学位論文要旨



No 213052
著者(漢字) 門奈,理佐
著者(英字)
著者(カナ) モンナ,リサ
標題(和) イネ染色体上特定領域の解析のための分子マーカーの作成
標題(洋)
報告番号 213052
報告番号 乙13052
学位授与日 1996.11.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13052号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨

 イネは単子葉の主要穀類の中で最も小さなゲノム(約400Mbp)を持っていること、研究の歴史が古く、材料と知見の蓄積が豊富であること、さらに食物としての経済的重要性から、単子葉植物のゲノム解析のモデルとして最適である。ゲノム研究の究極の目的は全塩基配列の解明とよく言われるが、実際に最も望まれているのは農業上有用な遺伝子、あるいは生物科学の立場から興味深い遺伝子の単離である。遺伝子単離の有望な戦略の一つとして、連鎖地図上の位置からスタートして物理的な候補領域を特定し、さらにそれをせばめていって発現遺伝子を捕捉するといういわゆる「マップベースト・クローニング(またはポジショナル・クローニング)」がある。このマップベースト・クローニングを行う過程においては、狭められた候補領域に高密度の分子マーカーが存在することが求められる。本研究では、この「染色体上の特定の領域に効率よく分子マーカーを設定する」という目的のため、近年考え出された新手法、あるいは独自に開発した手法をイネに利用し、実際に有用遺伝子の近傍に多数の分子マーカーを設定した。また、これらの手法について改良を加え、さらに手法としての有用性について考察した。

 第一章では、random amplified polymorphic DNA(RAPD)法を用いて、イネ全染色体を対象に分子マーカーの作成を試みた。RAPD法は、任意の配列をもつ通常10塩基の短いプライマーを用い、低いアニーリング温度でPCR(polymerase chain reaction)を行うことにより鋳型DNAの複数の部位から同時に増幅断片を得る方法であり、こうして得られる増幅断片の長さあるいは有無といった多型を連鎖解析することにより多数の分子マーカーをゲノムの全領域に迅速に作成することができる。ゲノム解析においては、染色体上のおおよその位置と塩基配列情報がわかっている短い配列であるsequence tagged sites(STSs)が不可欠であるが、RAPD法により作成されたマーカーについて、多型を示す断片をクローン化し塩基配列決定することによりこのSTSを効率よく作成することができる。さらに、連鎖地図作成に通常用いられるRFLP(restriction fragment length polymorphism)法とは根本的に原理が異なるため、RFLPマーカーの設定しにくい領域であってもRAPDマーカーであれば得られる可能性がある。

 本章では、日本稲・日本晴とインド稲・カサラスのF2集団を材料に用い、60個の合成ランダムプライマーを通常行われる単独での使用のほか2個ずつ組み合わせて反応に用いた。また、RAPD反応産物のクローン化を容易にするために、それぞれのランダムプライマーの5’側に制限酵素BamHIの認識配列を含む10塩基を付加したクローニング用プライマーを作成した。結果として、イネの12本の染色体上に102個のRAPDマーカーを作成し、うち86個をSTS化することができた。RAPDマーカーはイネの全染色体から得られており、その一部はこれまでRFLPマーカーの存在していなかった領域にも位置づけられた。このことから、分子マーカーによる連鎖地図を作成する際にはRFLP法とRAPD法という原理的に全く異なった手法の併用が有効であることが確かめられた。

 しかしながら、イネの連鎖地図には10-20cM(センチモルガン)にわたってマーカーのないいわゆるギャップ領域がいまだに存在している。また、有用遺伝子のマップベースト・クローニングのためにはゲノム上の特定の領域に密にマーカーを作成する必要が生じてくる。そこで第2章では、バルク法(bulked segregant analysis)を用いた領域特異的なマーカー作成を試み、感光性遺伝子Se-1の存在するイネ第6染色体中流域の約30cMの領域を標的としてRAPDマーカーを設定した。バルク法とは、F2などの分離集団を構成する個体のDNAを、目的の座位における各個体の遺伝型に着目してグループ分けして混合し、目的の座位周辺に由来するDNAレベルの違いをバルク間の多型として検出する方法である。本章では、日本稲・日本晴とインド稲・カサラスのF2集団を用いて、まず第一の方法として、標的とする領域(約30cM)の両端および中央に位置する3つのRFLPマーカーの遺伝型に従って2つのプールを作成した。この方法では狭い標的領域を正確に設定することが困難であるため、さらに第二の方法として、イネゲノムチームの高密度連鎖地図をもとに作成した「グラフィカルジェノタイプ」に基づいてもう一組のプールを作成した(標的領域は約14cM)。これらのDNAプールを鋳型としてRAPD解析を行い、得られた多型断片をマップした。

