学位論文要旨



No 213068
著者(漢字) 孔,暁棠
著者(英字) Kong,Xiao-Tang
著者(カナ) コン,シャオウタン
標題(和) 神経芽腫における癌抑制遺伝子DCCの異常
標題(洋) Alterations of Tumor Suppressor Gene DCC in Neuroblastoma
報告番号 213068
報告番号 乙13068
学位授与日 1996.11.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13068号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 助教授 横森,欣司
内容要旨

 大腸癌から単離されたDCC(deleted in colorectal carcinoma)遺伝子は染色体18番長腕21に座位する。これまでゲノムのほぼ全長がクローニングされ、5’側と3’側の非翻訳領域はまだ明らかではないが、4.35kbのopen reading frameをコードしている29個のエクソンが約1.4Mbという大きな領域にわたって存在することが明らかになった。またmRNAは大きさ10-12kbであり、1,447アミノ酸よりなる遺伝子産物は分子量約170-210kdの糖蛋白と推定されている。この蛋白は1,100アミノ酸の細胞外ドメイン、膜通過ドメイン、さらに約325アミノ酸の細胞質ドメインからなっている。細胞外ドメインには4つの免疫グロブリン様ドメイン(Ig-like domain)と6つのフィブロネクチンIII型様ドメイン(FNIII-like domain)があり、アミノ酸配列は神経接着分子(NCAM)と高い相同性を示す。

 DCCの正常機能についての報告はまだ少ないが、mRNAの発現が認められていない大腸癌細胞株に正常ヒト第18番染色体を移入すると細胞間接着性が発現し、細胞増殖速度の低下と、ヌードマウスでの腫瘍形成能の低下が認められている。またDCC遺伝子のアンチセンスRNAをラット由来の不死化細胞株(Rat-1)に導入すると、細胞間接着性の低下、細胞増殖速度の亢進、軟寒天培地でコロニー形成能の獲得、ヌードマウスでの腫瘍形成能の亢進が認められている。以上のこと及びDCCの構造がNCAMに類似していることより、DCC遺伝子は細胞間、細胞基質間の相互作用や、細胞の分化や腫瘍の発生、増殖に関与する癌抑制遺伝子であることが示唆されている。DCC遺伝子はほとんどすべての組織で発現されているが、特に脳及び他の神経組織における発現が強く、神経の分化に重要な働きをすることが最近見いだされて注目されている。

 神経芽腫は末梢交感神経系由来の腫瘍であり、小児悪性腫瘍の中で白血病、脳腫瘍についで発生頻度が高い。神経芽腫は予後により2群に分けられ、high-risk腫瘍は染色体数が近2倍体と近4倍体領域にあり、癌遺伝子N-mycの増幅がみられ。low-risk腫瘍は染色体数が高2倍体と近3倍体領域にあり、N-mycの増幅はない。high-risk腫瘍のうちN-mycの増幅のみられるものは約30%しかないため、他の癌抑制遺伝子の存在が推測されている。近年神経芽腫において1p、11qと14qのヘテロ接合体の欠失(LOH)が報告され、神経芽腫の癌抑制遺伝子の存在が示唆された。我々は神経芽腫81例の検体に対して、ヒト染色体1番から22番とX、Yに多型を有する35座位について、LOHの検討を行った。LOH分析可能例において18q21に座位するDCC遺伝子に比較的高頻度のLOH(31%)がみられ、DCC遺伝子は神経芽腫の発症または進展に関与していることが示唆された。そこで、神経芽腫におけるDCC遺伝子の異常を詳細に検討するため、reverse transcriptase-polymerase chain reactin(RT-PCR)法及びPCR-single strand conformation polymorphism(PCR-SSCP)法を用いて、DCC遺伝子の発現と変異を検索した。

