学位論文要旨



No 213035
著者(漢字) 前村,浩二
著者(英字)
著者(カナ) マエムラ,コウジ
標題(和) マウスエドセリン-1遺伝子のクローニングと構造、発現解析及び心血管系の発生におけるエンドセリン-1の役割
標題(洋) Cloning and characterization of murine preproendothelin-1 gene and role of endothelin-1 in cardiovascular development
報告番号 213035
報告番号 乙13035
学位授与日 1996.10.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13035号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 生田,宏一
内容要旨

 エンドセリン-1(ET-1)は、1988年に培養血管内皮細胞の上清より単離精製され、強力な血管収縮物質として報告された21アミノ酸残基よりなるペプチドで、ET-2,3とともにペプチドファミリーを形成している。ET-1は、その薬理作用として平滑筋収縮作用のほか、平滑筋細胞や心筋細胞などの増殖・肥大作用、レニン・アルドステロン・ANPなどのホルモンの分泌調節作用、中枢神経系の制御など、広範囲な生物活性をもつことが報告されて、高血圧や動脈硬化、冠スパスムなどの病態への関与が注目されてきた。しかし、内因性のET-1の生理的役割や、循環器疾患をはじめとする各種病態における意義は、まだ十分に明らかにされていない。そこで最近我々はET-1の生理的、病態生理的意義を明らかにするために、ジーンターゲティングの手法を用いてET-1遺伝子欠損マウスを樹立し、その表現型を解析した結果、ホモ接合体は下顎形成不全・小耳介・舌低形成など頭頚部に明らかな形成異常を認め、胎生期の鰓弓由来の組織・器官形成において、ET-1が重要な役割を担っていることが明らかになった。これらの頭頚部の間葉組織は、発生段階において主に神経堤由来の細胞より形成されており、ET-1が、神経堤由来の細胞の分化にとって重要な役割を担っていることが示唆された。一方、神経堤細胞は、心血管系の発生にとっても、重要であることが知られている。従って、ET-1は、頭頚部の発生のみでなく、心血管系の発生にも関与していることが推測される。そこで本研究では、ET-1の心血管系の発生における役割を明らかにするために、まずマウスET-1遺伝子をクローニングし、その塩基配列、染色体上の位置を決定するとともに、その発現を特に心血管系の発生との関連で明らかにした。次に、ET-1遺伝子欠損マウスを用いて、ET-1を欠損した際の心血管系の表現型を詳細に解析することにより、ET-1の心血管系の発生における役割を明らかにした。

 マウスET-1遺伝子は5つのエクソンからなり、202アミノ酸残基からなるpreproET-1をコードしていた。ET-1遺伝子の塩基配列や構造は種を越えてよく保存されており、ET-1が個体の維持にとって重要な働きを担っていると考えられた。特に、cDNAの3’端の非翻訳領域200塩基が高度に保存されていたのは注目に値する。この部分はmRNAの転写後の調節に関与していると考えられ、preproET-1の転写後の調節もET-1の機能発現にとって重要であることが示唆された。マウスET-1遺伝子は第13染色体のほぼ中心部に位置していた。この近傍には、やはり頭頚部に奇形を有し、出生直後に呼吸不全のため死亡する自然発症の奇形マウスcongenital hydrocephalus(ch)のまだクローニングされていない遺伝子座があり、このマウスにおける奇形にET-1が関連している可能性が示唆された。

 ET-1の発現を、マウス各組織のノーザンブロット法により検討した結果、ET-1は肺で最も多く、心臓、腎臓、脳、腸でも発現がみられた。肺におけるET-1の発現は、胎児から成体へと成長するに従って増加したが、逆にET-3の発現は成長に従って減少した。このことより、同じETファミリーのET-1とET-3が、発生の各段階でそれぞれ異なった役割を果たしているものと考えられた。さらに、マウス胎児における各発生段階でのET-1の発現をin situ hybridization法により検討した。胎生9.0日の胎児ではET-1の発現を鰓弓の上皮と、背側大動脈、鰓弓動脈の内皮に認めた。鰓弓上皮におけるET-1の発現は比較的明瞭な境界をもって正中側半分に限られていた。このような比較的限局した発現パターンはホメオボックス遺伝子の発現にみられる。実際にこの発生段階の鰓弓では様々なホメオボックス遺伝子が時間的、空間的に調節されながら発現している。ET-1のこのような限局した発現パターンは、ET-1とホメオボックス遺伝子が相互に作用しあっている可能性を示唆している。胎生10.0日の胎児では、鰓弓上皮や背側大動脈、鰓弓動脈の内皮の他に心臓流出路の心内膜にもET-1の強い発現を認め、胎生11.5日の胎児では心内膜床部分の間葉組織や心内膜にも発現が認められた。ET-1の発現が他の部分の心内膜より、流出路の心内膜に特に強いのは、発生学的にこの部分が他の心臓の部分と起源を異にするためと考えられる。即ち、この部分の心内膜は頭部の中胚葉から遊走してくるが、他の部分の心内膜は、心臓形成板に由来していることによる。これらの発現パターンより、ET-1の発現は発生段階に応じて、それぞれの組織、器官ごとに、空間的、時間的に調節され、頭頚部のみでなく心血管系の発生にも重要な役割を果たしていることが示唆された。

