学位論文要旨



No 213000
著者(漢字) 土井,利明
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,トシアキ
標題(和) 新幹線の旅客需要予測に関する研究 : 新幹線の需要予測の事後的研究と社会経済環境の構造変化を考慮した新しい予測手法の開発
標題(洋)
報告番号 213000
報告番号 乙13000
学位授与日 1996.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13000号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森地,茂
 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 助教授 桑原,雅夫
内容要旨

 本研究は、交通計画の中の鉄道、とりわけ新幹線の将来に亘る需要想定を取り扱うものである。

 需要想定の対象として最も重要な鉄道路線の一つである東海道新幹線についてみると、昭和36年開業時における輸送需要想定が、当時としては高度な手法を駆使していたにもかかわらず、その後大きく伸びた実績値とかなりの差異を生じた。又、東海道新幹線の昭和62年度民営化以後の輸送量は、その後の景気の後押しに企業努力が加わり、大幅に増加した。今日、景気の低迷により横バイ傾向がみられるものの、日本国有鉄道改革時の"将来に亘って微減という需要予測"を遥かに上回る輸送量となっている。このような差異はいくつかの原因が考えられるが、なかでも需要想定の背景となる社会経済環境の構造変化を、算定上うまく取り込めなかったことが大きな要因と考えられる。社会経済環境は、少なくとも当面は過去にもまして大きな構造変化を遂げ続けると思われる。

 一方、一つの例として、今後とも国土の基軸としての東京〜大阪間の輸送を確保するため、東海道新幹線のバイパスとして、折から次世代の高速輸送システムである超伝導磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー(MAGLEV))を有力モードとして適用し、東京〜大阪を約1時間で結ぶ中央新幹線計画が進められている。この計画が実現した場合、将来の我が国の経済や社会に与える影響は極めて大きいといえる。したがって、この計画の策定に当たっては、需要想定をはじめとして十分な調査を踏まえ、有効で先見性に満ちたものとすることが望まれる。

 しかし、東海道新幹線の近年の需要動向を正しく捉えられなかったことにも示されるように、従来の想定方法では需要の前提となる社会経済環境の構造変化の影響の需要想定への取り込みが十分とは言えない。中央新幹線を例とすれば、この路線は、加えて東京一極集中の是正や国土の均衡ある発展など、社会経済環境の構造変化をもたらすことそのものも目的の一つとしている。従って、第1にそれらを需要想定の中に組み入れることがなければ、需要想定としての体を成さないと考える。

 第2は、このようなビッグプロジェクトは、国、自治体、鉄道事業者ならびに国民によって推進されるものであり、これら関係者の計画と効果についての定量的な議論と納得とが、事業化には前提条件として必要となる。さらに国、自治体は、中央新幹線を取り巻く自らの施策と中央新幹線の相乗効果の検証も望むところであろう。

 以上より、中央新幹線を含む今後の新幹線計画を進めるうえで、需要予測は次の2点の要件を満たす必要があると考える。

 (1)需要想定は社会経済環境の構造変化に対応でき得ることが望ましい。

 (2)需要想定は、事業関係者の事業決定のプロセスをスムーズにし、かつ確実に共有する解を得られることに資することが望ましい。

 そのために、様々なシナリオのもとに需要を予測し、かつその過程において需要構造を明らかにしようと試みるわけで、それは、『そもそも今後の社会経済環境の構造変化自体は、言うまでもなく予測が困難である。需要予測にあたり、それを一つに特定化することは、たとえその結果としての予測精度が高かったとしても、予測時点での客観性を欠くとのそしりは免れることができない。』さらに、『需要予測は、国、自治体、鉄道事業者から成る事業関係者の支持を得る必要がある。そのためには、それぞれが想定する社会・経済情勢のシナリオに夫々対応した予測計算を行い、それらの複数の計算結果が、相互にその説明変数との関係において説明が可能であるならば、そしてそれらが集合体と思われる範囲にまとまっているのであるならば、それは事業者間の議論をより高めることを可能にし、より信頼度の高い予測となり得る。』したがって、『社会経済環境の構造変化に対応した複数のシナリオに基づき、複数の需要想定を予測することがもっとも合理的である。』と考えるからである。

 このような背景のもと、本研究では上記(1)(2)の要件を満たす新しい予測手法の開発を行うことを目的としている。

 本論文は、下図に示すような構成となっている。

 序論において、新幹線の開業が果たした社会経済環境への影響について東海道新幹線を例として定性的に分析を行った。これによると、日本経済は東海道新幹線の開業と期を一にして、沿線を核として飛躍的に発展したことが伺われる結果となった。さらに、今後予想される社会経済環境の構造変化についてその概要についてまとめ、新しく開発する需要予測モデルに国土構造やビジネススタイル、ライフスタイルの変化を考慮することが必要と概括した。