対象と方法1.対象

 神経芽腫細胞株25株、RT-PCR用新鮮腫瘍32検体、コントロールとしての正常細胞10検体(末梢血8、胸腺1、筋肉1)、PCR-SSCP用新鮮腫瘍100検体(そのうちRT-PCRと共用のは11検体)及びこれらの検体が由来した患者の非腫瘍組織22検体(末梢血18、骨髄2、筋肉1、腎臓1)を対象とした。

2.RT-PCR法

 細胞株と腫瘍よりAGTC法を用いてRNAを抽出し、cDNAを作成した。DCC遺伝子の高度保存領域におけるcDNAシークエンスの上に、DCC1とDCC3、DCC2とDCC3の2組のプライマーを作成し、PCRを行った。PCRは94℃1分、56℃-58℃1分、72℃2分で40サイクル行い、PCR産物をアガロースゲルに泳動し、エチジウムブロマイド液で染色してバンドを検出した。また、コントロールとして、-actinも94℃1分、55℃1分、72℃2分で、30サイクルのPCRで増幅した。DCCと-actinの産物をエチジウムブロマイド染色後、ナイロンメンブレンにトランスファーし、32Pを標識したプローブを用いてハイブリダイゼーションを行っい、Phosphimager(BAS2000)でバンドの濃度を測定した。

3.PCR-SSCP法

 神経芽腫細胞株及び新鮮腫瘍に対して、proteinase K-phenol-chloroform法を用いてDNAを抽出し、DCCの25個のエクソンの各々を挟むプライマーを50個作成し、PCRを行った。PCRは32P標識ヌクレオチドを加えた上で、94℃で1分間の変性、各プライマーに至適温度、時間によるアニーリング、および72℃で1分間の伸長反応を1サイクルとし、このサイクルを35回繰り返した。増幅されたDNAの反応液をホルムアミド色素溶液にて10倍に希釈した後、80℃で5分間変性させて、ポリアクリルアミド非変性ゲルで泳動し、ゲルを乾燥された後-80℃で24時間感光させた。

4.直接塩基配列決定法(direct sequencing)

 泳動で移動度に異常のみられたバンドを含むゲル片を切り出して溶解し、溶解液を鋳型DNAとしてPCR-SSCP法で用いたのと同じ条件でPCRを行って増幅した。できたPCR産物はDNA cycle sequencing systemキットを用い、dideoxy chain termination法により直接塩基配列決定を行った。

結果1.神経芽腫におけるDCCmRNAの発現

 RT-PCR法により10例の正常検体ではいずれも233bpと594bpのDCCmRNAが検出されたが、神経芽腫細胞株では25株中3株で消失が、9株で減弱がみられ、計12株(48%)において発現の異常がみられた。32例の新鮮腫瘍では、LOHの解析が可能であった13例中6例に18qのLOHが認められ、この6例中3例にDCCmRNAの減弱を認めた。また32例中14例(44%)においてDCCmRNAの発現の減弱が見られた。発現と神経芽腫の病期の関係についての検討では、病期IとIIの17例中4例(24%)、病期IIIとIVの15例中10例(67%)においてDCC発現の減弱がみられた。DCCmRNAの発現は神経芽腫の病期と有意に相関していた(p=0.036,Fisher’s exact test)。

