学位論文要旨



No 213080
著者(漢字) 伊藤,清美
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,キヨミ
標題(和) レセプター結合占有理論に基づくベンゾジアゼピン系薬物の臨床薬物動態学的解析
標題(洋)
報告番号 213080
報告番号 乙13080
学位授与日 1996.12.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13080号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 岩坪,威
内容要旨

 代表的な向精神薬であるベンゾジアゼピン(BZP)系薬物は、脳内のレセプターに特異的に結合することによりその作用を表すことが知られており、投与量あるいは血中濃度に比べ、レセプター結合占有率が薬理効果により密接に関連していると考えられている。我々はすでに、マウスにおけるin vivo脳内グルコース利用率の減少を薬理効果の指標として、GABAAレセプターアゴニストであるmuscimolおよびBZP系薬物であるclonazepamについて、それぞれのレセプター結合占有率と効果との関係を検討し、前者は直線関係、後者は飽和型の関係となることを明らかにした。本研究では、まずマウスを用いて血漿中濃度とレセプター解離定数とからBZPレセプター結合占有率を見積る方法を確立した。この方法を用いてヒトにおけるレセプター結合占有率を算出することにより、レセプター結合占有理論を臨床に適用した。さらに、放射性医薬品を用いてヒトにおけるBZPレセプター結合をin vivoで直接評価する方法について検討を加えた。

1.マウスにおけるdiazepamとその代謝物のレセプター結合占有率の推移1-1.血漿中濃度とレセプター解離定数からのレセプター結合占有率の算出

 雄性ddYマウスにdiazepam16mg/kgを腹腔内投与した後、経時的に採血し、diazepamとその代謝物(desmethyldiazepamおよびoxazepam)の血漿中濃度をHPLC法により測定した。Cimetidine(75mg/kg;i.v.)の併用により、desmethyldiazepamの血漿中濃度が上昇し、oxazepamの血中への出現が遅延する傾向がみられた。平衡透析法により測定したdiazepamとその代謝物の血漿中非結合型分率(fu)にはcimetidineの影響はみられなかった。各化合物のレセプター解離定数(Kd)の報告値と、血漿中濃度にfuをかけることにより算出した血漿中非結合型濃度を用いて、競合阻害の式に従って算出したレセプター結合占有率は、diazepam投与6時間後まで96%以上と高く、cimetidine併用による影響はみられなかった。

1-2.In vivoレセプター結合占有率の測定

 1-1と同様の条件でdiazepamおよびcimetidineを投与した後のin vivoレセプター結合占有率の推移を、3H-RO15-1788を用いた逆滴定法により測定した。In vivoレセプター結合占有率の実測値においてもcimetidineの影響は顕著ではなく、1-1の結果とほぼ一致した。

 以上より、本実験条件下では、cimetidine併用時にdiazepamおよびその代謝物の血漿中濃度は大きく変化するが、レセプター結合占有率には大きな変化がないことが明らかとなった。このことは、cimetidineの併用によりdiazepamの血漿中濃度は変化したが、薬理作用は変化しなかったという臨床報告と一致し、レセプター結合占有率が薬理作用の有用な指標となることが示唆された。

2.ヒトにおけるBZP系薬物の作用時間、薬用量、および拮抗薬の覚醒効果に関するレセプター結合占有理論に基づいた解析2-1.BZP系睡眠薬の作用時間に関する分類

 BZP系睡眠薬は、血漿中濃度推移の半減期を指標として、超短時間、短時間、中間、および長時間作用型の4つのカテゴリーに分類されている。しかし、薬物毎にレセプター結合親和性が大きく異なるので、薬効の持続との関連においては、レセプター結合占有率がより適切な指標になると考えられる。各種BZP系睡眠薬の常用量を単回経口投与した後の血漿中濃度推移およびfuの報告値を用いて計算した非結合型濃度推移には、薬物毎に大きな相違がみられた。一方、各化合物のKdの報告値を用いて競合阻害の式により算出したBZPレセプター結合占有率は、各カテゴリー毎に半減期、絶対値ともに互いに近い値を示した(Fig.1)。この結果は、各カテゴリーに属する睡眠薬が互いに類似した作用持続のパターンを示すことと一致し、BZP系睡眠薬の血漿中消失半減期に基づく分類は、レセプター結合占有率を指標とした場合、より都合よく説明できることが示唆された。

Fig.1 BZP receptor occupancy-time profiles after single oral administration of therapeutic average dose of the various BZP hypnotics. Panel A:Ultra-short,B:Short,C:Intermediate,D:Long acting drugs.
2-2.BZP系抗不安薬の薬用量の評価

