学位論文要旨



No 213034
著者(漢字) 岩橋,俊郎
著者(英字)
著者(カナ) イワハシ,トシロウ
標題(和) 自然多剤耐性ヒト大腸癌細胞株坦癌ヌードマウスにおける抗P-糖蛋白質モノクローナル抵体MRK16の腫瘍への特異的集積と抗腫瘍活性
標題(洋) Specific Targeting and Killing Activities of Anti-P-glycoprotein Monoclonal Antibody MRK16 Directed against Intrinsically Multidrug-resistant Human Colorectal Carcinoma Cell Lines in the Nude Mouse Model
報告番号 213034
報告番号 乙13034
学位授与日 1996.10.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13034号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 助教授 丸,義朗
 東京大学 講師 丹下,剛
 東京大学 講師 平井,久丸
内容要旨 I緒言

 多剤耐性は癌の化学療法上の重大な障害であり、その主要な原因の一つとしてMDR1遺伝子産物であるP-糖蛋白質(P-gp)が見い出された。P-pgは、ATP依存性薬剤排出ポンプとして機能し、耐性細胞中の抗癌剤の蓄積量を減少させる。従って、P-gpの発現量の高い癌細胞株は強い薬剤耐性を示す。臨床では、MDR1遺伝子やP-pgが過剰発現されている大腸癌及び腎臓癌などには化学療法が無効であることが報告されている。

 P-gpを標的とした多剤耐性克服には、カルシウム拮抗剤ベラパミールや免疫抑制剤サイクロスポリン-AやFK506の誘導体がin vitro及びin vivoでは有効であることが知られているが、臨床では、血中有効濃度を得られず、充分な治療効果が得られていない。

 一方、我々は、ヒトP-pgに特異的なモノクローナル抗体(MAb)MRK16の以下の特性を利用して、多剤耐性を克服しようと試みてきた。(1)P-gpの細胞外の抗原決定基を認識する。(2)P-gpの機能をブロックし、ある種の抗癌剤の作用を増強する。(3)補体依存性細胞傷害(CDC)や抗体依存性細胞性細胞傷害(ADCC)活性を持つ。

 MRK16は、in vitro(濱田等)、及びin vivo(鶴尾等、Pearson等)でその有効性が証明されており、多剤耐性克服薬として有力な候補と考えられる。しかしながら、これらの試験には、人為的にP-gpを過剰発現させた細胞株が使用されており、臨床レベルのP-gpを発現している細胞株についてのMRK16の治療効果は、まだ検討されていない。また、MRK16のin vivoの血中動態、体内分布、標的効果についての報告はなく、MRK16の治療効果と癌細胞のP-pg発現量の関係、アドリアマイシン(ADM)と併用効果、抗体投与のタイミングの治療効果に与える影響も明らかになっていない。

 本研究の目的は、抗P-gp MAb MRK16が多剤耐性克服薬として有効かどうかをP-gp陽性で自然多剤耐性であるヒト大腸癌細胞株HCT-15を移植したヌードマウスの系で評価し、その作用機作を解明することにある。MRK16およびMRK16F(ab’)2の治療効果、ADMとの併用効果、投与タイミングの影響、再発、転移防止効果を調べた。さらに、癌におけるアポトーシスの検出、浸潤細胞の解析、P-gp発現量、ADM集積量に対するMRK16併用の影響、抗体の到達率等を検討した。今回の結果から、MRK16は多剤耐性大腸癌の診断及び治療の有力な手段になると期待される。

II材料および方法

 ヒト大腸癌細胞株6株について、薬剤感受性、MDR1 mRNA量、及びP-gp量をそれぞれ、MTT試験、RT/PCR法、及びFACSで測定した。MRK16のHCT-15に対するCDC及びADCC活性はLDH放出法で測定した。

 ヌードマウスにおける抗体の血中半減期及び、坦癌ヌードマウスにおける抗体の体内分布試験では、125I標識MRK16及びMRK16F(ab’)2を静注後、経時的に採血し、3日後に各臓器における抗体の集積率と組織/血液比を算出した。

 抗体の治療効果は、主に以下の系において、試験終了時の癌の実重量及びHE染色、免疫染色による組織学的所見で評価した。(1)初期段階の癌;マウスに107個のヒト大腸癌細胞株を皮下注し1、4、及び7日後にMRK16を単独又はADMと併用で静注した。癌移植後180日間観察を行った後剖検し、再発、転移の有無を調べ、摘出した癌はHE染色した。(2)触診可能な段階の癌;マウスに5x106個のHCT-15を皮下注し、癌が触診可能になる7日後から最高5日間MRK16を連投した。(3)投与タイミングの影響;マウスに107個のHCT-15を皮下注し1、4、7日後(第1回処理)、10、13及び16日後(第2回処理)にMRK16とADMの各種組合せで静注した。