2.神経芽腫におけるDCC遺伝子の変異

 PCR-SSCP法より神経芽腫細胞株の22株で、DCC遺伝子の29個のエクソン中シークエンスの情報が不十分で、PCRがうまくいかなかったエクソン14,20,21,22を除いた25個で変異を検索し、100例の新鮮腫瘍及びこれらの患者の22例の非腫瘍組織でエクソン3のみの変異を検索した。神経芽腫細胞株ではエクソン2、3、19、及び23に移動度の異なるバンドが認められた。シークエンスを行うと、コドン176、951、1105において、それぞれAAC(Asn)→AGC(Ser)1株、TTT(Phe)→TTG(Leu)2株およびACC(Thr)→ATC(Ile)1株の変異が認められた。コドン118においてアミノ酸変異を伴わない塩基変異GAG(Glu)→GAA(Glu)が4株で見られた。また、細胞株22株中17株(77%)と腫瘍100例中94例(94%)にコドン201のCGA(Arg)→GGA(Gly)変異がみられた。コドン201の変異は22例の非腫瘍組織でも見られ、多型(polymorphism)と考えられた。さらに詳細な解析により、この多型はコドン201Gly variant型(type I)、コドン201Arg野生型(type II)とコドン201Gly/Argヘテロ接合体型(typeI/II)の三種類に分類することができ、神経芽腫においてそれぞれの頻度は57%、37%と6%であった。タイプと病期は有意に相関して、タイプIの病期IVの頻度(72%)は病期Iの頻度(43%)に比べて有意に高率であった(P=0.025,Chi-square test)。また神経芽腫においてタイプIの頻度(57%)は正常者コントロール(17%)より高いことが判明した。

考察と結論

 DCC遺伝子は多くの腫瘍において発現の減弱がみられることから、これらの腫瘍の発生、進展に関与しているとされている。我々は神経芽腫におけるDCCmRNAの発現を検討し、消失・減弱は細胞株で48%、新鮮腫瘍で44%と比較的高い頻度であることをみいだした。さらに進展例における発現の消失・減弱の頻度は非進展例より高いことより、DCC遺伝子は神経芽腫の進展において重要な役割を有することが示唆された。

 LOHが見られた6例中3例でDCCmRNAの発現の減弱が認められた。これは片方のアリルのLOHと別のアリルの変異の結果、DCC遺伝子の発現低下を起こしていると思われた。他の3例にmRNAの発現の減弱または消失を認めなかった原因としては、非腫瘍細胞の混入、欠失していないのアリルが多量のトランスクリプトを産生していた可能性が考えられた。LOHを認めなかった7例中1例に発現の減弱が認められたことは、LOHの他にDCC発現を低下させる別の機序があることが示唆された。

 DCCの発現と変異を同時に検索した神経芽腫細胞株の22株中6株に変異が、10株に発現の低下・消失がみられた。発現異常のみられた10株中2株では同時に変異が認められた。発現異常があった1株にmissense変異がみられ、この変異が発現を低下させる原因であることが示唆された。残る8株に変異がみられなかったことより、変異以外に発現を低下させる機序が想定された。また、コドン201のタイプIが神経芽腫、特に病期IVにおいて比較的高率であったことは、コドン201がArgからGlyに変化することにより細胞接着分子と類似した構造を持つDCC遺伝子の機能に何らかの影響を及ぼしているものと考えられた。

 最近、脳腫瘍においてDCCmRNAの発現が30例中14例で異常がみられると報告された。これらの腫瘍では変異は認めなられなかったが、6例でスプライシングの異常により新しいトランスクリプトが産生され、このために発現が減弱するのではないかとされた。DCCmRNA発現の減弱の機序はまだ明らかになっていないが、本研究の結果を合わせると、LOHと変異の他に、トランスクリプトのスプライシングの異常などがmRNAの発現低下あるいはDCC遺伝子の不活性化を引き起こしていると考えられた。

 今回の神経芽腫におけるDCCmRNAの発現の減弱又は消失、そして翻訳領域に変異の存在等より、DCC遺伝子は神経芽腫の発生、進展に関与していると考えられた。

審査要旨

 神経芽腫において18q21に座位するDCC遺伝子の比較的高頻度のLOHがみられ、DCC遺伝子は神経芽腫の発症または進展に関与していることが示唆された。本研究は、神経芽腫におけるDCC遺伝子の異常を詳細に検討するために、神経芽腫細胞株と新鮮腫瘍の検体を用いてreverse transcriptase-polymerase chain r eactin(RT-PCR)法及びPCR-single strand conformation polymorphism(PCR-SSCP)法により、DCC遺伝子の発現と変異を解析したものである。この研究により得られた主な結果は以下のようなものである。