 結果として、80個のランダムプライマーを単独および2個ずつの組み合わせで用いて、2404通りのスクリーニングを行い、感光性遺伝子Se-1に強く連鎖するRAPDマーカー14個を得た。また、グラフィカル・ジェノタイプを参照してバルク作成を行うことにより、より正確に標的領域設定ができた。得られたマーカーについては第1章と同様にして多型断片のクローン化と塩基配列決定によりSTS化を行った。この結果は感光性遺伝子Se-1のマップベースト・クローニングに向けての詳細な物理地図作成に有用である。

 目的とする遺伝子の近傍にマーカーを作成する手法としてバルク法が有効であることは確かであるが、領域がさらに限定されて数cMあるいは数百kbとなった場合、その領域に新たにマーカーを作成するためには、莫大なスクリーニングが必要となるバルク法は現実的ではない。第3章では、このように非常に狭い領域を対象とする場合の分子マーカー作成の方法として、プラスミドベクターを用いたサブクローニングとサザンハイブリダイゼーションの技術を用いて、酵母人工染色体(YAC)クローンから直接RFLPマーカーを作成する新しい手法、saturation mapping with subclones of YACs(SMSY)の確立と、その応用によるイネいもち病抵抗性遺伝子Pi-b座へのマーカー作成を行った。有用遺伝子のマップベースト・クローニングのためには、連鎖地図上で目的の遺伝子の両側に、かつ物理的に非常に近い位置に存在するDNAマーカーを得ることが必要不可欠である。そこで本章では、連鎖地図上に位置づけられたYACクローンを利用し、YACから直接RFLPマーカーを作成することを検討した。本法の検討と確立にあたり、日本晴由来のYACライブラリより選抜したYACクローンを使用し、日本晴-カサラス、感受性の日本型品種ササニシキにPi-bセグメントを導入した準同質遺伝子系統である東北IL-9号とササニシキとの間で使用できるRFLPマーカーの作成を試みた。具体的には、Pi-bをカバーする2個のYAC DNAを分離し、プラスミドを用いてサブライブラリを作成し、クローンの中からイネ由来でありかつRFLPプローブとして適当なものを選抜して日本晴-カサラスの集団で連鎖解析を行い位置を決定した。その後、東北IL-9号とササニシキの間でも多型が生ずるかどうかを調べた。その結果、ゲノム全体の約0.2%を占める非常に狭い領域内に22個のRFLPマーカーを作成することができ、そのうち17個が東北IL-9号とササニシキの間でも多型を生じた。また得られたマーカーの物理的分布を調べたところ、マーカーは用いたYAC断片上からほぼまんべんなく得られていることがわかった。この結果から、目的の遺伝子をカバーするYACを用いて、マップベースト・クローニングの前段階としての詳細な遺伝地図および物理地図の作成が可能であることが示された。

 以上のとおり、本研究ではイネにおける高密度遺伝地図の作成、および有用遺伝子の単離を目的として、ゲノム上の特定の領域に分子マーカーを作成する系の確立を試み、結果として、RFLP法ではマーカーの作成されにくい領域(第1章)、数十cM程度の標的領域(第2章)、数cMあるいは数百kbの標的領域(第3章)のそれぞれについて、RAPD法、バルク法、SMSY法を応用・開発して多数の分子マーカーを作成することができた。本研究で標的として用いた感光性遺伝子Se-1およびいもち病抵抗性遺伝子Pi-bについては、今後本研究で得られた分子マーカーを利用してコスミドを用いた詳細な物理地図を作成し、さらに当該領域から発現する遺伝子をcDNAライブラリから探索して候補遺伝子を決定するなどして単離を行う予定である。

