学位論文要旨



No 213065
著者(漢字) 向井,人史
著者(英字)
著者(カナ) ムカイ,ヒトシ
標題(和) 日本-大陸間における大気粉じん成分の長距離輸送に関する研究
標題(洋)
報告番号 213065
報告番号 乙13065
学位授与日 1996.11.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13065号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,基之
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 助教授 尾張,眞則
 東京大学 助教授 迫田,章義
 東京大学 講師 江頭,靖幸
内容要旨

 日本と大陸間の大気汚染物質の長距離輸送に関しては、ヨーロッパの酸性雨問題が顕在化して遅れること10年やっと80年代後半になって日本でも注目されるに至った。本研究においては日本-大陸間で越境輸送される大気粉じんに着目し、その実態を把握するために、日本海にある隠岐島を選びそこで7年間の長期的なモニタリングを行い粉じん成分の挙動を観測した。この島は、大陸と日本の間にあるので両方からの汚染の輸送を調べるのに良い位置である。

 大気粉じん成分の中でも特に無機成分(イオンや金属成分)を月毎に観測し、その平均濃度や元素毎の季節的変動を調べた。これにより、隠岐島が黄砂の影響を特徴的に強く受けていることがわかった。同時に汚染と考えられる非海塩性の硫酸イオン濃度や他の汚染元素濃度も季節変化を持ち、東アジアの季節風の動きに対応した汚染成分の動きが観測された。これらの季節変化や元素毎の相関関係を基にその発生源などが推定され、特に非海塩性硫酸イオンはVやNiと相関を持ち、夏期に増加していることから、日本の重油燃焼の寄与が大きいことがわかった。一方、鉛や砒素などは冬期に高く北西季節風との関係が推定された。また夏期と冬期において短期的な集中観測を行い、気象条件といくつかの汚染成分との関連、またイオン成分の粒径分布や硫酸の形態などを詳細に調べられた。その結果、気団によって汚染成分濃度が変化することが明らかになり、そのパターンは上記の季節変化を説明できるものであった。

 バックグラウンド地域での汚染を扱う場合には、自然起源の発生源も相対的に重要になるためいくつかの元素で自然起源の寄与の程度を調査した。例えば黄砂は土壌起源元素の濃度をほとんど決めていると考えられた。非海塩性の硫酸に関しては特に桜島の粉煙と生物起源のDMS(ジメチルサルファイド)からの寄与が検討された。桜島の粉煙に関しては、その規模から考えても大きいものであり、隠岐の非海塩性硫酸濃度を増加させていると考えられた。DMSの寄与はあまり大きくなく、春先にその寄与が最大10%程度になると考えられた。また砒素に関しても生物的発生源からの寄与は夏期に最大10%と見込まれ、あまり大きいものではなかった。

 以上の観測を踏まえ長距離輸送現象に関して大気物理的な解析を行った。気象条件特に気団と元素の動きとの関連を調べるために、流跡線解析を導入し大気の動きをセクター毎に区分した。これによって、隠岐に於ける風の季節変化が示され、汚染成分との関連性が議論できた。そこで気団毎に汚染成分の代表濃度(Xj)を与え、気団の頻度(Sj)と掛け合わせることで月平均値が表されるというモデル式を立てた。さらに、降雨の効果を加え元素の変動をモデル式で説明することを試みた。モデル式は以下のように表された。

 

 ここでjはjセクタでの晴れの日の割合(1ヶ月中)、jは雨の日の割合、Pはjセクタの平均降雨量(mm/day)、Aは適当な定数である。この式を各月毎に立てることによって、連立方程式を得、実際の値と計算値が最も良く合うようなXj及びAを求めた。

 この結果、観測値と推定値の予測は良く一致し、観測された元素毎の3年間の変動は、気団の変化や降雨、発生源強度の地域特性でうまく表されることがわかった。ここで得られた、発生源強度の地域特性はこれまでの観測や報告と合致するものであった。これにより、隠岐島に輸送されてくる汚染成分の地域別の寄与率を定量的に計算することができた。例えば、鉛や砒素は大陸からの寄与が70-80%であり、Vは日本からの寄与が多く60%程度であった。

