学位論文要旨



No 213044
著者(漢字) 松元,隆夫
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,タカオ
標題(和) 電子線ホログラフィー法による弱位相物体の位相差観察
標題(洋)
報告番号 213044
報告番号 乙13044
学位授与日 1996.10.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13044号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井野,正三
 東京大学 教授 堀田,凱樹
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 桑島,邦博
内容要旨

 電子線ホログラフィー法(または電子線干渉法)は、試料による電子線の振幅変化だけでなく位相変化も同時に計測することができるので、位相物体の観察に応用されてきた。電子線ホログラフィー法にはオフアクシス型とインライン型があるが、観察対象の位相変化量が小さい場合には検出感度の高いインライン型が有利である。したがって弱位相物体の観察にはインライン型電子線ホログラフィー法を用いた新しい手法の開発が必要と思われる。インライン型電子線ホログラフィー法では共役像が存在するために再生像が乱されるという問題がある。フラウンホーファー条件という実験条件でホログラムが記録できれば共役像の影響を除くことができるが、弱位相物体の場合はホログラムのコントラストが弱く、この条件は使えない。しかしながら、デジタル画像処理法(Koren法)によれば、フラウンホーファー条件以外の条件で記録したホログラムからも共役像の影響を取り除いた優れた像を再生できる可能性がある。そこで本研究では(1)理論および実験からホログラムのコントラストを最大にする実験条件を検討し、(2)共役像の影響を除くためのデジタル画像処理法を実際のホログラムに応用する計算機プログラムを作成し、(3)金微粒子と無染色フェリチンを試料として実験をおこなった。その結果、弱位相物体の観察に本手法が有用であることを実証した。実験に使用した装置は加速電圧200kVの電界放射電子顕微鏡である。

 図1と図2にガウシアン分布をした弱位相物体を仮定した場合のインラインホログラムのコントラストを理論的に検討した結果を示す。インラインホログラムのコントラストはフレネル数Nと、ホログラム中央からの距離に比例する量という二つのパラメータによって記述でき、中央のコントラストはフレネル数Nが1の場合に最大になることを本研究で明らかにした。次に、実際の試料を用いて実験をおこなったところ、表1に示すように、やはりフレネル数Nが1の近傍でホログラムのコントラストは最大であることを確認し、実証した。

図1 ガウシアン弱位相物体のコントラスト三次元表示図2 ガウシアン弱位相物体のコントラスト-0の断面表1 ホログラムの中央強度が最大となるフレネル数加速電圧はすべて200kV

 共役像の影響を除くデジタル画像処理法としては、最近X線ホログラフィーの分野で開発されたKoren法を用いた。Koren法を実行するための計算機プログラムは、実際の画像に応用できるよう改良をおこなった。改良したプログラムが正常に動作することは計算機シミュレーションを用いて確認した。Koren法をフレネル数Nが1に近い実験条件(フレネル条件)で記録した弱位相物体のホログラムに応用した結果、従来の手法では得られなかった高いコントラストと分解能の再生像を得ることができた。図3に無染色フェリチンを用いた結果を示す。図3(a)はフレネル条件で記録したホログラムで、これからKoren法により再生した像が図3(b)である。また図3(c)、図3(d)には従来のフラウンホーファー条件(フレネル数N<<1)で記録したホログラムとこれから直接再生した像をそれぞれ示してある。従来法では再生困難な無染色フェリチンの像も本手法を用いることによって高いコントラストで再生できることを実証した。

図3 無染色フェリチンの再生像(a)フレネル条件での再生振幅像、(b)同再生位相像、(c)フラウンホーファー条件での再生振幅像、(d)同再生位相像、(e)電子顕微鏡像

 図4に示す再生位相像断面のプロファイルではフェリチン中央の鉄コアと蛋白質部分が明瞭に区別できる。図5(a)は倍率を上げて撮影したホログラムから求めた無染色フェリチン微粒子の6個の再生位相像の例である。ここで1および5と示された再生像はX線構造解析から予想される3回軸方向の投影像(図5(b))に対応し、また6と示された再生像は4回軸方向の投影像(図5(c))に対応して、それぞれ六角形と四角形に近い外形をしていることがわかる。このように、本研究によって弱位相物体の観察に有効な電子線ホログラフィーの手法を確立させることができた。

図4 無染色フェリチン再生位相像の断面図中央6nmの部分は鉄コア、その周辺は蛋白質に対応する。図5 (a)無染色フェリチンの高倍率ホログラム再生位相像、(b)X線構造解析で得られている三次元構造をフェリチンの3回対称軸に沿って投影した像、(c)4回対称軸に沿って投影した像

