学位論文要旨



No 213026
著者(漢字) 平根,孝光
著者(英字)
著者(カナ) ヒラネ,タカミツ
標題(和) 聾学校の乳幼児早期教育部門に関する建築計画的研究
標題(洋)
報告番号 213026
報告番号 乙13026
学位授与日 1996.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13026号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 聴覚障害児の学校教育における指導方法は、明治初期に始まり百年を越える歴史のなかで手話法、口話法など幾多の展開をみたが、その中でも特に近年における指導方法の新展開には著しいものがみられる。それは、聴覚障害に関する教育学、医学はもとより、補聴器関連工学、聴能に関するオージオロジーなどの聴覚障害関連研究分野の近年における進展によるものであり、それに伴った指導方法の新たな展開である。その展開とは、教師を主体とした係わりにおいて系統的に発音や言葉を学習する従来の指導方法から、残存する聴覚を最大限にしかも自然な形で活用されるような聴覚活用学習を中心とした指導方法への展開であり、今日聾学校ではこの指導方法による教育が行なわれている。

 この今日の指導方法の聾学校教育全般に対する貢献もさることながら、より大きな貢献としては、0才〜5才の聴覚障害乳幼児教育に対して大きな可能性を開いたことであろう。2才児以前からの聴覚活用学習の有効性が高いことは、医学的には早くから言われていたものの、その実践には乳幼児に装用できる補聴器の開発及び早期発見・診断システムの進展を待たねばならなかったからである。現在では、障害が発見され次第0才児であっても、補聴器を装用し聴覚活用学習を開始するまでになっている。

 このような状況のなか多くの聾学校では、学校教育法上2才児以下は対象外となるため施設面での整備が遅れている等の負担を抱えながらも、その教育効果が高いことから1才〜2才聴覚障害幼児の指導を教育相談という形で行っており、さらにまた0才児の指導をも対象とする聾学校も徐々に増えつつある状況にある。

 本研究は、聴覚に障害を持つ0才〜5才児のために設けられている聾学校早期教育部門の施設計画に際しての有効な知見を、聴覚障害乳幼児教育の指導方法と密接な関係にある学習形態の分析を通して、そこにみられる特性を明らかにすることから得ようとするものであり、それらの特性からみた聾学校早期教育部門の建築計画上の基本的方針を示すことを目的としたものである。

 その際、この0才〜5才児早期教育部門は、小学部、中学部、高等部までを含めた一貫性の強い教育を行っている聾学校の1部門でもあることから、聾学校全体の中での早期教育部門の位置付けを行う必要がある。そこで本研究では、我が国聾学校の全般的状況の分析を通して、早期教育部門の位置付けを行うと同時に、聾学校全体としての建築計画の研究枠組とその課題を示すことも意図している。

 論文の構成は、II部・8章及び序章と結章とからなっている。

 第I部では、聾学校においては早期教育部門を含む幾つかの学部が同一校地内に置かれ、各学部を通した一貫性の強い教育がなされていることから、まず聾学校全体の状況を把握し、その特性を明らかにした上で、そこにみられる課題となるものを聾学校建築計画研究の枠組を提示しつつ整理することによって、早期教育部門の聾学校全体の中での位置付けを行ったものである。

 第1章では、従来、建築計画の分野で通史的に把握されることのなかった聾学校の発展について、制度及び聴覚障害教育における指導方法と密接な関連を持つ聴覚障害関連研究分野の進展を踏まえながら、戦前を盲聾学校時代、聾唖学校時代の二つに、戦後を公教育としての基盤整備期、聾教育支援機器整備期、聴覚活用教育法展開期の三つに分けて整理し、その経緯を明らかにした。

 第2章では、聾学校各校によって設置学部の構成が異なることから、設置学部構成別に分類を行うとともに学校タイプを設定し、それを軸として我が国聾学校の全般的状況の把握及び特性の分析を行った。ここでは、108校ある聾学校の各学部の学年平均学級数は1学級台、学年平均人数は幼稚部が5人台、小学部3〜4人台、中学部5〜6人台、高等部が若干多く8人台で、教員1人当たりの幼児児童生徒数約1.8人という聾学校平均像、また幼稚部から小学部に進む時点で約3〜4割の児童が聾学校から小学校へ転校するものの、中学部入部段階で約1割弱が聾学校へ戻り、さらに高等部入部段階で約3割弱が聾学校へ戻るというUターン型就学パターンがみられる等の聾学校の特性を明らかにした。

 第3章は、我が国聾学校の施設状況を把握しようとしたものであり、まず聾学校では同一校地内に寄宿舎も配置されることから、校地内での寄宿舎を含む校舎配置形態について、続いて幼・小・中・高各学部の配置形態、及び特別教室の構成等の状況の把握及び分析を行った。各学部が同一校地内に配置されることとなる聾学校では、学部間でのゾーン構成には、同一校舎棟ばかりでなく同一フロアにおいても、幼稚部を含む2学部以上の教室ゾーンの混成状況がみられるなど、学部間のゾーニングが不明確なものとなり易いこと、又特別教室の学部を越えた共同使用がみられる等の聾学校の施設の現状を明らかにした。

