本研究は、発展途上国に対する日本の医療分野援助の中心になっている病院プロジェクトの多くがサステイナビリティ(自立発展性)の困難に直面している問題について、その要因はこれまで指摘されているような医療技術の遅れや勤勉性の欠如ではなく、発展途上国に共通するより普遍的で構造的な問題であり事業計画の立案過程の改善が重要であるとの認識のもとに、財務分析と地域医療システムをフレームワークとする評価を試みたものである。研究は、ボリビアにおける病院建設プロジェクトを事例として、費用分析、公共医療財源の分布と他の医療施設に与えた影響の評価、構造的要因の形成過程の遡及評価、の3段階の評価調査を実施し、下記の結果を得ている。 1.対象病院の病床利用率は平均54%で救急受診患者数と相関し(R=0.82)、想定された第三次レファラル病院というよりもAcute Crare Hospitalとしての需要の方が大きい。所得に応じた料金制度(Sliding Scale Fee System)を設けることで、低所得層のアクセスは確保されている。しかし、Differential Cost Analysisの結果では変動費比率は13.2%にとどまり人件費を主とする固定費比率が非常に高いこと、Stepdown法による診療部門別原価計算の結果(一般外来18.3Bs,救急外来55.1Bs,病棟入院1件あたり467Bs,ICU入院1,719Bs;1US$=2.4Bs)では、採算部門は一般外来のみでICUでは入院1件あたり1,397Bsの持ち出しになっていること、が示された。また、病床利用率は費用減免患者数と高い相関(R=0.875)を示したことから、患者数に対応した収入と支出の変化がBreak-even Point(採算点)を形成できない可能性が示唆され、病床利用率はサステイナビリティの指標にならないことが実証された。 2.年間支出の35%に相当する政府補助金があり、月によっては60%が患者収入によってCost Recoveryできているため、病院会計上は財政健全化はさして困難な課題ではないように見える。しかし、これは現代医療技術の質を規定している医薬品や医用材料などのマテリアル・コストが旧来通り患者負担のままになっているためで、患者に転嫁されるこれらの「Shadow Cost」が、病院の中で所得に応じた医療の質の格差を生じさせる結果となっていることが明らかにされた。 3.年間運営経費は約160万ドルで事業総額の7.3%であるが、「Shadow Cost」を病院財政に含めるとHeller係数(年間運営費と等か資本額との比率)は10%を超えると推算され、建設経費が援助でまかなわれるとしても、援助の大きさに比例してその1割強を年間運営費として地域保健医療財源から捻出する必要が生じることが示された。 4.ボリビアにおける都市人口比率は48%で農村人口とほぼ同数であるにも関わらず、医師の71%は都市部に集中し、農村部住民の平均受診率は都市部に比べて約3分の1、平均余命はも都市部よりも約7歳短く、都市部と農村部の医療格差が大きい。都市医療に対する住民の意識調査では医療の質における貧富間格差を指摘する声が最も多かった(41%)。しかし施設別財源調査では、病院新設によってサンタクルス州の保健医療財源の66%が都市部の病院に集中し、農村部医療は18%、都市部のPHC(保健センターで行なわれる予防保健プログラムや初期診療)は8%に抑えられ、都市部と農村部の間の医療格差の増大を促進する結果となっていることが実証された。また、病院間の役割連携が構想されなかったために既存の国立病院との間に競争関係が生じ、開発資金の4分の3がICUなど病院施設の拡張に費やされていた。 5.案件形成過程の遡及評価では、医療技術レベルの向上が主たる関心事で「近代的な病院を作る」ことだけが目的になっていたために地域の医療ニーズや地域医療システムを視野に入れた事業目標が明確にされず、運営計画も立てられていなかった。そのことが、病院稼動後の病院管埋に困難を招いていることが明らかにされた。 5.これらの調査・分析の結果から、病院プロジェクトのサステイナビリティの真の課題は財政赤字や医療技術の遅れ、ではなく、「質の確保」と「財政維持」と「公共病院の使命(低所得者層への医療提供)」という互いに対立する3つの課題を鼎立させなければならないという、途上国の公共病院に共通する構造的な問題であること、このため病院プロジェクトの計画立案にあたっては、地域医療システム再編という視点から質の効率と生産性を考慮した適正資源配分の計画を策定した上で、病院の役割と事業目標を明確にし、上記のトリレンマに対処できる運営計画とそのFeasibility(実現可能性)をあらかじめ十分に検討しておくことが不可欠であり,これを怠れば、むしろ地域間格差と貧富間格差の増大というネガティブ・インパクトをもたらしうることが示された。 以上、本論文は、これまで医療技術や利用率の評価にとどまっていた病院プロジェクトの評価に財務分析の手法と地域医療システムの視点を適用することで、サステイナビリティに関わる問題の構造を具体的に実証した。本研究は発展途上国の医療ニーズに即した自立可能な病院プロジェクトの計画立案と援助の適正化に向けた課題の解明や評価手法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |