学位論文要旨



No 213078
著者(漢字) 岡崎,隆
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,タカシ
標題(和) SCG10/stathmin(神経成長関連蛋白)の発現と遺伝子構造
標題(洋)
報告番号 213078
報告番号 乙13078
学位授与日 1996.12.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13078号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 岩坪,威
内容要旨

 神経細胞は、その固有の機能を担うため、多種の神経特異的な蛋白質を発現している。高度に発達した神経系、特に中枢神経系の理解のためには、神経特異的な蛋白質の機能やその発現制御機構を解明する必要がある。神経に発現する蛋白質で神経突起の伸展に関与する一群の分子として、neuronal growth-associated proteins(nGAPs)が知られている。nGAPsの中には、neurofilamentなど神経特異的な細胞骨格蛋白とそれに関連したMAP2,tauなど微小管結合蛋白に加えて、GAP-43など機能が未解明のリン酸化蛋白が含まれる。また、記憶に関与すると考えられるlong term potentiation(LTP)誘発時におけるGAP-43の変化や、アルツハイマー病脳でのtauの異常なリン酸化など、nGAPsが発生初期における神経の成長だけでなく、成体の脳において神経の可塑性や神経変性に関与することを示唆する結果が報告されている。nGAPsは、神経障害の修復,治療を考える上でも重要な分子である。

 本研究の主題であるSCG10とstathminはnGAPsの新たなメンバーとして位置付けられる。SCG10の遺伝子はラットの神経冠から交感神経における神経分化マーカーとして単離され、その発現は神経特異的であり、NGF誘導性である。SCG10の産物は膜および細胞骨格と相互作用する構造を持ち、神経の伸展部に蓄積する22kDaの蛋白質である。また、stathminは細胞増殖に関与する19kDaのリン酸化蛋白質でSCG10と高い相同性を有している。nGAPsのメンバーであるSCG10とstathminについて、その機能や発現制御機構を解明することは、脳の高次機能を分子レベルで知るために重要であるとともに、新しい創薬の方向性を探る上で興味深い課題である。

 遺伝子発現の特徴および発現変化とその要因を知ることは、遺伝子の役割を解明するための第1歩となる。遺伝子の発現は、細胞外の刺激から細胞内情報伝達系を経て、主として転写レベルで制御される。そこで、本論文ではSCG10とstathminの発現について転写レベルに主眼をおき、その特徴を検討した。また、遺伝子発現の基本単位であるプロモーターを含めた染色体DNAの構造にも着目し解析を行った。第1章でSCG10とstathminの発現様式について特性を検索し、さらに第2章において、ヒトにおける発現と神経変性との関連を探るためアルツハイマー病脳での発現変化を検討した。また、第3章では両者の遺伝子構造とプロモーターの解析を行った。

第1章SCG10,stathminのアミノ酸配列と発現の特異性

 SCG10および,stathminのヒトcDNAおよびマウス染色体DNAのクローニング(第3章)を行った。明かにしたヒトおよびマウスSCG10、マウスstathminのアミノ酸配列をラットのSCG10,stathminのアミノ酸配列と比較し、両蛋白が進化の過程で強く保存されていることを示した。ヒト対マウスのSCG10におけるアミノ酸配列の相同性は67%であった。

 マウス臓器を用いたSCG10,stathminのmRNAレベルの解析結果は、SCG10は脳に特異的に発現することを示した。また、stathminのmRNAは様々な臓器で検出されたが、特に脳と精巣での発現が強かった。脳内のmRNA分布ではstathminに比べ、SCG10で強い部位特異性が示された。

 SCG10は小脳に最も高いmRNA発現を示し、また、in situハイブリダイゼーションの結果から、SCG10,stathminは可塑性が高く記憶にも重要な領域と考えられている海馬にも発現していた。SCG10とstathminの海馬での発現様式は異なっており、stathmin mRNAは海馬の顆粒細胞層全体に渡って比較的弱い発現を示し、歯状回内側でやや強い発現を示したのに対し、SCG10mRNAは海馬の錐体細胞に強い発現を示した。また、種による違いも観察され、SCG10の発現は、ラットに比べマウスではサブ領域Cajal’s area(CA)3,4の発現が顕著であった。

 Stathmin mRNAは成体の肝臓では検出されないが、部分肝切除による再生肝状態の肝細胞では、stathmin遺伝子の発現誘導が起こることを発見し、stathminと細胞増殖との関連をin vivoの系で示した。

第2章神経変性との関連

 アルツハイマー病は加齢にともなって発症する脳の神経変性疾患で、老人斑および神経原線維変化を特徴とする。また、アルツハイマー病脳では神経の変性とともに可塑的な成長反応が認められている。このような神経突起の変化には、突起の伸展に関与する分子であるnGAPsの関与が考えられる。神経変性疾患との関連を探るため、SCG10,stathminのアルツハイマー病脳における発現変化をmRNAレベルで検討した。SCG10,stathminともアルツハイマー病の進行に伴って神経変性が顕著な大脳皮質,海馬領域においても、mRNAレベルに有意な変化は認められなかった。ただし、蛋白レベルでは神経変性の影響を受けており、SCG10については代謝、輸送が変化していると考えられた。

