学位論文要旨



No 213049
著者(漢字) たん,聰
著者(英字)
著者(カナ) タン,チョン
標題(和) 中国北部における後期旧石器細石刃石器群の技術構造
標題(洋) Studies on the Technological Complexes of the Upper Palaeolithic Microblade Industries in North China
報告番号 213049
報告番号 乙13049
学位授与日 1996.11.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13049号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,強
 東京大学 教授 今村,啓爾
 東京大学 助教授 大貫,静夫
 国学院大学 教授 加藤,晋平
 文化庁記念物課 主任調査官 岡村,道雄
内容要旨 一、

 本論文は、1980年に山西省薛関遺跡の発掘調査によって発見された石器群を中心に、剥片及び細石刃の生産技術と器種との対応関係の分析を行ない、中国北部の個々の細石刃石器群と比較して、技術構造の変遷を把握しようとした。遺跡の個々の分析は石器の実見、実測による。分析対象とした細石刃石器群は以下の通りである。

 1.山西省薛関遺跡

 2.山西省下川遺跡群

 3.山西省柴寺遺跡

 4.内蒙古ハイラル遺跡群

 5.黒龍江省十八站遺跡群

 6.河北省虎頭梁遺跡群

 7.山東省黒龍潭遺跡群

 論文の後半では、以上比較によって得られた結果を北東アジアの一部の細石刃石器群と比較し,特に薛関及び日本福井両遺跡の細石刃技術対比研究という視点より、北東アジアの細石刃石器群の系統、土器の起源について論じた。

二、

 薛関遺跡の発掘調査は1979年、1980年、及び1991年の三回にわたり行なわれた。石器及び化石は第二層灰黄色粉砂土の中に含まれる。筆者の1991年の発掘によって石器の出土は第二層上部に集中した。出土層位を明確にとらえた。第二層から採取された化石で14Cを測定した結果は13,550±150年bp。

薛関遺跡からの石器分析について1.剥片生産技術

 石核は全て不定型石核でそれぞれI類、II類、III類、IV類に分類された。剥片生産技術には、石核調整技術は認められない。任意に複数の打面を作出するものを代表的類型としている。不定型石核の大きさ平均値は幅3.5cm、長さ2.2cm、厚さ4.2cmである。生産された剥片は3〜4cmのものと考えられる。それらの剥片はチャート製トゥールの素材供給になることが推察できる。また、I類細石刃核の幅は3cm前後のものである。更にそのI類細石刃核は剥片を素材として剥片の原打面はしばしば自然打面と認められる。故に、I類石核から生産された剥片の一部が細石刃石核素材になることが知られる。

2.細石刃生産技術

 細石刃核は、I類、II類、III類に分類された。

 I類:

 小型厚味の剥片の腹面を打面して、両側面からも調整を施し母型を用意する。一端また両端に細石刃作業面を設定する。打面調整は殆どしない。

 II類:

 両面或は片面加工の母型から主に横位に加撃し、打面形成を行なっている。また、第二段階の調整は石核の片面でしばしば施される。打面角度調整が見られる。

 III類:

 不定型細石刃核の素材はあまり二次加工しない。

 細石刃石核の割合はI類54.5%、II類28.1%、III類17.4%と明らかにされた。317点の細石刃が確認できた。内訳は二次加工がある細石刃5%、完形36%、頭部30%、中間部16%、末端部13%であった。平均値として完形細石刃の長さは1.78cm細石刃核の高さ1.78cm、細石刃作業面の高さは1.73cmである。故に、細石刃は本遺跡で製作されたのであろう。また細石刃の刃部では斜行線状痕等が抽出されている。

3.石器組成

 267点の石器の中で石器組成は小型エンド・スクレイパー60.3%、サイド・スクレイパー8.6%、楔型石器7.5%、錐5.2%、角錐状石器2.2%、尖頭器10.9%、彫刻刀3.7%、石斧及び敲石が同様に0.7%を占めている。

 大型石器:

 石斧は二点だけで主に片面だけ刃先は弧状をなして磨耗痕が認められた。石斧は全て剥片を素材として石材はホルンフェルスと見られる。尖頭器はI類からIII類に分類された。製作過程は片側加工→両側加工→背部の自然面を除去するまで復元された。尖頭器の石材は殆ど石英砂岩で、その剥片の生産は両極技法と密接な関係があった。

 小型石器:

 主にチャート製で、エンド・スクレイパーは一般に2cm以内の剥片を素材としてI類からX類まで分類され、その素材は不定型石核から提供される以外、細石刃核の打面再生剥片、小型両極剥片なども見られる。角錐状石器は6点確認され、何れも破損のものである。部厚い剥片を素材として二次加工を両面から加える。原剥片の腹面は二次加工しないようである。彫刻刀は不定型の形で発達ではない。その他、錐、サイド・スクレイパー、楔型石器、敲石を加えて、薛関遺跡の石器の全貌が浮かび上がってくる。

4.石器構造

 本遺跡の石器構造は特定の石材と器種、例えば石斧+ホルンフェルス、尖頭器+石英砂岩、小型石器+チャート間で強く結び付くことが知られる。更にそれぞれの剥片生産技術の器種の対応関係があることが推察できる。尖頭器は主に両極技法で生産された剥片を素材とし、不定型石核から製作された剥片は小型石器の素材になる。また、不定型石核で生産した一部の剥片は細石刃核の素材が用いられた。細石刃核を調整する際に剥離された一部の剥片も小型石器の素材として転用された。以上薛関遺跡ではトゥールと石材とが強く結び付く傾向があり、他に複数の剥片生産技術がトゥール或は細石刃核の素材供給の役割を持っている。

三、

 薛関遺跡の石器構造の分析結果を中心として、中国北部における代表的な遺跡の資料を吟味しながら、華北地方の細石刃石器群の技術構造の変遷を追求してみる。華北地方の細石刃石器群の変遷は三時期に区分されている。

I下川期

 1.代表遺跡群:下川、柴寺、油房、孟家泉、渟泗澗等

 2.年代:20,000年bp前後

 3.石器組成と構造:石刃技法とともに不定型剥片の生産技術が存在する。一方細石刃技術が複数技法をも含んでおり、多岐にわたる。下川の細石刃技術は薛関遺跡第I類、第III類と類似し、両面加工の楔型細石刃核も存在する。石器組成はナイフ(孟家泉)、彫刻刀(下川、柴寺)、エンド・スクレイパー(油房)、サイド・スクレイパー(柴寺)のようなトゥール素材と石刃の間に一定の結び付きが見られる。

II薛関期

 1.代表遺跡群:薛関

 2.年代:13,000年bp前後

 3.石器組成と構造:ここでは省略するが、当期、石刃技法が失われていた。不定型剥片生産は主役的に細石刃生産技術も剥片生産技術に組み込まれていた。

III虎頭梁期

 1.代表遺跡群:虎頭梁、于家溝、籍箕灘等

 2.年代:12,000年〜10,000年bp前後

 3.石器組成と構造:籍箕灘遺跡の層位関係によって、更に三期に細分できると言われている。石刃技法は存在しない。多様な形態の剥片生産技術を主役にして、その剥片を細石刃核と一部のトゥールの素材に用いられる。薛関期のI類細石刃核が消失され、横位打面調整の楔型細石刃核が最も発達していて、これが技術構造の特徴である。石器組成は石斧、エンド・スクレイパー、彫刻刀、楔型石器、尖頭器等から構成される。両面加工尖頭器はバラエティーが豊富で最も注目される。

 一方、中国東北地方において華北地域と異なる細石刃石器群の存在も確認された。十八站遺跡ではLoc.75075が湧別系、Loc.75077が峠下系でそれぞれ細石刃技術の違いによって区別された。ハイラルでは湧別及びシャバラフ・ウス細石刃技術の組み合わせによって、モンゴル東部における細石刃石器群の変遷を対照させながら、ハイラルのLoc.9→Loc.6→Loc.5の編年を主張した。

四、

 以上中国北部における細石刃石器群によって、北東アジア範囲の資料と厳密な対比研究をする必要が考えられる。筆者は薛関と福井(L2・L3)の細石刃石器資料等を実見したことがあって、両方の細石刃技術の工程毎の比較検討を行なった。

 1.薛関と福井も複数の細石刃技法を含む。だが、両遺跡に類似する技法が存在しても、その構成率は顕著な違いがある。薛関I類細石刃核は全体の54.5%で、福井においていわゆる船野型に近いものは非常に稀である。

 2.剥片技術は福井の原礫石は約10cmで、薛関が5cmぐらい。両者生産された剥片の大きさは顕著な違いが認められる。福井の自然打面を有する横長剥片はその自然面が削片、石核打面等に特徴として保留される。同様の特徴は薜関では認められない。

 3.薛関II類と福井両者も楕円形母型を用意し、打面形成に側面調整を先行して、打面形成の際、横位に加撃し、横長剥片を剥離し、のち長軸方向に小剥離を施し、有効打面を設定する。両者とも第二段階の側面調整が若干ある。第一、第二削片は非常に稀にしかない。

