学位論文要旨



No 213071
著者(漢字) 森,明久
著者(英字)
著者(カナ) モリ,アキヒサ
標題(和) ラット線条体中型有棘神経細胞に入力するシナプス伝達の電気生理学的研究
標題(洋) Electrophysiological Studies of Synaptic Transmission in the Medium Spiny Neurons of the Rat Striatum
報告番号 213071
報告番号 乙13071
学位授与日 1996.11.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13071号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 助教授 山下,直秀
内容要旨

 大脳基底核線条体の中型有棘神経細胞(medium spiny neuron:以下MSNと略す)は、線条体全神経細胞の90%以上を占める唯一の出力細胞である。本細胞は大脳皮質や視床からグルタミン酸作動性の興奮性入力を受け、淡蒼球や黒質にGABA作動性の抑制性の出力を送る。線条体内においてはMSN同志やinterneuronとの間にGABA作動性の抑制回路を形成し、線条体への入力を制御し、淡蒼球や黒質への出力を調節することにより大脳基底核の機能に重要な役割をはたしていることが知られている。しかしながら、大脳皮質からのグルタミン酸作動性繊維が、個々のMSNにどのようなシナプス入力を形成しているのか、また線条体内のGABA作動性抑制回路がどのように調節されているかなど、MSNを中心とする線条体のシナプス機構には尚不明な点が多い。

 そこで本研究では、ラット線条体切片標本において顕微鏡下にMSNを同定し、主にホールセルパッチクランプ法を用いて、1)この神経細胞に入力するグルタミン酸作動性シナプス伝達の解析と、2)GABA作動性シナプス伝達の調節機構について検討を行った。

 グルタミン酸作動性シナプス伝達に対しては素量解析を試み、その結果、MSNが、大きさとpaired-pulse depressionの時間経過が大きく異なる2種類のグルタミン酸作動性シナプス入力を持つことを見いだした。その一つは皮質から入力するシナプスだが、もう一つは線条体内に由来することが明らかになり、線条体内にグルタミン酸作動性のinterneuronが存在することが示唆された(第1部)(図1)。

 また、GABA作動性シナプス伝達の調節機構を検討するにあたり、著者は神経調節因子アデノシンの受容体サブタイプの一つ、アデノシンA2a受容体が、脳内においては線条体のMSNに高濃度かつ特異的に分布していることに着目した。アデノシン受容体サブタイプに特異的な種々の薬物を用いてアデノシンA2a受容体の線条体内GABA回路における役割を検討した。その結果、アデノシンがA2a受容体を介し、MSNへのGABA作動性入力のシナプス前性の抑制的調節因子として働いていることが明らかになった(第2部)。

<第1部:MSNに入力する2種類のグルタミン酸作動性シナプス>

 本研究では、興奮性シナプス後電流(EPSC)を誘発するにあたって、精密に刺激の強さを調節してEPSC誘発の域値を求め、線条体内の1本の繊維のみを刺しunitary EPSCsを得ることを試みた。

1)2種類のEPSC、S-typeとH-type

 unitary EPSCsは解析の結果振幅の大きさが異なる二種類に分類できることがわかった。共にNMDA,non-NMDA両受容体を介するグルタミン酸作動性EPSCで、振幅の小さい方を"S-type"(smallの意)、大きい方を"H-type"(hugeの意)と名付けた。観察したEPSCの大部分はS-typeであったが、同一の細胞で両typeのEPSCを誘発することも可能であった。

2)S-typeシナプスの起源

 S-type EPSCsの振幅は10pAを越えることはなく、またfailureの頻度も高い(約0.6)。このシナプスでは1回の刺激で単一の素量(約4-5pA)しかでないか、もし出たとしてもその確率は低いことが示され、この入力繊維の機能的なシナプスボタンは1つしかないことが推定された。このことは、皮質からの求心繊維はMSNの1本の樹状突起と1ケ所でen passantにシナプス結合する、という線条体の解剖学的知見によく一致する。したがってS-typeは皮質から入力するシナプスであると考えられる。

