学位論文要旨



No 213022
著者(漢字) 佐々木,進
著者(英字) Sasaki,Susumu
著者(カナ) ササキ,ススム
標題(和) 核磁気共鳴法による超伝導性フラレン化合物K3C60の電子状態の研究
標題(洋) NMR Studies on the Electronic Properties of Superconducting Fulleride K3C60
報告番号 213022
報告番号 乙13022
学位授与日 1996.09.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13022号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 教授 壽榮松,宏仁
 東京大学 教授 小林,俊一
内容要旨

 サッカーボール形状の炭素同素体C60は、1985年に、Krotoらによって初めて合成され、その存在を予言していたBuckminster Fullerにちなんでfullerene、あるいはbuckyballと呼ばれている。1991年、Hebardらが、比較的高い超伝導転移温度(TC=18K)をもつカリウムとの化合物KxC60を合成するに及んで、新しいfullerene化合物(fulleride)の物質探索と、超伝導発現機構を含む、電子状態についての実験・理論の両面からの精力的な研究が始まった。前者の立場からは、新超伝導体として、多くのアルカリ金属fullerideが現在まで検討されたが、基本的にはA3C60(A=alkali metal)の組成においてのみ超伝導が発現することが確認されており、本研究は、その典型物質K3C60における、後者の観点からの実験的研究である。

 ごく初期におけるA3C60の超伝導発現機構に関する実験的研究では、例えば「ゼロ次元的な伝導が見られる」、「超伝導の電子・フォノン結合定数が、High-TC物質と同様である」という報告もなされ、これにより革新的な理論が提唱されるという状況にあった。しかし、その後の良質な試料を用いた実験によってこれらは否定され、さらに、光学伝導度・ミューオンスピン共鳴・低温走査型トンネル顕微鏡の実験により、「A3C60の超伝導は、基本的にはフェルミ流体を基底状態とした、BCS理論で説明できる」という共通認識が得られたように思われる。しかしながら、BCS超伝導の枠内にありながらも、いくつかの特異な電子状態が実現されていることも明らかになっていった。コヒーレンス長が短く(30Å程度)、磁場侵入長が長い(3000-5000Å程度)事、3次元的伝導を示す良質な単結晶においても、抵抗率が大きく、「dirty metal」である事、C60分子上のクーロン反発が大きく、強相関に近い事、である。

 核磁気共鳴法(NMR)は、BCS理論を検証するという歴史的な貢献のみならず、重い電子系や、High-TC物質の電子状態の情報を探るのに寄与してきたことは、よく知られている。これはひとつには、NMRが原子核をプローブとしているために、電子系についての静的・動的な情報を、微視的に(従って、各サイトごとに)得ることができるという利点があるためである。我々は、この利点に着目し、NMRを手段としてK3C60の電子状態を解明する事を試みた。本研究を遂行するにあたり、次の2点に留意した。まず、良質な試料を使用したこと。これは、不均一な試料を用いてNMRの実験を行うと、本質的でない相を検出する事によって誤った結果を導く危険がある為である。

 我々のK3C60の試料は、未反応のC60相を殆ど含まないことを実験的に確認してる。2点目は、精密なデータを取り、統一的に解析することである。このため、通常のNMR分光装置を、本研究に必要な分解能・安定性を満たすべく改良した。13C NMRに関しては、常伝導・超伝導状態においてスペクトルと縦緩和率の両者を測定したが、39K NMRのデータは、常伝導状態におけるスペクトルのみを得た。その結果得られた主な知見を以下に述べる。

 [1]室温で自由回転しているC60分子は、235Kにおいて一軸性のjumping motionに移行し、さらに、100K付近で分子運動が凍結する。「凍結状態では、分子の方向秩序は不完全である」事が、39K核のスペクトルから結論できる。即ち、カリウムを囲んで四面体を形成する、すべての隣接C60分子がその炭素6角形の面をカリウムに向けた場合に、方向秩序が完全となるが、実際には、隣接4分子のうちのひとつは、その炭素5角形の面をカリウムに向ける配置が実現している。

