学位論文要旨



No 213072
著者(漢字) 宮川,清
著者(英字)
著者(カナ) ミヤガワ,キヨシ
標題(和) ウィルムス腫瘍における骨格筋発生の分子機構
標題(洋)
報告番号 213072
報告番号 乙13072
学位授与日 1996.11.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13072号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 助教授 横森,欣司
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 講師 林,恭秀
内容要旨

 ウィルスム腫瘍は発生腎の多能性幹細胞に由来する小児腫瘍であり、遺伝性および非遺伝性に発症する。ヒト染色体11p13に大きな欠失があることよりpositioual cloningにより責任遺伝子の一つであるWT1が単離された。WT1はC末端側にzinc fingerをN末端側にプロリン、グルタミンに富む領域を有する転写因子と考えられるタンパクをコードし、その構造異常は全ウィルムス腫瘍のおよそ10%程度にみられる。ウィルムス腫瘍は組織学的に腎の発生段階の種々の組織が様々の割合で混在している像を示すが、その多様な組織像とWT1の構造異常の相関はこれまで報告されていない。またその特徴的な組織像として古くから病理学的によく知られているのは異所性の骨格筋発生であり、ウィルムス腫瘍の10%程度にみられる。この事実に関しても病理学的記載のみでなんらその分子レベルでの解明はされていない。このようにウィルムス腫瘍の癌抑制遺伝子としてWT1がクローニングされたのにもかかわらず、その構造変異の意義と腫瘍の組織学的特徴について分子レベルでの解明はされていない。この問題は発生と関与する癌の発症機構を理解する上できわめて重要であるため、患者サンプルによる遺伝学的検討と培養細胞を使った実験的検討によりこの点を明らかにした。

 正常の骨格筋発生は筋特異的転写因子MyoDファミリーによって調節されている。ウィルムス腫瘍での骨格筋発生もこの遺伝子群によって調節されている可能性があるが、これまでの数少ない症例での報告ではその仮説に対しては否定的であった。この点を明らかにするため遺伝性、非遺伝性あわせて15症例においてMyoDファミリーの発現をRNAレベルで検討したところ、一部の腫瘍でMyoD、myogenin、myf5、myf6いずれもが様々なレベルで発現していた。その中で著しい高発現は遺伝性腫瘍2例のみにみられた。正常発生腎ではMyoDファミリーの発現は検出できなかった。これらの腫瘍では確かに骨格筋の存在が組織学的に確かめられたので、MyoDファミリーの発現はウィルムス腫瘍における骨格筋の異所性発生に重要であると考えられた。

 WT1の構造変異と組織学的特徴に関してはこれまで何ら相関がないとされてきたので、上述した骨格筋発生にWT1の機能異常が関与するかどうかについて、MyoDファミリーの発現とWT1の変異の相関によって検討してみた。WT1の変異の検出はsingle strand conformational polymorpbism(SSCP)法およびPCR産物の直接シークエンス法によった。その結果、WT1の変異はMyoDファミリーの高発現がみられた遺伝性腫瘍2症例、JGとWT7、と非遺伝性腫瘍一例のみに認められた。JGはDenys-Drash syndromeの症例で泌尿生殖器奇形、進行性糸球体硬化症、ウィルムス腫瘍で特徴づけられる遺伝性の症候群の一例であり、zinc fingerドメインのコドン362が点突然変異によりアルギニンから終止コドンに置換されていた。WT7はWAGR症候群、すなわちウィルムス腫瘍、無虹彩症、泌尿生殖器奇形、精神発達遅滞によって特徴づけられる遺伝性の病態の一例でN末端側に226塩基対の欠損があり、結果としてフレイムシフトによりzinc fingerがコードされない異常を有するものであった。