 BZP系抗不安薬の常用量投与時の改善率はほぼ一定であるが、常用量には各薬物間で大きな相違がみられる。これらの抗不安薬の常用量とKd値との間には、有意な相関関係はあるものの相関係数は高くなかった。一方、最高血漿中非結合型濃度とKd値との間には良好な相関関係が得られた(Fig.2)。各薬物の常用量投与時におけるレセプター結合占有率は約40〜60%と計算され、BZP系抗不安薬の常用量はほぼ一定のレセプター結合占有率が得られる投与量に設定されていることが明らかとなった。

Fig.2 Correlation between the Kd values and the effective maximum unbound plasma concentrations (Cu)of various BZP anxiolytics after oral administration of their therapeutic average doses.
2-3.BZP拮抗薬の覚醒効果の評価

 BZP拮抗薬であるflumazenil(FMZ)の血漿中濃度は静脈内投与後速やかに低下するのに対し、flunitrazepamにより睡眠状態にある患者にFMZを静脈内投与した後の覚醒効果の出現には5〜10分を要するため、FMZの血漿中濃度と覚醒効果との間に相関はみられない。レセプターへの結合解離過程を考慮したモデルに基づき、fuおよび結合解離速度定数の報告値を用いて、両薬物のレセプター結合動態に関する微分方程式を数値的に解くことにより、レセプター結合占有率の経時変化を算出した。FMZ投与後初期のレセプター結合占有率と覚醒効果との間には良好な相関関係が認められ、本条件下において全ての患者が覚醒状態になるためには、FMZのレセプター結合占有率が約30%以上となる必要性が示唆された(Fig.3)。

Fig.3 Relationship between receptor occupancy of FMZ and recovery of consciousness after intravenous FMZ 0.1-0.8 mg.
3.ヒトにおけるin vivo BZPレセプター結合の評価方法の確立

 BZP拮抗薬である123I-iomazenil(IMZ)は、Single Photon Emission Computed Tomography(SPECT)によりBZPレセプターの局所脳内分布を評価し、各種脳疾患の診断を行うことを目的として開発中の放射性リガンドである。脳神経疾患患者6名にIMZを静脈内投与した後3時間目まで経時的に採血し、血漿中IMZ濃度を測定した。同時にSPECTにより脳内放射能を測定し、各脳部位における濃度推移を算出した。脳移行過程およびレセプター結合過程を考慮したモデルに基づき、血漿中濃度推移を入力関数として非線形最小二乗法により血液脳関門におけるinfluxクリアランス(K1)、efflux速度定数(k2)、レセプター結合および解離速度定数(k3およびk4)を算出した。海馬に焦点のあるてんかん患者No.5では、他の患者と比較して側頭葉内側部におけるK1、k3およびk3/k4の値が低下していたことから、この部位におけるレセプター総数あるいは親和性が低下していることが示唆された(Fig.4)。この結果は、てんかん焦点におけるBZPレセプター含量の低下を示す過去の報告と一致し、本方法によるてんかん焦点の診断の可能性を示唆するものと考えられる。

Fig.4 Comparison of BZP receptor binding parameters of IMZ in medial temporal region among patients.
結論

 マウスにおいてdiazepamのレセプター結合占有率の予測値と実測値とはほぼ対応しており、BZPレセプターに結合する各活性体の血漿中非結合型濃度とKd値とからレセプター結合占有率を推定することが可能であった。文献情報をもとに、この方法に基づく遡及的解析を行った結果、BZP系睡眠薬の作用時間、抗不安薬の薬用量、および拮抗薬の覚醒効果について、レセプター結合占有理論を適用することにより都合よく整理できることが示された。さらに、IMZを用いたSPECTにより、ヒトにおけるin vivo BZPレセプター結合の定量的な評価が可能となった。薬理効果と密接に関連しているレセプター結合占有率をヒトにおいて直接測定することは、より適切な薬物療法を可能にするものと期待される。

審査要旨

 代表的な向精神薬であるベンゾジアゼピン(BZP)系薬物は、脳内のレセプターに特異的に結合することによりその作用を表すことが知られており、レセプター結合占有率が薬理効果に密接に関連していると考えられている。本研究では、まずマウスを用いて血漿中濃度とレセプター解離定数とからBZPレセプター結合占有率を見積る方法を確立した。本方法を用いてレセプター結合占有理論を臨床に適用し、さらに、放射性医薬品を用いてヒトにおけるBZPレセプター結合をin vivoで直接評価する方法について検討を加えた。

