本論文は、第1次世界大戦期ロシアの食糧事業と農事指導を対象として、総力戦下の地方統治および中央・地方関係を分析したものである。構成としては、理論的・方法論的な問題を扱った序論(第1章から第3章まで)、実証分析を行なった本論(第4章から第10章まで)、および結論の3部から成っている。 序論の第1章「本稿の目的と構成」では、先ず、論文の課題が次のように説明されている。即ち、総力戦体制はそれ以前に存在していた平時の社会事業の戦時目的への転化によって生まれるとの認識に基づき、ロシア総力戦体制の形成を大戦前ロシア社会近代化過程の特殊性を視野に入れながら分析し、そのことによって1917年2月革命を、一般的な近代化の失敗によってではなく独自な総力戦体制の帰結として説明するということである。 このような課題を実現するために選択された主要な論点として、(1)ゼムストヴォ(ロシアの地方自治団体)の農事指導、(2)協同組合による穀物購入(「社会的集荷」と呼ばれた)、(3)地方自治体による食糧事業の地域間調整、(4)県知事とゼムストヴォの関係、そして(5)大戦末期に実施された穀物割当徴発制、の5点が挙げられ、本論の第4・5章、第6・7章、第8章、第9章、第10章がそれぞれ(1)から(5)の論点を順次追求するという構成をとることが説明される。このような論点の選択および論文の構成は、第1次大戦からロシア革命へと至る政治過程を把握する上での著者の独自な研究戦略によって選択されたものであるが、この研究戦略は、一つには第1次世界大戦という総力戦の歴史的意義にかかわり、もう一つにはロシア近代史と体制崩壊の関係についての独自の考察に基づいている。そこで、この2つの理論的問題が第2・3章でそれぞれ詳しく検討される。 第2章「総力戦争論」では、総力戦の歴史的意義が、ロシア史に限られない一般的な観点から論じられている。従来の政治史研究においては、総力戦には「テスト機能」があるとされ、総力戦を戦い抜く条件の有無がその国の近代化の度合を示すと考えられてきたが、著者はこの見方を批判し、「後進的」とされてきたロシアが第1次世界大戦を末期に至るまで高度に遂行できていた事実を指摘する。近代化、国民国家化の度合がただちに総力戦体制構築の成否を決するのではなく、平時に存在していた「前近代的」な制度が戦争遂行に合目的的な形で転用されるならば、そこに独自な総力戦体制が生まれ得るのである。本論文が先に挙げた5点を主要論点として選択したのは、それらがいずれも大戦前に存在していた制度の総力戦体制への転用の代表例だからである。 第3章「帝政末期における『革命』と『改革』」では、ツァーリ体制崩壊の原因が論じられる。通念的には、当時のロシアは国民国家化が遅れていたから崩壊したととらえられがちであるが、著者はこの見方を批判する。国民国家化の遅れは体制崩壊ないし革命の一つの必要条件に過ぎず、革命原因論としては、そうした一般論を超えた説明が必要とされる。著者によれば、「前近代的」制度の転化による総力戦体制構築はそれなりに「成功」をおさめたが、まさしくその「成功」が、地域間紛争の深刻化を構造化し、後者こそが体制の崩壊をもたらしたのである。以下の本論は、このような見通しを、原資料に基づいた実証分析によって論証することにあてられる。 本論に入り、先ず第4章と第5章では、地方自治団体たるゼムストヴォの農事指導がとりあげられる。平時の機構の戦争目的への転用の重要性という基本視角に従い、第4章「大覚醒時代、1907-1914」では第1次大戦に先立つ20世紀初頭の農政が論じられる。この章は、戦前期の状況を確認するという意味で、本論全体にとっての導入としての役割も担っている。20世紀初頭のいわゆる「ストルイピン農業改革」は従来、共同体の解体と個人農の創出という観点から専ら評価されてきたが、著者は、ストルイピン改革評価の基準の転換を提唱し、個人農創出という政府の主観的意図にかかわらず、共同体農民を含めた農業全体の高揚が、土地整理、技術革新、農学者組織の稠密化、協同組合運動の発展などの諸側面でみられたことを指摘する。 第5章「ゼムストヴォ農事組織の戦時農業政策への転用」では、このようにして戦前期に発展してきたゼムストヴォ農事組織の戦時農業政策への転用の実態が究明される。先ず、第1次大戦期のロシア農村が、大量の成人男子労働力を徴兵によって奪われながらも、その生産力をさほど低下させず、危機状態を現出してはいなかったことが指摘される。そして、労働力不足の中で生産を維持する種々の方策がゼムストヴォの農学者によって採用されたことが跡づけられる。この努力は、総力戦体制構築における農学者の位置を高いものとしたが、そうした影響力増大は、農民の目からみれば彼らが「戦争の下手人」と映るという結果を招いた。協同組合運動も行政機構との連携を深めつつ発展したが、その「発展」は協同組合の自主性喪失、行政依存という問題もはらんでいた。