 1.神経芽腫におけるDCCmRNAの発現

 RT-PCR法により10例の正常検体ではいずれも233bpと594bpのDCCmRNAが検出されたが、神経芽腫細胞株では25株中3株で消失が、9株で減弱がみられ、計12株(48%)において発現の異常がみられた。32例の新鮮腫瘍では、14例(44%)においてDCCmRNAの発現の減弱が見られた。発現と神経芽腫の病期の関係についての検討では、病期IとIIの17例中4例(24%)、病期IIIとIVの15例中10例(67%)においてDCC発現の減弱がみられた。DCCmRNAの発現は神経芽腫の病期と有意に相関していた(p=0.036)。このことより、DCC遺伝子は神経芽腫の進展において重要な役割を有することが示唆された。

 2.神経芽腫におけるDCC遺伝子の変異

 PCR-SSCP法より神経芽腫細胞株ではエクソン2、3、19、及び23に移動度の異なるバンドが認められた。シークエンスを行うと、コドン176、951、1105において、それぞれAAC(Asn)→AGC(Ser)1株、TTT(Phe)→TTG(Leu)2株およびACC(Thr)→ATC(Ile)1株の変異が認められた。コドン118においてアミノ酸変異を伴わない塩基変異GAG(Glu)→GAA(Glu)が4株で見られた。また、細胞株22株中17株(77%)と腫瘍100例中94例(94%)にコドン201のCGA(Arg)→GGA(Gly)変異がみられた。コドン201の変異は22例の非腫瘍組織でも見られ、多型(polymorphism)と考えられた。さらに詳細な解析により、この多型はコドン201Gly variant型(typeI)、コドン201Arg野生型(typeII)とコドン201Gly/Argヘテロ接合体型(typeI/II)の三種類に分類することができ、神経芽腫においてそれぞれの頻度は57%、37%と6%であった。タイプと病期は有意に相関して、タイプIの病期IVの頻度(72%)は病期Iの頻度(43%)に比べて有意に高率であった(P=0.025)。また神経芽腫においてタイプIの頻度(57%)は正常者コントロール(17%)より高いことが判明した。DCCの発現と変異を同時に検索した神経芽腫細胞株の22株中10株に発現の低下・消失がみられた。発現異常があった1株にmissense変異がみられ、この変異が発現を低下させる原因であることが示唆された。残る細胞株にmissense変異がみられなかったことより、変異以外に発現を低下させる機序が想定された。また、コドン201のタイプIが神経芽腫、特に病期IVにおいて比較的高率であったことは、コドン201がArgからGlyに変化することにより細胞接着分子と類似した構造を持つDCC遺伝子の機能に何らかの影響を及ぼしているものと考えられた。

 3. 最近、脳腫瘍においてDCCmRNAの発現が30例中14例で異常がみられると報告された。これらの腫瘍では変異は認めなられなかったが、6例でスプライシングの異常により新しいトランスクリプトが産生され、このために発現が減弱するのではないかとされた。DCCmRNA発現の減弱の機序はまだ明らかになっていないが、本研究の結果を合わせると、変異の他に、トランスクリプトのスプライシングの異常などがmRNAの発現低下あるいはDCC遺伝子の不活性化を引き起こしていると考えられた。

 以上、本論文は神経芽腫におけるDCC遺伝子の発現と変異を検討し、発現の消失・減弱は神経芽腫で比較的高い頻度であることをみいだした。さらに進展例における発現の消失・減弱の頻度は非進展例より高いこと、そして翻訳領域に変異が存在したこと等より、DCC遺伝子は神経芽腫の発生、進展に関与していると考えられた。本研究は、これまでほとんど解明されていなかった神経芽腫におけるDCC遺伝子の重要な役割を明らかにするとともに、小児神経芽腫の発生、進展機序および将来の遺伝子治療に重要な貢献をもたらすものと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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