学位論文要旨



No 213053
著者(漢字) 後藤,茂子
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,シゲコ
標題(和) 下水汚泥長期連用土壌における重金属および窒素の挙動解析
標題(洋)
報告番号 213053
報告番号 乙13053
学位授与日 1996.11.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13053号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨

 我が国の下水道の普及率は年々上昇し、下水処理施設から排出される汚泥の量も増大の一途をたどっている。この増大する汚泥の処分方法の一つとして緑農地への還元・利用に関心が持たれて久しい。下水汚泥中に含まれる成分の起源の多くは、農業という生産活動により得られた食料にある。このことからも下水汚泥が肥料あるいは土壌改良剤として食料生産の場である土壌に戻され、再び生産に寄与することが可能であれば、それは自然界の物質循環機能の中でなされる好ましい「廃棄物」の処分方法といえる。

 下水汚泥を緑農地に還元・利用するにあたり、現状で最も大きな問題は、下水汚泥中に含まれる重金属の土壌への蓄積であるといわれている。土壌の汚染は、大気や水の汚染とは異なり、一度汚染されるとその状態が長期間に及び、回復は容易ではない。またそこが食料生産の場であることから人間の健康にも影響が及ぶことが危惧される。こうした危険を避けるためには合理的なガイドラインやモニタリングシステムが必要である。現在、我が国では下水汚泥を緑農地に還元する場合、土壌への重金属の蓄積防止のため管理基準として、土壌中亜鉛含有量について乾土当り120mgkg-1以下のガイドラインがあるが、この基準値が我が国の下水汚泥の緑農地還元の推進にとって大きな問題とさえなっている。

 本研究では、合理的なガイドラインやモニタリングシステムの確立のための基礎的知見を得ることを目的に、下水汚泥長期連用条件下での肥効成分である窒素と、有害成分である亜鉛および銅の土壌-植物系における挙動について解析した。

 17年間に亘る下水汚泥の長期連用圃場試験を行った結果、下水汚泥の連用によって上層土(0〜10cm)中の全亜鉛含有量は年々増加し、下水汚泥施用前におおよそ120mgkg-1あった値は250〜350mgkg-1に達していた。上層土中の亜鉛は下方へ移行しており、中層土(10〜20cm)と合算してみると、下水汚泥とともに施用された亜鉛のほとんどは、上層土および中層土中に留まっていることが明かとなった。この下方への移行は、耕作による上層土と中層土の混合および溶脱が考えられたが、下層土(20〜30cm)の全亜鉛含有量から下方への溶脱は明かにはできなかった。また、乾燥汚泥を4年間施用し、その後13年間は化学肥料を施用した区の土壌では依然として高い亜鉛の残留がみられ、一度土壌に入った亜鉛は容易には減少しないことを示した。銅についても亜鉛同様、上層土への蓄積、下方(中層土)への移行が認められたが、亜鉛ほど明瞭ではなかった。

 0.1N塩酸、酢酸アンモニウム(pH4.8)およびAB-DTPA(pH7.6)を用いて土壌中の可溶性画分の亜鉛および銅の含有量および植物体(オオムギおよびトウモロコシ)地上部中の含有量を測定し、土壌-植物系での亜鉛および銅の挙動について解析した。亜鉛について三つの溶媒抽出を比べると、0.1N塩酸およびAB-DTPAでの抽出割合が高く、各々おおよそ4〜34%および2〜32%であった。これに対して酢酸アンモニウムではおおよそ1〜17%であった。土壌中の可溶性画分の亜鉛含有量は下水汚泥の連用によって高められ、また、全量に占める割合も対照(化学肥料施用)区に比べ多かった。これらのことは下水汚泥の連用によって土壌中の全亜鉛含有量の高まりもある一方で、その存在形態が溶媒で抽出されやすい形になっている可能性を示唆した。下層土中の可溶性画分の亜鉛含有量は三つの抽出法のほとんどで対照区の上層土より高く、このことは先の下層土中の全亜鉛含有量では明かにできなかった下方への溶脱が確かなことを示していた。銅では亜鉛ほど明瞭ではないが同様な傾向がみられた。しかし、植物体地上部中の亜鉛および銅の含有量には下水汚泥連用区と対照区との間に差はほとんどなかった。このことは下水汚泥の連用によって、土壌中の全亜鉛や全銅の含有量や、可溶性画分での含有量は増加しても、その土壌に生育する植物体地上部の含有量にはほとんど影響しないことを示した。

 土壌-植物系での亜鉛の挙動についてより詳細に検討するため、亜鉛含有量の異なる3種の活性汚泥を調製し、これを下水汚泥未施用土壌に施用し、コマツナを栽培してポット試験を行った。活性汚泥は実際の下水処理施設の返送汚泥および沈殿下水を用い、異なる量の亜鉛を添加して、73日間馴致培養して調製した。3種の活性汚泥の亜鉛含有量は、分析の結果858、2200、5400mgkg-1であった。ポット試験の結果、土壌中の全亜鉛含有量は、施用した活性汚泥の亜鉛含有量に伴って増加した。また、この増加はAB-DTPA可溶性画分の亜鉛含有量の増加に明瞭に現われたが、不溶性画分では増加しているとの判断はできなかった。コマツナ地上部の亜鉛含有量は施用した活性汚泥の亜鉛含有量に伴って増加し、また、土壌のAB-DTPA可溶性画分の亜鉛含有量との間には高い相関があることが見い出された。これらの事実は活性汚泥とともに加えられた亜鉛が、コマツナに容易に利用され、またコマツナは主に活性汚泥からの亜鉛を吸収したことを示唆した。しかしながら、AB-DTPA可溶性画分の亜鉛含有量は活性汚泥分解処理期間とは関わりなくほぼ一定であったが、コマツナの亜鉛含有量は分解処理期間が長くなるのに伴って減少し、AB-DTPA可溶性亜鉛は必ずしもコマツナ可給態亜鉛とは一致しないと考えられた。

 二市の試料により下水汚泥の15N自然存在比を調べたところ、+9.3‰と+15.3‰となり、両市の15N値には差があったが、これは種汚泥の違いに起因するものと思われた。しかしいずれの市の下水汚泥も土壌(+6.5‰前後)および化学肥料(0‰前後)に比べて明かに高い値であった。下水汚泥の長期連用圃場試験の結果、+15‰前後の下水汚泥を13年間連用した土壌の115N値は、対照区の下水汚泥未施用土壌とほとんど違いはなく、下水汚泥の15N値には影響されなかった。一方この下水汚泥長期連用試験圃場で生育したオオムギの15N値は、施用した下水汚泥あるいは化学肥料と各々近い値となった。しかし下水汚泥連用区のオオムギの15N値は生育初期、生育盛期には高い値を示したが、収穫期には低値となった。また、オオムギの古い葉身は新しい葉身に比べ高い15N値を示した。これらの結果は、オオムギは土壌中に初めから存在した窒素よりも下水汚泥由来あるいは化学肥料由来の窒素をより高い割合で吸収したことを示していた。また、生育の初期、生育盛期から収穫期にかけての変化は、ひとつには下水汚泥由来の窒素の供給が十分でなくなったこと、もうひとつには下水汚泥分解の進行に伴って窒素が植物に利用されにくい形態に変化したことの二つが考えられ、その結果、土壌窒素への依存が強まったと考えられた。

 15N値が+6.3‰の下水汚泥未施用土壌に、それよりも明らかに高い+10.6‰の活性汚泥を施用しポット試験を行った。活性汚泥を施用した土壌で34日間栽培したコマツナの15N値は活性汚泥の値に近い値(+10.2〜12.6‰)であり、また、対照(化学肥料施用)区ではコマツナの15N値は化学肥料の値に近く(-1.9〜+1.7‰)、コマツナは土壌窒素よりも、活性汚泥施用区では活性汚泥由来の、また、対照区では化学肥料由来の窒素を高い割合で吸収したと考えられた。活性汚泥中窒素のコマツナに対する有効性は、土壌中での活性汚泥の100日間分解処理後においても影響を受けなかった。また、活性汚泥の亜鉛含有量の違いは窒素の吸収に影響しないと考えられた。

 さらに下水汚泥と化学肥料の併用のポット試験の結果、コマツナの15N値は各々の中位の値となり、併用によって植物は両者の窒素をほぼ均しく吸収したが、下水汚泥を長期間(160日間)分解処理すると、化学肥料より下水汚泥由来窒素をより高い割合で吸収したことが明かになった。

 下水汚泥長期連用土壌を用いた同様のポット試験の結果、160日間の下水汚泥分解処理のコマツナでは生育期間が長くなると、15N値が下がって土壌の値に近づき、土壌窒素への依存があると考えられた。下水汚泥連用土壌に施用された下水汚泥由来の窒素は、下水汚泥分解の進行に伴って植物が利用しにくい形態に変化し、ひいては土壌窒素にも早く取り込まれることが考えられた。

 下水汚泥長期連用試験の結果は、土壌中の亜鉛含有量が基準値(120mgkg-1)を遥かに越え300mgkg-1以上に達しているにもかかわらず、そこに生育した植物体地上部には、対照区と同程度の亜鉛しか吸収されておらず、土壌中の亜鉛含有量に起因する障害はないと考えられた。下水汚泥の緑農地還元に関するガイドラインについては、本研究結果から、植物に対する毒性影響の発現しない限界値に安全率を掛けた値を基準値として設定することができると考える。今後、指標とする植物の選抜が必要であろうし、植物可給態を反映する適切な土壌の抽出法の確立が必要であろう。

審査要旨

 下水道の普及に伴って増加する汚泥の一部は緑農地に利用する形で処分されているが、この処分法では下水汚泥中に含まれる重金属の土壌への蓄積が問題となっている。土壌-植物-動物・人間系での重金属障害の発生を避けるためには、汚泥の農地利用に関する合理的なガイドラインやモニタリングシステムの確立が必要であり、本研究は、そのための基礎的知見を得ることを目的に実施されたもので、4章からなる。

 第1章では日本における下水汚泥利用の現状と研究の目的が述べられている。

 第2章では下水汚泥中の有害成分である重金属の土壌中での挙動について1978年に開始し、現在も継続中の長期連用試験を中心に研究した結果が述べられている。下水汚泥の長期連用土壌中の亜鉛、銅の蓄積経過を観察し、下水汚泥の施用によって上層土(0〜10cm)の全亜鉛含有量は増加していること、下水汚泥とともに施用された亜鉛の多くは、表層から20cmまでの土層に留まっていることを明かにした。また、下水汚泥の施用を4年間で停止し、その後化学肥料を施用している土壌でも高い亜鉛の残留がみられ、一度土壌に入った亜鉛は14年程度では減少しないことを示した。銅も亜鉛ほど明瞭ではないが類似の傾向を示した。

 土壌中の0.1N塩酸、酢酸アンモニウム、AB-DTPA可溶性画分の亜鉛と銅の含有量を調べたところ、下水汚泥連用によって土壌中に蓄積した亜鉛や銅は、可溶性の形態で多く存在していた。また、汚泥施用区の下層土の可溶性亜鉛含有量は対照区の上層土より明らかに高く、亜鉛は18年間に汚泥施用区上層から下層へ溶脱することが示唆された。一方、植物体地上部の亜鉛や銅の含有量は処理区間で差はほとんどなく、下水汚泥の連用により土壌中の亜鉛含有量が基準値(120mgkg-1)をはるかに越えていても、また、可溶性画分での含有量が増加していても、そこに生育した植物体地上部の亜鉛含有量の顕著な増大はなく、これに起因する障害はないことが明かにされた。

 土壌-植物系での亜鉛の挙動をより詳細に検討するため、亜鉛含有量が858、2200、5400mgkg-1の3種類の活性汚泥を調製して下水汚泥未施用土壌に施用し、コマツナのポット栽培試験を行った。その結果、汚泥を施用した土壌中の全亜鉛含有量は、施用汚泥の亜鉛含有量が高くなるに伴い増加したが、その増加は主として可溶性亜鉛の増加として示され、汚泥施用にともなう不溶性亜鉛の増大はわずかであった。コマツナ地上部の亜鉛含有量はAB-DTPA可溶性画分の亜鉛含有量との間に高い相関を示し、コマツナは主に活性汚泥から亜鉛を吸収したことが明らかになった。しかし、活性汚泥の土壌中での分解処理期間が長くなるのに伴ってコマツナの亜鉛含有量は減少したが、AB-DTPA可溶性亜鉛は減少しないなど、AB-DTPA可溶性亜鉛量とコマツナ可給態亜鉛量とは必ずしも一致しないことから、可給態亜鉛定量のための抽出法の検討の必要性が指摘された。

 第3章では下水汚泥中の窒素の挙動について15N自然存在比の比較による解析を行った。すなわち、汚泥窒素は重窒素含有量が高く、化学肥料窒素は空気窒素同様に低く、土壌窒素はその中間的な値を示す。これを利用すると、植物に吸収される窒素の起源が汚泥、化学肥料、土壌のいずれであるかが解明される。

 下水汚泥長期連用試験圃場の汚泥連用土壌の15N値は、化学肥料連用土壌のそれと差はなかったが、それぞれの圃場で生育したオオムギの15N値は、施用した下水汚泥あるいは化学肥料に近い値を示した。このことはオオムギは土壌窒素よりも下水汚泥由来あるいは化学肥料由来の窒素をより高い割合で吸収したことを示している。また、汚泥連用土壌のオオムギの15N値は生育初期、生育盛期には高く、収穫期には低くなり、古い葉身は新しい葉身に比べ高い15N値を示した。これらは汚泥由来の窒素が土壌中で植物が利用しにくい形態に変化したことを示している。

 また、下水汚泥未施用土壌に、活性汚泥を施用しコマツナのポット栽培試験を行った結果、圃場試験同様、コマツナは土壌窒素よりも、活性汚泥由来あるいは化学肥料由来の窒素を高い割合で吸収していた。さらに下水汚泥と化学肥料の併用試験の結果、併用によってコマツナは両者の窒素をほぼ均しく吸収するが、下水汚泥をコマツナ栽培開始前に長期間分解処理すると、化学肥料より下水汚泥由来窒素をより高い割合で吸収した。下水汚泥連用土壌に施用された下水汚泥由来の窒素は、栽培期間中の下水汚泥分解の進行に伴って植物が利用しにくい形態に変化すると推定された。

 第4章では研究成果を総括し、現行のガイドラインに代えて、植物に対する毒性影響の発現しない限界値に安全率を掛けた値を汚泥施用の限界基準値として設定することを提案している。

 以上、本論文は下水汚泥の長期連用試験とそれに関連したポット試験により、土壌-植物系での汚泥由来の重金属や窒素の挙動を解明し、それらの結果、現行のガイドラインに代わる限界基準値設定の方法を提案したものであり、学術上、応用上貢献するところは少なくない。よって審査委員一同、申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきと判定した。

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