こうして、大戦末期の農村はともかくも生産力を維持し、危機の顕在化を回避できていたが、それは農学者や協同組合の農民からの乖離という代価を伴っており、外からの危機の波及によって、農村も危機に引き入れられる条件がつくられていたことが指摘される。 続いて第6章と第7章では、協同組合による「社会的集荷」事業の軍用穀物調達への転化が論じられる。先ず第6章「『社会的集荷』事業の戦時穀物調達への転化」では、ロシア全体の状況が分析される。農村商人による農民「搾取」に対抗するため協同組合を通じて「社会的集荷」を行なうという試みは第1次大戦以前から進められていたが、経験と情報網をもつ商人に農村インテリゲンチャが対抗するのは容易ではなかった。しかし、大戦は膨大な軍需を発生させ、「社会的集荷」に有利な条件をつくった。こうして「社会的集荷」は急速に拡大したが、その拡大は、その中に既存の商人をも引き入れることを必要とした。このことは協同組合の反商人感情とは衝突するものであるため、その引き入れの具体的なあり方をめぐって分岐が生じた。また、政府がその穀物調達事業において県ゼムストヴォに依拠したため、県のアウタルキー的傾向が強められたが、このことは、後に詳しく検討される地域間対立の条件となった。 以上の分析をうけて、第7章「地方における穀物調達組織」では「社会的集荷」の実態が、県ごとに詳しく検討されている。各県の穀物調達の類型を規定する要因としては、当該県に資本主義的な穀物流通のインフラストラクチャーが存在するか、当該県のゼムストヴォ・協同組合運動は強力か、という2点が挙げられる。このことを念頭におきつつ、8つの主要県の動向を個別に分析した後、全国的な趨勢として「社会的集荷」が次第に強化されたこと、調達事業の重心が辺境に向かって動いていったこと、強いゼムストヴォが強い調達組織を生むという一般傾向がみられることなどが結論されている。 第8章「地域間調整の試み」では、自治体による穀物調達(戦前には飢饉に際して行なわれた)の戦時調達への転化がとりあげられている。なお、この調達事業は主として消費県自治体によって遂行されたので、これまでの各章のように生産県に注目を集中するのではなく、モスクワを中心とした消費県間の穀物流通が分析されている。各県ごとの調達が競合しあう過程を詳しく追った本章の分析から導かれるのは、地域間紛争の決定的な重要性である。著者によれば、帝政末期の危機は穀物調達の不調から直線的に生じたのではなく、むしろ調達難が誇張して受けとめられるような心理的メカニズムの形成が重要であった。これは、それまでに食糧機構・食糧統計が高度に発達し、農村に各種の情報が飛び交うような状況が生じていたことを前提としている。とりわけ消費県と生産県の間での、自己防衛的行動の昂進による紛争の拡大が深刻化したが、このことも総力戦体制への平時制度の転用が一定の「成功」を収めたことの逆説的帰結であった。 これまでの各章では、事業分野ごとの分析がなされてきたが、第9章「県知事とゼムストヴォ」では、事業分野横断的な問題として、県当局とゼムストヴォの分業関係がとりあげられ、戦前期に形成されていた分業関係の戦時への転化が問題とされている。帝政ロシアでは、内務省直轄の県当局と、限定された地方自治を担うゼムストヴォという、地方行政の2元性が存在したが、この2元性は単純な対抗関係にあったのではなく、ゼムストヴォは先進農民と協同組合に依拠した「前衛主義的」な事業を担当し、県当局は共同体を通じて農民全体を包括する事業を担当するという分業関係が存在していた。この関係は、大戦期においても存続し、商取引としての穀物調達はゼムストヴォによって担われ、馬車輸送労役、家畜・穀物の割当調達、共同体援助、村落穀物備蓄の軍用調達への引き入れなどは県当局によって主として担われた。本章ではまた、県当局が内務省の指導下にあったことから、他の章ではあまり分析の対象とされていない中央レヴェルの政治にも論及し、内務省による県知事権力確立の試みとその挫折とが描かれている。 本論の最後の部分をなす第10章「リッチフ農相の食糧割当徴発制」では、労役・貢納賦課制度の軍用食糧調達への転化としての「食糧割当徴発制」が検討の対象となっている。この制度は1916年11月に導入されたもので、体制崩壊の直接的きっかけを考察する手がかりとしての意味ももっている。従来の研究は、この政策を、窮地に陥った政府の苦肉の策としかみなさなかったが、実際には、労役・貢納賦課は近代貨幣財政の発達が遅れていたロシアにおいて広汎に採用されていた制度であり、その穀物調達への転用はむしろ自然な発想であったし、総力戦の条件下では現物による割当徴発には一定の合理性があったというのが著者の見解である。現物・労役賦課という「前近代的」制度が共同体とともに維持されていたことは、それを総力戦体制構築に利用するという観点からはむしろ有利な条件でさえあった。しかし、そのような方法をとることの副産物は、各県の地域防衛主義志向の強化であり、割当徴発の遂行過程で地域間対立は頂点に達した。