内容要旨 | | 1.本研究は,「第三者による債権侵害」の不法行為の問題について,従来等閑視されていた,契約の対第三者保護という観点に光を当てて,これまでの厳格な要件論〔原則として,債権侵害についての害意(通謀・教唆)及び良俗違反の態様が要求された〕に批判的検討を加えて,それは緩和されるべきことを主張したものである〔後述するように,事案類型毎の考察が必要であるが,原則として債権を認識しての侵害で足りると考える〕。この問題は,比較法的に見ても19世紀半ばから登場した現代的課題と言える。各国近代法典(及び判例法理)では,契約ないし債権の相対性原理が唱われ(フランス民法1165条,ドイツ民法241条参照),その克服後に登場する新たな法現象であるが,今日では比較法的にも定着している(比較法的検討は第2〜第4章参照)。ところが,わが国における状況は,かなり立ち遅れており,その問題状況及び経緯を-いわゆる民法学史的手法によって,日本民法学の構造的批判とリンクさせることを通じて-浮き彫りにすることを試みた(第1章)。 そして,その結果得られた帰結の第1は,「学説継受」以来比較法的にも,債権の相対性原理が根強いドイツ法の圧倒的で,かつ部分的な影響の下に(「部分的」と言うのは,ドイツ民法823条1項をめぐる議論のみ継受され,823条2項,826条の影響は,表面的・抽象的なそれであり,事例(判例)の紹介は不充分であった),この問題に関するわが国の学説が形成されていったということである。すなわち,わが国の債権侵害法理の展開において重要な役割を演じた,末弘博士の「排他性否定論」,我妻博士の「相関関係理論」及び「債権者平等の原則」,あるいは川島博士の「近代的債権論」は,いずれもドイツ法の影響を受けて提唱されたものであることを論証し,それがひいては債権侵害の原則的容認という「通説」を導いていることを示した。しかし本章における興味深い知見の第2として,叙上のドイツ法的状況とは「断絶」する形で,旧民法ないし現行民法起草時の頃には,本問題についてはイギリス法(判例法)の影響がかなり広く見られたことも指摘した(同様のことは,例えば民法416条について既に平井教授が指摘する)。イギリスのリーディングケースLumley v.Gye(1853)(「引抜き」に関する)などは,1880年代に既に紹介,検討されており,当時の学者のほとんどが,債権の対世効を肯定して,第三者の債権侵害の不法行為を肯定していたことが,-その後の状況との対比で-注目されるのであり,わが国のリーディングケースとされる大正4年判決もその延長線上で捉えうるものであった(その後の民法学界の構造的変化により,本判決が充分に発展させられなかったことは,債権侵害法理の展開にとって不幸なことであった)。そこで私は,このようなわが国の状況を再考する素材を提供するために,比較法的に見て同法理に積極的なイギリス法及びフランス法の判例法理の検討(さらには,従来手薄であったドイツ法の判例研究)を行うこととした(第2章,第3章参照)。 2.この問題提起の法理論的意義を述べるならば,それは「近代法理論」の再検討の一環をなしており,ドイツ的な-早い者勝ち的な-「自由競争」観に再考を促し,「私的自治」の倫理的前提たる取引倫理,道徳に光を当てることを意味している(イギリスにおけるJ.S.Millなどの叙述にも示唆を得た)。従って,このような考え方自体は,ある意味で伝統的理念に基づくとも言えるが,現代的には「近代法」期に過度に契約の自由,債権の相対性,ならびに市場放任原理が強調されたことに対して批判的な考察を加えることを意味している。従って,市場主義ないし自由放任的私的自治への司法的規制を強めるという方向性を持っており,この点で公序良俗規定(民法90条)をめぐる近年の議論とも相通ずるものがあるわけである。 3.(1)ところで,本研究では,債権侵害の個別類型的考察を行うことを主眼の一つとした。と言うのは,従来の通説的分類論(例えば我妻博士のそれ)は観念的にすぎ,債権侵害の具体的事例のほとんどは「給付侵害で債権が消滅しない場合」に該当することとなっており(そして,その場合には例外的場合(害意で良俗違反の場合)に限って不法行為が認められた),これでは類型化されていないに等しいからである。そこで私は,起草者たちも影響を受けており,その後事例も蓄積されているイギリス法に立ち返り,そこから事案類型を析出するという作業を試みた(その類型作りの軸としたのは,被侵害契約の種類及び侵害行為の態様であり,その各々の側面における本研究の理論的意義は後述する。なお,因みに,このような作業は,イングランド本国でもあまりなされていない)(第2章)。そしてその上で,大陸法(フランス法,ドイツ法)の事例分析を通じて,同様の類型が見られることを検証した(第3章)。そして,この考察から得られた類型としては,第1に,二重譲渡的ケース,第2に,労働契約に関する引抜き(競業避止義務違反,守秘義務違反の誘致)のケース,第3に,同契約に関する労働争議のケース(イギリス法では,多数の事例,立法の蓄積が見られる),第4に,不正競争的ケースがあり,またさらに第5に,間接損害(企業損害),第6に,取引義務が―契約外の第三者との関係でも―課されるような場合などが挙げられる。 (2)(1)これらの類型について,債権侵害の不法行為の特質を,まず侵害行為の側面から述べるならば,まず第1点として,意図的不法行為(「故意」の不法行為)(前掲「第1」〜「第4」の類型)と過失不法行為(「第5」「第6」の類型)とに大別でき,両者では帰責構造も異なり,債権侵害においては前者がクローズアップされるのであり(過失では足りないとされるのは,ここでは考量因子として,取引活動の自由(取引の安全)が顧慮されるためであるが,それに対する因子としては,被侵害契約の保護の必要性〔不可侵性〕があり,さらに,各事案類型特殊の因子-例えば,争議権の保障,転職の自由,登記制度との調和,競争制限的契約のチェック(これは,先の要保護性の検討でなされる)など―がある),全体として前述の如くその要件の拡大を説いた(例外的には「第3」の場合には,ストの違法性の判断が重要となり(労組法8条参照),また「第4」で,被侵害契約自体に競争阻害性がある場合には,害意ないしはそれに準ずる態様を要求した。なお,過失不法行為については,従来説かれている理論の応用で足りると考えるが,「第5」については,ドイツ的な近時の学説の立場よりも,判例の立場の方が民法709条の構造に則した構成であると考える)(以上第4章参照)。さらに留意すべき第2点としては,侵害態様は取引行為と物理的・事実的行為とに分けられるが,本問題においては(とくに前述の意図的債権侵害においては)取引行為による不法行為が重要と考えられることが指摘できる。この点でも,従来取引行為は契約法(契約責任)の問題と考えられがちであったが,不法行為法は取引行為(それによる取引的損害)の場面においても,無視できない役割を演ずることも,本研究で得られた帰結である。 (2)さらに,被侵害契約の観点から眺めると,各国の債権侵害の判例法理で保護されているのは,不動産などの特定物の引渡債務及び行為債務という,給付内容に個性,特異性(idiosyncracy)のある-従って,代替性(fungibility)のない-契約が主であり,その意味で関係的契約-そして多くは継続的契約である-が保護対象と言える。アメリカ法では,効率的契約違反と契約侵害(債権侵害)法理との相克という形での議論があるが(これについては第5章参照),ここでも類型的に見る必要がある。 この問題は,理論的には,古典的市場モデル的スキームがどこまで妥当しうるのか,という取引費用分析を通じての制度学派的アプローチ,さらには非功利主義的な・商品化の限界論(decommodification論)による財産権の基礎づけとも関わってくるのであり,近年アメリカ法学で,古典的モデルのアンチ・テーゼとして出されている関係的契約理論(Macneil理論),人格的所有権〔財産権〕理論(Radin理論)にも,債権侵害の問題は発展させうると考えられる。 (3)(1)最後に,各類型について留意すべきことを述べておく。まず,二重譲渡ケースについては,歴史的には「jus ad remの近代法典における消滅」という問題もあり,また不動産公示制度とも関連して独自の地位を占めている。そして,ここでも私は,従来の要件の拡大(原則として第1売買の認識で足りると考える)を説いたが,さらに損害賠償に止まらず,諸外国と同様に引渡債務の履行強制による保護も必要と考えた(民法177条の「第三者」の解釈問題となる)。ここでは,物権変動システム(民法176,177条),債権者取消権(民法424条)の転用,留置権(民法295条)なども視野に入れた総合的検討が必要となる。もっとも,手付,クーリング・オフなどの制度との関連では(二重譲受ケースとでもいうべきもの),消費者保護の見地からの特別の考量が必要となり,不法行為の認定は慎重となろう(害意その他の背信的態様が求められよう)。 (2)また,不正競争類型の場合には,公正取引委員会の不公正な取引方法(競争阻害性)についての法政策的(「目的=手段」的)判断と,裁判所の不法行為の成否についての法解釈論との調和をどのようにはかるか,という理論的問題が控えている。歴史的には,このような観点からの,被侵害契約の合理性の批判的検討が弱い時期(戦間期におけるドイツ法,フランス法。今でもフランスでは,このような視点はやや弱い。第3章参照)もあったが,今日では,両者の調和,統合が必要であることも言おうとした。 (3)さらに,労働争議について,争議権保障の考慮は必要だが,同情スト,二次的ストにおいては,債権侵害的考慮も必要となるのに,従来はやや稀薄であった。この点で,労働法学と民法学とは同一平面上で議論がなされる(「市民法」と「社会法」という形で峻別しない)ことが求められ,また労働法においても従来はドイツ法の影響力が強いので,それへのアンチ・テーゼとしてイギリス法的な解釈論を試みた(第4章第1節第5款)。 その他,労働契約に関しては,引抜き,営業秘密保持の問題もあるが,情報化時代の今日,契約保護の視点はもはや抜きにはできないものとなりつつあると言ってよいであろう。 |