本論文は、資料的制約のきわめて大きい中国の後期旧石器文化の石器群の解析に正面から取り組んだ意欲作である。十分に分析されることが稀な中国の石器群を著者自身が計測・観察した資料を基礎にして分析をしている。石器群の分析については、既存の論文あるいは報告にはない、高い精度と信頼度を持っていることは特筆すべきことである。 その分析の中心をなすのは細石刃製作技術の分析である。細石刃製作技術を中国だけでなく、朝鮮半島、ロシアのシベリア・沿海州、さらに日本列島という広大な地域のなかで考察しようとする研究方法は、この地域の先史文化研究のあるべき姿を具現している。 全体は7章からなり、第1章は従来の中国の旧石器文化の研究史が調査・研究の展開をおって叙述される。その中で現在の研究の位置づけがなされている。第2章は方法と論文中で使用される言葉についての詳細な定義がなされている。世界の旧石器文化研究の現状を踏まえ、世界の旧石器文化研究の水準に即した方法と定義がなされている。第3章は中国、特に中国北部の後期旧石器文化の遺跡の立地とその持つ意味についてさまざまな角度から論じられ、また、遺跡の川および海との関係についても触れられている。 第4章が本論文の中心の章である。著者も調査に参加した山西省薛関(Xueguan)遺跡出土の石器群の詳細な分析である。石器の各器種ごとに諸属性を詳細に観察・計測し、それを基礎にして精度の高い分析を行い、石器群のあり方を検討している。また、石材と石器の器種との間にある密接な関係も明らかにされている。従来の中国の旧石器時代の石器群の分析には見られない方法である。石器製作技法、特に細石刃製作技法を詳細な技術的な分析の上にシステムとして復元している点に高い評価を与えることができる。 第5章は薛関遺跡の石器群の分析で明らかになった細石刃製作システムを基礎に、石器群の内容が比較的明らかな山西省下川(Xiachuan)遺跡群、山西省柴寺(Chaisi)遺跡、内蒙古ハイラル(Hailar)遺跡群、黒龍江省十八站(Shibazhan)遺跡群、河北省虎頭梁(Hutouliang)遺跡群、山東省黒龍潭(Heilongtan)遺跡群の石器群を著者自身の観察と計測により分析している。石器群ごとの異同がこの分析により明らかにされている。従来の中国の石器群の分析にはない高い精度の下に比較考察がなされている。 第6章は薛関遺跡と九州の福井遺跡の細石刃製作システムを軸にして東アジアの細石刃製作システムの解析がなされる。相互の異同が詳細な分析により明らかにされている。 第7章は結論であり、前章までの分析をもとにして、中国の細石刃石器群の3期編年仮説、東アジアの細石刃石器群の2大グループ化仮説、土器と細石刃石器群との共伴仮説が提唱されている。これらの仮説の当否は将来新たな観点から議論することが課題として残るが、現状における限りまずは妥当な仮説ということができよう。 本論文は資料と詳細な分析に欠けていた中国の後期旧石器文化に細石刃製作システムという分析の軸を設定し、著者自身の観察と計測により石器群を解析した労作である。石器群の異同、石器群の持つ意味についての解釈などに掘り下げが不足している点もないこともないが、資料の制約は大きい。細石刃製作システムを軸に精度の高い分析がなされたことは評価できよう。博士(文学)の学位の授与に十分に値する論文であると認める。 |