 次にET-1を欠損することにより、実際に心血管系にどのような影響がでるかを、ET-1遺伝子欠損マウスにおける心血管系の表現型を解析することにより明らかにした。出生直後のET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では、大動脈弓の遮断を2.3%に、大動脈弓の管状低形成を4.6%に、右鎖骨下動脈の奇形を12.9%に、流出路の奇形を伴う小さな心室中隔欠損を48.4%に認めた(表1)。また、このような明らかな奇形を認めない例でも、大動脈弓が上方につり上がったり、総頚動脈から過剰な小動脈が分枝している例が多くみられた。このことは、内因性のET-1が心血管系の発生にとって重要な役割を果たしていることを示している。しかし奇形出現の浸透度が100%でないことは、内因性のET-2またはET-3による代償、あるいは母体血由来のET-1により代償が考えられた。そこで、妊娠中の母体に浸透圧ポンプにて、ET-1に対する中和抗体や、ETA受容体に対する選択的な拮抗剤BQ123を投与すると、これらの奇形の頻度が増加するのみならず、奇形の程度も増強した(表1)。このことは、母体血出来のET-1が、少なくとも一部はETA受容体を介して、ET-1遺伝子欠損マウスホモ接合体のrescueに働いていることを示している。

ET-1遺伝子欠損マウスホモ接合体における心血管系奇形

 さらに、ET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体における心血管系奇形の成立機序を明らかにするために、器官形成期における鰓弓動脈や心臓の形態を解析した。正常なマウスでは、胎生10日目までに第一、第二鰓弓動脈が消失し、左第四鰓弓動脈と背側大動脈より大動脈弓が、第三鰓弓動脈より総頚動脈が、右第四鰓弓動脈より右鎖骨下動脈の近位部が形成されるが、ET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では、第一、第二鰓弓動脈が残存し、第四鰓弓動脈が両側とも退縮し、代わりに第三鰓弓動脈と背側大動脈より変形した大動脈弓を形成していた。またET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では心内膜床の発達が障害され、心室中隔筋性部と癒合していなかった。

 頭頚部の発生においては、ET-1の標的は主に神経堤細胞であると考えられた。神経堤細胞は、心臓流出路や鰓弓動脈の壁にも遊走し、そこで周囲の細胞との相互作用で、動脈幹の隔壁形成や、大動脈弓部の発生に関与していることが知られている。今回の結果で鰓弓上皮と血管内皮にET-1の発現が強くみられたことより、これらの細胞から分泌されたET-1が、主に神経堤細胞由来の間葉組織を標的として、大動脈弓の発生に関与しているものと考えられた。一方心内膜床の発生におけるET-1の関与はやや複雑である。心内膜床には神経堤由来の細胞は認められないが、ニワトリの神経堤を除去した実験では、心室中隔欠損を合併することより、この部分の発生にも何らかの形で神経堤細胞が関与している可能性、または大血管の奇形のために血行動態が変化した二次的な変化として心室中隔欠損を来した可能性があり、そのため、ET-1遺伝子欠損マウスで心内膜床の発達が障害されていると考えられた。あるいは、心内膜から分泌されたET-1が直接心内膜床の神経堤細胞に由来しない間葉組織に影響している可能性も考えられる。