 第4章では、学校タイプの中でも大半を占める幼・小・中・高4学部編成校、幼・小・中3学部編成校の内から標準的な学校各1校をケーススタディとして、その聴覚障害児の学習環境を概観することにより、聾学校建築計画研究の枠組を提示する上での課題となるものを示した。

 第5章では、第1章から第4章までの分析及びケーススタディをもとに、聾学校全体の建築計画研究の枠組とその課題となるものを提示しつつ整理することによって、聾学校早期教育部門の建築計画研究の位置付けを行った。その位置付けとしては、(1)早期教育部門での教育は、聴覚発達の適時性からして、聴能の開発・定着を育むという聴覚障害教育上重要な時期にあたることにおいて、聾学校の中でも枢要な部門となること、(2)早期教育部門では0才〜2才児に対する指導も行われているが、2才児以下は学校教育法上では対象外となっていることもあり、その指導室の整備が遅れていること等において、主要かつ緊急の課題となるとしたものである。

 第II部では、第I部で位置付けを行った0才〜5才児早期教育部門に焦点を絞り、聴覚を最大限に活用する今日の指導方法と密接な関連を持つ学習形態について分析し、その特性を明らかにすることによって、早期教育部門の建築計画の基本方針を考える際の基礎的判断資料を得ようとしたものである。

 第6章では、2才児の認可学級および幼稚部重複学級の認可校の増加等、早期教育部門における近年の特徴的な動向を把握するとともに、聴覚を最大限に活用する今日の聴覚障害乳幼児教育の指導方法の概要をまとめたものである。

 第7章では、2才児までに育まれた聴覚活用の素地をもとに言葉の獲得へ向けての指導が展開される3才〜5才児幼稚部の学習指導にみられる特性を、学習集団の形態を軸とした分析を通して明らかにした。幼稚部の学習形態にみられる特性の要点をまとめると、(1)聴覚障害幼児の母親は、日常生活での指導上重要な役割を持つことから、ほぼ全ての学校で学習集団の構成員として参加している(2)したがって学習集団としては、聴覚障害幼児+母親+教員が基本学習集団となる(3)その基本学習集団で行われる個別指導及び「随時個別学習」をはじめ、大中小多様な学習集団を編成しての学習指導が行われている(4)指導内容は、大きく聴能訓練を中心とした養護訓練と、聴覚活用学習が中心となる総合的保育の2つに分けることができる(5)学習集団と指導内容との関連では、養護訓練は個別指導、「随時個別学習」及び小集団で行われ、総合的保育は小集団で若干はみられるもののほぼ大中集団で行われている等である。

 第8章では、聴覚を最大限にしかも自然な形で活用するという今日の指導方法の効果が最も期待されている0才〜2才児を対象とした教育相談おいて、その学習指導にみられる特性を、その学習集団の形態を軸とした分析を通して明らかにした。教育相談の学習形態にみられる特性の要点をまとめると、(1)0才〜2才児教育相談は、就学年齢上学校教育法では教育の対象外となるが、幼稚部を設置している殆どの聾学校で指導が行われている(2)この時期の指導は、乳幼児よりむしろ母親に対する指導が主となることから、母親+聴覚障害乳幼児+教員が基本学習集団となる(3)その基本学習集団をもとに、個別及びグループでの指導が行われている(4)週間指導形態をみると、概ね0才児は個別指導を重視した指導が行われ、1才児では個別+グループの指導形態へと徐々に移行し、2才児になると殆どが個別+グループの指導形態となるといった基本的な指導形態を伺うことができる等である。

 結章は結論及び提案にあたる部分であり、今日あるべきとされる指導方法に照らして、本論文で明かとなった主要な事項の評価、位置付けを行うとともに、早期教育部門施設の現状に対して改善を要する点を指摘した上で、聾学校早期教育部門における建築計画の基本方針となるものを提示した。さらに、その基本方針に基づいた早期教育部門施設機能計画の基本的な考え方を、聾学校早期教育部門施設機能の基本構成として提示したものである。

審査要旨

 本論文は、聴覚に障害を持つ0才〜5才児のための聾学校早期教育部門の、未だ旧態依然とした施設の質を改善するために必要な知見を、近年急速に進展した指導方法による聴覚障害乳幼児教育のきめ細い実態観察・分析を通して、明らかにしようとするものである。

 現在、この0才〜5才児早期教育部門は、小学部、中学部、高等部までを含めた一貫教育を行う聾学校の1部門として設けられているため、聾学校の全般的状況の分析・評価を行い、将来の聾学校教育のあり方を論じている。

 論文は、II部・8章及び序章と結章とからなる。

 聾学校においては、早期教育部門を含む幾つかの学部が同一校地内に置かれ、各学部を通した一貫性の強い教育がなされているが、第I部では、聾学校全体の状況のなかで早期教育部門の位置付けを行っている。