審査要旨

 イネは、ゲノムサイズが小さく、知見の蓄積、そして経済的重要性を兼ね備えた、単子葉植物のゲノム解析のモデルとして最適な植物である。ゲノム研究において望まれているのは農業上有用な遺伝子、あるいは生物学的に興味深い遺伝子の単離である。遺伝子単離の有望な戦略の一つである「マップベースト・クローニング」を行う過程においては、狭められた候補領域に高密度の分子マーカーが存在することが求められる。本研究は、近年考案された各種の手法や独自に開発した手法を利用し、イネ染色体上の有用遺伝子近傍に効率よく分子マーカーを設定することを目的として実施された。

 本論文は研究の背景を述べた「序論」、および「総括と展望」のほか三章からなっている。

 第一章では、合成ランダムプライマーを用いて低いアニーリング温度でPCRを行うrandom amplified polymorphic DNA(RAPD)法を用いて、イネ全染色体を対象に分子マーカーの作成を行った。すなわち、日本稲・日本晴とインド稲・カサラスのF2集団を材料にし、60個の合成ランダムプライマーを、単独および2個ずつ組み合わせて反応に用い、結果として、イネの12本の染色体上に102個のRAPDマーカーを作成し、うち86個について多型断片の塩基配列を決定してSTS(sequence tagged sites)化することができた。得られたRAPDマーカーの一部がこれまでRFLPマーカーの存在していなかった領域にも位置づけられたことから、分子マーカーによる連鎖地図を作成する際にはRFLP法とRAPD法の併用が有効であることが確かめられた。

 第2章では、バルク法、すなわち、F2などの分離集団を構成する個体のDNAを、目的の座位における各個体の遺伝型に着目して分類し、目的の座位周辺に由来するDNAレベルの違いを多型として検出する方法を用いた領域特異的なマーカー作成を実施した。すなわち、感光性遺伝子Se-1に関して形質の異なる日本稲・日本晴とインド稲・カサラスのF2集団を用いて、2通りのDNAバルクを作成し、これらを鋳型としてRAPD解析を行い、得られた多型断片をマップし、Se-1の存在するイネ第6染色体中流域の約30cMの領域を標的としてRAPDマーカーを設定した。80個のランダムプライマーを単独および2個ずつの組み合わせで用いて、2404通りのスクリーニングを行い、感光性遺伝子Se-1に強く連鎖するRAPDマーカー14個を得た。得られたマーカーはすべてSTS化を行い、感光性遺伝子Se-1のマップベースト・クローニングに向けての詳細な物理地図作成に供している。

 第3章では、領域がさらに限定されて数cMあるいは数百kbとなった場合の分子マーカー作成の方法として、連鎖地図上に位置づけられた酵母人工染色体(YAC)クローンから直接RFLPマーカーを作成する新しい手法(Saturation mappinng with subclones of YACs、SMSY)を確立し、イネいもち病抵抗性遺伝子Pi-bへのマーカー作成を行った。日本晴由来のYACライブラリより選抜したPi-bをカバーする2個のYACクローンからYAC DNAを分離してサブクローンライブラリを作成し、クローンの中からイネ由来でありかつRFLPプローブとして適当なものを選抜して日本晴-カサラスの集団で連鎖解析を行い位置を決定した。その後、いもち病のマッピングに使用する系統である東北IL-9号とササニシキの間でも多型が生ずるかどうかを調べた。その結果、ゲノム全体の約0.2%という非常に狭い領域内に22個のRFLPマーカーが作成され、うち17個が東北IL-9号とササニシキの間でも多型を生じた。また得られたマーカーは用いたYAC断片上にほぼまんべんなく分布していた。この結果から、目的の遺伝子をカバーするYACを用いて、マップベースト・クローニングに必要な詳細な遺伝地図および物理地図の作成が可能であることが示された。

 以上のとおり、本論文はイネにおける高密度遺伝地図の作成、および有用遺伝子の単離を目的として、ゲノム上の特定の領域に分子マーカーを作成する系の確立を試み、結果として、RFLP法ではマーカーの作成されにくい領域(第1章)、数十cM程度の標的領域(第2章)、数cMあるいは数百kbの標的領域(第3章)のそれぞれについて、RAPD法、バルク法、SMSY法を応用・開発して多数の分子マーカーを作成し、これらの手法が有用遺伝子取得のための詳細な遺伝地図・物理地図の作成に有用であることを示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきと判定した。

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