本研究は、交通計画の中の鉄道、とりわけ新幹線の将来に亘る需要想定を取り扱うものである。 需要想定の対象として最も重要な鉄道路線の一つである東海道新幹線についてみると、昭和36年開業時における輸送需要想定が、当時としては高度な手法を駆使していたにもかかわらず、その後大きく伸びた実績値とかなりの差異を生じた。又、東海道新幹線の昭和62年度民営化以後の輸送量は、その後の景気の後押しに企業努力が加わり、大幅に増加した。今日、景気の低迷により横バイ傾向がみられるものの、日本国有鉄道改革時の"将来に亘って微減という需要予測"を遥かに上回る輸送量となっている。このような差異はいくつかの原因が考えられるが、なかでも需要想定の背景となる社会経済環境の構造変化を、算定上うまく取り込めなかったことが大きな要因と考えられる。社会経済環境は、少なくとも当面は過去にもまして大きな構造変化を遂げ続けると思われる。 一方、一つの例として、今後とも国土の基軸としての東京〜大阪間の輸送を確保するため、東海道新幹線のバイパスとして、折から次世代の高速輸送システムである超伝導磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー(MAGLEV))を有力モードとして適用し、東京〜大阪を約1時間で結ぶ中央新幹線計画が進められている。この計画が実現した場合、将来の我が国の経済や社会に与える影響は極めて大きいといえる。したがって、この計画の策定に当たっては、需要想定をはじめとして十分な調査を踏まえ、有効で先見性に満ちたものとすることが望まれる。 しかし、東海道新幹線の近年の需要動向を正しく捉えられなかったことにも示されるように、従来の想定方法では需要の前提となる社会経済環境の構造変化の影響の需要想定への取り込みが十分とは言えない。中央新幹線を例とすれば、この路線は、加えて東京一極集中の是正や国土の均衡ある発展など、社会経済環境の構造変化をもたらすことそのものも目的の一つとしている。従って、第1にそれらを需要想定の中に組み入れることがなければ、需要想定としての体を成さないと考える。 第2は、このようなビッグプロジェクトは、国、自治体、鉄道事業者ならびに国民によって推進されるものであり、これら関係者の計画と効果についての定量的な議論と納得とが、事業化には前提条件として必要となる。さらに国、自治体は、中央新幹線を取り巻く自らの施策と中央新幹線の相乗効果の検証も望むところであろう。 以上より、中央新幹線を含む今後の新幹線計画を進めるうえで、需要予測は次の2点の要件を満たす必要があると考える。 (1)需要想定は社会経済環境の構造変化に対応でき得ることが望ましい。 (2)需要想定は、事業関係者の事業決定のプロセスをスムーズにし、かつ確実に共有する解を得られることに資することが望ましい。 そのために、様々なシナリオのもとに需要を予測し、かつその過程において需要構造を明らかにしようと試みるわけで、それは、『そもそも今後の社会経済環境の構造変化自体は、言うまでもなく予測が困難である。需要予測にあたり、それを一つに特定化することは、たとえその結果としての予測精度が高かったとしても、予測時点での客観性を欠くとのそしりは免れることができない。』さらに、『需要予測は、国、自治体、鉄道事業者から成る事業関係者の支持を得る必要がある。そのためには、それぞれが想定する社会・経済情勢のシナリオに夫々対応した予測計算を行い、それらの複数の計算結果が、相互にその説明変数との関係において説明が可能であるならば、そしてそれらが集合体と思われる範囲にまとまっているのであるならば、それは事業者間の議論をより高めることを可能にし、より信頼度の高い予測となり得る。』したがって、『社会経済環境の構造変化に対応した複数のシナリオに基づき、複数の需要想定を予測することがもっとも合理的である。』と考えるからである。 このような背景のもと、本研究では上記(1)(2)の要件を満たす新しい予測手法の開発を行うことを目的としている。 本論文は、下図に示すような構成となっている。 序論において、新幹線の開業が果たした社会経済環境への影響について東海道新幹線を例として定性的に分析を行った。これによると、日本経済は東海道新幹線の開業と期を一にして、沿線を核として飛躍的に発展したことが伺われる結果となった。さらに、今後予想される社会経済環境の構造変化についてその概要についてまとめ、新しく開発する需要予測モデルに国土構造やビジネススタイル、ライフスタイルの変化を考慮することが必要と概括した。 1章では、過去の新幹線計画の際に行われた需要予測手法のサーベイを行い、併せて各新幹線計画の特徴や建設の背景のなかでの需要予測の位置づけについてまとめた。