 [2]常伝導状態において、スピン磁化率spin(T)は温度の減少と共にほぼ線形(T-linear)に減少する。

 spin(T)の減少は、13C核、39K核におけるナイトシフトの減少をもたらし、その度合いはspin(20K)/spin(300K)=0.55程度となる。このspin(T)の減少は、主として、バンド幅が狭いことを反映して状態密度が温度に依存する事に起因している。超伝導状態でのspin(T)の減少は、スピン1重項のクーパー対の形成に依る。

 [3]C60分子の炭素核における局所磁場は、伝導電子が炭素s軌道に入る事によって生じる等方成分と、p軌道に入る事に起因する異方的成分とから成る。前者はフェルミ接触磁場、後者は双極磁場である。局所磁場の等方性比(=等方成分/異方的成分)は0.78である事が、13C核のナイトシフトの温度依存性からわかる。これは2次元性と3次元性を合わせ持つ、C60分子の結晶構造を反映している。即ち、局所的には平面と見なせる構造が、異方的なp軌道の寄与をもたらすが、C60分子を形成するための平面構造からのずれが、等方的なs軌道の寄与を同程度にもたらすと考えられる。

 実際、この結果を、有機超伝導体BEDT-TTF、(TMTSF)2ClO4のNMRの結果と比較すると、伝導体としての次元性が高いものほど、伝導電子による局所磁場の等方性比が大きいことがわかる。炭素核の局所磁場については、等方成分が支配的とするハートレー・フォック計算と、異方的成分が支配的とする局所密度汎関数法の計算があったが、我々はこれに対して、「両者は同程度である」という実験的解答を与えた。235K以上では、C60分子が自由回転状態にあるため、炭素核の局所磁場の異方性は実効的に消失する。このため、13C NMRにおいてスペクトルは対称になり、核磁化の縦緩和回復過程は、13C核に期待される単一指数関数となる。一方、235K以下ではC60分子がjumping motion状態に移行するに伴い、スペクトルは非対称になり、分子運動が凍結する低温では、核磁化の縦緩和回復過程は非単一指数関数となる。低温でのスペクトルと緩和過程の、この振る舞いに対しては、「複数の炭素サイトに対応して局所的に異なる状態密度が存在する」ことにその起源を求める理論もある。しかしながら、「局所状態密度の存在は実験的に確認できず、むしろ炭素核での局所磁場の異方性に起因する」事が結論できる。実際、スペクトルから得られた局所磁場の等方性比が、低温での縦緩和回復過程の実験結果をよく再現する。

 [4]13C核のナイトシフトKspinと縦緩和時間T1についての「拡張コリンハ則」が成り立つことから、「K3C60の常伝導状態は、C60分子の運動状態に依らずフェルミ流体である」事が結論できる。即ち、室温においては、局所磁場の異方性が実効的に消失しているため、通常のコリンハ積T1T(Kspin)2が定義できる。また、分子運動の凍結している低温においては、局所磁場の異方性を繰り込んだ実効的な(T1)effによってコリンハ積(T1)effT(Kspin)2を定義する事ができ、この時、両者の値が等しい(「拡張コリンハ則」)。さらに、このコリンハ積の逆数が、自由電子系の場合より7.4倍程度大きいことから、「反強磁性的な電子間相互作用が存在する」と結論できる。なお、室温でのT1T(Kspin)1の値は、低温での(T1)effT(Kspin)1の値と明らかに異なる。これは、銅酸化物の酸素サイトにおいてT1T(Kspin)1=一定、の関係が成り立っている事と対照的である。

 [5]13C核の縦緩和率が、TC以下でブロードなコヒーレンスピークを持つことを、NMRにおいて初めて明らかにした。この事から、「超伝導ギャップは波数空間において節を持たず、クーパー対がs波の対称性をもつ」と結論できる。また、縦緩和率の温度依存性は、熱的に励起された準粒子の寿命と超伝導ギャップとをパラメタとする現象論では再現できず、Eliashberg方程式に基づいて電子フォノン相互作用を正しく取り扱った理論計算で再現する事ができる。このモデルでは、フォノンスペクトルが低周波(0〜60meV)に存在し、超伝導ギャップを2(0)/kBTC=4.3としている事から、「K3C60の超伝導状態は、低周波フォノンによるs波の強結合理論で説明できる」事がわかる。