 一方、汚染の長距離輸送を化学的(むしろ定性的)に示す方法を考案することを試みた。これまでいくつかの元素の季節変動が注目され、特に鉛と亜鉛の比や非海塩性硫酸とVの比などの季節変化がその発生源の違いを示すトレーサーとしてあげられた。また鉛に関しては同位体比が古くから調べられているが、アジアの長距離輸送の指標として使えるかどうかをここで詳細に検討した。その結果、アジアの各都市では鉛の起源の違いから、都市毎に特徴ある同位体比を持っていることがわかった。隠岐島での観測によって、これらのトレーサーを用いることで、明確に日本からの汚染と大陸からの汚染を区別することができることが初めてわかった。すなわち、隠岐島の大気中鉛同位体比は日本からの気団が訪れている場合は、日本の鉛同位体比になっていた。一方、北西季節風が吹く場合は日本の鉛同位体比とはならず、中国や韓国やロシアの鉛同位体比を示した(図1)。従って鉛同位体比は、越境汚染を化学的に検出できる方法として非常に有効であることが示された。

図1 隠岐島で観測された鉛同位体比

 以上のことで、定量的にも定性的にも日本-大陸間の大気粉じん成分の長距離輸送について明らかにされたと考えられるが、最後に応用問題として、上記のモデルを硫酸塩の降下量の推定に適用することを試みた。硫酸塩は酸性雨の主な原因として重要であり、その降下がどこからの汚染に依っているか、またその程度がどのくらいであるのかを推定することは非常に重要である。ここでは、降雨の効果を降下量と結びつけることによって降下量の変動を表した。大気中濃度と降水中濃度を両方満足するようなパラメータを決定してやることにより、うまく両者を説明できることがわかった。この式から、降下量への各地域からの寄与率も計算でき、大陸の硫黄酸化物の発生量が2倍になった時の濃度と降下量の増加率は概略60%と40%と見積もられた。

審査要旨

 日本と大陸間の大気汚染物質の長距離輸送の研究は、今後の大陸における工業化の進行を考慮するとわが国の将来に重要な意味を有する。本論文においては日本-大陸間で越境輸送される大気粉じんに着目し、その実態を把握するために、長期間の実測と測定値のモデルによる解釈手法を提案し、長距離輸送に関する取り扱いの先鞭となる成果を挙げたものである。

 第一章においては、この種の問題に関する国際的な取り扱いのレビューを行い、本論文の構成を示している。

 第二章においては、日本海にある隠岐島において7年間の長期的なモニタリングを行い大気粉じん成分の挙動を観測した結果を示している。元素の変動の特徴や元素の相互関係、各地との比較、トレンドの検討から、アジア大陸の乾燥地の土壌関連元素が高いこと、季節変動の解析から人為起源物質の長距離輸送の寄与を推定している。また、短期的トレンドから各種元素の変動が気団によって大きく左右され、鉛、硫酸塩などの飛来方向が明確となっている。特に無機成分(イオンや金属成分)を月毎に観測し、その大気濃度や元素毎の季節的変動を長期的に調べた。汚染と考えられる非海塩性の硫酸イオン濃度や他の汚染元素は季節変化を持ち、東アジアの季節風の動きに対応していた。これらの季節変化や元素毎の相関関係を基にその発生源などが推定され、特に非海塩性硫酸イオンはVやNiと相関を持ち、夏期に増加していることから、日本の重油燃焼の寄与が大きいことがわかった。一方、鉛や砒素などは冬期に高く北西季節風との関係が推察された。夏期と冬期において行われた集中観測により、気象条件と汚染成分との関連、また粒径分布や硫酸の形態などが調べられた。その結果、隠岐島に飛来する気団に対応して汚染成分濃度が変化することが明らかになり、その変化パターンは上記の季節変化をうまく説明するものであった。

