学位論文要旨



No 213019
著者(漢字) 大神田,淳子
著者(英字) Ohkanda,Junko
著者(カナ) オオカンダ,ジュンコ
標題(和) N-ヒドロキシアミド含有複素環の合成、反応および鉄キレート特性に関する研究
標題(洋) STUDIES ON SYNTHESIS, REACTION, AND IRON-CHELATING PROPERTY OF N-HYDROXYAMIDE-CONTAINING HETEROCYCLES
報告番号 213019
報告番号 乙13019
学位授与日 1996.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13019号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
内容要旨

 含窒素複素環化合物は医薬・農薬・染料等に広く応用されている。一方天然物中に多く見出されるヒドロキサム酸は、生理活性発現のための重要な基本骨格として知られている。この両者を一分子中に合わせ持つ、N-ヒドロキシアミド含有複素環化合物には、その構造から1)低いpKa値、2)高い水溶性、および3)金属キレート特性が期待され、幅広い分野への応用が期待できる魅力的な化合物群である。本研究では、2種類のN-ヒドロキシアミド含有複素環化合物、1-ヒドロキシ-2(1H)-ピリミジノンおよびピラジノンを新規合成し、それらの反応性、有機合成反応への応用を検討した。さらにそれぞれのジアジンの側鎖の化学修飾により、高次構造を有する鉄配位子を構築し、その鉄キレート特性を明らかにした。

 1-ヒドロキシ-2(1H)-ピリミジノンおよびピラジノンの合成を次の方法で行った。N-ベンジルオキシ尿素と種々の-ジケトンを酸性条件下で縮合し、対応する1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピリミジノンを得た。ベンジル基を接触水素化分解により除去し、1-ヒドロキシ-4,6-ジメチル-2(1H)-ピリミジノン(5)を得た。一方N端をBoc基で保護したグリシンベンジルオキシアミドを、脱保護の後ビアセチルあるいはグリオキザールと縮合し、ベンジル基を除去して目的の1-ヒドロキシ-5,6-ジメチル2(1H)-ピラジノン(10b)を合成した。これら化合物はいずれも高い水溶性を示した。

 合成したN-ヒドロキシアミド含有ジアジン類は対応するモノアジン類に比べて低いpKa値を持ち、そのアシル体は活性エステルと見なせる。従ってこれら化合物は有効なアシル化剤となることが期待される。そこで5および10bについて、ペプチド合成法として汎用されているDCC-Additive法における新しい添加剤としての有用性を調べた。その結果、添加剤として5あるいは10bを用いた場合では、ジペプチドが市販のHOBtを用いた場合を上回る収率で得られたばかりでなく、1H-NMRにおいて全くラセミ化が検出されなかった。

 また5はアミノ酸、アミン類、あるいはアルコール類へのZ(ベンジルオキシカルボニル)基導入試薬としても有用であることがわかった。

 1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピリミジノンの求核試薬に対する反応性を調べるために、ヒドロキシルアミンとの反応を検討した。その結果生成物としてイソオキサゾール、ベンジルオキシ尿素とともに、5位にベンジルオキシ尿素が置換したイソオキサゾリン誘導体が生成し、この化合物は塩基性条件下で加熱環流により容易にイソオキサゾールと尿素に変換されることから、イソオキサゾール生成の中間体であることがわかった。分子軌道計算の結果からヒドロキシルアミンのアミノ基がピリミジノンの6位を優先的に攻撃し、環変換反応が起こるものと推察した。このようにヒドロキルアミンとの環変換反応における反応中間体を初めて単離することができた。

 ところで脂肪族系ヒドロキサム酸の光化学反応についてはすでに広く研究されているが、環状ヒドロキサム酸についてはモノアジン誘導体に限られ、研究例は少ない。そこで1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピラジノンの光化学反応性を検討した。5、6位に種々の置換基を持つ1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピラジノンをベンゼン中で高圧水銀灯により光照射したところ、対応する還元体であるピラジノンをはじめとする5種類の光反応生成物が収率良く得られた。興味深いことに原料消失の量子収率は0.71-1.00であり、報告されているN-ベンジルオキシピリジノンの0.27に比べてかなり高い。これは電子不足のピラジノン環の影響を受けたN-O結合が、モノアジンのそれよりも解離しやすいことを如実に物語っている。分子軌道計算の結果もそのことを支持している。