 アポトーシスを起こした癌細胞は、ホルマリン固定パラフィン包埋切片を用いて、TUNEL法で検出した。癌への浸潤細胞は、薬剤投与24、72時間後に摘出した各群の癌の凍結切片を用いて、各種ビオチン標識抗マウス白血球抗体とパーオキシデース(POD)標識アビジンの系で解析した。癌におけるP-gpの発現は、ビオチン標識MRK16とPOD標識アビジンの系で検出した。癌へのADM集積量に対するMRK16併用投与の影響は、14C標識ADMの癌への集積量の変化を指標とした。抗体の腫瘍内分布は、FITC標識MRK16を静注し、24時間後に摘出した癌の凍結切片を用いて、POD標識抗FITC抗体で調べた。

III結果

 本研究に用いたヒト大腸癌細胞株では、薬剤感受性の低い細胞株はMDR1mRNA及びP-gpが過剰に発現されていて、三者は良く相関していた。In vitroにおいてMRK16はHCT-15に対してCDC及びADCC活性を示した。

 MRK16は血中半減期が16時間でMRK16F(ab’)2より約7倍長く、又投与後10日及び20日目でも各々16%及び5%が血中に残存していた。HCT-15坦癌マウスにおいて、MRK16及びMRK16F(ab’)2の投与後3日目の腫瘍への集積率は、各々、7.4%及び0.6%であり、腫瘍/血液比は1.2及び10.5であった。すなわち、MRK16は血中半減期が長く、腫瘍部位への絶対的集積率に優れ、一方、MRK16F(ab’)2は、血中半減期が非常に短く、腫瘍部位への相対的集積率(腫瘍/血液比)に優れていた。これらの結果から、MRK16は治療に、MRK16F(ab’)2は画像診断に適していることが示唆された。

 初期段階の癌の治療系において、HCT-15の増殖はMRK16単独投与により用量依存的に顕著に抑制され、ADMとの併用により抗腫瘍効果が増強された。他のP-gp陽性細胞株3株の増殖もMRK16により顕著に抑制されたことから、MRK16の抗腫瘍効果は、P-gpを介していることが示唆された。MRK16F(ab’)2には抗腫瘍効果は認めらなかったこと、MRK16がin vitroでADCCとCDC活性を有することから、MRK16の抗腫瘍効果発現には、抗体のFc部分を介したADCCやCDCが関与していることが示唆された。免疫組織染色により、MRK16投与により癌細胞への顆粒球、マクロファージ、及びNK細胞の浸潤が認められ、これらが併用投与群で顕著に増加する傾向が見られ、併用による治療効果は、単に相加効果ではなくて、エフェクター細胞の増加という相乗効果である可能性が示唆された。尚、MRK16の投与により腫瘍内のADMの集積量が増加することはなく、また、腫瘍の大きさには依存せずにMRK16は腫瘍内に到達していた。

 移植部位より摘出した癌は、対照群、各処置群間において組織学上特筆すべき差は見られず、いずれも癌細胞の充実性増殖が顕著で、腺管形成が認められ、細胞分裂像が散見される中分化腺管癌であり、ほとんどの癌で中央部に壊死が認められた。

 MRK16単独投与により、初期に治療効果のみられたマウスも、3ヶ月以降に移植部位での癌の再発例が認められた。しかしながら、ADMとの併用群においては、1ヶ月以内に癌が形成されなかったマウスは、半年後にも癌の再発、転移は認められず、抗体単独治療よりも、抗体と抗癌剤の併用療法の方が、癌の再発、転移の防止に寄与できる事が示唆された。

 触診可能な癌に対するMRK16の抗腫瘍効果は、投与開始時の癌の大きさに依存して減少したが、ADMと併用した場合は有意な治療効果の上昇が観察された。

IV考察

 本研究を含め一連のMRK16の治療実験の結果は、MRK16が多剤耐性克服薬として有力な候補であることを強く示唆している。MRK16はP-gpを発現している癌に選択的に集積し、周辺のエフェクター細胞を賦活化し、長期的な抗腫瘍効果を発揮することが期待される。さらに、MRK16の抗腫瘍効果を増強する手段としては、他の低分子多剤耐性克服薬、認識する抗原決定基が異なる抗P-gp MAb、又は、免疫調節剤(インターフェロン、サイトカイン等)と併用することが考えられ、ヒトにおけるより効果的な治療法の開発が期待される。

 マウス抗体に対するヒト抗体の生成は、マウスMAbの連投を困難にし、臨床上解決すべき問題点であるが、MRK16は既にキメラ抗体が作製され、ヒト化抗体を作成中であり、将来的には抗原性の無い(低い)抗体が供給されるだろう。また、血液脳関門内の血管内皮細胞、骨髄中の幹細胞や他の正常組織に発現されているP-gpと抗体が結合することによって生じる可能性のある副作用については、重大な注意をはらう必要がある。MRK16はヒトP-gp特異的でマウスのP-gpとは反応しないので、MRK16の正常組織に対する毒性を評価するためには、他の動物モデルが必要であり、現在NCIで、サルでの前臨床試験が計画されている。

V結語

 以上の結果からMRK16は多剤耐性の大腸癌の画像診断及び治療の有力な手段になると期待される。治療面では、MRK16はADMと併用することにより、初期段階の癌の抑制、術後の癌転移防止、及び化学療法中の癌再発防止に寄与すると考えられる。

審査要旨

 本研究は、抗P-糖蛋白質(P-gp)モノクローナル抗体MRK16が多剤耐性克服薬として有効かどうかをP-gp陽性で自然多剤耐性であるヒト大腸癌細胞株HCT-15を移植したヌードマウスの系で評価し、その作用機作を解明することを目的とし、下記の結果を得ている。

 1.ヒト大腸癌細胞株6株において、薬剤感受性の低い細胞株はMDR1mRNA及びP-gpが過剰に発現されていて、三者は良く相関していた。

 2.125I標識抗体を用いたヌードマウスにおける生体分布試験により、MRK16は血中半減期が長く、腫瘍部位への絶対的集積率に優れ、一方、MRK16F(ab’)2は血中半減期が非常に短く、腫瘍部位への相対的集積率(腫瘍/血液比)に優れいたことから、MRK16は治療に、MRK16F(ab’)2は画像診断に適していることが示唆された。

 3.初期段階の癌の治療系において、HCT-15の増殖はMRK16単独投与により用量依存的に顕著に抑制され、ADMとの併用により抗腫瘍効果が増強された。他のP-gp陽性細胞株3株の増殖もMRK16により顕著に抑制されたことから、MRK16の抗腫瘍効果は、P-gpを介していることが示唆された。MRK16F(ab’)2には抗腫瘍効果は認めらなかったこと、MRK16がin vitroでADCCとCDC活性を示したことから、MRK16の抗腫瘍効果発現には、抗体のFc部分を介したADCCやCDCが関与していることが示唆された。免疫組織染色により、MRK16投与により癌細胞への顆粒球、マクロファージ、及びNK細胞の浸潤が認められ、これらが併用投与群で顕著に増加する傾向が見られ、併用による治療効果は、単に相加効果ではなくて、エフェクター細胞の増加という相乗効果である可能性が示唆された。尚、MRK16の投与により腫瘍内のADMの集積量が増加することはなく、また、腫瘍の大きさには依存せずにMRK16は腫瘍内に到達していた。

 4.移植部位より摘出した癌は、対照群、各処置群間において組織学上特筆すべき差は見られず、いずれも癌細胞の充実性増殖が顕著で、腺管形成が認められ、細胞分裂像が散見される中分化腺管癌であり、ほとんどの癌で中央部に壊死が認められた。

 5.MRK16単独投与により、初期に治療効果のみられたマウスも、3ヶ月以降に移植部位での癌の再発例が認められた。しかしながら、ADMとの併用群においては、1ヶ月以内に癌が形成されなかったマウスは、半年後にも癌の再発、転移は認められず、抗体単独治療よりも、抗体と抗癌剤の併用療法の方が、癌の再発、転移の防止に寄与できる事が示唆された。

 6.触診可能な癌に対するMRK16の抗腫瘍効果は、投与開始時の癌の大きさに依存して減少したが、ADMと併用した場合は有意な治療効果の上昇が観察された。

 以上、本論分は、自然多剤耐性ヒト大腸癌細胞株担癌ヌードマウスの系において、抗P-gp抗体MRK16の治療効果、MRK16F(ab’)2の治療効果、ADM併用効果、投与タイミングの影響、再発.転移防止効果などを比較検討し、P-gpを介した多剤耐性癌細胞に対して、MRK16はADMと併用投与することにより、初期段階の癌の抑制、術後の癌転移防止、及び化学療法中の癌再発防止に寄与できる可能性が高いことを示した。さらに本研究は、MRK16単独及びADM併用による抗腫瘍効果について、薬物動態学、生化学及び病理学的解析を行うことにより、その作用機作を考察しており、これらから得られた知見は、P-gpを標的とした多剤耐性克服のアプローチに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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