3)H-typeシナプスの起源

 H-type EPSCsの平均振幅はS-typeのそれの10倍以上であった。さらに、H-type EPSCsは線条体内刺激でpolysynapticに誘発された。このことはH-typeシナプスが線条体内の神経細胞に由来することを意味し、グルタミン酸作動性interneuronが線条体内に存在することを示唆するものである。またH-type EPSCsのピークがしばしば遅くなることから、皮質からの入力とは違い、このinterneuronは、単一のMSNと複数のシナプス結合を形成することが推察された。

4)Paired-pulse depression

 EPSCsのpaired-pulse depression(PPD)を、S-typeとH-typeにわけて比較解析した。その結果、S-type EPSCsのPPDは刺激間隔を100ms以上にすると観察されないのに対し、H-type EPSCsでは150msの刺激間隔においてなお、2nd EPSCの振幅が1st EPSCに比して約50%抑制された。これらのPPDはCa依存性であり、シナプス前性の機序であることが示唆された。この結果はまた、S-typeとH-typeが異なるシナプス前繊維に由来することを支持する。

 以上のように線条体MSNへのグルタミン酸作動性の興奮性入力には二種類(S-typeとH-type)あることが明らかになった(図1)。この二つの入力の大きさの関係は、それぞれ小脳Purkinje cellへの平行繊維入力と登上繊維入力の関係に似ている。近年いくつかのグループから、線条体で長期増強や長期抑圧が誘発されることが報告されており、H-typeのシナプスが登上繊維同様、教師信号としての意味合いを持つことが考えられる。したがってH-typeの由来するinterneuronの形態学的同定とその入出力関係の解明が今後の課題である。

図1 線条体Medium spiny neuronに入力する二つのグルタミン酸作動性シナプス大脳皮質(Cortex)及び視床(Thalamus)からの入力繊維はMedium spiny neuronのspine headにen passantなシナプス(S)を形成し、S-type EPSCsを発生する。また線条体介在神経細胞の一つ(H)はH-type EPSCsを発生する。GPとSNrは、各々淡蒼球および黒質網様帯を表す。
<第2部:MSNに入力するGABA作動性シナプス伝達のアデノシンA2a受容体による調節>

 本研究では線条体内を刺激してMSNで誘発されるGABAA受容体を介する抑制性シナプス後電圧(IPSPs)、電流(IPSCs)と自発微小IPSCs(mIPSCs)を記録解析した。

1)アデノシンA2a受容体活性化によるIPSPs,IPSCsの抑制

 アデノシンA2a受容体作動薬CGS21680(0.3-10M)はIPSPs及びIPSCsの振幅を最大約60%まで濃度依存的に抑制した。この抑制はA2a受容体拮抗薬KF17837(0.1-1M)により濃度依存的に拮抗されたが、A1受容体拮抗薬ではなんら影響を受けなかった。KF17837は単独3M以上の濃度でIPSCsの振幅を増大させた。これらの結果から、MSNに入力するGABA作動性抑制性シナプス伝達が、アデノシンA2a受容体の活性化により抑制される調節機構が明らかになった。さらに内在性のアデノシンがこの調節機構を担っていることが示唆された。

2)シナプス前性アデノシンA2a受容体によるGABA作動性抑制性シナプス伝達の調節

 MSNで発生するmIPSCsを解析した結果、A2a受容体による調節は、前シナプスからのGABAの遊離を抑制することにより起こっていることが明らかとなった。すなわち、CGS21680はmIPSCsの発生頻度を約60%まで抑制し、逆にKF17837は約140%まで増大させた。しかしながら両薬物共にmIPSCsの平均振幅や振幅の分布に影響をおよぼさなかった。

 MSNへ入力するGABAシナプスは近隣のMSNもしくはGABA作動性のinterneuronに由来する。前者はfeed back回路を、後者はfeed forward回路を形成し、線条体の出力細胞MSNを抑制することにより、線条体入出力の制御に重要な役割担っている。(i)A2a受容体によるGABAシナプスの調節がシナプス前性であること、(ii)A2a受容体mRNAはMSNに高濃度に発現しているが、GABA作動性internuronなどにはほとんど発現していないこと、などから、A2a受容体による調節はMSN間で形成されるGABA作動性feed back回路で特異的に起こっていることが推察される。以上の結果は、線条体におけるアデノシンの生理的意義を明らかにすると共に、アデノシンが線条体内GABA回路を調節することにより大脳基底核の運動機能制御に寄与していることを示唆するものである。したがって、今後は、線条体のアデノシンA2a受容体刺激が、淡蒼球や黒質の神経発火などに特異的に影響をおよぼすかどうかの検討が課題である。