東海道・山陽新幹線の場合は需要量の逼迫、東北・上越新幹線の場合は国土形成誘導、整備新幹線の場合は土地利用の高度化といった背景がそれぞれあり、需要予測については整備新幹線以外は計画そのものに直接的影響を及ぼすようなものでは必ずしもなかったとの結果を得た。 また従来のモデル化の考え方を適用して需要予測を行った場合、前記(1)(2)に対応可能かどうかについて検討を行った。非集計モデルを適用すると、作業量が膨大となることや構造変化に伴うデータ収集が難しいこと、アクティビティアプローチやダイナミックアプローチについては、適用実例が少ないことや具体的な手法そのものがまだ十分に開発されていないことから、これらのモデルは、本研究の問題意識に対応不可能ではないにしても現時点では十分とはいえないと結論付けた。 図表 2章では、東海道新幹線の需要予測の事後的検証を行った。具体的には、東海道新幹線の開業前に行われた予測モデルを利用して、昭和39年から平成4年までの28年間について、入力データである国民所得に実績値を利用して予測値を外挿する方法をとった。この結果、予測値と実績値は大きく乖離する結果となったが、この間東海道新幹線は利用料金を大幅に改訂していることから、この影響についてマクロ的に加味してみたが、開業後数年と40年代以降について乖離が見られる結果となった。これについては、前者については東海道新幹線が定着化するまでのタイムラグ、後者については、航空機との競合をモデル内に明示的に取り入れていないことが原因であると考えられることが分かった。さらに、簡便なトレンドモデルを作成し、東海道新幹線の需要を事後的に検証したが、いわゆるバブル時(昭和62年〜)の輸送量については、発生、分布構造が変化しており、この時期の輸送量の増加について、別途のモデルを構築しないかぎり説明することができないとの結論を得た。 3章では、今後の新幹線計画において必要となる需要予測の要件について、前記の(1)、(2)の考え方を整理し、モデル化の方針について検討した。具体的には、トリップの発生、目的地、利用交通手段の決定にいたる一連の仮定を意思決定としてモデル化することとした。意思決定のモデル化は従来から様々なものが研究されているが、本研究ではその中からAHP(Analitic Hierarchy Process:階層分析法)を利用することとした。その理由としては、需要算定作業量を少なくすることができるほか、先の2つの要件のうち、(1)については、階層図内の各要因間の一対比較の重み付けを変化させることで対応可能であり、(2)については、想定した社会経済環境の構造変化のシナリオに従って、専門家や有識者及び関係者で議論しながら一対比較を行うことにより対応可能であるからである。 4章ではモデル化を実行した。具体的にはビジネス、観光、家事私用、海外流動の各トリップ目的に細分化し、13パターンにトリップを分割した。そして、国土構造(産業・居住地立地)、発生交通量、分布交通量、機関選択率、容量検証(希望交通機関に乗れるか乗れないか)、駅間ODの想定という手順で予測を行うモデルとした。この中で、国土形態については、首都機能移転や地方分権、発生交通量では、情報化に伴うトリップの代替や誘発、労働時間短縮、余暇活動志向性の変化、分布交通量では、地方分権による地域魅力の変化、機関選択では乗り心地や安全性といった定性的要因についてそれぞれ考慮可能なモデルとした。 5章では、4章で開発したモデルの妥当性について、与えられた社会経済環境の下での社会経済指標が分かっている場合に、どの程度交通現象が正しく予測できるかといった観点から検証を行った。具体的には、現状再現、過去のある1時点(昭和55年)の再現がどの程度正しくできるかといった検証を行い、鉄道需要想定として必要な輸送量(総人キロ)、輸送力(断面交通量)について、良好な再現ができるという結果を得た。 6章では、事例研究として、2010年における中央新幹線の需要予測を社会経済環境の変化の度合いに応じて想定した3つのシナリオに則って行い、あわせて国土構造の変化、輸送特性(利用料金や所要時間)の変化による需要量の感度分析を行った。これによると、将来の社会経済環境の構造変化が需要にどの程度影響を及ぼすかについて、様々な角度から定量的に分析が可能であった。 以上のような検討を踏まえ、7章では、本研究で開発したモデルは、AHPの一対比較の重み付けの煩雑さや階層図の同定の論理的客観性の確保をどのように行うか、といった課題があるものの、本研究の問題意識である前記(1)(2)を満たすモデルであると結論付けた。 |