 第三章においては、バックグラウンド地域での汚染を扱う場合に重要となる自然起源の発生源の検討を行っている。黄砂は大気中土壌起源元素の濃度をほとんど決めていると考えられた。非海塩性の硫酸に関しては特に桜島の噴煙と生物起源のDMS(ジメチルサルファイド)からの寄与が検討された。桜島の噴煙は、春期に移動性高気圧の後面の風によって隠岐島に輸送され非海塩性硫酸濃度を増加させていることが観測された。輸送の回数は多くはないが濃度が高いため全体に対するその寄与は大きいものと推定された。DMSからの寄与はあまり大きくなく、春先にその寄与が最大10%程度になるとしている。

 第四章においては、以上の観測を踏まえ長距離輸送現象に関して大気物理的な解析を行った。気象条件特に気団と元素の動きとの関連を調べるために流跡線解析を導入し、飛来する気団をセクターに区分された地域からの大気気塊として分類推計した。気団毎に汚染成分の代表濃度(Xj)を与え、気団の頻度と掛け合わせることで月平均値が表されるというモデルを立てている。降雨の効果をモデル中に加え、元素の月別変動を気団の変化と気団毎の濃度、降雨の状況と言う観点から説明することを試みた。37個の個々のモデル式と実際の値が最も良く合うようなXj及び各パラメータを求めた。この結果、観測値と推定値の予測は良く一致し、観測された元素毎の3年間の変動は、気団の変化や降雨、発生源強度の地域特性でうまく表されることがわかった。ここで得られた、発生源強度の地域特性はこれまでの観測や報告とうまく合致するものであった。これにより、隠岐島に輸送されてくる汚染成分の地域別の寄与率を定量的に計算することができた。例えば、鉛や砒素は大陸からの寄与が70-80%であり、Vは日本からの寄与が多く60%程度であることを示した。

 第五章においては、汚染の長距離輸送を化学的に示す方法を考案することを試みた。特に鉛と亜鉛の比や非海塩性硫酸とVの比などの季節変化がその発生源の違いを示すトレーサーとしてあげられた。鉛に関しては同位体比がアジアの長距離輸送の指標として使えるかどうかを検討した。その結果、アジアの各都市では鉛の起源の違いから、都市毎に特徴ある同位体比を持っていることがわかった。隠岐島での観測によって、これらのトレーサーを用いることで明確に日本からの汚染と大陸からの汚染を区別することができることが初めてわかった。隠岐島の大気中鉛同位体比は日本からの気団が訪れている場合は、日本の鉛同位体比になっていた。一方、北西季節風が吹く場合は日本の鉛同位体比とはならず、中国や韓国やロシアの鉛同位体比を示した。従って鉛同位体比は、越境汚染を化学的に検出できる方法として非常に有効であることが示された。これらの、トレーサを基に鉛や硫酸塩の大陸からの寄与率の推定を試みたところ、上記のモデルの結果と概略一致した。

 第六章においては、さらに応用問題として、上記のモデルを硫酸塩の降下量の推定に適用することを試みた。硫酸塩は酸性雨の主な原因として重要であり、その降下がどこからの汚染に依っているか、またその程度がどのくらいであるのかを推定することは非常に重要である。非海塩性硫酸の大気中濃度と降下量の実測値に合うように式中のパラメータを決定することで、うまく両者の変動を式で表すことができた。この式から、観測期間中隠岐島に降下した非海塩性硫酸の約40%程度が大陸起源であると見積もられた。桜島の寄与は大きく最大20%程度であった。また東日本の寄与はほとんどなく、西日本からの寄与が国内の寄与のほとんどであると推定している。

 第七章は本研究の結論を示しており、得られた結果の要約と流跡線解析の有効性について言及している。

 以上要するに、本論文は大陸と日本の間の大気粉塵の長距離輸送に着目し、長期にわたる観測に基づく長期的変動、短期的変動の測定結果を流跡線モデルなどを用いて解析する手法を提出するとともに、わが国の大気環境に対する大陸の寄与の評価も行うなど、環境化学工学における極めて優れた貢献をするとともに将来の方向性を示している。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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