審査要旨

 本研究は高等動物の脳において運動機能の制御を担う大脳基底核の中で、重要な役割を演じていると考えられる線条体中型有棘神経細胞(medium spiny neuron:以下MSNと略す)を中心とするシナプス機構を明らかにするため、ラット線条体切片標本を用いて、MSNに入力するグルタミン酸作動性とGABA作動性のシナプス伝達の電気生理学的解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.MSNに入力するグルタミン酸作動性シナプス伝達に対して素量解析を試みたところ、大きさが大きく異なる2種類のシナプス入力が存在することが示された。一つは、その興奮性シナプス後電流(EPSCs)の大きさが10pAを越えることがないタイプ、もう一つはEPSCsの平均振幅が前者の10倍以上大きいタイプである。本研究において前者をS-type(smallの意)、後者をH-type(hugeの意)と名付けた。

 2.S-typeシナプスは、EPSCsの素量の大きさ(約4-5pA)、failureの頻度(約0.6)など電気生理学的解析結果と従来から知られる線条体の解剖学的知見より、大脳皮質から入力するシナプスであることが示唆された。

 3.H-typeシナプスは、そのEPSCsが線条体内刺激でpolysynapticに誘発されることから線条体内の神経細胞に由来することが推察され、グルタミン酸作動性interneuronが線条体内に存在することが示唆された。

 4.EPSCsのpaired-pulse depression(PPD)を、S-typeとH-typeにわけて比較解析したところ、S-type EPSCsのPPDは刺激間隔を100ms以上にすると観察されないのに対し、H-type EPSCsでは150msの刺激間隔においてなお、2nd EPSCの振幅が1st EPSCに比して約50%抑制されることが示された。このことはs-typeとH-typeが異なるシナプス前繊維に由来することを支持すると考えられた。

 5.MSNに入力するGABA作動性シナプス伝達の調節機構を解析するにあたり、本研究では、神経調節因子アデノシンの受容体サブタイプの一つ、アデノシンA2a受容体が、脳内においては線条体のMSNに高濃度かつ特異的に分布していることに着目し、A2a受容体機能のGABA作動性シナプス伝達への関与を検討した。アデノシンA2a受容体作動薬CGS21680(0.3-10M)はGABA作動性の抑制性シナプス後電位(IPSPs)及び電流(IPSCs)の振幅を最大約60%まで濃度依存的に抑制した。この抑制はA2a受容体拮抗薬KF17837(0.1-1M)により濃度依存的に拮抗されたが、Al受容体拮抗薬ではなんら影響を受けなかった。KF17837は単独3M以上の濃度でIPSCsの振幅を増大させた。これらの結果から、線条体アデノシンA2a受容体を介してMSNに入力するGABA作動性シナプス伝達を抑制する調節機構の存在と内在性のアデノシンがこの調節機構を担っていることが示された。

 6.MSNで発生する自発微小抑制性シナプス後電流(mIPSCs)を解析したところ、CGS21680はmIPSCsの発生頻度を約60%まで抑制し、逆にKF17837は約140%まで増大させたが、両薬物共にmIPSCsの平均振幅や振幅の分布に影響をおよぼさなかった。これらの結果より、A2a受容体による調節は、前シナプスからのGABAの遊離を抑制することにより起こっていることが示された。A2a受容体がMSNに局在していることから、この調節はMSN間で形成されるGABA作動性feed back回路で特異的に起こっていることが考えられた。

 以上、本論文は、ラット線条体切片標本において、MSNに入力するシナプス伝達の電気生理学的解析から、MSNへの2種類のグルタミン酸作動性シナプス入力の存在とグルタミン酸作動性interneuronが線条体内に存在する可能性を明らかにした。また、アデノシンによる線条体GABA作動性抑制性回路の調節機構の存在を明らかにした。本研究はなお不明な点の多い線条体シナプス機構とその大脳基底核の運動機能制御への寄与のさらなる解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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