 症例JGは両側性腫瘍であったが左と右の腫瘍で若干組織所見に違いがみられた。基本的には両者ともウィルムス腫瘍の典型であるtriphasic nephroblastomaであるとともに異所性の骨格筋もみられた。ただし唯一異なる点は左の腫瘍は骨格筋に富んでいるのに対し、右の腫瘍は左ほど骨格筋に富んでいないということであった。したがって両側腫瘍の別々の部位よりサンプルを採取し骨格筋発生とその原因遺伝子の相関を検討するには最適のモデルと考えられた。まずWT1のコドン362の変異が左腫瘍でわかっていたため右腫瘍(A)についてもコドン362の変異をPCR産物の直接シークエンスによって確かめた。その結果左では正常アリールが存在していないのに対して、右(A)では終止コドンをきたした変異アリールとアルギニンをコードする正常アリールが存在した。また右腫瘍の別の部位(B)では左と同じく変異アリールのみであった。この結果が正常組織の混入によるのではないことは組織学的に否定した。このように同一患者の同じ腫瘍でもWT1の変異に関してはheterogenousである場合があること、また腫瘍化には必ずしもWT1の変異がhomozygousである必要はないことが明らかとなった。この点に関しては文献的にも例がみられる。そこで問題になるのは、WT1の変異がheterozygousでも腫瘍は発生するのならば、homozygousになった時は腫瘍にいかなる特徴が加わるかという点である。既に組織学的には骨格筋の量の差しかみられなかったためこの点を分子レベルで検討した。この目的のためにWT1の変異解析に使用した腫瘍断片で同時にMyoDの発現を解析した。その結果、左と右(B)では高発現が、右(A)ではほとんど発現が認められないことが判明した。すなわちWT1の変異がhomozygousであれば骨格筋発生が進むことが同一患者での検討で明らかとなった。

 このような遺伝学的解析により骨格筋発生は遺伝性腫瘍でWT1の変異がhomozygousにおきた時におきやすいことが明らかとなったが、症例数が少ないためさらに16例の非遺伝性腫瘍について同様の解析を追加した。その結果WT1の変異は3例において検出された。WT24ではエクソン7における5塩基対の欠損によりフレームシフトが生じ、zinc fingerはコードされなかった。WT40ではエクソン7のzinc finger上流にて点突然変異によりコドン301のアルギニンが終止コドンに置換していた。90T84ではzinc fingerドメイン内の点突然変異によりコドン365のセリンがフェニルアラニンに置換された。そこで骨格筋発生のマーカーとしてmyogeninの発現を調べてみたところWT24とWT40のみに発現がみられた。90T84においてはWT1の変異があるのにもかかわらずmyogeninの発現がみられなかったことに関しては、その構造異常を有するタンパクの性質によって説明がつく。WT1はzinc fingerドメインを介してターゲットとなる遺伝子のプロモーター領域に結合し転写活性を調節することが知られている。zinc fingerがコードされないタイプの構造変異は当然のことながらDNAに結合できないためこの転写調節活性を失う。Zinc fingerドメイン内部のアミノ酸置換の場合、アミノ酸によってその機能は大きく影響をうける。コドン365のセリンの場合、たとえそれがフェニルアラニンに置換されても、そのDNA結合能はほとんど影響をうけないことより、この変異を有する腫瘍においては他のWT1の変異にみられる骨格筋発生はみられないと考えられる。

 このような腫瘍における遺伝学的解析によりWT1の機能喪失が骨格筋発生に結びつく可能性が示唆されたため、培養細胞におけるWT1の骨格筋分化に対する影響を検討した。マウスの筋芽細胞C2は培地の血清を変えることによりすみやかに筋線維に分化することから、WT1を一時的に過剰発現することによりこの細胞の分化能の変化を検討した。WT1の強制発現はデキサメサゾンによって誘導が可能なMMTVプロモーターによっておこなった。また一時的な発現であるため分化能の解析は骨格筋ミオシン重鎖の発現を免疫組織染色によって解析することと、WT1のトランスフェクションによる細胞内導入をin situ hybridizationによって解析することで可能となった。コントロールとして空のベクター、WT1が逆向きになったベクター、デキサメサゾンを添加しないものの3つを用いたが、これらに比して、正常型WT1を導入したものでは有意に分化能が低下した。WT1にはalternative splicingにより4つのアイソフォームが存在するが、この4ついずれもがC2の分化能を抑制した。それに対し、Denys-Drash syndromeにおいて最も高頻度にみられるコドン394のアルギニンからトリプトファンに置換されたものにはこのようなC2に対する分化抑制能はみられなかった。このようにWT1は正常な状態では筋肉細胞に直接はたらいて分化を抑制し、その作用の発現には機能的なzinc fingerの存在が必要であることが明らかとなった。