 4.断面三角形の第一削片、背面に横位剥離痕がある第二削片、背面は自然面の横長削片等が福井において存在するが薛関遺跡では見られない。

 薛関と福井両者は細石刃技術の細部に差異が認められるが、大局的には近い系統の細石刃技術を明らかにした。14Cより前者は古いと判断して、薛関の細石刃技術は"原福井細石刃技術"を提唱しておきたい。

 更に、黄河中、下流域と日本の西南の細石刃石器群はある程度類似していると考えられる。近年の発見で、類船野型細石刃核は二万年前から中国の山西省、河北省、山東省、江蘇省に濃密に分布していたことが見られる。日本西南の船野型細石刃核の系統と密接な関係を持っていたと推察できるだろう。近頃河北省于家溝遺跡から爪形文土器と横位打面調整の細石刃核を共伴することが確認された。その土器の年代はTL測定で11,000年とした。北東アジアでは爪形文土器と細石刃核(福井型、船野型、野岳型)の組み合わせは、中国華北地域と日本の九州しか見られないことから、両地の密接な関係が考えられよう。

終わりに

 今後は中国北部の細石刃石器群の変遷の要因を追求する必要がある。故に、遺跡の構造及び技術的組織、生態系の復元に関わる自然科学等の分野の研究を総合的に進めなければならないと考える。

審査要旨

 本論文は、資料的制約のきわめて大きい中国の後期旧石器文化の石器群の解析に正面から取り組んだ意欲作である。十分に分析されることが稀な中国の石器群を著者自身が計測・観察した資料を基礎にして分析をしている。石器群の分析については、既存の論文あるいは報告にはない、高い精度と信頼度を持っていることは特筆すべきことである。

 その分析の中心をなすのは細石刃製作技術の分析である。細石刃製作技術を中国だけでなく、朝鮮半島、ロシアのシベリア・沿海州、さらに日本列島という広大な地域のなかで考察しようとする研究方法は、この地域の先史文化研究のあるべき姿を具現している。

 全体は7章からなり、第1章は従来の中国の旧石器文化の研究史が調査・研究の展開をおって叙述される。その中で現在の研究の位置づけがなされている。第2章は方法と論文中で使用される言葉についての詳細な定義がなされている。世界の旧石器文化研究の現状を踏まえ、世界の旧石器文化研究の水準に即した方法と定義がなされている。第3章は中国、特に中国北部の後期旧石器文化の遺跡の立地とその持つ意味についてさまざまな角度から論じられ、また、遺跡の川および海との関係についても触れられている。

 第4章が本論文の中心の章である。著者も調査に参加した山西省薛関(Xueguan)遺跡出土の石器群の詳細な分析である。石器の各器種ごとに諸属性を詳細に観察・計測し、それを基礎にして精度の高い分析を行い、石器群のあり方を検討している。また、石材と石器の器種との間にある密接な関係も明らかにされている。従来の中国の旧石器時代の石器群の分析には見られない方法である。石器製作技法、特に細石刃製作技法を詳細な技術的な分析の上にシステムとして復元している点に高い評価を与えることができる。

 第5章は薛関遺跡の石器群の分析で明らかになった細石刃製作システムを基礎に、石器群の内容が比較的明らかな山西省下川(Xiachuan)遺跡群、山西省柴寺(Chaisi)遺跡、内蒙古ハイラル(Hailar)遺跡群、黒龍江省十八站(Shibazhan)遺跡群、河北省虎頭梁(Hutouliang)遺跡群、山東省黒龍潭(Heilongtan)遺跡群の石器群を著者自身の観察と計測により分析している。石器群ごとの異同がこの分析により明らかにされている。従来の中国の石器群の分析にはない高い精度の下に比較考察がなされている。

 第6章は薛関遺跡と九州の福井遺跡の細石刃製作システムを軸にして東アジアの細石刃製作システムの解析がなされる。相互の異同が詳細な分析により明らかにされている。

 第7章は結論であり、前章までの分析をもとにして、中国の細石刃石器群の3期編年仮説、東アジアの細石刃石器群の2大グループ化仮説、土器と細石刃石器群との共伴仮説が提唱されている。これらの仮説の当否は将来新たな観点から議論することが課題として残るが、現状における限りまずは妥当な仮説ということができよう。

 本論文は資料と詳細な分析に欠けていた中国の後期旧石器文化に細石刃製作システムという分析の軸を設定し、著者自身の観察と計測により石器群を解析した労作である。石器群の異同、石器群の持つ意味についての解釈などに掘り下げが不足している点もないこともないが、資料の制約は大きい。細石刃製作システムを軸に精度の高い分析がなされたことは評価できよう。博士(文学)の学位の授与に十分に値する論文であると認める。

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