血中消失、肝臓取り込みはイヌにおいて特異的に速いことが明らかとなった。RS-1541の全身クリアランスのアロメトリック相関をとると、colloidal solutionのイヌでの値はマウス、ラットおよびウサギの相関上にほぼ位置したが、エマルジョンの値は相関式よりも10倍程度高いものであった。そこで、この種差を生んだ要因に関して種々検討を行なった結果、エマルジョンをオプソナイズする強さに種差を認めた。すなわち、イヌ血漿でオプソナイズしたエマルジョンによりRS-1541をラットに静注した場合、血中濃度は対照としたラット血漿で処理したエマルジョンに比べて低くなり、肝臓取り込みが増大した。ヒトを含めた他の動物の血漿ではこのような体内動態の変動は認めなかった。このオプソナイズ効果はイヌ血漿を56℃30分熱処理した時には消失し、補体の関与が示唆された。このようにODO/HCO-60エマルジョンの体内動態の種差は血漿成分によるオプソナイズの差に因るものと考えられ、また、ヒトでの本エマルジョンの体内動態はイヌ以外の動物種同様の血中滞留型のものと推察された。

 以上、本研究は、脂質エマルジョンを制癌剤に応用し、全身投与による副作用を軽減し、かつ固形腫瘍への薬物移行性を高め、抗腫瘍効果を増強させたはじめての例である。この成果は、従来型の脂質エマルジョンにはない高い血中滞留性、腫瘍移行性など優れた体内動態特性を持つ新規なODO/HCO-60エマルジョンとエマルジョン粒子との親和性の高いRS-1541を組み合せ、さらに適切なエマルジョン粒子径を選択することで可能となった。また、本研究で示されたODO/HCO-60エマルジョンは他の多くの制癌剤に対しても、脂溶性を高めて安定に封入することができれば、有効な薬物キャリアーになるものと思われる。このように、本論文は、多くの制癌剤および他の脂溶性薬物の製剤設計ならびにDDS製剤開発に有益な知見を与えると考えられ、博士(薬学)の学位に値するものと認める。

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