 以上の遺伝学的解析、培養細胞の実験的証明をまとめると、ウィルムス腫瘍の発生母体となる発生腎の幹細胞は正常な上皮系への分化能を有するほかに骨格筋への分化能も有している。正常状態ではWT1の機能により骨格筋分化は抑制され上皮組織が発生するが、WT1の2つのアリールに構造異常を生ずると腫瘍化とともに骨格筋分化が促進される。このように癌抑制遺伝子として単離されたWT1は腎における発生分化の調節因子であることが明らかとなった。

審査要旨

 本研究は代表的な小児腫瘍の一つであるウィルムス腫瘍における異所性骨格筋発生の分子レベルでの機構を明らかにするために、腫瘍検体における骨格筋特異的転写因子MyoDファミリーの発現とウィルムス腫瘍抑制遺伝子WT1の構造異常との相関の検討と、マウス筋芽細胞の分化に対するWT1の影響の検討によって、下記の結果を得ている。

 1 MyoDファミリー(MyoD,myogenin,myf5,myf6)の発現はこれまで骨格筋および骨格筋由来の腫瘍に限られ発生腎に生ずるウィルムス腫瘍には発現がみられないとされてきたが、さまざまな組織型のウィルムス腫瘍32検体をNorthern blotting解析によって詳細に検討した結果12%程度の頻度で骨格筋での発現に匹敵するレベルでの発現が認められた。それらの腫瘍では発生腎の上皮組織のマーカーであるPax2の発現もみられたことより、ある種のウィルムス腫瘍は上皮組織への分化能を保ちつつ、骨格筋への分化能も有していることが明らかとなった。

 2 WT1の変異をSSCP法によって検討したところWT1のhomozygous mutationは32検体中6検体に認められた。そのうちWT1の機能的ドメインであるzinc fingerの機能を損なう変異は5検体に認められた。WT1の変異とMyoDファミリーの発現の相関を検討した結果、zinc fingerの機能を損なうようなhomozygous mutationを有する4検体ではMyoDファミリーの高発現が認められたが、WT1のhomozygous mutationがみられなかった27検体においてはMyoDファミリーの高発現は認められなかった。この結果より骨格筋分化のプログラミングはWT1の機能が完全喪失したときのみ始動する可能性が示唆された。

 3 組織型を同じくする両側性腫瘍から得られた3つの検体でWT1の変異とMyoDの相関を検討した結果、MyoDの高発現がみられた2カ所においてはWT1のhomozygous mutationが、MyoDが低発現であった部位ではheterozygous mutationが認められた。この結果は、同一患者においてもWT1の変異とMyoDの発現がよく相関することを示唆するものである。

 4 以上の患者検体での検討の結果、WT1の機能喪失によりMyoDファミリーの発現が誘導される可能性が示唆されたため、マウス筋芽細胞C2を使ってこの点を実験的に証明した。ステロイドによって発現誘導可能なMMTVプロモーターを使って正常型WT1をC2において過剰発現すると、C2の骨格筋分化は抑制されたが、zinc fingerに変異を有するWT1にはこのような筋分化抑制作用がみられなかった。この結果から、正常型WT1は骨格筋分化抑制能を有し、その機能発現には機能的なzinc fingerが必要であることが明らかとなった。

 以上、本論文は発生腎を母体とするウィルムス腫瘍における骨格筋発生にはMyoDファミリーの発現が関与していること、その発現誘導にはWT1の完全な機能喪失が必要であることを明らかにした。本研究は、ウィルムス腫瘍における異所性骨格筋発生の分子機構を明らかにするとともに、癌抑制遺伝子として単離されながらこれまで機能が不明であったWT1の、発生における分化調節作用を初めて明らかにしたもので、学位の授与に値するものと考えられる。

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