 第1章では、従来、建築計画の分野で通史的に把握されることのなかった聾学校の発展について、戦前を盲聾学校時代、聾唖学校時代の二つに、戦後を公教育としての基盤整備期、聾教育支援機器整備期、聴覚活用教育法展開期の三つに分けて整理し、その経緯を明らかにしている。

 第2章は、我が国の聾学校の全般的状況の把握及び特性の分析に当てられている。全国に108校ある聾学校の各学部の学年平均人数は幼稚部が5人台、小学部3〜4人台、中学部5〜6人台、高等部が若干多く8人台で、教員1人当たりの幼児児童生徒数約1.8人という聾学校の平均像を導いている。また幼稚部から約3〜4割の児童が聾学校から一般の小学校へ転校するものの、中学部入学段階で約1割弱が、さらに高等部入学段階で約3割弱が聾学校へ戻るというUターン型就学パターンがみられることを明らかにしている。

 第3章では、我が国の聾学校の施設状況を校地内での寄宿舎を含む校舎配置形態、続いて幼、小、中、高各学部の配置形態、及び特別教室の構成等の物的環境の把握及び分析を行っている。学部間の配置構成については、同一校舎棟ばかりでなく同一フロアーにおいても、幼稚部を含む2学部以上の教室ゾーンが混在しているなど、学部間の領域区分が不明確なものとなり易いこと、又特別教室は全学部から共同使用されている等の特性を示し、一般の学校建築計画を安易に踏襲することへの疑問を提出している。

 第4章では、現在の聾学校の典型である幼、小、中、高4学部編成校、幼、小、中3学部編成校の2タイプから標準的な学校各1校をケーススタディとして、それぞれの学習環境の実態を明らかにしている。

 第5章では、前章までの考察を総括し、聾学校早期教育部門の建築計画的課題として(1)早期教育部門は、聴能の開発・定着という聴覚の発達教育上最も重要な時期にあたること、(2)早期教育部門で一部行われている0才〜2才児に対する指導は、聴覚発達の適時性から強く求められるものであるにもかかわらず学校教育法上は対象外となっており、その指導環境の整備が遅れていることを指摘し、この課題に答えることが本研究の目的の一つであるとしている。

 第II部では、0才〜5才児早期教育部門に焦点を絞り、聴覚を最大限に活用する今日の指導方法に基づいた学習形態の特性を明らかにすることによって、早期教育部門の建築計画の基本方針を論考している。

 第6章では、2才児の認可学級および幼稚部重複学級の認可校の増加等、早期教育部門における近年の特徴的な動向を示し、今日の聴覚障害乳幼児教育の指導方法の概要を述べている。続いて第7章では、3才〜5才児幼稚部の学習指導を、学習集団の形態に着目し、その特性を(1)聴覚障害幼児の母親が、ほぼ全ての学校で学習集団の構成員として参加している、(2)したがって聴覚障害幼児+母親+教員が学習集団の単位となる、(3)その基本単位で行われる個別指導及び「随時個別学習」をはじめ、各年齢層を含んだ大中小多様な学習集団を編成して学習指導が行われている、(4)指導内容は聴能訓練を中心とした養護訓練と、聴覚活用学習のための総合的保育の2つに分けることができる、(5)養護訓練は個別指導、「随時個別学習」、小集団で行われ、総合的保育はほぼ大中集団で行われているなどの5つにまとめている。

 第8章では、今日の指導方法による聴覚教育の効果が最も期待されている0才〜2才児を対象とした教育相談の場面を観察等を通して分析し、次の諸点を明らかにしている。(1)0才〜2才児教育相談は、学校教育法では教育の対象外であるが、幼稚部を設置している殆どの聾学校で指導が行われている、(2)この時期の指導は、乳幼児本人より母親に対する指導を含んだ母親+聴覚障害乳幼児+教員が基本学習集団となる、(3)その基本学習集団をもとに、個別及びグループでの指導が行われている、(4)週間指導形態をみると、概ね0才児は個別指導、1才児では個別+グループの指導形態へと徐々に移行し、2才児になると殆どが個別+グループの指導形態となるという指導形態の変化がある。

 結章は結論及び提案にあたる部分であり、本論文の各章で明らかとなった知見を要約し、それぞれの聾学校教育環境改善における役割を述べている。聾学校早期教育部門における現状に対する改善の諸点と建築計画の基本方針となるものを提示し、その基本方針を充足する教育環境の構成図式を結論として提示している。

 以上、要するに本論文は、これまで建築学の領域では研究の対象として殆どとりあげられることがなかったため、貧しい環境のなかで、つまり通常の学校施設のなかで行われてきた聾学校教育を対象として、その教育・学習にふさわしい物的環境のあり方を導いたものである。今後の聾学校全体の教育・物的環境の改善のための貴重な基礎的知見を得ている。更に、ここで示された研究の過程と提案は建築計画学に対しても貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51021