ロシア総力戦体制はゼムストヴォの地域エゴをその内部にかかえこみ、そのことによって崩壊への道をたどったというのが、本章の分析から得られる見通しである。 最後に、結論では、本論全体が簡潔に要約されている。従来、通説的には、帝政ロシアはその後進性の故に総力戦体制構築に失敗したと考えられてきたが、著者によれば、平時機構の転用による戦時体制構築は単純に失敗したのではなく、むしろ総力戦を遅い時期まで戦いうる程度には成功をおさめた。しかし、まさにその「成功」が地域間紛争の構造化をもたらし、体制の危機をもたらしたのである。なお結論の末尾では、1917年2月革命後の臨時政府期への簡単な展望も示され、本論文の分析がより長期的な歴史的考察にとってもつ意味も明らかにされている。 以上が本論文の要旨である。 本論文の長所としては、次のような点が挙げられる。 第1に、膨大な1次資料を駆使して、当該期ロシアの食糧事業と農事指導を分析し、それを通して、総力戦下の地方行政の変容を克明に跡づけたということである。特筆しなくてはならないのは、ロシアにおいては比較的最近まで公文書館の利用が厳しく制約されていたという事情のため、1次資料に基づく実証的歴史研究は、本国の研究者によっても欧米の研究者によっても極めて不十分にしか行なわれておらず、そのため本論文は、日本はもとより世界的にみても先駆的な意味をもつということである。 第2に、本論文は、いくつかの理論的問題に関しても、ユニークな見解を提示している。その一つは総力戦論であり、平時制度の転用による総力戦体制構築が当該国の特性を示すという見地が、他の交戦諸国の例や第2次大戦期の例との比較をもまじえて論じられている。これは、ロシア政治史という枠を超えた政治史研究一般にとっても興味深い貢献をなすと考えられる。 第3に、もう一つのユニークな主張は体制崩壊論である。ある体制が崩壊し革命を招くのは、改革が失敗して時代錯誤的な体制が残存しているからだという通念に対し、むしろ改革の一定の「成功」が新しい矛盾を発生させ革命に至るという視点は、革命と改革の関連に関する政治学上の議論に対して一つの貢献をなしている。 第4に、本論文の方法にかかわる独自な視点として、「歴史地理学」という視点が強調されていることが挙げられる。ロシアのように広大な国の歴史を考察する場合に、地域的独自性の要素が重要な位置を占めることは当然であるが、従来、外国人研究者の自由な国内旅行が制約されていたこと、地方における公文書館へのアクセス可能性がほとんどなかったことから、ロシア史研究は首都中心のものとならざるを得なかった。著者は、11の県にわたって丹念な現地調査を行ない、その壁の突破にかなりの程度成功している。 これ以外にも、他の諸国との比較考察が各所に織り込まれている点、地方行政制度の分析において行政学の知見を取り入れようと試みていること、農民心理や農村インテリの役割分析において社会学や社会史の手法の適用が試みられていることなどは、本論文に幅の広がりを与えている。こうした学際的な試みは、従来のロシア・旧ソ連政治史研究がそのような視野の広がりを欠きがちだっただけに、その成否は別として、一つの意欲的な試みとして評価される。 他方、問題点としては次のようなものが挙げられる。 第1に、膨大な資料に即した長大な論述が、ややもすれば迷路に入り込むような印象を読者に与え、いささか読みづらい点は否みがたい。その一つの理由は、著者にとっては当然の前提であっても読者には自明でないような事項についての説明が乏しい点にある。また、全体の骨格は論理的に組み立てられているものの、その方針が細部にまで完全に行き届いているかには多少の疑問がある。こうした欠陥は、1次資料に即した丹念な歴史研究を進める研究者にはありがちなものであるが、一方で制度や環境についての解説を増やしつつ、他方で、やや脇にそれた部分を刈り込めば、よりまとまりのよい論文になったであろうと思われる。 第2に、先行研究への批判ということにとらわれすぎ、またその表現に若干の誇張があるように感じられる。これは、独創的な見解を提示しようとする意欲に燃えるからであることは理解できるが、ややバランスを失した観を与える個所もあることは否めない。 第3に、全体としては緻密な実証研究であるとはいえ、あまりにも多くの論点をとりあげ、また大胆な問題提起を目指したためもあって、十分論証されない命題を断言し過ぎているという観を与える個所もないではない。但し、これはあくまでも、一部にそのような個所もあるというに過ぎず、基本部分の高い価値を損なうものではない。 全体として、本論文の短所は局部的なものであり、長所を打ち消すものではない。本論文はわが国のロシア政治史、更には政治史一般の研究水準を大きく引き上げ、学界に多大の貢献をなすものと評価することができる。したがって、本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。 |