1.マウスにおけるdiazepamとその代謝物のレセプター結合占有率の推移

 マウスにdiazepamを腹腔内投与した後のdiazepamとその代謝物の血漿中濃度を測定した。Cimetidineの併用により、代謝物であるdesmethyldiazepamの血漿中濃度が上昇し、oxazepamの血中への出現が遅延する傾向がみられた。各化合物の血漿中非結合型濃度とレセプター解離定数(Kd)を用いて算出したレセプター結合占有率には、cimetidineの影響はみられなかった。一方、同様の条件で両薬物を投与した後のin vivoレセプター結合占有率の推移を3H-RO15-1788を用いて測定した。In vivoレセプター結合占有率においてもcimetidineの影響は顕著ではなく、本実験条件下では、cimetidineによりdiazepamおよびその代謝物の血漿中濃度は大きく変化するが、レセプター結合占有率には大きな変化がないことが明らかとなった。この結果は、cimetidine併用によりdiazepamの血漿中濃度は変化したが、薬理作用は変化しなかったという臨床報告と一致し、レセプター結合占有率が薬理作用の有用な指標となることが示唆された。

2.ヒトにおけるBZP系薬物の作用時間、薬用量、および拮抗薬の覚醒効果に関するレセプター結合占有理論に基づいた解析2-1.BZP系睡眠薬の作用時間に関する分類

 BZP系睡眠薬は、血漿中濃度推移の半減期を指標として4つのカテゴリーに分類されているが、常用量を単回経口投与した後の血漿中非結合型濃度推移には、薬物毎に大きな相違がみられた。一方、各化合物のKd値を用いて算出したレセプター結合占有率は、各カテゴリー毎に半減期、絶対値ともに互いに近い値を示した。この結果は、各カテゴリーに属する睡眠薬が互いに類似した作用持続のパターンを示すことと一致し、BZP系睡眠薬の分類は、レセプター結合占有率を指標とした場合、より都合よく説明できることが示唆された。

2-2.BZP系抗不安薬の薬用量の評価

 BZP系抗不安薬の常用量投与時の改善率はほぼ一定であるが、常用量には各薬物間で大きな相違がみられる。これらの薬物の常用量とKd値との間には、有意な相関関係はあるものの相関係数は低かった。一方、最高血漿中非結合型濃度とKd値との間には良好な相関関係が得られた。各薬物の常用量投与時におけるレセプター結合占有率は約40〜60%と計算され、BZP系抗不安薬の常用量はほぼ一定のレセプター結合占有率が得られる投与量に設定されていることが明らかとなった。

2-3.BZP拮抗薬の覚醒効果の評価

 BZP拮抗薬であるflumazenil(FMZ)の血漿中濃度は静脈内投与後速やかに低下するのに対し、flunitrazepamにより睡眠状態にある患者にFMZを静脈内投与した後の覚醒効果の出現には5〜10分を要するため、FMZの血漿中濃度と効果との間に相関はみられない。レセプターへの結合解離過程を考慮したモデルに基づき、レセプター結合占有率の経時変化を算出した結果、FMZ投与後初期のレセプター結合占有率と覚醒効果との間に良好な相関関係が認められた。

3.ヒトにおけるin vivo BZPレセプター結合の評価方法の確立

 BZP拮抗薬である123I-iomazenil(IMZ)を脳神経疾患患者6名に静脈内投与した後の脳内放射能の推移をSingle Photon Emission Computed Tomography(SPECT)により測定し、血漿中濃度推移を入力関数として非線形最小二乗法により血液脳関門におけるinfluxクリアランス(K1)、efflux速度定数(k2)、レセプター結合および解離速度定数(k3およびk4)を算出した。てんかん患者では側頭葉内側部におけるK1、k3およびk3/k4の値が低下しており、焦点部位におけるレセプター総数あるいは親和性の低下が示唆された。この結果は、てんかん焦点におけるBZPレセプター含量の低下を示す過去の報告と一致し、本方法によるてんかん焦点診断の可能性を示唆するものである。

 以上、BZPレセプター結合占有率を血漿中非結合型濃度とKd値とから推定する方法を確立し、本方法に基づく遡及的解析により、レセプター結合占有理論の臨床適用の可能性を示した。さらに、IMZを用いたSPECTにより、ヒトにおけるin vivo BZPレセプター結合の定量的評価が可能となった。薬理効果と密接に関連しているレセプター結合占有率をヒトにおいて直接測定することは、より適切な薬物療法を可能にするものと期待され、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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