審査要旨

 1991年に超伝導が発見された炭素同素体C60とアルカリ金属(A)の化合物A3C60は、発見直後から多くの研究者の注目を集め、NMRも含めた様々な実験が報告されてきた。初期の実験は異常な結果を示したものが多く、それに基づいて、いくつかの新しい超伝導機構が提出されたが、良質の試料で実験がなされるに従い、通常に近い常伝導状態・超伝導状態を持つことが明らかになってきた。本論文では、化学的に均質で良質なK3C60試料を用いた高精度の核磁気共鳴(NMR)の実験が行われ、得られた信頼性の高いデータを総合的に解析し、電子状態、磁気的状態が調べられている。本論文は次の6章からなる。

 第1章では、A3C60の物質・物性の紹介がされ、本研究の背景、動機、目的が述べられ、第2章では、NMRの原理およびNMRからどのような情報が得られるかが、本論文で測定の対象としている13C核、39K核を例に解説されている。第3章で、本研究に用いた試料の作製方法、NMRスペクトロメータの作製、およびスペクトロメータと測定技術の詳細が記述されている。

 実験結果と解析は続く2つの章に述べられている。まず第4章では、常伝導および超伝導状態での13C核のNMRスペクトルと核スピン緩和の実験結果およびその解析結果が述べられている。C60分子の回転が凍結される温度領域(Trotation〜220Kより低温)のスペクトル形状を粉末パターンとして解析されている。粉末パターンの原因が超微細相互作用の異方性にあるとし、その異方性の原因として炭素p電子の作る双極子磁場を、超微細相互作用の等方的な成分として炭素s電子のフェルミ接触相互作用を考え、これらが異方的なナイトシフト(K)を引き起こしていると結論している。核スピン縦緩和の回復曲線が2つの指数関数成分を持つことも、同じく超微細相互作用の異方性で説明されており、炭素に2つの異なったサイトがあるとする従来の解釈を否定している。縦緩和率(1/T1)とナイトシフトは「拡張コリンハ則」を満たし、コリンハ積の値から、電子相関が重要であることを見い出している。残念ながら静的帯磁率()の測定は困難で、いわゆるK-Xプロットを用いて超微細結合定数を直接評価することはできなかったが、ナイトシフトの温度変化から、静的帯磁率は温度に対して直線的に変化し、室温では低温(TC直上)の倍近くにのぼることが見い出されている。超伝導状態では、ナイトシフトの急激な変化と縦緩和率の急激な減少がおこり、TC直下で縦緩和率がピークを示していることから、s波的な超伝導状態が強く示唆されている結論している。実際のフォノンスペクトルをもとにしたEliashberg方程式による理論計算結果と、縦緩和率の温度依存性を比較し、K3C60の超伝導は低エネルギーのフォノンが主に寄与する強結合超伝導であると結論している。

 第5章では、TC以上での39K核のNMRスペクトルの測定・解析結果が報告されている。Trotation以下の39K核のNMRスペクトルでは、Kイオンがはいる異なった結晶学的位置(八面体位置(O)、四面体位置(T))に対応して、O、T、T’の3つの吸収線が観測され、そのナイトシフトの温度依存性は13C核と同様、温度に比例して変化することが見い出されている。39K核の長い緩和時間のために、実際にスピン緩和の測定はできなかったが、スピン帯磁率の温度変化から、常伝導状態の緩和時間に温度の2乗に比例する項が予言されている。そして、最後の第6章で、本論文で得られた結果がまとめられている。

 以上のように本論文では、高精度のNMRスペクトロメータの開発を行い、良質なK3C60試料を用いて高精度・高信頼度の実験データを得て、従来と異なった視点に立ち、より系統的かつコンシステントに検討・解析を行ったもので、従来の研究で得られたデータそのものやデータの解釈を変更するものである。この点で本論文は高く評価され、審査委員全員一致で、博士の学位を与えるにふさわしいと判断した。なお、本論文は松田梓氏、C.W.Chu氏との共同研究であるが、試料作製を除き、装置作製、実験、解析のすべてにわたって論文提出者が主体的に行なったものであると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50684