 ヒトの疾患において、Pierre-Robin症候群、DiGeorge症候群、velo-cardio-facial症候群などは頭頚部の奇形に心室中隔欠損や大動脈弓の奇形を合併することが知られており、ET-1遺伝子欠損マウスにみられる奇形に類似している。これらの症候群の症例の多くは、染色体22q11の欠失にlinkしているが、ヒトのET-1遺伝子は第6染色体に位置しているのでET-1が直接の原因遺伝子である可能性は低い。しかし、これらの未知の原因遺伝子の産物とET-1が、頭頚部や心血管系の形成過程において相互に作用しあっている可能性は高く、従って、ET-1遺伝子欠損マウスはこれらの疾患の原因を解明する上で良いモデルになると考えらる。また最近、心臓の発生にとって重要ないくつかの遺伝子が新しくクローニングされたが、ET-1とこれらの遺伝子産物は心臓の発生過程で働く遺伝子群のネットワークの中にあると考えられ、これらの相互作用を明らかにする事は、心臓の発生の機序を明らかにする上で重要であると考えられる。

 以上より、ET-1は、鰓弓由来の頭頚部の発生のみでなく、正常な心臓や大血管の発生にも関与していることが示された。またET-1遺伝子欠損マウスはヒトの先天性心疾患の原因を解明する上で良いモデルになると考えられる。

審査要旨

 本研究は、血管作働性物質であるエンドセリン-1(ET-1)の心血管系の発生における役割を明らかにするために、マウスET-1遺伝子をクローニングし、胎生期におけるその発現部位を明らかにするとともに、ET-1遺伝子欠損マウスを用いて、ET-1を欠損した際の心血管系の表現型を解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウスET-1遺伝子は、第13染色体に位置し、5つのエクソンからなり、202アミノ酸残基からなるpreproET-1をコードしていた。ET-1遺伝子の塩基配列や構造は種を越えてよく保存されおり、このことはET-1が個体の維持にとって重要な働きを担っていることを示唆している。

 2.ET-1の発現は、ノーザンブロット法により肺、心臓、腎臓、脳、腸に認められた。肺におけるET-1の発現は、胎児から成体へと成長するに従って増加したが、逆にET-3の発現は成長に従って減少した。このことより、同じETファミリーのET-1とET-3が、発生の各段階でそれぞれ異なった役割を果たしていることが示唆された。

 3.胎生期におけるET-1の発現をin situ hybridization法により検討した結果、胎生9.0日の胎児ではET-1の発現を鰓弓の上皮と、背側大動脈、鰓弓動脈の内皮に認めた。胎生10.0日の胎児では、それらの他に心臓流出路の心内膜にもET-1の強い発現を認め、胎生11.5日の胎児では心内膜床部分の間葉組織や心内膜にも発現を認めた。これらの発現パターンより、ET-1の発現は発生段階に応じて、それぞれの組織、器官ごとに、空間的、時間的に調節され、頭頚部のみでなく心血管系の発生にも重要な役割を果たしていることが示唆された。

 4.出生直後のET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では、大動脈弓の遮断、大動脈弓の管状低形成、右鎖骨下動脈の奇形、心室中隔欠損などの奇形を認めた。さらに妊娠中の母体に浸透圧ポンプにて、ET-1に対する中和抗体や、ETA受容体に対する選択的な拮抗剤BQ123を投与すると、これらの奇形の頻度が増加するのみならず、奇形の程度も増強した。このことは、内因性のET-1が心血管系の発生にとって重要な役割を果たしていることを示しているのみならず、母体血由来のET-1が、少なくとも一部はETA受容体を介して、ET-1遺伝子欠損マウスホモ接合体のrescueに働いていることを示している。

 5.ET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体における心血管系奇形の成立機序を明らかにするために、器官形成期における鰓弓動脈や心臓の形態を解析した。正常なマウスでは、胎生10日目までに第一、第二鰓弓動脈が消失し、左第四鰓弓動脈と背側大動脈より大動脈弓が、第三鰓弓動脈より総頚動脈が、右第四鰓弓動脈より右鎖骨下動脈の近位部が形成されるが、ET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では、第一、第二鰓弓動脈が残存し、第四鰓弓動脈が両側とも退縮し、代わりに第三鰓弓動脈と背側大動脈より変形した大動脈弓を形成していた。またET-1遺伝子欠損マウスのホモ接合体では心内膜床の発達が障害され、心室中隔筋性部と癒合していなかった。

 以上、本論文はET-1遺伝子の発現部位の解析、ET-1遺伝子欠損マウスにおける心血管系の表現型の解析により、ET-1が正常な心臓や大血管の発生にとって重要であることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、ET-1の心血管系の発生における役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53976