第3章遺伝子構造と転写エレメント

 SCG10とstathminについて、その遺伝子発現制御を担う分子メカニズムを明かにするため、遺伝子発現の基本単位である遺伝子構造の解明を行い、プロモーターを解析して転写制御領域の探索を行った。SCG10およびstathminのマウスにおける染色体遺伝子をクローニングし、遺伝子構造を明かにした。SCG10とstathminの遺伝子サイズは大きく異なったが、両者とも5つのエクソンよりなり、同様のイントロン-エクソン構成を保持していた。また、サザンハイブリダイゼーション解析から、マウス染色体ではSCG10は単一遺伝子であり、stathminには偽遺伝子と考えられる類似配列が2種存在することを明かにした。各エクソンがコードするアミノ酸領域は推定される機能ドメインに一致していた。

 SCG10遺伝子について、その神経での高発現を担う遺伝子発現制御エレメントの解析を行い、以前SCG10遺伝子に同定されていた神経特異的なサイレンサー機能が、36bpの配列内に存在することが明かとなった。さらに、近傍プロモーターも神経選択的な転写活性を持つことを見出し、その選択性の一部がCCAAT,TATA周辺の配列に依存していることを示した。SCG10のプロモーターは、遠方による負、近傍による正の二重の神経選択性を持つ構造から成ると考えられた。

 本研究において、明かとなったSCG10およびstathminの高い保存性と発現の特異性から、SCG10/stathmin遺伝子ファミリーが、発生初期の神経だけでなく、増殖の停止した成体の神経においても重要な機能を担うことが示唆された。特に、SCG10は神経突起の先端部に存在し、リン酸化を介した制御を受け、細胞内情報伝達あるいは微小管の重合に関与する神経特異的な分子と考えられる。ただし、その機能の詳細は未解明である。また、組織特異的な発現の機構についても、本研究において、SCG10の発現制御を担う陰陽の転写領域が示されたが、神経成長因子による制御や発生過程での調節など、まだ不明な点も多い。SCG10/stathmin遺伝子ファミリーの神経細胞における機能解明は、学習,記憶の機構を明かにし、脳神経障害の新たな治療法の開発に結びつくものと考えられる。今後は、神経系におけるSCG10とstathminの詳細な機能と転写制御を解明し、創薬ターゲットとしての可能性を追究したい。

審査要旨

 神経細胞は、多種の神経特異的な蛋白を発現しており、それらの蛋白の多くは神経細胞の機能を調節していると考えられている。神経に発現する蛋白で、神経突起の伸展に関与する一群の分子として、neuronal growth-associated proteins(nGAPs)が知られている。この論文は、nGAPsのメンバーである、SCG10およびstathminという二つの蛋白の発現を、主として遺伝子の転写レベルから検討を加えたものである。

 論文は3章から構成されている。第1章では、SCG10およびstathminのヒトcDNAおよびマウス染色体DNAのクローニングを記載している。これらの蛋白のアミノ酸配列は、ヒトおよびマウスの間で70%近い相同性があり、生物の進化の過程で保存されてきた蛋白であることが分かった。また、Northern blot解析により、SCG10の遺伝子は脳に特異的に発現するが、stathminの遺伝子の発現は必ずしも脳に特異的ではないことが示された。一方、in situハイブリダイゼイションの結果、SCG10の遺伝子は海馬の錐体細胞で強く発現しているが、stathminの遺伝子は顆粒細胞層全体に弱く発現していることが分かった。また、成体の肝臓ではstathminの遺伝子の発現はないが、再生肝では強い発現が見られることから、stathminの細胞増殖への関与が示唆された。

 つずいて第2章ではアルツハイマー病患者の脳のにおけるSCG10およびstathmin遺伝子の発現を検討しているが、病変と遺伝子発現の間に明確な関係は認められなかった。

 第3章では、SCG10およびstathminの遺伝子のプロモーターを解析し、転写制御領域の探索を行っている。まず、両遺伝子のサイズは大きく異なるものの、両者とも5つのエクソンからなり、同様のイントロン-エクソン構成を保持していること、マウスではSCG10の遺伝子は単一であるが、stathminには偽遺伝子が二つ存在することなどを示した。ついで、36bpよりなるSCG10遺伝子の神経特異的なサイレンサーの同定、神経選択的な転写活性を担うプロモーター領域などを明らかにした。

 以上この論文はnGAPsに属する二つの蛋白の遺伝子構造を精細に解析したものである。これらの蛋白の機能に関して新しい知見を加えたものなく、その点で物足りなさは残るが、今後のnGAPsの分子生物学的研究に資するところは多々あり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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