 1章では、過去の新幹線計画の際に行われた需要予測手法のサーベイを行い、併せて各新幹線計画の特徴や建設の背景のなかでの需要予測の位置づけについてまとめた。東海道・山陽新幹線の場合は需要量の逼迫、東北・上越新幹線の場合は国土形成誘導、整備新幹線の場合は土地利用の高度化といった背景がそれぞれあり、需要予測については整備新幹線以外は計画そのものに直接的影響を及ぼすようなものでは必ずしもなかったとの結果を得た。

 また従来のモデル化の考え方を適用して需要予測を行った場合、前記(1)(2)に対応可能かどうかについて検討を行った。非集計モデルを適用すると、作業量が膨大となることや構造変化に伴うデータ収集が難しいこと、アクティビティアプローチやダイナミックアプローチについては、適用実例が少ないことや具体的な手法そのものがまだ十分に開発されていないことから、これらのモデルは、本研究の問題意識に対応不可能ではないにしても現時点では十分とはいえないと結論付けた。

図表

 2章では、東海道新幹線の需要予測の事後的検証を行った。具体的には、東海道新幹線の開業前に行われた予測モデルを利用して、昭和39年から平成4年までの28年間について、入力データである国民所得に実績値を利用して予測値を外挿する方法をとった。この結果、予測値と実績値は大きく乖離する結果となったが、この間東海道新幹線は利用料金を大幅に改訂していることから、この影響についてマクロ的に加味してみたが、開業後数年と40年代以降について乖離が見られる結果となった。これについては、前者については東海道新幹線が定着化するまでのタイムラグ、後者については、航空機との競合をモデル内に明示的に取り入れていないことが原因であると考えられることが分かった。さらに、簡便なトレンドモデルを作成し、東海道新幹線の需要を事後的に検証したが、いわゆるバブル時(昭和62年〜)の輸送量については、発生、分布構造が変化しており、この時期の輸送量の増加について、別途のモデルを構築しないかぎり説明することができないとの結論を得た。

 3章では、今後の新幹線計画において必要となる需要予測の要件について、前記の(1)、(2)の考え方を整理し、モデル化の方針について検討した。具体的には、トリップの発生、目的地、利用交通手段の決定にいたる一連の仮定を意思決定としてモデル化することとした。意思決定のモデル化は従来から様々なものが研究されているが、本研究ではその中からAHP(Analitic Hierarchy Process:階層分析法)を利用することとした。その理由としては、需要算定作業量を少なくすることができるほか、先の2つの要件のうち、(1)については、階層図内の各要因間の一対比較の重み付けを変化させることで対応可能であり、(2)については、想定した社会経済環境の構造変化のシナリオに従って、専門家や有識者及び関係者で議論しながら一対比較を行うことにより対応可能であるからである。

 4章ではモデル化を実行した。具体的にはビジネス、観光、家事私用、海外流動の各トリップ目的に細分化し、13パターンにトリップを分割した。そして、国土構造(産業・居住地立地)、発生交通量、分布交通量、機関選択率、容量検証(希望交通機関に乗れるか乗れないか)、駅間ODの想定という手順で予測を行うモデルとした。この中で、国土形態については、首都機能移転や地方分権、発生交通量では、情報化に伴うトリップの代替や誘発、労働時間短縮、余暇活動志向性の変化、分布交通量では、地方分権による地域魅力の変化、機関選択では乗り心地や安全性といった定性的要因についてそれぞれ考慮可能なモデルとした。

 5章では、4章で開発したモデルの妥当性について、与えられた社会経済環境の下での社会経済指標が分かっている場合に、どの程度交通現象が正しく予測できるかといった観点から検証を行った。具体的には、現状再現、過去のある1時点(昭和55年)の再現がどの程度正しくできるかといった検証を行い、鉄道需要想定として必要な輸送量(総人キロ)、輸送力(断面交通量)について、良好な再現ができるという結果を得た。

 6章では、事例研究として、2010年における中央新幹線の需要予測を社会経済環境の変化の度合いに応じて想定した3つのシナリオに則って行い、あわせて国土構造の変化、輸送特性(利用料金や所要時間)の変化による需要量の感度分析を行った。これによると、将来の社会経済環境の構造変化が需要にどの程度影響を及ぼすかについて、様々な角度から定量的に分析が可能であった。

 以上のような検討を踏まえ、7章では、本研究で開発したモデルは、AHPの一対比較の重み付けの煩雑さや階層図の同定の論理的客観性の確保をどのように行うか、といった課題があるものの、本研究の問題意識である前記(1)(2)を満たすモデルであると結論付けた。

審査要旨

 交通需要予測の方法は、人間の行動原理を明示的に表現したモデルの開発、ネットワーク均衡に関する研究の進展、及び交通需要データの蓄積により、より論理的かつ精緻な体系として確立されてきた。しかし、東海道新幹線の整備が沿線の企業立地や、人々の行動に対し構造変化をもたらし、当初想定された需要を遥かに越える需要が顕在化したような数多くの事例も見られる。更に、現在検討中のリニア中央新幹線のように現存する交通システムと大きく異なるサービスに対する需要予測は、既存の需要データの分析に基づく、行動分析と予測モデルの適用には限界がある。本論文は、このような観点から、社会経済環境の構造変化を考慮した需要予測の方法論を開発し、提案したものである。

 本論文は、序論と7章より構成されている。

 序論では、研究の背景及び目的を述べている。

 第1章は、従来の新幹線鉄道の需要予測手法を歴史的に追跡し、それぞれの方法について概説し、また交通需要予測の最近の展開を整理した上で、上記の視点からの問題点を指摘し、新な方法が備えるべき条件を明らかにしている。

 第2章では、東海道新幹線の輸送実績と社会経済変数の時系列的変動をあわせて分析し、需要予測の事後的検証をおこなうことによって、推計値と実績値の乖離が発生した原因を考察している。さらに、推計モデルに説明変数の実現値を用いて輸送量を計算しても、なおかつ計算値と実績値に乖離が生ずることを示し、構造的な変化に起因する予測上の問題点を提示している。

 第3章では、新しい需要予測方法の基本的考え方と、その骨格をなすAHP(Analytic Hierarchy Process)の適応の妥当性を論じ、モデルの全体構造を提示している。基本的には、要因間の一対比較による重みづけを、専門家や関係者でおこなうことにより、社会構造の変化のシナリオを確認しつつ、予測作業を進めることを、提言している。

 第4章では、業務、観光、私用等トリップ目的別に、社会経済的変化を反映可能なモデル構築を行っている。業務交通については、情報行動量を介在させることにより、目的別に情報収集・情報交流・情報伝達に関わる行動を記述し、情報化と交通の関係を分析可能としている。観光交通については、レクレーション活動別に行動を記述することによって、人々の余暇活動に対する志向の変化を分析可能としている。この他、首都移転、地方分権、労働時間短縮、高齢化、環境制約等の社会状況の変化要因を明示的に各目的別トリップの予測に取り込むことに成功している。

 第5章では、4章のモデルの性能を確認するために、第1に、社会経済状況を現状に固定したときの現在(平成3年)の交通量及び主要駅間交通量を算出し、十分な再現性を有することを確認している。第2に、過去(昭和55年)の諸条件を入力することにより、その時点での輸送量の再現性を確認し、第3に、機関分担に関して本モデルとロジットモデルのそれぞれによる再現性の比較をおこなっている。以上により、本方法の適用性を、各種説明変数導入可能性、現況再現性、演算時間、及び社会経済環境変化への対応可能性等から評価し、本方法の有用性を明らかにしている。

 第6章では、事例研究として、2010年における中央新幹線の需要想定をおこなっている。まず国土構造、人口構成、情報化の進展、労働市場、経済成長、産業構造、生活及び余暇に関する価値観、環境制約、国際化等の諸環境に関し3つのシナリオとして表現し、これらの社会経済状況下での需要を予測し、更に、国土構造を始めとする諸変数の変化や、新幹線の所要時間や料金など交通サービスの変化に対する将来需要の感度分析を行っている。この事例研究を通じて、提案されたモデルの様々な挙動を把握するとともに、適用上の課題や留意点を明らかにし、実用性を確認している。また、本分析を通じて、中央新幹線の計画に際し極めて本質的と考えられる情報を提示し、従来の予測手法では検討困難な多くの知見を得ている。

 第7章では、本研究の成果についてまとめている。

 以上、本論文は、現存しない新たな種類の交通システムが導入された場合に発生するであろう社会の変化をも考慮した需要予測、或いは、大きな社会経済的構造変化が予想される場合の交通システムの利用者の長期的予測に対し、従来の時系列解析や、行動分析では対応し得なかった解析を可能としたものである。即ち、地域計画および交通計画の課題でもあった、構造変化を伴う長期予測問題に対して、予測プロセスの思考構造を明示化し、かつ関連諸データを内包する計画支援システムを構築したものである。更に、本論文は、わが国の国土構造・社会構造に大きな変革をもたらすと考えられるリニア中央新幹線の計画に必要不可欠で、かつ有用な知見を提示している。

 よって本論文は、国土計画、土木計画学の発展に寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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