 N-ヒドロキシアミド含有ジアジン類は、脂肪族系ヒドロキサム酸に比べて低いpKaを持ち、中性から酸性条件下でも金属キレート特性を示すことが予想される。そこで水溶液中におけるピリミジノン5およびピラジノン10bの鉄錯体形成能を調べた。それぞれのpKaは6.1,4.7となり、吸収スペクトルから水溶液中第2鉄イオンと3:1錯体を形成することが明らかになった。しかしその安定度はモノアジン類のそれと比べてかなり低いことがわかった。

 ヒト鉄過剰症の治療薬として、微生物が分泌する天然シデロフォア(低分子量鉄輸送体)であるデスフェリオキサミンB(DFB)が、現在唯一の治療薬として使用されている。しかしこの薬剤には副作用などの欠点が指摘されており、これに代わる新薬の開発が望まれている。ピリミジノン5は2座配位子として第2鉄イオンと3:1錯体を形成し、その低いpKaから生理学的条件下で有効な鉄キレート剤となる可能性がある。そこで開発したジアジンの新しい鉄過剰症治療薬への応用を目指し、キレート効果による安定な錯体形成能を持つような3方向性6座配位子を合成し、そのキレート特性を調べた。化合物は3個のピリミジノンから成る配位部位、種々のメチレン鎖長を持つスペーサー部位、3方向性の土台部位から構成される。いずれも水溶液、あるいはメタノール水溶液中で鉄イオンと1:1錯体を形成した。その安定度はメチレン鎖長の影響を受け、スペーサー長が長いものほど安定度定数が増加する傾向が認められた。また血液中の鉄輸送タンパクであるトランスフェリンからの鉄除去能をpH7.4の条件下で評価した。その疑1次反応速度定数は1.7-4.5x10-3min-1となり、市販のDFBの0.66x10-3min-1と比較するとかなり効率よく鉄を除去したことがわかった。

 微生物はシデロフォアー鉄錯体の中心金属の周囲の絶対配置(,)を、膜レセプターにより識別して選択的に体内に取り込むことが知られている。このように金属錯体のキラル環境は自然界において重要な意味を持つのである。従って配位子に不斉炭素を導入し、錯体のキラル環境の人工的なコントロールが可能か否か、検討することは興味深い。ピリミジノンを用いた6座配位子はトランスフェリンから効率よく鉄を除去するなど、興味ある特徴を持つことがわかったが、水溶性に乏しく改良の余地が残された。そこでピリミジノンよりも低いpKaを持つヒドロキシピラジノンを利用した3方向性6座配位子を構築した。またスペーサーとしてL-アミノ酸を用い、配位子のキラリティーが錯体の絶対配置に及ぼす影響、および配位子のキレート特性に対するアミノ酸側鎖置換基の影響を検討した。トランスフェリンからの鉄除去反応ではアラニン残基含有配位子が、トランスフェリンのわずか5倍量の配位子濃度でDFB(トランスフェリンに対し100倍量)の4倍以上の速度で鉄を除去することが明らかになった。また鉄錯体の水溶液中におけるCDスペクトルから、L-アラニン残基含有配位子の場合では鉄錯体は優先的に体で存在するが、L-ロイシン残基含有配位子では予想に反し体で存在するといった興味深い現象が見つかった。

 トランスフェリンはLアミノ酸で構成されるタンパク質であり、その鉄配位部位の周辺には当然のことながら不斉環境が存在するであろう。つまり配位子との相互作用の際には、配位子自身のキラリティーも影響する可能性が十分あり得る。そこでトランスフェリンからの鉄除去反応における、配位子自身のキラリティーあるいは鉄錯体の不斉環境のおよぼす影響を調べるために、前述の配位子の光学異性体をD-アミノ酸を用いそれぞれ合成し、鉄除去能を比較することにした。その結果、期待通りアラニン残基を有する光学異性体間で明らかな差が見出された。L-アラニン含有配位子では疑一次反応速度定数が3.8x10-3min-1であり、D-アラニン含有配位子の4倍程度の速度で鉄を除去することがわかった。一方ロイシン含有配位子では光学異性体間で有意差は認められなかった。この結果は、トランスフェリンから鉄を除去する際に経由する、3原複合体形成に配位子の置換基の嵩高さが影響し、さらにタンパク質の鉄結合部位への接近あるいは3元複合体の解離の起こり易さに、配位子自身のキラリティーあるいは錯体の絶対配置が影響することを示唆していると考えられる。

審査要旨

 本論文は,医薬・農薬・染料等に広く応用されている含窒素複素環化合物と,生理活性発現のための重要な基本骨格であるヒドロキサム酸を組み合わせた構造を有するN-ヒドロキシアミド含有複素環化合物の合成,反応および鉄キレート特性について述べたものであり,全8章より構成されている。

 第1章は序論であり,窒素含有複素環化合物の反応性,性質などについて概述している。さらに,従来知られている鉄キレート剤について,それらの長所,短所を述べるとともに,新しい鉄キレート剤設計の指針を示している。

 第2章では,2種類のジアジン類,すなわち1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピリミジノンおよび-ピラジノン類の新規合成手法を開発している。これらの化合物は,その構造から1)低いpKa値,2)高い水溶性,および3)金属キレート特性を持ち,幅広い分野への応用が期待できる魅力的な化合物群であることを述べている。

 第3章では,合成した化合物の化学的反応性を検討している。すなわち,1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピリミジノンの求核試薬に対する反応性を調べ,ピリミジノン類がヒドロキシルアミンと容易に環変換反応を起こすことを見出している。さらに,5位にベンジルオキシ尿素が置換したイソオキサゾリン誘導体を初めて単離することに成功し,それが本反応の中間体であることを明らかにしている。また,比較的研究例の少ない環状ヒドロキサム酸の光反応を1-ベンジルオキシ-2(1H)-ピラジノンについて検討し,N-O結合開裂反応が対応するモノアジン類よりも高い効率で進行することを見出している。一方,N-ヒドロキシアミド含有ジアジン類の低いpKa値に着目し,ペプチド合成法における新しい添加剤として利用している。その結果,目的のジペプチドが,市販のHOBtを用いた場合を上回る収率で得られるばかりでなく全くラセミ化が検出されないなど,優れたアシル化剤として機能すること,さらにアミノ酸,アミン類,あるいはアルコール類へのベンジルオキシカルボニル基導入試薬としても有用であることを明らかにしている。

 ヒト鉄過剰症の現在唯一の治療薬として使用されているデスフェリオキサミンB(DFB)には副作用などの欠点が指摘されており,これに代わる新薬の開発が望まれていることから,第4章では,開発したジアジンの鉄過剰症治療薬への応用を目指し,水溶液中における鉄キレート特性を検討している。その結果,ジアジン類は鉄イオンに対して2座配位子として働き,3:1鉄錯体を形成することを明らかにしている。しかし,その錯体の安定度は残念ながら低いものであった。

 そこで,第5章では,この結果を踏まえて,キレート効果によって安定な錯体の形成が期待されるピリミジノン骨格を有する3方向性6座配位子を設計し,それらの合成手法を開発している。ここでは,3方向性6座配位子のアンカーとしてトリス(ヒドロキシメチル)エタンあるいはトリス(2-アミノエチル)アミンを,ブリッジとしてアルキル鎖を用いている。これらの配位子は,いずれも高い水溶性を示し,血液中の鉄輸送タンパクであるトランスフェリンから効率よく鉄を除去することを見出している。

 第6章では,第5章で得られた結果を基にさらなる鉄除去能の向上を目指して,ピラジノン骨格を有する3方向性6座配位子を合成している。ここでは,トランスフェリンが光学活性であることに着目するとともに水溶性をさらに向上させるため,3方向性6座配位子のブリッジとしてペプチド鎖を用いている。これらの配位子は,水溶性が期待通りにさらに向上するとともに鉄除去能も大きく向上し,市販のDFBと比較すると20分の1の濃度で最大5倍の効率で鉄を除去できることを明きらかにしている。

 第7章では,DあるいはL-アミノ酸含有配位子を用いて配位子のキラリティーが錯体の絶対配置に及ぼす影響,および配位子のキレート特性に対するアミノ酸側鎖置換基の影響を検討している。その結果,1)トランスフェリンからの鉄除去反応では,L-アラニン残基含有配位子がD-アラニン含有配位子の4倍以上の速度で鉄を除去すること,2)ロイシン含有配位子では光学異性体間で有意差は認められないことを明らかにしている。これらの結果から,トランスフェリンから鉄を除去する際に経由する3元複合体の安定性に配位子の置換基の嵩高さが影響し,さらにタンパク質内鉄結合部位への接近あるいは3元複合体の解離に配位子自身のキラリティーあるいは錯体の絶対配置が影響するという,鉄除去反応のメカニズムを解明する上で貴重な知見を得ている。

 以上のように,本論文では,N-ヒドロキシアミド含有複素環化合物の合成,反応,鉄キレート特性について,興味深い知見を数多く得ている。これらの結果は,有機合成化学,錯体化学および生体無機化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50682