 本研究ではまた、環状電極を用いた電子線位相板の実現例(図6)において、環内部を通過する電子線が一様な位相変化を受けること(図7)を指摘した。この原理は環内部の静電ポテンシャル分布を電子線の軌道に沿って積分した量が二次元のラプラス方程式を満足することから導けることがわかった。この原理は電子線で位相差顕微鏡を実現するために重要である。

図6 環状電極を用いた電子線位相板の実現例図7 環状電極内部の静電ポテンシャルを電子線の軌道に沿って積分した量を電極中心からの距離rの関数として表示したグラフ。電子線の位相変化量はに比例し、その通過位置によらず一定となる。ここでは環内径を1m、中央電極の厚さを250nm、そして中央電極の電位を1Vに仮定した。
審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は電子線ホログラフィー研究の背景、研究目的及び実験方法が、第2章には金クラスターや単一DNA二重らせんに適用した実験結果について、第3章では電子線ホログラフィーのコントラストの理論的な考察が、第4章では、デジタル画像処理法によるホログラムの解析の例が述べられており、第5章では、電子線ホログラフィーに有効な新しい位相板の提案とその考察がされている。

 電子線ホログラフィーは、試料による電子線の散乱振幅の変化と同時に位相変化を検出することが出来るので、弱い位相物体の観察に応用されてきた。電子線ホログラフィーにはインライン法とオフアクシス法があるが、位相変化量が小さい物体には、検出感度の高いインライン法が有利になる。インライン法では共役像が存在するために再生像が乱される欠点があるが、フランホーファー条件を適用すると共役像の影響の無い再生像を得ることが出来る。さらに、画像処理法(コーレン法)によれば共役像を取り除いた高分解能で高いコントラストの再生像が得られる可能性もある。

 本研究は、この様な背景を考慮して、弱い位相物体の観察に有効なインライン法を適用した新しい手法の開発・改良を目標とした。用いた実験装置は加速電圧200kVの電子線ホログラフィー装置である。

 1.従来のインライン型電子線ホログラフィー法を適用して、直径0.82nmの金微粒子と位相変化量が1/33波長以下の単一DNA二重螺旋の位相像の再生に成功した。

 2.インライン型ホログラフィーにおける位相物体のコントラストの生成機構について、理論的な研究を行った。その結果、コントラストはフレネル数Nとホログラム中央からの距離に比例する量という2つのパラメーターによって記述でき、中央のコントラストはN=1の場合に最大になることを指摘した。

 3.そこで、金微粒子や無染色フェリチンの試料について、N=1に近い条件でホログラムを撮影した。次に、共役像の消去のために、コーレン法と言う画像処理法を適用した。この方法の原理はコーレンにより1991年X線ホログラフィーの画像処理法として提案されたが、その後実際にホログラフィーに適用された例は存在しなかった。そこでこの方法を適用するための計算機プログラムの開発を行った。

 このコーレン法を適用して上記のホログラムの再生像の作製を行った結果、従来の手法では得られなかった高いコントラストと分解能が得られることを実証した。例えば、無染色フェリチンでは、フランホーファー条件では良い再生像が得られなかったが、フレネル数N=1の付近で撮影したホログラムをコーレン法で再生した場合には、高いコントラストの再生像が得られ、フェリチン粒子中央のFe核と蛋白質の部分が明瞭に区別でき、六角形状の外形の像を確認することも出来た。このように本研究により、弱位相物体の観察に有効な新しい手法を確立させた。

 4.さらに、環状型の電極を用いる位相板の動作原理の考察を行った。環状電極内を通過する電子線の軌道に沿って静電ポテンシャルを積分した結果、積分値は環内部の全ての場所で一定になることを証明した。即ち、この位相板は環の内部では一様な位相差を生ずる理想的な位相板であることを示した。この環状の位相板は、電子線で位相差顕微鏡を実現するために非常に重要なものである。

 以上のように本研究はインライン型電子線ホログラフィー法における弱位相物体のコントラストを検出する方法を理論的に検討し、フレネル数Nが1の近傍で最も大きなコントラストが形成され、また分解能が向上することを指摘し、この条件で金微粒子や無染色フェリチンのホログラムを実際に撮影し、その再生にはコーレン法を初めて適用して、高いコントラストで高分解能の再生像が得られることを実証し、その新しい方法を確立したものであり、電子線ホログラフィーの分野に大きな寄与をしたと考えられる。本研究は共同研究であるが、本論文提出者が最も大きな寄与をしたことを確認した。よって、審査委員全員は本論文が博士(理学)として合格であると判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53979